70年代に4人組アイドルグループのフォーリーブスのリーダーとして活動し、ドラマやソロ歌手としても活躍した北公次さんをご存知でしょうか?
2012年に亡くなった北さんは、1988年に所属していたジャニーズ事務所の暴露や批判を書いた「光GENJIへ」という本を発売したことで話題になりました。
フォーリーブスのリーダーとして活躍し続けた北公次さんでしたが、グループ解散後は酒やギャンブルに溺れる日々が続き、覚醒剤所持で逮捕されたり離婚や日雇いの仕事で生活をしたりと、華々しい活躍をした後は波乱万丈の人生だったようです。
そしてジャニー喜多川氏の性加害が問題となった2023年に、一部メディアの間でこの本で取り上げられた内容がフィーチャーされて、北さんの名前が再び注目を集めています。
今回は、そんな北公次さんの結婚歴や死因、ジャニー氏に宛てた遺書について紹介していきましょう。
北公次の妻は2人だが結婚は3回?!馴れ初めや離婚理由は?
元フォーリーブスの北公次さんは、生涯で結婚を3回経験しています。
しかし、実際に結婚した女性の人数は2人だということがわかりました。
一体北さんの結婚生活とは、どんなものだったのでしょうか?
こ子からは、北さんの馴れ初めや離婚理由について解説します。
北公次はジャニーズ黎明期にデビュー!波乱万丈の人生?
北公次さんは、フォーリーブスのメンバーとして1965年に芸能界デビューしました。
フォーリーブスはジャニーズ事務所に所属し、ジャニーズ事務所の黎明期にあたる70年代には紅白歌合戦に7年連続出場を果たし国民的アイドルグループとして君臨したのです。
しかし1978年に解散後、北さんは当時の副社長のメリー喜多川氏の反対を押し切りジャニーズ事務所を退社しました。
その後ダンス修行のためにアメリカロサンゼルスに渡りましたが、上手くいかず1年も経たずに帰国します。
ジャニーズを退所した翌年、北さんは覚醒剤所持で逮捕され、一時期芸能界を離れて地元和歌山の漁業組合や白浜温泉のスナックで働いた後に芸能界に復帰したのです。
このように、フォーリーブス解散後の北さんの人生は波乱万丈にとんだ生活に変わってしまいました。
1人目の妻:日本航空CA
北さんの最初の結婚は1983年で、お相手はJALの客室乗務員でした。
2人の出会いは、北さんが渡米時にハワイに立ち寄った際に客室乗務員だった女性と知り合ったのがきっかけです。
女性とは帰国後に同棲を始め、5〜6年の交際後に妊娠が発覚したことで2人は結婚しました。
翌84年にはお子さんが生まれましたが、北さんが芸能の仕事が全く無い状況だったので、日雇いや短期のバイトをして家計を支える苦しい日々だったようです。
北公次の薬物やギャンブル、うつ病が原因で離婚?

しかし北さんは、苦しい経済状況を紛らわすためにギャンブルや薬物に走ってしまいます。
加えて服用していた薬の副作用によって、うつ病を発症し入退院を繰り返すことになりました。
愛想を尽かした奥さんは、子供と共に自宅を出て行き、1988年に離婚することになったのです。
1人目の妻と再婚するも再度離婚!
離婚後はしばらく前妻と音信不通になっていた北さんでしたが、1989年に開催された北さんのライブで2人は偶然再開します。
やがて2人は同年の夏に再婚しました。
再婚後の1990年には第2子が誕生しましたが、結婚生活は長く続かず1992年には再び離婚することになったのです。
2人目の妻:北公次のファンで資産家令嬢
北さんは、2回目の離婚から2年後の1994年に再び再婚します。
お相手は北さんのファンだったという女性で、資産家の令嬢という豊かな家系に生まれた女性でした。
女性は当時六本木のスナックでママとして働いていて、そこに客として訪れた北さんと意気投合したことで交際に発展するのです。
その後同棲生活を始め、94年にハワイで結婚式、紀尾井町のホテルニューオータニで盛大な結婚披露宴をしたことでも話題になりました。
その後女の子を授かり、北さんが2012年に亡くなるまで妻として北さんを支えたのです。
ブティック経営も上手くいっていなかった?

北さんは再々婚後の90年代半ばには、麻布十番や下北沢でブティックを経営していたこともありました。
しかし店の経営は上手くいかず、同時に介護ヘルパーの仕事をしながら経営していたようです。
この他にも喫茶店経営もしていたそうですが、こちらも上手く行かないなど苦労が絶えませんでした。
北公次の死因とは?葬儀とジャニー喜多川氏宛ての遺書がヤバい?!
北公次さんは2012年、63歳という若さで無くなりました。
その後、亡くなる前日に書きしめた遺書が見つかります。
その遺書の内容が、ファンへの感謝の他にジャニー喜多川氏とメリー喜多川氏への感謝を記していたとして当時話題になりました。
ここからは、北公次さんの死因や遺書、そして暴露本について解説していきます。
北公次の死因は?アルコールが原因だったとの噂も?

2012年に63歳で亡くなった北公次さんの死因は、肝臓ガンであることがわかっています。
ジャニーズ事務所を退所後、北さんは苦労の絶えない人生を過ごしたことでアルコールや薬物に走ってしまいました。
肝臓ガンで亡くなったことは、当時のアルコールなどの大量摂取と無関係では無いかもしれませんね。
北公次の葬儀は創価学会形式だった?
北公次さんが2012年に亡くなった際、葬儀形式が創価学会形式の友人葬なのではと一部で噂になりました。
そう言われるようになった理由は、通夜に参列した俳優のあおい輝彦さんが関係していたそうです。
なんでも北さんとあおいさんは、創価学会を通じて知り合ったそうで、2人は池田大作氏の誕生日には花束を贈ったり式典で祝辞をしたりするなど、お互い親しい仲にありました。
ただこれはあくまでも噂レベルの話で、本当に北さんが学会員だったことはよくわかっていません。
北公次の暴露本「光GENJIへ」が死後に話題に?
北公次さんは1988年、自身の半生を綴った「光GENJIへ」という著書をリリースしました。
その内容は、ジャニーズ事務所の裏側やジャニー喜多川氏を糾弾する暴露本です。
本はベストセラーを記録しましたが、著書に書かれているような批判の内容は当時メディアでは放送されることなく、事実上黙殺された感じになりました。
しかし2023年になって、イギリスBBCの報道によってジャニー喜多川氏の悪質な性加害が大々的に報道され、北さんの死後10年経過してから再びこの本が注目され始めたのです。
北公次が出した暴露本「光GENJIへ」の内容とは?
北公次さんが出版した暴露本「光GENJIへ」は、北さん自らの半生とジャニーズ事務所の生々しい裏側が書かれた衝撃的な内容でした。
中でも衝撃的だったのが、ジャニー喜多川氏によるタレントへの性的ハラスメントです。
本の中では、ジャニー喜多川氏のお気に入りの男性アイドルやどのようにして性被害を受けていたのかというのが書かれていました。
華々しいアイドルの活躍の裏で、実はジャニー喜多川氏はお気に入りの男子に性的なことをしていたという、芸能界では絶対にバレてはいけないタブーとも言える内容だったのです。
この本が発売された1988年には、事務所の圧力によってタブー化されて、ほとんどメディアでその内容は取り上げられませんでした。
しかし、2023年にジャニー喜多川氏の性加害問題が注目されると、この本に書かれた内容が間違いではなかったことがわかったのです。
もし1988年にこの本が大々的に取り上げていたら、ジャニー喜多川氏の性加害問題は早くに解決されて、被害に合う少年は少なくて済んだのでは?とも言われています。
北公次はジャニー喜多川から性的被害を受けていた?!
北さんは著書の中で、ジャニー喜多川氏から性的行為をされたことを書いています。
当時北さんは16歳の未成年だったので、「まるで生き地獄だった」のその恐怖を綴っていました。
ではなぜ、北さんは性行為から逃げなかったのでしょうか?
それはやはり、アイドルとして芸能界で成功するためには、性行為であっても受け入れなければならないという思いがあったためだったと綴っています。
ジャニー氏は北さんを最も気に入っていたようで、フォーリーブスとしてデビューした後も部屋で急に襲われたりしたそうです。
問題が明るみにされる前にジャニー喜多川氏は亡くなりましたが、この本が発売されてなかったら現在ここまで大きな騒動にならなかったかもしれません。
そういう意味では、北さんの本は大きな意味を持つものと言えるでしょう。
北公次がジャニー喜多川に宛てた遺書がヤバい?
2012年に63歳で亡くなった北公次さんですが、亡くなる前日にファンなどに向けて自らしたためた遺書のようなメッセージが話題になりました。
北さんの公式HPに記載されたその文章には、ファンなどへの感謝の言葉の中にジャニー喜多川氏とメリー喜多川氏への感謝も記されていたのです。
メッセージの最後に、「ありがとうございました、感謝しています」とジャニー喜多川とメリー喜多川両氏に向けて綴られていたこの遺書は、様々な憶測を呼びました。
性被害を受けていたとしても、やはり自分をアイドルとして育ててくれた恩義は忘れられなかったのか、あるいは暴露本を出してしまって迷惑をかけた申し訳なさなのか、今となっては真実はわかりません。
ただ、死の淵で書いたメッセージですから、ある程度北さんの本音もあるのではと思えますね。
北公次は3回結婚したり暴露本を発表するなど、波乱万丈の人生だった
今回は、元フォーリーブスのリーダーで暴露本でジャニーズ事務所の闇を暴露したことでも知られる北公次さんの生涯について紹介してきました。
北さんはグループ解散後、2度の離婚や覚醒剤による逮捕など波乱万丈の人生を送っています。
1988年には著書「光GENJIへ」を出版し、ジャニー喜多川氏から受けた性加害やジャニーズ事務所の裏側を暴露し話題となり、2012年に63歳で亡くなりました。
北さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。