ジャニーズ事務所が解散し「SMILE-UP.」として被害者へ補償業務を行うと発表されました。
ジャニー喜多川さんからの性被害が公表され、約480人ほどから被害の届け出があったといいます。
芸能界への圧力があり、なかなか声があがらなかった性被害!
そんな中、光genjiだった木山将吾さんは、2005年に「SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ」を出版し、世間から注目を集める存在になりました。
ーこの記事でわかることー
- 性加害を受けた木山将吾について
- 木山将吾の若い頃の顔と現在の写真
- 暴露本の内容について
暴露本を出し、ジャニーズ事務所へ立ち向かった光genji木山将吾さんの写真や、現在を詳しく紹介します。
また読むのがつらい、とまで言われている暴露本の詳細を覗いていきましょう。
目次
光genji元メンバー木山将吾とは?若い頃の写真も調査!
光genjiの元メンバーだった木山将吾さん、しかしその幻のメンバーがいたことを知らない人も多いのではないでしょうか。
1987年の6月に光genjiはデビューしていますが、木山将吾さんはデビュー直前の1987年春にジャニーズ事務所を退所したのです。
ジャニー喜多川さんの死後、多くの人が性被害を訴えていますが、木山将吾さんはジャニー喜多川さんの生前に暴露本を出版しています。
そんな元光genji木山将吾さんの若いころの写真や、人物像を見ていきます。
木山将吾のプロフィール
【木山将吾プロフィール】
本名 :山崎正人
生年月日 :1970年2月23日
出身地 :長野県長野市
出身校 :秀明八千代高校
木山将吾さんは、ジャニーズ時代、本名の山崎正人で活動しています。
ちなみに木山将吾という名は「SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ」を出版した時のペンネームですが、こちらの方が有名になっているようです。
ジャニーズ事務所に入ったのは、友人である大沼雄一郎さんがジャニーズJr.だった為、興味をひかれたとのこと。
大沼雄一郎さんが提出した写真に、木山将吾さんが偶然写っており、ジャニー喜多川さんが、熱烈に会いたいと木山将吾さんをスカウトしたようです。
なんと、1984年高校1年生の15歳時にオーディションをせずに特待生扱いで事務所に入っています。
その後、ジャニーズJr.を経て、光genjiのメンバーとしてデビュー前のポスター撮りまで行っていました。
上記は元光genji木山将吾さんの現在の写真です。
光genji元メンバー木山将吾は、ジャニーさんに気に入られていた!
15歳で特特性扱いでジャニーズ事務所に入所した木山将吾さんは、ジャニー喜多川さんのお気に入りだったようで「マットくん」という愛称で呼ばれています。
入所して間もない頃、実力もないはずの木山将吾さんは少年隊の「仮面舞踏会」のバックダンサーに大抜擢されました。
しかし、さすがにダンスが踊れず外されたとのこと。
ジャニーズJr.に在籍していた彼は、選抜メンバー「桜隊予備軍」にも起用され、ジャニー喜多川さんのお気に入りとして地位をあげていきます。
その後、ジャニー喜多川さんは「Youを光genjiのメンバーにする」と宣言し、直々に木山将吾という芸名をつけたのです。
光genji元メンバー木山将吾の若い頃の写真は?
上記右上が、ジャニーズ当時の光genji木山将吾写真吾さんの写真です。
ジャニーズ時代はわずか2年と短く、写真もあまり残っていませんが若い頃の顔はとても可愛らしい中性的な感じがします。
木山将吾さんは焼肉屋でアルバイトをしていたようで、現在「SMILE-UP.」の社長となっている東山紀之さんからは「焼肉屋」と呼ばれていたのです。
木山将吾は17歳でジャニーズを退所!
光genjiのメンバーとして、将来のデビューが約束されていた木山将吾さんですが、デビュー直前の1987年春にジャニーズ事務所を退所しました。
当時17歳だった彼は、この退所を「逃げ出した」という言葉で表現しています。
この突然の退所は、ジャニー喜多川さんによる性被害に耐えられなくなったという理由からなのです。
ジャニーズJr.として活躍し、やっとデビューできる直前にすべてを投げ捨てた木山将吾さん。
ジャニーズ事務所にいる限り続けられるであろう、ジャニー喜多川さんによる性被害が彼を強く苦しめていたのでしょう。
左が平本淳也さんで、右が山崎正人さん(木山将吾さん、山崎銀さん)ですよ。 pic.twitter.com/J3DjOjWQND
— るない (@Renahy2016) November 10, 2023
こちらの投稿でも光genji木山将吾の写真が紹介されています。
性加害暴露本「Smapへ」を出版!その内容がヤバすぎる?
「Smapへ」の暴露本が出る前年、ジャニー喜多川さんの児童虐待を告発した「週刊文春」とジャニー喜多川さんの裁判に判決が出て、裁判所は「週刊文春」の虐待記事を真実と認めています。
この時、証言台に立った木山将吾さん。
彼の若い頃に受けた怒りと怨みは「Smapへ」という、一冊の本に凝縮されているのです。
しかし、当初ジャニーズ事務所の強い圧力がかかり、マスコミはこの本を取り上げることはしませんでした。
ここから「Smapへ」で語られているヤバすぎる真実を見ていきましょう。
合宿所では「泡風呂の儀式」を受けなくてはならない?
「Smapへ」の中ではジャニー喜多川さんのヤバすぎるエピソードが並べられていますが、合宿所での泡風呂の儀式は、年端もいかない少年たちをまるで虐待しているかのようです。
木山将吾さんによると、合宿所でジャニー喜多川さんと共にお風呂へ入ることになり、全身をまんべんなく洗われる儀式があるそうです。
自分のお気に入りに対して、通称泡風呂の儀式を行うようで、体を洗った後は全身のマッサージをおこなったりキスをしたりするのだとか。
ジャニー喜多川さんは、この時「これから忙しくなるよ、テレビ番組も沢山出るよ」などと将来を約束するような甘い言葉を囁いたといいます。
売れることを夢見ている少年たちを、芸能界で売れる為という趣旨でいいように洗脳していたのかもしれません。
木山将吾のアソコをあの人がまさかの?

光genji木山将吾さんは、写真からもわかるようにかわいい雰囲気を持った少年でした。
その為、ジャニー喜多川さんの愛人だった、という言葉が出るほどかわいがられていたのです。
木山将吾さんが合宿所へ移動して3日目の夜に、ジャニーさんがベッドの中に潜り込んできます。
足のマッサージから始まり、まるで犬のように息をあげながら、ぺ〇スまでくわえてきたとのこと。
木山将吾さんはヤバイ、と思ったようですが、デビューするためには必要な儀式だったので逃げることは出来なったのでしょう。
その後も夜は同じことが幾度となく繰り返され、大部屋で寝ているとひとりずつ順番に犯されていったのです。
隣に仲間が寝ている状態で、犯されていることに異常さを感じながらも、そのことが日常化していったのだと語れていました。
15歳の夜ついに一線を超えてしまう?

合宿所へ入ってから体を触られ続けた木山将吾さんが、一線を越えてしまったのは15歳の夜だったようです。
いつものように体中をなめまわされた後、木山将吾さんは冷たいものが下半身に塗られたと感じました。
次の瞬間、ジャニー喜多川さんが自分のア〇ルに木山将吾さんのものを入れ、馬乗りになっていたのです。
激しく上下運動をするジャニー喜多川さんに、嘘だろと叫びそうになったと書かれていました。
木山将吾さんは、デビューするために耐えるしかないんだ、と思い地獄のような日々を過ごしていたのでしょう。
そのかいあって光genjiとして木山将吾はデビュー写真などを取りますが、世の中に出る前に写真は修整され彼の存在は消されたのです。
元ジャニーズの「暴露本」はこれだけではない?
元ジャニーズ事務所の暴露本は、ジャニー喜多川さんが死亡した後に注目を集めるようになりましたが、実は以前から何冊も発行されているのです。
しかしジャニーズ事務所の圧力によりメディアでは大きく取り扱われることがなかった、といわれています。
初代ジャニーズと呼ばれた中谷良さんは1989年に「ジャニーズの逆襲」を出版。
当時11歳だった彼も性被害を受けていたと綴っています。
同じ1989年にジューク・ボックスの元メンバー小谷純さんとやなせかおるさんも、「さらば!光GENJIへ」という暴露本を出版しています。
この時代にマスコミが、圧力に屈せずメディアで取り上げていれば、少年たちへの性被害は食い止められていたのかもしれません。
これまでも沢山の暴露本が出版されていたのです。
1997年「ひとりぼっちの旅立ち-元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半世記」
2007年 「KAT‐TUNへ―赤西仁がやめた本当の理由」
2019年「 異能の男 ジャニー喜多川 悲しき楽園の果て」 など
マスコミが取り上げなかったベストセラー
遡っていくと、1988年11月、元フォーリーブスの北公次さんが「光GENJIへ」という暴露本を出版しています。
この暴露本は水面下でベストセラーとなっておりシリーズ化しています。
しかし、マスコミはジャニーズ事務所に歯向かうようなこの本を取り上げなかったのです。
「光GENJIへ」の中では、夜にベッドの中に忍び込んでくるジャニー喜多川さんの様子などが暴露されていました。
ジャニーズ事務所が抗議した本
数々のジャニーズ暴露本を出している小菅宏さん。
2019年に出版された「 異能の男 ジャニー喜多川 悲しき楽園の果て」などが有名です。
2022年メリー喜多川さんが死亡した後に出した「女帝メリー喜多川」は、ジャニーズ事務所から異例の抗議が出ています。
ジャニーズ事務所によると、小菅宏さんとは親しい関係性はなく芸能記者の一人にすぎないとのこと。
本の内容に対して真っ向から否定する形となりました。
木山将吾の現在とは?退所後の活動や家族について調査!
メジャーデビュー前にジャニーズ事務所を退所し、光genjiとして木山将吾さんの写真が世間に出る事はありませんでした。
事務所退所後は、どんな暮らしをしていたのでしょうか。
また暴露本を出したことで、芸能関係の仕事は出来ないのではないかと噂されていますが、彼は現在どんな職に就いているのか見ていきましょう。
退所後元ジャニーズJrと音楽グループを結成!
ジャニーズ事務所を退所したあとは、「サーティーワン」でアルバイトをしていたようです。
更に、1989年アイドルグループ「SHADOW」として活動していますが、このグループはかつて「新・光GENJI 」として活動していたグループ。
北公次さんの暴露本に共感した元ジャニーズJr.の面々が集まり、結成されています。
CDを出したり毎月ライブを行っていたり、プロモーションビデオも作られるなどインディーズとして芸能活動を続けていました。
しかし、1990年にメンバー同士のトラブルを理由に解散しています。
木山将吾の家族は?結婚して子供がいる?
木山将吾さんは現在、芸名を山崎正人へ戻し、草津市のラジオ「えふえむ草津」に出演しています。
53歳という年齢を考えると、結婚して子供がいてもおかしくはありませんが、公表しておらず家族の有無は不明です。
性被害者であること、ジャニーズという巨大な力へ反旗を翻していることなどを考えると、妻や子供がいても公表はしないのではないでしょうか。
木山将吾は現在も芸能活動を続けていた!
木山将吾さんは、ジャニーズ退所後も映画「望郷」などに出演し、インディースアイドルグループとしても芸能活動を続けていました。
グループ解散後は居酒屋の店長などを兼任しつつ、自主出版でカセットを出していたようです。
仕事を変えながらも音楽活動を続け、現在は「えふえむ草津」番組から生まれた音楽ユニット「GINLALA」で、アナウンサー菅野ららさんと共に、活動を続けています。
地元を中心に、イベントなどに出演し2015年には「聴いてくださいナ」をリリースしていました。
光genji木山将吾の若い頃は地獄の日々だった
元光genji木山将吾さんの写真を見ると、若い頃の顔はとても可愛らしく、ジャニー喜多川さんのお気に入りだったことが伺えます。
弁護士の話では、ジャニー喜多川さんが生きていたら、被害者が16歳未満なので、強制わいせつ罪で6か月以上10年以下の懲役や強制性交等罪で5年以上の懲役が科せられていたということです。
木山将吾さんの暴露本にも書かれていたように、地獄のような日々を過ごしてきたジャニーズJr.は数えられないほどいたのではないでしょうか。
芸能界への圧力という見えない力が、犯罪を隠してしまっていたのかもしれません。