【菊容子殺害事件】犯人・藤沢陽二郎の現在の写真が悲惨…?出所で仕事をしているとの噂が?

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あなたは、「菊容子事件」をご存じでしょうか?

「菊容子事件」とは、1975年4月29日、大人気女優だった菊容子さんが殺害され、日本中を衝撃と悲しみの渦に巻き込んだ事件です。

菊さんを殺害した犯人が、交際相手で俳優の藤沢陽二郎さんであったことも、国民を震撼させ、注目させた理由の一つです。

藤沢さんは逮捕され、7年の実刑判決が下されましたが、出所後、現在はどのような生活を送っているのでしょうか?

現在は、「結婚している?」「仕事をしている」との噂もあるようです。

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藤沢陽二郎が菊容子を殺害した動機とは?浮気と思い込んだ可能性も?

菊容子さんは、1950年9月26日生まれ、本名及び旧芸名は菊池洋子、2歳の時に富士フイルムのモデルとして芸能界デビュー、その後6歳の頃から少女雑誌「少女クラブ」(講談社)の表紙を飾り、キャリアを積んでいくこととなります。

1959年には、映画「城ヶ島の雨」で子役デビュー、中学3年生の秋に受けたNHK主催のオーディションで2位合格となり、女優業に転向します。

この時、本名の菊池洋子から「菊容子」の芸名に、「菊池洋子」は、「さんずいがあるのは縁起が悪い」として変更しています。

またこの年、6歳の頃から習っていた若柳流の日本舞踊の名取となりました。

1968年、竜雷太主演の「でっかい青春」第26話から、女子生徒 丸山しぐれ役でレギュラー出演を果たします。

当時の番組紹介記事で、

この番組に出演したおかげでクラスメイトがたくさんできた感じです。

学生生活の楽しさをドラマで味わいたい。

と話していました。

1971年、朝日放送(現在TBS系)で放送したドラマ「好き!すき!魔女先生」のヒロイン 月ひかり役に抜擢され、脚光を浴びます。

その後、ドラマも特撮物から時代劇までジャンルを問わず、映画や舞台にも幅広く出演し、活躍の場を広げていき、1972年からは、NHKのクイズ番組「連想ゲーム」の回答者としてレギュラー出演を掴み取りました。

華々しい菊さんの活躍とは裏腹に、藤沢陽二郎さんは、まるで光と影のよう…。

近い関係の人が、これほどまでに輝いていると、藤沢さん自身がそのように感じ、劣等感に苛まれていたかもしれません。

そして、菊さんが共演俳優やプロデューサーと浮気をしているのではないかと不安になり、それが疑心暗鬼に変わり、やがて憎しみに…。

ここからは、藤沢さんが菊さんを殺害した動機や、浮気と思い込んだ可能性について追ってみたいと思います。

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藤沢陽二郎はなぜ婚約者菊容子を殺害したのか?

1975年4月29日午前3時頃、藤沢陽二郎さんは菊容子さんの自宅を訪れていました。

菊さんは、誰かと電話をしていて、藤沢さんは菊さんの親しげに話すようすから、浮気相手ではないかと不安に陥っていました。

菊さんに対し疑心暗鬼になっていた藤沢さんは、電話の相手が菊の浮気相手であると感じ、逆上します。

愛しているのに裏切られたという嫉妬と怒りから、衝動的に菊さんを殺害してしまったといわれています。

朝になって藤沢さんは友人宅を訪れて犯行を告白し、午後に自首するつもりであることを告げ、その後自殺を図りますが、致命傷には至らず、警察に逮捕されます。

菊さんの後を追うつもりだったのでしょうか、それとも後悔による自責の念だったのしょうか。

 

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菊容子の浮気疑惑

菊容子さんは売れっ子で、多忙な毎日を過ごしていました。

それに引き換え、藤沢陽二郎さんは空いている時間が多かったことでしょう。

藤沢さんに時間があっても、菊さんは多忙な生活を送っているので、そこからすれ違いが生じてしまったのでしょう。

藤沢さんは、次第に菊さんが忙しくしていることを理由に、共演者やプロデューサーと浮気をしているのではないか?と被害妄想に駆られるようになります。

菊さんの仕事現場に押しかけたり、深夜に電話をかけてきたり、奇行を始めます。

そうした行動がエスカレートして藤沢さんは、ストーカーに変貌していったのです。

菊さんは次第に2人の関係に疑問を持ち始め、恐怖すら覚えていったのです。

菊容子との格差

 

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「好き!すき!!魔女先生」は、1971年10月から1972年3月にかけて、TBS系列で毎週日曜18時から18時30分に放送されたテレビドラマです。

「ティーンルック」という少女向け週刊誌で連載された、石ノ森章太郎さんの少女向け劇画『千の目先生』を原作としているものです。

超能力を持つ新任教師の主人公 月ひかる役を菊容子さんが演じました。

アクションが多い作品ですが、菊さんは見事に演じられており、この作品は菊さんの代表作となりました。

そんな大活躍中の菊さんの月収は100万円だったと言われています。

一方、婚約者の藤沢陽二郎さんは仮面ライダーなどで怪人役で出演しているものの、主な仕事は特撮番組の名前もない脇役ばかりで、収入は菊さんの足元にも及ばなかったそうです。

男性としても俳優としても、藤沢陽二郎さんのプライドが許さなかったということも、事件の背景にはあったのかもしれません。

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菊容子殺害事件の詳細

1975年4月29日午前11時20分頃、新宿区にあるマンションの1室から「娘が死んでいる」と110番通報がありました。

訪ねてきたのは、父親の菊池武次さんです。

電話をかけても応答のない菊さんを心配に思い、合い鍵を使って部屋に入りました。

そこで、変わり果てた姿の菊さんと対面していますのです。

菊さんは、ベッドの上で下着姿のまま仰向けで亡くなっていたようです。

菊さんの首には細い紐のような物で絞められた痕が残っており、凶器が電話機のコードであることが後に報道されました。

 

父親との電話を浮気と勘違い

事件がおきた4月29日の午前3時頃、菊さんは父親の武次さんと電話で話していました。

菊さんは電話で、「藤沢さんがマンションに来てしまった、どうしよう。

結婚しようと言われているが断りたい。」というの内容を父親に相談しました。

武次さんはその時、「いやならはっきりと断るように」とアドバイスしたといいます。

その後、しばらく電話でやりとりをし、菊さんの「指輪が欲しい」、「翌朝9時に起こしてほしい」という言葉を、藤沢さんは相手が浮気相手であると勘違いをしてしまったのです。

モーニングコールを武次さんに頼んだのは、翌日の出演中の舞台の千秋楽に間に合うようにとのことでした。

そして、殺害のきっかけにも至った指輪については、菊さんの母親の形見でした。

菊さんが結婚するときには譲り受ける約束で、「その日まで、パパが小指にはめておいてあげる」と守っていたそうです。

それだけ親子の間で大事なものが、菊さん殺害の引き金になってしまい、武次さんにとって大きな心の傷となってしまったでしょう。

電話のコードで絞殺

翌朝9時、武次さんは約束通り菊さんに電話をしました。

しかし、応答はありません。

劇場にもまだ来ていなかったため、合鍵で自宅マンションの部屋にはいったところ、菊さんが殺害されているのを発見しました。

発見時にすでに息はなく、首に絞殺痕があったため、武次さんはすぐさま、警察に通報しました。

警察が菊さんの自宅に到着したとき、菊さんはベッドの上で亡くなっていました。

菊さんの首には、赤い紐状の跡が残っていました。

のちに藤沢さんは「両手で首を絞め、その後電話線のコードで絞め殺した」と供述しています。

菊さんの死因は、この電話線のコードで首を絞められたことによる窒息死でした。

藤沢陽二郎は自殺未遂後に逮捕

菊容子さんの父親・武次さんが110番通報する15分ほど前、藤沢陽二郎さんが友人宅を訪ねて、女性を殺してしまったと友人に犯行を自供していたことが、後の調べで分かりました。

被害者が、コマ劇場に出演している女優だったこと、午後になったら自首するから同行してほしいと、友人に告げると藤沢は友人の家から去って行ったそうです。

事の重大さを悟った友人は藤沢が去った後すぐに通報し、警察は菊容子殺害事件の重要参考人として藤沢陽二郎さんの行方を追いました。

藤沢さんは小田原市早川にある箱根ターンパイク有料道路内にて自分の運転する乗用車を橋の欄干に二度ぶつけ、右足骨折など4ヶ月の重症を負って市内の病院に搬送されていました。

警察の調べに対し藤沢は

自殺しようと思い、わざと橋に車をぶつけた

と白状し、

自分は菊さんが好きで結婚したかったけど、菊さんが他の男と交際しているため、自分の思い通りにならなかったので殺した

と話したと言います。

警察は藤沢さんの回復を待って、殺人の疑いで逮捕しました。

警察が菊さんの部屋に駆け付けたとき、彼女の遺体脇には藤沢さんの走り書きが残されていました。

容子は人生でもっとも愛した女です。

それゆえの結末です。

どうかあの世で2人で幸福にしてください。

というな内容のものでした。

藤沢さんは、友人に自首の相談もしていましたが、殺害後、自ら命を絶とうと決めていたのでしょうか。

 

藤沢を重要参考人として行方を追っていたところ、同日午後1時35分ごろ、小田原市早川のターンパイク有料道路で自分の運転する乗用車を橋の欄干にぶつけ、右足骨折など4ヵ月の重傷を負って病院に収容されていることがわかった。

調べに対し藤沢は「自殺しようと思い、わざと橋にぶつけた。

 

自分は菊さんが好きで結婚したかった。

 

しかし菊さんが他の男と交際しているため、注意したが聞かなかったので、殺した」といっている。

 

中日新聞:1975.4.30

藤沢陽二郎の現在は?

 

藤沢陽二郎さんは、逮捕後1975年11月に、裁判にかけられました。

東京地裁は懲役7年の判決を下しました。

未来のある若い女性の命を、身勝手な理由で奪っておきながら7年の刑期で済んでしまうなんて、父親や親族、友人をはじめ多くのファンも憤りを感じたのではないでしょうか。

噂では、寿司屋の一人娘と結婚して跡を継ぎ、寿司屋の大将として真面目に生きているという話や、父親がやっていた整体院を継いで整体師として生きているという話や、父親がやっていた整体院を継いで整体師として生きているという噂もあるそうです。

人一人の人生を奪った罪はとても重く一生消えるものではありません。

それでも、菊容子さんの命を奪ったという事実を一日も忘れることなく、再び犯罪に手を染めることなく清く生きていくのが、せめてもの罪滅ぼしかもしれません。

藤沢陽二郎と菊容子の馴れ初めとは?出会いから婚約までを調査!

2人はどこで、どのように出会い、惹かれあい、距離を縮めていったのでしょう?

2人の恋はどのように始まったのでしょうか?婚約に至るまでの経緯は?

若い2人の恋の始まりは、淡く儚く、でもお互いを優しく思い合うような甘酸っぱい時を過ごしたでしょう。

どれほどの時を幸せに過ごせたでしょうか…。

あんな事件が起こるまでは…

藤沢陽二郎と菊容子の出会いは?

この事件の4年前の1946年、2人は「好き!すき!!魔女先生」のドラマ第6話で共演します。

菊容子さんが、主演を務め、ブレイクするきっかけとなったドラマです。

菊さんがヒロインをつとめる一方で、藤沢陽二郎さんは6話だけのゲスト出演の脇役でした。

この時点から、2人のキャリアに格差があったことが見て取れます。

しかし、菊さんは、藤沢さんのどのような役でも熱心に真摯に向き合う姿に強く惹かれたのでした。

積極的に藤沢さんにアプローチをし、見事ハートを射止めたようです。

藤沢陽二郎と菊容子は婚約中だった?

最初に恋心を抱き、アプローチをしたのは菊容子さんの方ですが、次第に藤沢陽二郎さんのハートにも火が付きます。

藤沢さんから、結婚の申し出をしていたようです。

しかし、菊さんは、結婚まではまだ考えられなかったのでしょうか。

ご自身のお父さんに電話で相談をしていたようです。

菊容子の父は2人の交際を反対

交際当初から菊容子さんの父・武次さんは藤沢陽二郎さんとの交際を厳しく反対していたようです。

反対の理由については多く語られてはいませんが、藤沢さんが無名の俳優であることが原因だと考えられます。

当時は、今ほど男女について柔軟な考えではなかったでしょう、「男らしさ」「女らしさ」を問われる時代でした。

実際のところは分かりませんが、お父さんは、女の菊さんより稼ぎの少ない藤沢さんが許せなかったのかもしれません。

藤沢陽二郎のプロフィール!出演作品まとめ

 

藤沢陽二郎さんは、1951年生まれで菊容子さんの1歳年下でした。

藤沢さんも俳優として、仮面ライダーや仮面ライダーV3などの作品に出演しています。

しかし、そのほとんどが特撮番組の脇役で、良くても怪人役止まりだったようです。

仮面ライダーの他にも、「ロボット刑事」「イナズマン」「柔道一直線」などが代表作にあげられていますが、いずれも目立った役どころではありませんでした。

しかし、藤沢さんは、どんなに脇役でも手を抜かず一生懸命演じる真面目な人柄だったのだといいます。

 

菊容子は石ノ森章太郎の愛人だった?藤沢陽二郎が知っていた可能性も?

菊容子さんと石ノ森章太郎さんは菊が10代の頃からの知り合いでした。

菊さんがモデルをしていた少女雑誌の「少女クラブ」で石ノ森さんが漫画を連載していたのです。

石ノ森さんは菊さんを気に入っており、石ノ森さんが「菊容子」の芸名を付けたのでした。

また、菊さんを数々の自分の作品に出演させています。

ヒロインを演じた「好き!すき!!魔女先生」の他に、「人造人間キカイダー」「変身忍者 嵐」に出演しています。

「好き!すき!!魔女先生」の月ひかり役に菊さんを推薦したのも石ノ森さんだといわれていて、石ノ森さんが菊さんを気に入っているという話は、特撮界では有名なことでした。

藤沢陽二郎さんの耳にも、入っていたかもしれません。

菊容子が石ノ森章太郎の愛人と噂される理由とは?

菊容子さんが亡くなられた後、石ノ森さんは自叙伝を発表しています。

石ノ森さんは、「愛人の女優が殺された」と書いており、また、「菊容子は自分に枕営業していた」などとも告白しています。

藤沢陽二郎さんも石ノ森さんの作品に何度か出演していますが、その著書の中で藤沢さんとのゆがんだ三角関係にも言及しており、これは清純派女優として売り出していた菊さんのファンに大きなショックを与えました。

石森から石ノ森に改名

菊容子さんが亡くなった後、石ノ森さんの周りでは、アシスタントが不慮の事故にあったり現場で不可解な事故が起きる等、不吉な出来事が重なりました。

そして、石ノ森さん自身も体調を崩したことから、「石森章太郎」と名乗っていたのを「石ノ森章太郎」と改名しました。

改名は、霊媒師から指示され、菊さんの祟りから逃れるためだという噂もあります。

石ノ森章太郎には菊容子の霊が憑いていた?

石ノ森さんは、あまりにも不吉なので、改名だけでは心もとなく、何か悪い霊の仕業ではないかと疑うようになりました。

そこで、霊媒師に頼んで除霊をしてもらうことにしたのです。

除霊にやってきた霊媒師は、「若い女性の霊が憑いている」と石ノ森さんに霊が憑りついていることを指摘しました。

しかもその霊媒師は菊容子さんの名前を出したのです。

霊媒師が言うには、菊さんは石ノ森さんに憑りつき、「誰も私に気づいてくれない。元の身体に戻りたい。助けて先生」と訴えかけているということでした。

【菊容子殺害事件】犯人藤沢陽二郎の現在は結婚している?出所して仕事をしているとの噂も?についてのまとめ

1970年代に活躍した女優菊容子さん、24歳という若さでこの世を去りました。

人気絶頂の中、人生に終止符を打たれ、ひどく無念で悲しかったことでしょう。

彼女は、恋人で駆け出しの俳優・藤沢陽二郎さんに殺されてしまいました。

悲劇にも殺害のきっかけは浮気の勘違いでした。

犯人は菊容子の婚約者ということで、痴情のもつれによる犯行という印象を受けるこの事件ですが、まるでシェークスピアの物語のような、様々な要素が糸のように絡み合って起こってしまった事件なのです。

ほんの一つでもどこかの糸がほどけていたなら、菊容子さんは今でも元気なお姿を見せてくれたのでしょうか。

藤沢陽二郎さんは、しっかり罪を償い刑期を終え、現在は、地元で仕事をしていると噂されています。

ご自身の罪を深く受け止め、今後も忘れることなく、穏やかに暮らしていってほしいですね。

菊容子さんの分まで。