皆さんは「おっとい嫁じょ」という言葉聞いたことはありますでしょうか?
年配の一部の方はご存じかもしれませんが、若い世代の人たちは、どの言葉?方言なの?と知らない方も多くいると思われます。
日本には各地域にそれぞれの風習が実在しましたが、最も恐ろしい風習といっても過言ではなく、過去には、「おっとい嫁じょ」を行って大きな事件にもなっているのです。
目次
「おっとい嫁じょ」は女性を誘拐・強姦して結婚させる狂気の風習?!

「おっとい嫁じょ」とは、結婚に同意していない女性を誘拐、強姦して、強制的に妻にするという恐ろしい風習なのです。
現代の言葉では「誘拐婚」「略奪婚」などと表現されます。
昨今の世の中で、このようなことが起きれば、間違いなく大事件で、世間に報道され、大きな社会問題となるはずです。
当時はこのようなことが風習として行われていたことも驚きですが、この出来事を普通のこととして、周囲が見逃していたことが、何より狂気であったと言えるでしょう。
「おっとい嫁じょ」とは?鹿児島の風習?

「おっとい嫁じょ」は戦前の九州の鹿児島県の串良町において、広まった風習と言われており、当時は誘拐婚の一種として、当たり前のように行われていたようです。
誘拐婚と聞くと今では、重大な犯罪のように聞こえますが、日本国内では、明治期くらいまで、普通に行われていたことなのです。
鹿児島県は毎年観光客が大勢訪れる場所ですが、そのような風習があったことは非常に驚きがあります。
「おっとい嫁じょ」の語源は?

鹿児島県串良町では「おっとい」という言葉は、「盗む」という意味があり、「嫁盗み」という地元ならではの意味合いがあるそうです。
今の時代のようにネットなどもない時代ですので、地域特有の風習というのは、鹿児島県串良町のみならず、全国的にもあったようですが、情報を共有できたりということはなかったのでしょう。
各地域で閉鎖的に行われており、時代の変化とともに消えていったようですね。
「おっとい嫁じょ」は九州の男尊女卑から生まれた?

九州では、全国的にみても特に男尊女卑の強い傾向がある地域と言われているが、「おっとい嫁じょ」はそれを裏付ける風習なのでしょう。
男尊女卑の傾向がある世の中では、「男は外に出て働き、女性の役割は子供を産んで育てることのみで、他のことはしてはいけない」というくらいの風潮があったのです。
かつて日本では、女性は結婚するまで「処女」であること、綺麗な身体を保っていることが大切でした。
なので独身であるのに、貞操を守れていなかったら、男からは、キズモノとして見られてしまい、結婚できなくなってしまっていたのです。
今の時代ではとても考えられないですが、特に九州地方では、そういった考え方が根強くあったようです。
「おっとい嫁じょ」を利用した恋人同士もいた?

戦前は、今の時代のように自由な恋愛がなく、お互い恋人同士でも、親の都合によって結婚できないというパターンもよくありました。
賢い発想を持つ人達は、「おっとい嫁じょ」のシステムを利用し、恋人同士であるのにもかからわず強姦されたように装い、キズモノにされたのだから、結婚するという形に仕向けたようにも使われていたようです。
「おっとい嫁じょ」が事件として発覚?!全国に知れ渡る事態に!

「おっとい嫁じょ」という風習が世の中から注目を集めたのは、1959年に九州鹿児島県の大隅半島の串良町で強姦致傷事件が起きたことにより、世間から注目を集めました。
1959年というと昭和34年の出来事です。
戦前の明治時代まではこのような話があったことは、わかりましたが、昭和に入り「おっとい嫁じょ」の風習があることに驚きです。
古くからの時代の変化についていけず、昭和の時代でもまかり通ると思ってしまったのでしょうか。
鹿児島で起きた強姦致傷罪の背景と判例!

1959年鹿児島県の大隅半島串良町で起きた強姦致傷罪ですが、具体的にどのような事件でどんな判例が出されたのでしょうか。
今では考えられない重大事件ですが、下された判例こそ驚きの内容だったのです。
1959年に鹿児島県・大隅半島串良町で発生
鹿児島県の大隅半島串良町で起きた強姦致傷事件の背景を紹介します。
事件の犯人は、地元に住む青年Aで、従兄の勧めで20歳前後の女性Bをお見合いで紹介されたことがきっかけです。
青年Aは女性に一目ぼれし、すぐにプロポーズをしたが、断られてしまいました。
一般的に出会ってすぐに女性にプロポーズをする行動などあまりないでしょう。
しかし、どうしてもあきらめきれない青年Aは、再度女性にプロポーズしたが、結局断られてしまい、そこで思いついたのが「おっとい嫁じょ」だったのです。
青年Aの両親は、「おっとい嫁じょ」で結婚しており、Aはその申し子とも呼べる人間で、「おっとい嫁じょ」を身近なシステムとして認識していたのではないでしょうか。
女性が勤めていた公共職業安定所の近くで待ち伏せをし、帰宅途中の女性Bを拉致して、知人の家の一室に監禁したそうです。
協力者の従兄と叔父も強姦に参加
女性を監禁した後、再び女性にプロポーズしましたが、断られたため、知人たちと強姦に及びました。
一室を貸してくれた知人も「おっとい嫁じょ」が行われることを知っており、女性を紹介してくれた従兄や叔父までも、強姦に参加するという、おぞましい事件だったそうです。
「おっとい嫁じょ」の風習でいえば、これで強姦が成立し、結婚に至りますが、1959年はそこまでの男尊女卑の時代ではもうなくなっていたのです。
風習では、最終的に女性とその両親が、加害者男性宅に結婚の挨拶に来るというのが習わしでしたが、女性は強姦されても決して、泣き寝入りはせず警察に通報し、これまでの風習を一蹴する形での行動をとりました。
この女性Bの行動により、青年A宅に訪れたのは女性とその両親ではなく、警察だったという結果になっているのです。
加害者が逮捕されるも無罪を主張!

「おっとい嫁じょ」も強姦事件として、当然逮捕容疑がかけられるわけですが、加害者はあくまで自分は風習の一環に従っただけで、何も違法なことはしていない、と無罪を主張していたのです。
現代人の感覚からしますと、凄い開き直りで、誰もが呆れる主張のように感じますが、この後さらに驚きの展開があったのです。
情状酌量を求める嘆願書が提出される
この事件について驚きなのが、地元住民から加害者に対して、情状酌量を求める嘆願書が提出されたのです。
古くからある風習に文句をつけるのは、おかしいというものや、小さい頃は「おっとい嫁じょ」の先頭で指揮していたのだから問題ないという学校の先生までいたそうです。
また加害者の弁護士の意見では「あくまで風習に従って行動したまでで、違法行為はしていない」という主張だったそうです。
加害者に下された判決は?

無罪を訴えてきた加害者でしたが、鹿児島地裁の判決では『供述調書からは青年Aが「おっとい嫁じょ」の反社会性を認識していたことが伺える』と判断いたしました。
この判例は、当時鹿児島県内のメディアで取り上げられ、新聞社は特集シリーズで「おっとい嫁じょ」がどのような風習なのか、全面的に紙面に掲載されました。
「おっとい嫁じょ」は今も地方で行われている?

「おっとい嫁じょ」は明治の当時から鹿児島県に限らず、言葉は違いますが、大阪や高知県でも誘拐・強姦婚というのは存在していたようです。
しかし、この判例結果を学んでか、時代の流れか、誘拐・強姦婚のような風習はとっくに消滅してしまいました。
串良町の地元の人間でも、若い世代の人たちは「おっとい嫁じょ」という言葉すら知らない人が多いそうです。
「おっとい嫁じょ」は本来ハロウィンのような行事だった?

「おっとい嫁じょ」の真相ですが、実はそれほど恐ろしい風習ではないとの噂もあり、ハロウィンのような行事だったそうです。
村の子供達が、夫妻の家を訪れて「嫁をよこせ」と言い放ち、夫が子供達へ「嫁はお前らにはやらん」と突き放し、「だったら、嫁の代わりにこれをくれ」という形のやりとりを行います。
こういったやり取りをした後で、夫が子供達に食べ物を振る舞ってあげるまでが一環の流れで、毎年恒例の遊びのようなものだったとのことです。
世界では今も「誘拐婚」が行われている?驚きの国5選!

「おっとい嫁じょ」ならぬ誘拐婚というのは、日本のみならず外国でも風習として行われていた国もあるそうです。
日本で衝撃を与えた誘拐婚ですが、世界的に見てみると、さらに驚くべき風習がある国がたくさん存在しているのです。
①キルギス「アラカチュー」

キルギスは、中央アジアに位置する内陸国で、カザフスタン、中国、ウズベキスタン、タジキスタンと国境を接しております。
「アラ・カチュー」はキルギス語で「奪って去る」いう意味を持ち、自分達の部族繁栄のために、他の部族から結婚できる女性をさらってくるという風習があったそうです。
20世紀以降は日本と同じく、男女平等、自由恋愛の考え方が広がり、誘拐婚の風習が減少しております。
しかし未だ風習のある「アラ・カチュー」に世界的に厳しい目が注がれておりますが、伝統だから仕方ないと捉えている人もいるようです。
②エチオピア

アフリカの角で内陸国に位置するエチオピアは、なんと誘拐婚率が69%も占めているのです。
何故半数以上も誘拐婚が占めているのかというと、親の世代が誘拐婚の形が一般的だったので、その子供が同じことをしても親が反対していないことがあるのです。
エチオピアは貧しい人が多いため、結婚するための資金を持たないケースが多く、このような行動に出るそうです。
ユニセフはこの問題を今後変えていこうと、学校教育では、誘拐婚は決して許されるものではなく犯罪であることを教育しております。
根本的な意識から変えていかないと、情勢は何も変わっていくことはないでしょう。
③インド

インドの中では、児童婚の風習が残っており、シュラーバスティーという町では、8歳の幼い少女たちが、家族の意思で結婚させられるという出来事が起こったそうです。
8歳という年齢自体と結婚するしないの判断は、自分ですることはまずできないでしょう。
ここはネパールとの国境沿いにある貧しい地区で、ネパールのダリットの風習が色づいていると推察できます。
今では児童婚はインドでは認められていなく、女性は18歳以上、男性は21歳以上でなければ合法的に結婚できません。
違反した場合、最高2年の懲役刑に処せられることになっております。
④ネパール

南アジアに位置するネパールですが、誘拐婚があらゆる場所で起きており、18歳未満の少女で本人の意思を無視して、強制的に結婚させられるケースも根強く残っています。
根強く残る原因として、金銭的な事情が強いられています。
カースト制度の最下層であるダリットは、少女の多くが強制結婚の伝統的風習に従うことを期待されるのです。
こういった人権を無視した風習が残っているのにもかかわらず、周囲が咎められない環境が問題で、伝統的な風習だから仕方がないという言葉では済まされないのです。
⑤ベトナム

東南アジアの国で、南シナ海に面したベトナムですが、実は54もの民族が存在し、中には誘拐婚を行う習慣がある民族もいるのです。
男性は女性にプロポーズして、断られると男性は馬に乗り、強引に女性を誘拐していくのです。
女性は助けをもとめて泣き出し女性の両親も同様に男性に対して、対応していきます。
モン族の習慣では、男性が女性を連れてきて、贈答品を渡すと、正式に花嫁として迎えられるのです。
この民族のおかしな伝統的風習は、お金持ちの家と結婚するときに、行われるそうです。
「おっとい嫁じょ」は戦前に行われていた鹿児島の誘拐強姦の風習!

日本では戦前「おっとい嫁じょ」という誘拐婚の風習は閉鎖的に行われていたのです。
今考えてみると、とても恐ろしい風習ですが、世界的にも誘拐婚が広がっているのがさらに驚きなのです。
このような男尊女卑の考え方や古くから伝わる伝統の風習に誰も疑問を抱くことがないということが根本の問題なのでしょう。
今後は、世界中から誘拐婚という人を不幸にする風習は根絶されていくことを期待したいですね。