【2024最新】家柄のいい人は苗字5選!変化する苗字の役割と始まりとは?

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普段から何気なく使っている苗字ですが、昔は特別なものであり、限られた人のみが名乗れるものでした。

また、苗字には由来があり、その由来からかつての家柄などがわかる場合もあります。

実は先祖が高貴な身分であるとわかることも…。

何気なく使うものだからこそ、苗字がどのようなものであるかを知っておくようにしましょう。

そもそも苗字って何のためにあるの?

苗字は日本人にとっては生まれたときから付いているもののため、特に何らかの意識をしたことがない人も多いでしょう。

しかし、かつての苗字には、しっかりと役割や意味がありました。

では、苗字はそもそもどのような意味で使われるものだったのでしょうか?

苗字はいつから使われている?

5世紀頃のヤマト政権では、すでに苗字に関係する氏姓制度が存在していました。

ただし、現代の氏名のように、誰でも名乗れるものではなく、名前も自由に決められるものではありません。

氏姓制度での「氏」には職業に関する中臣氏・物部氏などや地名に関する平群氏・蘇我氏などがありました。

また、「姓」は大王が与えた豪族の地位を表す称号のことであり、臣・連・君・首などがありました。

大化の改新後は天皇から真人・朝臣・宿禰などの八色の姓が与えられるようになります。

同時期に戸籍制度が始まり、庶民には庶民用の氏姓が与えられました。

そのため、このときの氏姓は高貴な身分の者が持つものであり、まだ現代の氏名のようなものではなく、職業や身分を表すために与えられるものでした。

現代の役割に近い苗字の始まり

氏姓では種類が少なかったため、平安時代に入ると同じ一族の中で区別できなくなります。

そのため、公家たちは自分たちが屋敷を置く地名などを呼び名に使うようになり、その呼び名が定着していきました。

また、公家と同様の理由で武士たちも自分の領地を呼び名として使うようになります。

氏姓とは異なり、自分たちで呼び名を自由につけて他人と区別したことから、現代の氏名に近い役割となっています。

江戸時代に苗字の役割が変わる

江戸時代では苗字が身分の象徴という役割が強くなり、農民や奉公人などの一般庶民は名乗れなくなります。

苗字を名乗れたのは武士などの特権階級上位庶民の庄屋や名主などでした。

ただし、武士が農民や商人となった場合は名乗れたようです。

また、商人は苗字に「屋」を付けて店の名前にしたり、寺によっては農民や奉公人などの一般庶民でも墓標に苗字を掘ってもらえたりなどはできました。

そのため、公の場で名乗れる人は制限されたものの、苗字を持つこと自体を厳しく取り締まられたわけではなかったようです。

明治維新が現代の苗字の形を作る

明治維新では新政府が新しい政策を打ち出します。

その1つに誰でも苗字を持つことが許されるものも含まれていました。

苗字と名前を持つことで、全国民を戸籍で管理できるようになりました。

これで苗字と名前の役割が現代で使われている氏名とほぼ同じとなります。

家柄のいいと言われる苗字

苗字はもともと職業や役割などを表すものでした。

そのため、由来を探ることで、その家のかつての家柄が探れる場合もあります。

では、どのような苗字が家柄がいいと言われているのでしょうか?

伊集院

伊集院は鹿児島発祥の村の名前に由来する苗字です。

伊集はどんぐりの実る木のことで、「柞(イス)」とも呼ばれていました。

また、税で納める米を貯蔵する倉院もありました。

そのため、柞(イス)と倉院があることで村は「イスイン」と呼ばれ、徐々にその呼び方が「伊集院」へと変化したと言われています。

氏族だった島津氏の子孫がその土地は拠点として、伊集院と名乗っていました。

そのため、伊集院という苗字を持つ人は島津氏に関連する家系の可能性があります。

西園寺

西園寺は朝廷に仕えていた公家で、その由来は鎌倉時代に京都で西園寺を建てたことです。

ただし、西園寺が栄えたのは京都ではなく、現在の愛媛の土地でした。

そのため、西園寺という苗字を持つ人は愛媛に多くいると言われています。

徳大寺

徳大寺は藤原北家の公家で、中臣鎌足が天智天皇から与えられて始まった氏と言われています。

その由来は京都に徳大寺を建てたことです。

日本に数十人しかいない非常に珍しい苗字でもあります。

財前

財前は「財」の前に屋敷を建てた一族が名乗っていたと言われています。

ここでの「財」は金銭のことではなく、土地を指します。

そのため、庄屋や名主などの上位の庶民が名乗っていたと考えられている苗字です。

同じ理由で「広田」や「富田」なども家柄のいいと言われています。

近衛

近衛は朝廷に仕えていた公家であり、五摂家筆頭でした。

五摂家筆頭とは、藤原氏の本家の家筋で、家格の頂点にいた5つの一族のことです。

近衛以外の五摂家筆頭には、一条・九条家・鷹司家・二条家があります。

苗字だけで家柄は判断できない?

かつての苗字は役職や役割などで決まっていて、高貴な身分の者が持つものでした。

そのため、苗字の歴史を辿れば、過去にどのような家柄であったかを把握できる場合もあります。

しかし、家柄のいい苗字であったとしても、現代では一般家庭となっていることがほとんどです。

なぜ、現代では苗字から家柄が判断できなくなったのでしょうか?

終戦後に社会制度が変化

第二次大戦後、GHQの政策によって日本の戸籍制度は家や一族を単位から、夫婦や親子の家族単位に変わりました。

また、貴族制度も廃止されて、身分で政治や経済活動で差別を受けることもなくなりました。

そのため、苗字が職業や役割などを表すものではなくなり、現代で使われている名前の一部としての役割となります。

新しく生まれていく名家

第二次大戦後に日本では貴族制度が廃止されました。

そのため、家柄はリセットされて、どの家庭も平等に近い状態となりました。

ただし、戦後に大きな社会貢献をしたりビジネスで成功したりなどした家は名家と呼ばれるようになります。

これまでは祖先の職業や役割が家柄に大きな影響を与えていましたが、現代では個人の努力で自身の家を名家とすることできるようになりました。

自分の苗字が家柄のいいものか調べてみよう

日本人であれば特に意識することなく使うことも多い苗字ですが、かつては職業や身分などを表すものでした。

ただし、現代ではその役割が変わっているため、家柄のいい苗字が現代でも家柄がいいとは限りません。

しかし、苗字はそのルーツを探ることで、過去の家柄が把握できる場合はあります。

過去の家柄や祖先のことを知るために、自分の苗字について少し調べてみるのもいいでしょう。