アメリカ合衆国が過去に行っていた宇宙開発事業「アポロ計画」は、多くの輝かしい功績を残しており、その後の宇宙開発技術の進歩に多大なる影響を与えています。
しかしながら、このアポロ計画は、最初から順風満帆なものではなく、計画初期には悲惨な事故も発生しているのです。
その事故の最たるものがアポロ1号訓練中の火災事故で、のちの宇宙開発に大きな課題を残すことになりました。
この事故の課題を忘れぬために、アポロ1号の事故記録は広く公表されており、実際の事故に関するグロい画像や事故時の音声記録などもあるのです。
今回は、そのようなアポロ1号の事故記録についてご紹介しますが、一部衝撃的な画像や遺体の状況説明などグロい情報も含まれていますので、注意してご覧ください!
目次
【閲覧注意】アポロ1号事故がグロすぎ!?画像と流出音声データとは?
アポロ1号の事故記録は、現在ネット上にも多く拡散されており、NASAでも記録の一部は公表しています。
中には、実際の事故画像や事故時の音声など、当時のリアルな記録まで残されているのです。
これらの記録から、アポロ1号の事故がどれだけグロく悲惨な事故であったか推測できます。
それでは、実際の画像や音声を紹介しながらアポロ1号の事故についてご紹介しましょう。
アポロ1号で起きた悲惨な事故とは?
アポロ1号で起きた事故は、ロケット発射予定の約1か月前の1967年1月27日予行演習中に発生しています。
演習では、司令船に宇宙飛行士3名が乗り込み、本番さながらにプラグの切り離しテストを行っていました。
このテストは、司令船の内部電源が適切に作動するかの試験で危険性のない演習だとされていましたが、その最中に突如、船内で火災が発生したのです。
火災発生後、飛行士3名は外部と連絡を取りながら対処に当たりましたが対処しきれずに、燃え盛る船内で全員死亡してしまったのです。
またこのとき、宇宙飛行を想定して作られた頑強な船体が仇となり、飛行士3人は司令船から脱出することが叶わず、アポロ計画のさまざまな欠点が露呈することになりました。
アポロ1号の音声データが生々しすぎる?
アポロ1号の事故の日の訓練音声は、全て記録されていました。
音声の中には、実際に船内に炎が上がったときの生々しい飛行士達の声が残されています。
実際に人が亡くなる瞬間の音声として、かなり衝撃的な音声と言えますが、その実際の音声がこちらです。
この音声の前半は、プラグ切り離しのテストを行っており、1度は問題なく終了しています。
その後、2度目のテストを行ったときに出火しており、30分ころからの音声が火災発生時の音声になります。
このときの音声を和訳すると
「コクピットに火が・・・」、「ひどい火事だ、逃げるぞ」
という火災発生時の飛行士達の慌てる声が残されており、最後には
「燃えている!」
という叫び声を最後に途切れます。
この音声は、忘れてはならぬ教訓として、現在も宇宙事業に関わるエンジニアや宇宙飛行士に対する教養資料として活用されているようです。
アポロ1号の燃える司令船画像が悲惨すぎる?
アポロ1号の司令船は、飛行士達の音声が途切れた後、間もなくして、高温による船内気圧の上昇により爆発し、船体全体を激しい炎が包みました。
船体周辺にいたエンジニア達は消火しようとしましたが、消火活動は困難を極め、飛行士達を助け出すのに時間を要したそうです。
その実際の焼け焦げた船体の画像がこちらです。
白黒写真ではありますが、真っ黒に焼け焦げた船体が確認できます。
事故時に吹き上がったの炎が、とても激しかったことが想像できますね。
また、外側以上に内側は焼け焦げており、その画像もあります。
船内一面が真っ黒に焼け焦げています。
この状況から、飛行士達がどれだけ激しい炎に包まれたのか容易に察することができます。
この船体の中で、3人の尊い命が失われたと思うと考えさせられるものがありますね。
アポロ1号の飛行士たちの遺体画像がグロすぎ!?
アポロ1号の飛行士達が激しい炎に包まれたことがわかる画像も公開されおり、一部ではグロい画像だと言われています。
実際の遺体画像はありませんが、事故当時、飛行士達が着ていた宇宙服の画像がこちらです。
宇宙での緊急時も想定して作られていた頑強な宇宙服がボロボロになるまで焼け焦げていることがわかります。
@b
唐突にYouTubeのおすすめにアポロ1号の最後の音声通信の動画出てきたけどびっくりした
前に見たことあるとはいえサムネご遺体写ってるから怖い
グロくはないけどリアルすぎてちょっと……うん— 紫兎 (@shito_rabbit410) October 14, 2023
「グロくはない」という意見もネットではある一方で悲惨さは十分に伝わってきますよね。
密閉された船内で、激しい炎に包まれた飛行士たちの苦しみは想像を絶するものだったでしょう。
アポロ1号事故の原因5選とは?密室空間で飛行士3人が火炙り?
アポロ1号の事故後、アポロ計画は、計画の見直しを余儀なくされ、徹底した事故原因の調査が行われました。
そうした調査から、さまざまな原因が浮き彫りになっていったのです。
この徹底した調査により、その後のアポロ計画は安全性を最優先にした宇宙開発を行うようになりましたが、アポロ1号の船体は今となっては、欠陥だらけの船体であったことがわかります。
それでは、アポロ1号の事故原因を5つ紹介していきましょう。
原因①司令船内で火花が引火!
アポロ1号が事故時に行っていたのは、電気プラグの切り離しテストを行っているときでした。
また、火災発生時の前に電圧が急上昇したことが記録に残されています。
そうしたことから、出火の原因になったのは、電気配線からの火花であると推測されています。
また、司令船内には火元とみられる箇所の周りに可燃性素材が多く使用されていました。
そのため、可燃性素材に火花が燃え移って大きな火災へとつながったとみられています。
原因②気圧の影響でハッチが開かなかった!
アポロ1号の事故で飛行士達が死亡した原因の一つとして、飛行士達が脱出できなかったことが挙げられます。
アポロ1号のハッチは、飛行中に不意に開くことを防ぐために内側に開く構造になっていました。
しかし、この内開きの構造が飛行士達の脱出を妨げる結果となったのです。
そうというのも、火災発生時は船内の空気が膨張し気圧が上昇することになり、室内の空気は外側に向かって圧力がかかることになります。
そうなると、内開きの扉にも膨大な圧力がかかることになり、人の力では内側にハッチを引いて開けることが不可能になるのです。
そのため、アポロ1号の火災発生時、飛行士達はハッチを開けて脱出をしようにもできませんでした。
実際に、アポロ1号の飛行士の遺体はハッチの目の前で発見されており、必死にハッチを開けようとしていたことがわかっています。
原因③司令船内の酸素濃度が高すぎた!
酸素の無い宇宙を飛行することが想定された司令船の中には、当然ながら酸素が供給されています。
地上の大気中には、主に窒素と酸素が含まれていますが、窒素は、宇宙飛行における気圧の変化の影響で気化しやすく減圧症を引き起こす要因になります。
そのため、アポロ1号の酸素供給に窒素は含まれておらず、高濃度の酸素のみが供給されていました。
ですが、この高濃度の酸素で満たされた空間は、大気中よりも物が燃焼しやすい状況を作り出してしまうのです。
そのため、高い酸素濃度がアポロ1号の火災拡大を強める要因となったと考えられています。
原因④ハッチの設計ミス?
飛行士達が死亡するに至ったのは、ハッチの設計にも問題がありました。
まず、設計ミスのひとつとしては、先に説明したとおり、内開きに作られていたことです。
そして、もう一つの問題点として、そもそものハッチの開閉に時間がかかりすぎることでした。
アポロ1号のハッチは3重構造の頑強な作りになっていたのですが、このハッチは正常な場合であっても開けるのに90秒もかかる作りになっていました。
90秒も開閉に時間がかかる扉は、緊急時への対応が即座に行えなく、事故を想定していない設計であったと言わざるを得ません。
現在のハッチは、緊急時にハッチの一部を爆発させて開放することが可能ですが、そのような機能があれば、アポロ1号の飛行士達も死亡せずに済んだのでしょう。
原因⑤緊急時マニュアルがなかった!
現在であれば、宇宙飛行士は、ありとあらゆる事態を想定した訓練を行いますが、アポロ計画当初は基本的なマニュアルは存在していたものの、緊急時のマニュアルが存在していませんでした。
また、司令船の火災実験なども行われていなかったため、そもそも、火災発生が想定されていなかったのです。
これについては、当初のアポロ計画の危機管理がいい加減であったとしか言えません。
飛行士は最後までマニュアルを忠実に守っていた?
火災発生時の飛行士達は、緊急時のマニュアルがなかったことから、基本マニュアルに忠実に従っていたことがわかっています。
それが分かるのは、事故後、発見された飛行士達の遺体の位置です。
3名のうち2名はハッチを開けようとしていたため床に倒れていましたが、1名だけは通信機の前の椅子に座ったまま死亡していたのです。
アポロ1号の事故時のマニュアルでは、飛行士は、常に通信機で外部と連絡を取り続けることが定められていたそうです。
そのことから、椅子で死亡していた飛行士は最後までマニュアルに従って、外部と通信を続けていたことがわかるのです。
アポロ計画による事故は1号だけではない!?真相と事故について調査!
アポロ計画は「アポロ1号の犠牲を無駄にしないため」にその後、安全性を最優先した開発を推し進めていきます。
その結果、アポロ計画の宇宙船はアポロ17号まで発射するに至り、さまざまな輝かしい結果を残しました。
しかしながら、アポロ1号の事故後の、アポロ計画全てが順調に進んだわけではなく、アポロ1号以外にも大きな事故に発展したこともあるのです。
それでは、アポロ計画の全貌について詳しく解説していきましょう。
アポロ計画とは?目的は何だった?
そもそも、アポロ計画とは、なんのために行われていたのかご存知でしょうか。
アポロ計画が始まったのは1961年5月のことです。
このころ、アメリカと旧ソ連が冷戦真っ只中で、両国は軍事技術の開発を競い合っていました。
その中でも、ミサイル技術にも転用できる宇宙開発技術の開発に、両国とも力を入れていたのです。
しかしながら、アポロ計画始動前のアメリカはソ連に比べると宇宙開発に積極的とは言えませんでした。
そうしたアメリカを横目に、ソ連は宇宙開発技術の発展に積極的に取り組み、1961年4月に人類発の有人宇宙飛行を実現させたのです。
これは歴史的な偉業であるに留まらず、軍事技術でもソ連がアメリカの先を行った証拠とも言えます。
そのため、これに慌てたアメリカは急遽、宇宙開発への予算を増やし10年以内に有人月面着陸を目標としたアポロ計画を打ち出したのです。
計画始動当初、宇宙飛行さえ成功させていなかったアメリカが、10年以内という短期間で月に到達することは無謀な計画とも言われていました。
しかしながら、そのような世間の予想を覆して計画始動から8年後の1969年7月29日にアポロ11号が有人月面着陸を成功させたのです。
その後もアポロ計画は、アポロ17号まで継続し、合計6回の月面着陸を成功させるという偉業を成し遂げました。
アポロ13号で爆破事故発生!
アポロ計画では、アポロ1号以外でもアポロ13号が大きな事故を起こしていることで有名です。
アポロ13号は、3度目の月面着陸を期待して1970年4月11日に打ち上げされました。
しかしながら、月に向かう途中の軌道上で酸素タンクが爆発し、電力と水の供給が制限される事態に陥ったのです。
その後、宇宙飛行士達は水不足と電力が制限された極寒の船内で、地球への帰還に向けた対応に追われます。
このとき、船内の極寒の環境が機体の回路に悪影響をもたらすことが予想されていましたが、アポロ1号の教訓により徹底した対策がされていたアポロ13号は、極寒の影響をものともせず奇跡的に生還を果たしたのです。
このアポロ13号の一連の出来事については、大きな事故が発生したにも関わらず全員が生きて生還できたことから「成功した失敗」と言われており、映画化もされています。
アポロ計画はなぜ中止された?
多くの偉業を成し遂げたアポロ計画ですが、アポロ17号の月面着陸を最後に計画は中止されました。
中止理由については、宇宙事業への莫大な費用がかかっていたことが原因です。
13年間のアポロ計画でかかった莫大な費用の総額は、現在の日本円にすると10兆円以上とも言われています。
そうしたことから、本来アポロ20号まで打ち上げが計画されていたアポロ計画でしたが、大幅な予算削減により中止せざるを得なくなったのです。
こうして、長年にわたって続けられてきた宇宙技術開発は中止されたのでした。
アポロ1号の尊い犠牲は多くの技術を生み出した!
「グロい」噂とされたアポロ1号の事故は3名の尊い命が失われた、不幸で凄惨な事故であったと言えます。
しかしながら、彼らの犠牲はその後の宇宙技術の発展に多大なる影響をもたらしました。
彼らがもたらした宇宙技術の大きな進歩は、現代の民間宇宙飛行にまで生かされてきているのです。
今後、宇宙技術はさらに進歩し、宇宙という存在は、もっと私たちの生活に近いものに変わっていくでしょう。
しかしながら、どれだけ技術が進歩しようともアポロ1号の飛行士達の犠牲を決して忘れてはなりません。