トムプライスの死亡事故は、南アフリカにあるキャラミで行われた南アフリカグランプリの決勝戦で起きました。
事故当時の映像も残っており、F1史上最も悲惨な事故だったとまでいわれています。
トムプライスの事故は、いくつもの原因が重なって起きた不運な事故として、語り継がれてきました。
1977年に起きたトムプライスの死亡事故の直接的な死因、残された家族のその後にフォーカスしていきます!
目次
【閲覧注意】トムプライスの事故がヤバすぎる?!動画の内容も紹介!
語り継がれるトムプライスの事故死は、現在YouTubeで観覧可能です。
いくつもの要因が重なり起きた事故は、あるいは防ぐことが出来たのかもしれません。
27歳の若さで亡くなった悲劇過ぎるトムプライムの事故とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。
F1史上最悪?!トムプライスの死亡事故とは?
1977年3月5日、南アフリカのキャラミサーキットで行なわれたグランプリ決勝中に、事故は起こりました。
ことの発端は、トムプライスと同じチームのレンツォ・ゾルジの車にトラブルが発生し、コース端にマシンを停車させたことから始まります。

引用:wiki/トム・プライス
レンツォ・ゾルジのマシンから火が出ないようにマーシャル(コースワーカー)が消火器を持って駆け付けたのです。
この時、図の上の赤丸の辺りで、コース上を横切るマーシャルと時速300キロのトムプライスのマシンが衝突、マーシャルの持っていた消火器がトムプライスのヘルメットに直撃してしまいます。
マーシャルもトムプライスも即死だったとされ、マシンはそのままコーナーを曲がり切れず図の下の赤丸の辺りのキャッチフェンスに激突し大破しました。
【閲覧注意】事故動画はYouTubeで閲覧可能!
トムプライスの事故が、現在も多くの人の注目を集めているのは、当時の映像が残っているからともいえます。
YouTubeには事故の映像がいくつかあがっており、閲覧注意となっていました。
動画では、一瞬ですがマーシャルが飛ばされる様子がうつっており、閲覧注意の映像となっています。
衝撃のシーンを見るのが怖い方のために、どのような動画内容と事故であったのか下記に記します。
この映像は、エンジントラブルでピット手前に停車したレンツォ・ゾルジを映したものです。
画面左はホームストレートと呼ばれる最もスピードが上がる直線コース。
レンツォ・ゾルジのマシンから火が出て、1人目のマーシャルが駆けつけ消火をおこなっています。
その後、2人目のマーシャル、ジャンセン・ヴァン・ヴーレンが駆けつけますが、コース上でトムプライスと衝突したのです。
映像には、コース上から飛んでくるマーシャルの体が映りこんでおり、彼の体は引き裂かれ、肉片となった体が血と共に飛んできます。
事故後、コーナーのキャッチフェンスに激突したトムプライスを運び出す様子や、彼の大破したマシンが映し出されていました。
なぜ、このような事故が起きてしまったのでしょう。
トムプライス死亡事故の原因5選!首が切断された?
トムプライスの事故は、マーシャルに責任があった、と多くの人が口をそろえています。
確かにマーシャルが不用意にコースを横切らなければ、この事故は起こっていないでしょう。
しかし、トムプライスが死亡してしまった原因を紐解いていくと、そこには5つの原因が隠れていたのです。
トムプライス死亡事故の原因①マーシャルと接触して事故死
トムプライスの事故の原因を語るうえで、外せないのがマーシャル(コースワーカー)の存在です。
もしも、マーシャルであるジャンセン・ヴァン・ヴーレンがコースを横断していなかったら、この事故は起こらなかったでしょう。
さらにマーシャルは、消火器を手に持っており、この消火器が時速300キロでトムプライスのヘルメットに直撃しました。
F1で使用されるヘルメットは厳しい検査を通過しており、200から300gの金属を250キロ程度でぶつける検査も行っているようです。
しかし、事故当時は時速300キロ、一般的な消火器でも5000gはあります。
ヘルメットでもカバーできない想定外のアクシデントが起こっていました。
トムプライス死亡事故の原因②顎ひもが首を切り付けたことが死因!?
トムプライスの直接的な死因は、ヘルメットの顎紐が彼の喉元を切りつけたことです。
マーシャルと衝突の際、マーシャルが持っていた消火器が偶然にもトムプライスのヘルメットに直撃し、ヘルメットは割れ飛ばされました。
この時、ヘルメットの顎紐が強い力で彼の首を切りつけてしまったため、頸動脈が切れ大量の出血と共に即死したといわれています。
トムプライスは、コーナーのキャッチフェンスに激突しますが、足はアクセルを踏み、手はハンドルを握ったままだったようです。
ヘルメットに消火器が衝突した時点で、即死しており硬直したままマシンは走り続けたことになります。
トムプライス死亡事故の原因③エンジントラブルを起こしていた別選手
この事故の発端は、レンツォ・ゾルジがエンジントラブルを起こしマシンを停車させていたことです。
彼が停車させたのはホームストレートのピット手前で、しかもコースは急こう配だったようです。
エンジントラブルに気が付いたマーシャルが、消火器を持ってコースを横切りますが、急こう配のせいでドライバーからの視界は良くありませんでした。
しかも、トムプライスは前を走るハンス=ヨアヒム・スタックのマシンのすぐ後ろについており、横断するマーシャルの姿をとらえるのは不可能だったのかもしれません。
ちなみに、前を走っていたハンス=ヨアヒム・スタックは、横断するマーシャルに気が付きとっさにハンドルを切っています。
トムプライス死亡事故の原因④別選手にも接触事故を起こしていた
マーシャルと衝突した後、トムプライスのマシンは減速することなくそのまま直進しています。
前方を走っていたのはジャック・ラフィットのマシン。
コーナーを曲がるために減速していた所に、トムプライスのマシンが突っ込んできました。
結果的に、ジャック・ラフィットのマシンと接触事故を起こしたことでトムプライスのマシンが停止することになったのです。
トムプライス死亡事故の原因⑤マーシャルの経験不足?
トムプライスの事故の要因とされるマーシャルのジャンセン・ヴァンヴーレンは、当時19歳の黒人の青年です。
まだ経験が浅く、横断してはいけないタイミングかどうか判断できなかったのでしょう。
経験豊富なマーシャルの指導が、行き届いていなかったのでしょうか。
一説では、白人のマーシャルに強制的に「行け」と指示されたとされています。
当時南アフリカにはアパルトヘイトが根強く残っており、白人は最も階級で黒人は最も下の階級とされていたのです。
マーシャルのジャンセン・ヴァンヴーレンが原因とされていますが、彼もこの事故の被害者なのではないでしょうか。
トムプライスの事故の後はどうなった?墓の場所や妻は?
27歳という若さで、突然この世を去ったトムプライス。
トムプライスには1975年に結婚した妻がいました。
世界中が衝撃を受けた事故でしたが、彼の死後、残された家族はどんな暮らしをしているのでしょう。
トムプライスのプロフィール
【トムプライス プロフィール】
本名 :トーマス・モルドウィン・プライス
出身地 :イギリス( ウェールズ)
生年月日:1949年6月11日
没年月日:1977年3月5日
トムプライスは、元々パイロットになりたかったようですが、成績がすぐれず、両親がのぞむレーサーに転向しています。
16歳からトラクターのメカニックを習い、当初はメカニックとして働きつつF2などに出場していたようです。
その後1974年にF1デビューを果たし、シャドウ・フォードに移籍しています。
デビュー当時は、期待のルーキーと話題になり今後の成長が注目される選手だったのです。
墓はイングランドにある聖バーソロミュー教会
トムプライムのお墓は、イングランドにある聖バーソロミュー教会にあります。
聖バーソロミュー教会は1123年から続く由緒ある教会で、映画「恋に落ちたシェークスピア」や「シャーロック・ホームズ」などのロケ地にもなっている教会です。
彼は事故の2年前に、聖バーソロミュー教会で結婚式を挙げており、思い入れのある場所だったのでしょう。
故郷に没後30周年の記念碑が建てられる
トムプライスがF1レーサーとして活躍したのは、わずか3年でしたが、2007年に記念碑が立てられています。
類まれなドライブテクニックや、F1のルーキーと呼ばれ獲得した人気、功績をたたえたものです。
「トム・プライス・ストレート」と呼ばれるその記念碑は、故郷ウェールズのアングルシーサーキットに建てられ、今もなおその存在を後世に伝えています。
妻はアンティークショップを経営
トムプライスの死後、残された妻はイギリス南西に位置するフルハムでアンティークショップを開いていました。
共に経営しているのは、同じF1ドライバートニー・ブライズの妻となった女性です。
トニー・ブライズは同じイギリスのF1ドライバーで、1976年にフランスでのマシンテストの帰りに小型飛行機が墜落し死亡しています。
わずか23歳という、若すぎる死になりました。
元F1レーサーを夫にもつ二人は、亡き夫を偲びつつ共に歩むことを決めたのでしょう。
トムプライスの事故は、防げたはずの事故!
歴史の中では、タラレバは無意味だといわれます。
しかし、トムプライスの事故の原因を探っていくと、もしもエンジントラブルが起きなかったら、と考えずにはいられません。
危険と隣り合わせのF1レース、ゆえに人々は惹きつけられるのかもしれません。
二度とこのような事故が起きないことを願うばかりです。
しかしこの接触事故の時、すでにトムプライスは死亡していたとみられています。
ジャック・ラフィットは1986年まで現役で活動し現在79歳、接触事故となった1977年11月には日本の鈴鹿サーキットで全日本F2000選手権に出場し優勝しました。