2018年「松山刑務所」に収監されていた受刑者が、脱走する事件が発生しました。
この脱走した受刑者こそ「平尾龍磨」だったのです。
事件当時、刑務所の警備体制について様々な憶測や議論が上がりました。
平尾龍磨はどのような罪状で捕まり、なぜ脱走を試みたのでしょうか?
今回は「平尾龍磨」について、解説していきたいと思います。
目次
平尾龍磨の現在!出所して嫁がいる?
2023年現在「平尾龍磨」は既に出所し、新たな人生を歩んでいることでしょう。
平尾龍磨は2018年4月に脱獄し「23日間」にわたる逃走劇を繰り広げました。
そんな平尾龍磨ですが、出所した現在は結婚し「嫁」がいるとの噂が流れているようです。
それでは平尾龍磨の現在について、見ていきましょう。
屋根裏の脱獄犯・平尾龍磨とは
まずは平尾龍磨のプロフィールをご紹介します。
- 生年月日:1990年or1991年
- 年齢:32歳or33歳
- 身長:173㎝
- 刑務所:松山刑務所大井造船作業場
平尾龍磨は中学生のころから、窃盗を繰り返す「手癖の悪い」少年だったと、同級生は語っています。
2013年福岡県にある、理髪店へ閉店後に侵入し金銭を盗み、窃盗罪と建造物侵入罪の容疑で逮捕されています。
この時懲役5年の判決を受け、松山刑務所に服役することになりました。
平尾龍磨は現在出所済み?
2018年9月刑務所脱走と同時に逃走の際、7件の窃盗・住居不法侵入を犯した罪により、懲役4年の判決が下され、確定しています。
2023年現在は「出所」していると思われますが、詳しい情報は入ってきておりません。
犯罪を犯していれば、メディアに取り上げられるはずなので、現在は真面目に社会人として暮らしているということでしょう。
平尾龍磨には現在嫁がいる?
刑務所を出所した平尾龍磨は現在、結婚し嫁(妻)はいるのでしょうか?
結論から言うと、出所後の詳しい情報は入っていないため、詳細は不明となっています。
逮捕される前は、結婚はしておらず独身だったと言うことは分かっており、出所後結婚している可能性も十分にあるでしょう。
【画像】平尾龍磨の生い立ちがヤバい?!「いい人」だったとの話も
刑務所から脱獄するという、前代未聞の事件を起こした「平尾龍磨」は、どのような少年時代を過ごしてきたのでしょうか。
実は「いい人」という一面も、持ち合わせていたといいます。
ここからは脱獄犯「平尾龍磨」の生い立ちや、噂の真相について解説していきたいと思います。
平尾龍磨の生い立ち!「ルパン」「盗賊」と呼ばれていた?
中学時代の同級生の話では、酒やたばこを盗んでは、周囲に自慢していたそうです。
平然と盗みを働き、悪びれた素振りもなかった平尾龍磨のあだ名は、「ルパン」「盗賊」と盗みを連想させるあだ名で、呼ばれるようになっていきました。
少年時代から盗みを働いており、その腕前はもはや「プロ級」と言っても良いのではないでしょうか。
平尾龍磨は在日韓国人との噂も?
平尾龍磨が逮捕され報道された際、カッコ付きで「別の名前」も報じられていました。
その名前が「朴龍義」でした。
日本名「平尾龍磨」は「通り名」で本当の名前が「朴龍義」だったのです。
この名前で日本人というのは考えづらく、真実は「在日韓国人」だったということになります。
【画像】平尾龍磨は「いい人」な一面もあった?
平尾龍磨は窃盗を繰り返す常習犯でしたが、刑務所内では仕事にまじめに取り組み、人情味の厚い「いい人」だったそうです。
と言われるのも平尾龍磨は、日本で唯一「塀」のない刑務所「松山刑務所大井作業所」で服役していました。
この松山刑務所大井作業所は、生活態度が良好な模範囚が入ることのできる場所だったそうです。
平尾龍磨が起こした事件は120件以上?!
2013年、福岡・熊本・佐賀・大分・山口の5県で窃盗を繰り返していました。
その件数はなんと120件以上と言われており、被害総額は400万円を超えています。
高校時代の同級生と窃盗を行っており、犯行の理由は「生活費や遊ぶ金が欲しかった」と供述していたそうです。
このように身勝手な理由で、平尾龍磨は犯行を繰り返していたのです。
刑務所を脱走して確保された平尾龍磨受刑者は世間を騒がせたが、その罪は窃盗と脱走だけでもっと悪いやつはいくらでもいるよなと思って確認のため調べたら、窃盗、金庫破り、車上荒らしなど、120件以上の犯罪歴で総被害額400万円というから、かなりのプロだったのだろう。
— 佐藤龍一 (@RyuichiSato) May 1, 2018
平尾龍磨の脱獄劇!泳いで本州に渡った?!
松山刑務所から脱走した「平尾龍磨」は、本州まで海を泳いで渡ったとされています。
脱獄直後は、広島県尾道市の向島に潜伏しており、本州側へは尾道水道を泳いで渡り脱出したそうです。
そんなことは現実的に可能だったのでしょうか。
平尾龍磨は23日間どのような方法で逃走を続けたのか、その詳細について見ていきたいと思います。
平尾龍磨の脱獄劇!「潮止まり」を狙って泳いだ?!
4月8日松山刑務所を脱走した平尾龍磨は、24日夜から25日未明にかけて、海を渡ったとされています。
尾道街道の普段の潮流は、時速約4.9kmと早くなっており、海上保安部の職員によると「船もエンジンを止めれば流されるほど」という、非常に潮の流れが速い水域だったのです。
本当に平尾龍磨は尾道水道を泳いで渡り、本州へたどり着いたのでしょうか。
24日夜から25日未明は、尾道水道の「特別な瞬間」が来ていた⁈
平尾龍磨が渡ったと供述した24日夜から25日未明には、この水域で半月に1回来る「特別な瞬間」が来ていたといいます。
それは満潮から干潮までの、潮流の変化が緩やかになるとされる「長潮」の日だったのです。
この状態になると「プール」のような、波のない状態になると関係者は話しており、この瞬間を狙ったのか偶然なのかは定かではありませんが、本州へ渡りきることが出来たのだと思われます。
平尾龍磨容疑者が逃げたと思えば味わい深い。
確かに泳げそうである。 pic.twitter.com/HwGIPlSv7D
— タケプー/TAKEPOOOOO (@takepooooo) August 13, 2019
平尾龍磨の脱獄理由は規律違反と人間関係?
平尾龍磨が服役していた「松山刑務所大井作業所」は、模範囚のみが入ることのできる、日本で唯一の「塀のない」刑務所でした。
塀がないだけあり、「規律」がとても厳しく、逃げ出したくなる受刑者もいるそうで、平尾龍磨もこの規律の厳しさに苦しんだそうです。
さらには、受刑者の中で組織される「自治会」の中で、平尾龍磨は規律違反を犯してしまい、全てを失い疲れ果てていたと供述しています。
平尾龍磨が語った逃走23日間とは?
2018年4月8日「松山刑務所大井作業所」の寮1階の窓から脱走をしました。
脱走直後、近くの民家から自転車や金品、さらには「車」を盗み逃走を続けました。
覆面パトカーが捜査を開始しており、車を捨てて逃走することに。
そして目の前に広がっている、山に逃げ込み10日の夜まで潜伏しており、その後空き家へと逃げ込みさらに2週間潜伏しています。
この潜伏期間中、警察の捜査が潜伏している空き家内まで来ていたのですが、平尾龍磨は「屋根裏」に逃げ込み難を逃れています。
その後は前述の通り、海を渡り本州へ上陸し、人の住んでいる民家へ逃げ込み潜伏を続けました。
そんな逃走劇も、4月30日に終わることになります。
ネットカフェで休んでいたところ、店員の通報により逮捕されることになったのです。
平尾龍磨が脱獄したのは妹に会うためだった?
脱獄する前日、妹の容態が悪化したと知らされたことで、脱獄を決意したと言われています。
その後この妹は、実は母親だったのではとも言われており、真相は不明となっているようです。
この時平尾龍磨の残り刑期が約1年10か月あり、この件が本当であれば、出所する頃には既に会えない状態になっていたことも考えられます。
逮捕されるまではこのような予測が飛び交っていましたが、脱獄の本当の理由は「松山刑務所大井作業所」での人間関係にありました。
平尾龍磨は出所しているが、現在は謎のままだった!
平尾龍磨の生い立ち・逃走劇の詳細を、解説してきましたがいかがでしたでしょうか。
現在は出所していると思われますが、嫁がいるのか、どのような仕事に付き生活をしているのか、分かっていません。
しっかりと更生し二度と同じ過ちを、繰り返さないことを願うばかりです。