風俗はこれまでに時代や客のニーズに合わせていったことで、そのサービスの種類を増やしてきました。
しかし、新しいサービスが生まれる一方で、逆になくなっていったサービスもあります。
その1つがノーパン喫茶です。
ノーパン喫茶はブームとなった時代があり、昭和にはあちこちでその店舗が見られました。
では、そのノーパン喫茶とは、どのような店だったのでしょうか?
目次
風俗店?飲食店?ノーパン喫茶とは?
風俗と言っても、デリヘルやソープランド、オナクラやピンサロなど、その種類はいろいろとあります。
ノーパン喫茶というものも、昔に存在していた風俗の1つです。
ノーパン喫茶を知らない人にとっては、インパクトの強いパワーワードに感じられるでしょう。
では、そのノーパン喫茶とはどのような店だったのでしょうか?
ノーパン喫茶のサービス
ノーパン喫茶のサービス自体は通常の喫茶店とあまり変わりません。
客が席に座り、コーヒーや軽食などを楽しむことができる飲食店です。
ただし、ウェイトレスが女性であり、ノーパンで接客をしてくれます。
また、ミニスカートであることが多く、ドリンクやフードなどをテーブルに置く際には、スカートの中が見えそうになります。
スカートの中が見えそうになるたび、店内に入る男性の視線が一点に集中しました。
「え?それだけ?」と思う人もいるでしょう。
ノーパン喫茶の基本サービスはこれだけです。
しかし、昭和にはそのノーパン喫茶がブームとなり、あちこちで見ることができたのです。
ノーパン喫茶でのルール
ノーパン喫茶はウェイトレスの女性がノーパンであること以外は基本的に通常の喫茶店と変わりません。
そのため、当然ながらウェイトレスのおさわりは厳禁です。
また、ドリンクやフードは値段が高めでコーヒー1杯が1000円以上して、次の客を入れるために30分で店を出るなどのルールもありました。
ノーパン喫茶の発祥は?
ノーパン喫茶の発祥には東京・大阪・京都・福岡と、複数の説があって正確な発祥地や発祥店はわかっていません。
有力視されているのは京都です。
通常の喫茶店が女性ウェイトレスにノーパンで接客するようにしたところ、人気が出たそうです。
また、その噂を聞きつけて、真似をするお店が増えたことで広まったと言われています。
いつ頃流行した?
ノーパン喫茶が登場したのは1970年代後半と言われています。
その後はブームとなり、あちこちでノーパン喫茶が見られるようになりました。
最盛期には全国に1000店以上あったと言われているので、大手のファミレス並みの数があったことになります。
しかし、1985年が境にして、ノーパン喫茶は次々と姿を消していきました。
ノーパン喫茶は現在もある?
最盛期には1000店以上あったノーパン喫茶ですが、現在(2022年)ではほぼ絶滅状態となっています。
風俗店がサービスの一部のようにして扱っていることはあるようですが、その数も少ないようです。
そのため、昭和時代の男性たちが胸を躍らせたノーパン喫茶を体験することは今は難しいでしょう。
ノーパン喫茶はどうして少なくなったのか?
ノーパン喫茶は全国のあちこちで見られるほど、その店の数は多くありました。
しかし、現在は絶滅状態です。
なぜ、ブームにまでなったノーパン喫茶はその姿を消してしまったのでしょうか?
ノーパン喫茶の初期時代
ノーパン喫茶が登場したのは1970年代後半で、登場初期は女性ウェイトレスがノーパンであること以外は普通の喫茶店に近い飲食店でした。
そのため、女性ウェイトレスのおさわりは禁止されており、ノーパンであること以上の性的なサービスもありませんでした。
また、ノーパンと言ってもストッキングは履いている店もあり、男性が期待するほどスカートの中がハッキリ見えません。
風俗寄りではあるものの、風俗店として振り切っていないことが初期のノーパン喫茶の特徴です。
増えていくバリエーション
ノーパン喫茶が登場するとブームになり、あちこちでノーパン喫茶が見られるようになります。
競合が増えたことで、経営者は他店との差別化をして売上を確保する必要に迫られました。
そのため、床に鏡を張ったり、喫茶店ではなくラーメンや牛丼の店でノーパンサービスをするなど、バリエーションが増えていきました。
1990年代に流行ったノーパンしゃぶしゃぶも、このノーパン喫茶のバリエーション化によってできたものです。
下火になるもブーム再来
ブームはいつまでも続くものではないので、ノーパン喫茶の人気も徐々に落ち着いていくことになります。
しかし、新宿歌舞伎町の「USA」というノーパン喫茶で働いていたイヴさんが登場して、ブームが再燃し出します。
イヴさんは見た目がかわいらしくて、愛嬌もあり、絶大な人気を獲得しました。
また、メディアにまで取り上げられたことで、その知名度が上がって、アイドルのような存在となりました。
イヴさんが働いている店では常に行列ができていたそうです。
サービスの過激化
ノーパン喫茶はブームとなったことで競合店も増えてしまいました。
そのため、客の獲得や他店との差別化などの目的で、サービスは徐々に過激化していきます。
女性ウェイトレスが全裸に腰エプロンだけとなったり、手や口で処理してもらえるサービスなどが行われるようになり、ノーパン喫茶は風俗店に振り切った店となりました。
ノーパン喫茶の転機
一時期はブームとなったノーパン喫茶ですが、1985年を境にしてその姿を消していくことになります。
その理由は改正風俗営業法の施行です。
法律の影響によって、ノーパン喫茶は営業が難しくなったことで、その多くが姿を消してしまいます。
また、ファッションヘルスに営業内容を切り替えたノーパン喫茶もあったようです。
消えるべくして消えた?
ノーパン喫茶は「もし改正風俗営業法の施行がなかったとしても、消えていた」と言われることがあります。
現在ではDVDやネットなどでアダルト動画が手軽に観ることができます。
風俗店もいろいろな種類のサービスがあり、ノーパンでの接客というサービスでは物足りなさを感じてしまう人も多くなったことでしょう。
そのため、昭和の発展中であった風俗業界で、ライトなサービスを求める客のニーズをうまく満たしていたのがノーパン喫茶とも言えます。
現在では物足りなさを感じるでしょうが、当時は多くの人が求めたサービスだったのです。
ノーパン喫茶以外の昭和の風俗とは?
ノーパン喫茶は昭和の時代にマッチしたサービスでした。
また、ノーパン喫茶と同じように、時代と共に姿を消していった風俗は他にもあります。
では、他にはどのような風俗がなくなっていったのでしょうか?
ストリップ
ストリップはステージ上でダンサーが裸になって踊り、それを観客がショーとして楽しむサービスです。
ストリップの登場初期はダンスではなく、名画を裸体で再現するものでした。
これは法律によって、風俗店ではダンスが禁止されていたためです。
しかし、1948年に規制緩和があったことで、ストリップではダンスが取り入れられるようになりました。
その後はダンスだけでなく、レズビアンショーやSMショーなど、ショーの種類が増えていきました。
ストリップが姿を消していった理由はノーパン喫茶と同様で、アダルトビデオの普及が影響していると言われています。
また、他の風俗店の料金が安くなっていったことも、ストリップが姿を消した原因の1つとも言われています。
パンパン
パンパンとは街娼のことです。
ただし、パンパンが登場したのは戦後で、客として対象になっていたのは主に米国兵でした。
そのため、日本人男性はあまり相手にされなかったようです。
中には、上級将校に気に入られて愛人契約を結んでいた女性もいて、そのようなパンパンはオンリーさんと呼ばれていました。
愛人バンク
愛人バンクは愛人を作りたい男性と愛人になりたい女性を仲介するサービスでした。
現在でいうところのマッチングサービスです。
1982年に登場したサービスでしたが、売春の斡旋や高額なサービス料の請求などが問題視され、1983年にはサービスを提供していた企業が摘発されてなくなりました。
経営者は他にも詐欺まがいの行為をしていたとして逮捕されたようです。
ノーパン喫茶は時代に合ったサービスだった
ノーパン喫茶は女性ウェイトレスがノーパンで接客してくれる喫茶店でした。
時代によってニーズが変わるので、現在の風俗店のサービスと比較すると、物足りなさを感じる人もいるでしょう。
しかし、多くの男性がノーパン喫茶を楽しんでいたことから、当時は求められていたサービスだったことがわかります。
きっと、ノーパン喫茶を当時に楽しんだ人の記憶には、良い思い出として残っていることでしょう。