きゃりーぱみゅぱみゅのジュニアアイドル時代と本名・竹村桐子は黒歴史で衝撃的?

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きゃりーぱみゅぱみゅさんは高校卒業したのち中田ヤスタカプロデュースのミニアルバムでデビューしています。

すると、勢いに乗って初のアルバム「ぱみゅぱみゅレボリューション」でいきなりのオリコン1位を獲得するなど初めから大人気スターの仲間入りを果たしています。

人気を集めたきゃりーぱみゅぱみゅさんは過去にジュニアアイドルもしていたようです。

そんなきゃりーぱみゅぱみゅさんの過去についてみてみましょう。

きゃりーぱみゅぱみゅはジュニアアイドルだった?本名は竹村桐子!

人気を集めているきゃりーぱみゅぱみゅさんは過去にジュニアアイドルをしていたのではと噂されています。

名前が独特なきゃりーぱみゅぱみゅさんは本名も公開されています。

そんなきゃりーぱみゅぱみゅさんの過去を詳しくみていきましょう。

きゃりーぱみゅぱみゅはジュニアアイドルをしていた?

きゃりーぱみゅぱみゅさんは過去にジュニアアイドルをしていました

ジュニアアイドルとは小学生や中学生など比較的低年齢層のアイドルであり、写真集やDVDなどの販売などをおこなうようです。

主にベットに寝転ぶ写真や、スクール水着の写真が代表的です。

12歳でデビューしており、ジュニアアイドルとしてのDVDも出しています。

きゃりーぱみゅぱみゅは本名「竹村桐子」で活動?

きゃりーぱみゅぱみゅさんは本名もジュニアアイドル時代から公開されています。

当時は売名のためにジュニアアイドルをしていたとも噂されており、その時は竹村桐子で活動していました。

しかし、歌手としてメジャーにデビューしてからは個性的な名前に変えて新しいキャラクターとして出てきました。

本人は過去のジュニアアイドルとは完全に違う形でいきたかったのでしょう。

きゃりーぱみゅぱみゅがジュニアアイドル時代を隠したい理由とエピソード3選!

きゃりーぱみゅぱみゅさんは歌手として人気を得ましたが、ジュニアアイドル時代は隠したいようです。

実際ジュニアアイドルとして人気も得ていましたが、なぜ隠したいのでしょうか。

その理由とエピソードを3つ見てみましょう。

①本名・竹村桐子をツイートしたらブロックされる?

きゃりーぱみゅぱみゅさんはファンから竹村桐子と呼ばれることを嫌がっています。

ファンやアンチ含めて、Twitterで本人宛に本名を送るとアカウントをブロックされてしまうみたいです。

ファンからの純粋な応援だとしても、本名で言われるとバカにされた気分になるのでしょうか。

②「ボクらの時代」できゃりーぱみゅぱみゅになったのは高校生からと発言!

「きゃりーぱみゅぱみゅ」という名前になったのは高校生からだと発言しています。

デビューして間もなくすぐに芸名で活動しており、本人の中では「本名の自分」と「きゃりーぱみゅぱみゅ」でもう完全に違うものにしています。

竹村桐子は完全に黒歴史で、完成された「きゃりーぱみゅぱみゅ」を壊されたくないのでしょう。

③「ダウンタウンなう」でグラビアはやったことないと回答!

きゃりーぱみゅぱみゅさんはテレビ出演した「ダウンタウンなう」でグラビアはやったことがないと答えています。

「本音でハシゴ酒」で恋愛について聞かれるとしていたことを暴露していました。

ですが、「グラビアはやらないの?」の質問に対しては嘘をついていました。

どれだけバレていても自分の中では消したい過去なのがよく伝わります。

きゃりーぱみゅぱみゅはカキタレだった可能性も?

きゃりーぱみゅぱみゅさんはお笑いが大好きでも知られています。

そんなきゃりーぱみゅぱみゅさんの高校時代の部活動は自身で友人とお笑いを見に行く部活を立ち上げています。

月に2回ほど見に行っており、芸人の追っかけをしていると「中畑しんじろう」と仲良くなってマブダチになったとも発言していました。

可愛らしさもあるので、カキタレになっていた可能性もありますね。

カキタレとはセッ〇スを表すカキという言葉と、女性を表すタレという言葉を合わせた造語であり、カラダ目当て、遊び目的の彼女の意味。

隠したい理由①きゃりーぱみゅぱみゅというブランドを守るため?

隠したい理由1つ目は、きゃりーぱみゅぱみゅというブランドを守るためではないかと言われています。

やはり「竹村桐子」にはジュニアアイドルのイメージが強くついてしまっているため、自分の中では消し去りたい思いが強いようです。

そのため「きゃりーぱみゅぱみゅ」という個性的なキャラクターで人気を集めているためイメージやブランドを落としたくないのでしょう。

隠したい理由②ジュニアアイドルは海外の人にとってイメージがよくない?

隠したい理由2つ目は、ジュニアアイドルは海外の人にイメージが悪いからです。

やはりジュニアアイドルは未成年に行わす少し危ない写真集になります。

そのため海外問わず、あまり良いイメージではないでしょう。

海外でも活躍している幅広いアーティストなだけに消し去りたい過去なのでしょう。

ジュニアアイドルの竹村桐子からきゃりーぱみゅぱみゅになったのはいつ?

海外でも活躍しているきゃりーぱみゅぱみゅさん。

この名前に変わって活動し始めたのはいつからなのでしょうか。

「竹村桐子」から「きゃりーぱみゅぱみゅ」が完成するまでを見てみましょう。

2008年:高1から「きゃりー」名義で読者モデルとして活動!

きゃりーぱみゅぱみゅさんは高校1年生から「きゃりー」として活動していました。

ジュニアアイドル以降読者モデルとして活動しており、高校2年生の時に原宿で撮影された写真によって人生が大きく変わっています。

また16歳からニコニコの配信をしていたことでも有名です。

2010年:「きゃりー」名義で「ミラクルオレンジ」をリリース!

2010年には「きゃりー」の名義で「ミラクルオレンジ」をリリースしています。

この頃はまだ曲も出したばかりで、「きゃりーぱみゅぱみゅ」にはなっていません。

ですが、個性的だっためこの頃から注目され始めています。

2011年:「きゃりーぱみゅぱみゅ」としてワーナーミュージックからデビュー

2011年に「きゃりーぱみゅぱみゅ」としてワーナーミュージックからデビューしています。

その当時デビューしたのは「PONPONPON」です。

その後は「つけまつける」や「ファッションモンスター」をリリースしていき日本のみならず、海外にまで進出を果たしています。

きゃりーぱみゅぱみゅの名付け親はサバンナ・八木?

きゃりーぱみゅぱみゅさんの名付けの親はサバンナ八木さんと言われています。

昔数多くの芸の中でやっていたようで、「ぱみゅ」というものがあったそうです。

「きゃりー」は友達にあだ名で、「ぱみゅ」は八木さんのギャグから来ているみたいですね。

正式名称は、「きゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ」です。

きゃりーぱみゅぱみゅにとって竹村桐子は消したい過去!

今では知らない人がいないというほど知名度のあるアーティストになっています

ですが、ネットこそ流出してしまっていますがまだ知らない人もいるのではないでしょうか。

今は大舞台で活躍されていますが、下積み時代の黒歴史はテレビで嘘をついてでも消したい過去なのでしょう。