2011年3月、熊本県のとあるスーパーで起こった「熊本3歳女児殺害事件」を覚えていますか?
両親と買い物へ来ていた清水心ちゃん(当時3歳)が、「トイレに行きたい」と言い走って行ってしまったほんの一瞬、両親が目を離した隙にその事件は起きました。
熊本3歳女児殺害事件では、こころちゃんは何されたのでしょうか?
殺害したのは、熊本市の大学2年生・山口芳寛受刑者(当時20歳)です。
防犯カメラに心ちゃんを連れ出す一部始終が映っており、逮捕に至りました。
わいせつ目的で熊本県のショッピングモールのトイレに連れ込み、首を絞めて殺害、そのままリュックに心ちゃんを詰め込み、近くの川に死体を遺棄したとのことです。
山口芳寛とは一体どんな人間で、なぜこんな事件を起こしてしまったのか。
その真相について、今回は迫っていきます。
目次
清水心ちゃん殺害事件犯人・山口芳寛の生い立ちがヤバい?!
まず、山口芳寛という人間がどんなバックグラウンドを持ち、どうやって生活をしてきたのかを紐解いていきます。
どうやら事件前より奇行が目立っていたようです。
熊本県ショッピングモール内のトイレで起きてしまった事件に至った理由について、生い立ちから見ていきましょう。
熊本3歳女児殺害事件犯人・山口芳寛の家族構成
山口芳寛の家族構成は以下のようです。
父:建設会社にて勤務
母:近所のコンビニでパート
弟:4歳年下
ごく一般的な家族構成で、これといって目立った特徴はなさそうです。
近所の人からの評判も悪くなく、よく旅行や帰省に行く姿を目撃されていました。
側から見ても「仲良し一家」という印象の家族だったようです。
山口芳寛に対しては「真面目で大らかな性格だった」「地域のゴミ拾いボランティアに参加したり、学級副委員長になったり真面目だった」と語る隣人もおり、とてもこんな事件を起こすような人間ではなかったそうです。
では、どこからその歯車は噛み合わなくなってしまったのでしょうか。
山口芳寛の生い立ちは?中学時代の奇行について調査
そんな真面目で評判の山口芳寛でしたが、地元の竜神中学校に通っていた頃にいじめの対象になっていたと言います。
どうやら山口芳寛少年は、幼少期からあまり落ち着きのない子どもだったそうで、いわゆる「変わった子」としてクラスの目立つ子にイジられることがよくあったようです。
ちょっかいを出されると「やめろよ!」と突然大声を出してキレることもありました。
男子からも女子からも「うざい」「キモい」と言われ、授業中に一人でブツブツ何かを呟いている様子を気味悪がられたりもしたそうです。
奇声に怒号と周りも恐れる気性の荒さ
大人しいと見られていた山口芳寛でしたが、中学時代は不安定な部分が多かったそうで、とある奇行から近所の人に恐れられていたようでした。
近所の住民たちによれば、山口容疑者の家からよく聞こえてくる叫び声にゾッとさせられていたという。彼が中学2年生ぐらいから「ウワーワーワー!」という大きな奇声をあげていたというのだ。
「夜中になると奇声をあげたり、床や壁を“ドンドン”と蹴ったり叩いたりするすごい音が聞こえてきました。ご両親に怒鳴っているのか“いってるじゃないか!”とかいう大声も聞こえてきて、本当に怖かったです」
両親はそんな息子の姿を見て、何かおかしいと思わなかったのでしょうか。
それとも、反抗期の息子が怖くて何も言うことができなかったのでしょうか。
しかしこのような証言から、山口芳寛は少年時代から気性の荒さが目立ち、その後悲惨な事件を起こす予兆が現れていたことが分かります。
ただこのような奇行も、中学校を卒業することには収まったそうで、近所の人たちも「ただの反抗期」ということで落ち着いていたといいます。
清水心ちゃん殺害事件犯人・山口芳寛は創価学会員だった?
山口芳寛の母親と祖父母が熱心な創価学会員だったという噂があります。
選挙の際には、山口芳寛の母親が選挙ポスターを貼って回っている姿が目撃されていました。
山口芳寛は父親と仲が悪かったため、祖父母の家を頼りにしており、アルバイトの送り迎えを祖父が担ったりと、かなりのおじいちゃんっ子だったとのことです。
その影響もあってか、山口芳寛が選挙の際に公明党推薦候補を熱心に応援している姿も近所の人から見られており、候補者の激励のため何時間も家の外で待っていたそうなのです。
そのことから、山口芳寛は「創価学会の学会3世」だった可能性もあると思われます。
山口芳寛は反省していない?手紙と事件後の様子や現在までを調査!
事件の翌日、防犯カメラの映像から特定された山口芳寛は任意同行を求められ、「女児を殺害して川に捨てた」と供述をしました。
その供述通り、心ちゃんの遺体が坪井川の排水口で見つかったことで山口芳寛は逮捕に至り、その後の裁判で無期懲役が求刑されました。
一体どういう思いで刑務所での生活を送っているのか、迫っていきます。
山口芳寛が女児の両親に送った悲惨すぎる手紙の内容とは?
刑が確定した後、山口芳寛は獄中から遺族へ宛てた手紙を7通に渡って送っていました。
複雑な思いを抱えた両親は、その手紙を何年も弁護士に預けたまま読むことができませんでした。
ただ、心ちゃんの父親がきちんと加害者と向き合おうと決心し、手紙を読むことにしたそうです。
何と書かれていても最後まで読み通す覚悟で読み始めたものの、涙を止められないほどの内容でした。
その感想は「妻には見せられない、見たら死んでしまう」というほど、ひどい内容だったと言われています。
事件の詳細な描写や、裁判では語られることがなかった本当のあの日のことも書かれていたそうです。
手紙で語られた、熊本3歳女児殺害事件の山口芳寛の真実とは
そもそも裁判の中で、山口芳寛は殺意について否認をしています。
弁護側は「大声を出されそうになり、気付かれたくないとの思いからパニック状態で体を押さえ付けた。死んでも構わないとの考えはなかった」と反論した。
もしかしたら、この手紙の中では、裁判中にひたすら否定され続けた「殺意」の部分に触れる記載があったのかもしれません。
手紙は便箋を2枚半に渡り綴られていたのですが、その中で1度も謝罪の言葉はなかったとのことです。
そのことから、山口芳寛がこの事件に関してまったく反省をしていないということが感じ取れます。
手紙は、山口芳寛が裁判で真実を話さなかったことと、娘や家族が救われることはないという残酷なことが伝わる内容でした。
手紙の内容は伏せられどこにも報道をされることはなく、心ちゃんの父親は「自分が死んだらこの手紙は誰にも見せないように焼却をするように」と、弁護士に依頼をしているとのことです。
山口芳寛犯行直後の様子とは?服が濡れていたと母親が証言!
事件があったあの日、「トイレに行きたい」と心ちゃんが両親から離れたのが午後7時30分頃でした。
そして、心ちゃんを詰めたリュックを背負ってトイレから出る山口芳寛が目撃されたのが午後7時45分だったため、犯行はわずか15分ほどの間に行われたのがわかります。
しかも、心ちゃんをトイレに探しに来た父親は、トイレから出てくる山口芳寛とすれ違っていたというのです。
その後心ちゃんが遺棄された坪井川は、山口芳寛が幼少期にバス釣りなどをして遊んでいた場所で、土地勘があったそうです。
なぜ山口芳寛は自身の生活圏で犯行に及び死体を遺棄するという、普通の人間では考えられないような行動を取れたのでしょうか。
いつもは入らないはずの「風呂に入りたい」
午後8時10分頃、排水溝に心ちゃんを遺棄した山口芳寛はそのまま実家へ帰って行きました。
帰宅した山口芳寛は普段と変わらない様子だったのですが、母親が胸のあたりが水で濡れていたことに気がつき、少し不審に思ったとのことでした。
母親から「あんたなんばしたか(どうかしたのか?)」と尋ねられた山口芳寛は「風呂に入りたか(入りたい)」と言って去っていったそうです。
会話が噛み合っていないように見えますが、中学時代に大きな奇声を上げたり、両親に向かって怒鳴ったりと、奇行が目立った山口芳寛と親との関わりの中では、これらも普通のことのようになっていたのかもしれません。
犯行30分後には友達とオンラインゲームをしていた
帰宅した山口芳寛はさらに驚きの行動に出ています。
なんと、殺害から約30分後には友人とオンラインゲームをしていたというのです。
「山口容疑者は心ちゃんを殺害してわずか30分後に友達を誘ってオンラインゲームをしているんです。事件のことを知ったその友人たちは“怖い”と漏らしていました」(社会部記者)
女児を殺害したにも関わらず、わずか30分後には日常生活へと戻っていった山口芳寛。
その切り替えの早さは、反省していないを通り越して、もはや感情がどこか欠落しているような印象を抱く方も多いでしょう。
熊本3歳女児殺害事件で清水こころちゃんは何された?!
清水こころちゃん事件の犯人・山口芳寛は熊本県内のショッピングモールのトイレ内で、心ちゃんにとても悲惨なことをしました。
その中であった行為の一つとして、子宮に割り箸を突っ込んだという噂があります。
このようなこと本当だとしたら、とても信じられないことですね。
女児の子宮に割り箸を突っ込むということは、絶対にあってはいけないことです。
心ちゃん殺害事件犯人・山口芳寛の現在は?更生していない?!
山口芳寛は無期懲役を言い渡されています。
しかし無期懲役とは、期限を決めずに懲役刑に処すという意味で、日本では死刑に次いで重い刑となっていますが、一生刑務所から出られないという刑罰ではありません。
仮釈放審理が開かれ、そこで認められると仮釈放され、監視下に置かれ続けるなどいくらか制限はありものの、外での生活をスタートすることができます。
また、法務省が公表をした無期懲役受刑者の平均服役期間では、31年10ヶ月と言われています。
これは、有期刑の上限が30年となっているのもあり、刑の厳罰化の世論の声も反映して、20年未満で仮釈放となったケースがかなり減ったことが関係しているようです。
事件から10年以上経つ現在も、山口芳寛が出所したという情報は出ていません。
しかし、平均の服役期間が30年程と考えると、2040年あたりに仮釈放になる可能性が高いと見られています。
山口芳寛が犯行に及んだ理由とは?残酷事件の動機6選を調査!
そもそもなぜ、山口芳寛はこんな悲惨な事件を起こしたのでしょう。
どうやら家庭環境や身近な人の死が関わっている可能性が高いようです。
理由が隠された6つの動機について紹介していきます。
熊本3歳女児殺害事件の動機①父親との確執
山口芳寛は少年時代から父親との仲が良くなく、どちらかというと祖父の方を頼っていました。
それは成人したあとも変わらず、むしろ父親との確執は広がっていったようでした。
事件が起こり聴取を受けた山口芳寛の父親も、自身への息子への向き合い方を間違っていたと後悔の思いを口にしていたそうです。
普段から父親との関わりを拒否していた山口芳寛は、父親からの電話に出ることも少なく、家では母親が通訳として間に入っていたとのことでした。
また、事件の1週間ほど前には、父子で取っ組み合いの喧嘩をしていたというのです。
父親に対してのストレスが、事件の引き金になった可能性があるかもしれません。
熊本3歳女児殺害事件の動機②親友の急死
中学時代いじめの対象になっていた山口芳寛ですが、そんな山口少年を救うことになる親友・Aくんの存在がありました。
2人は中学~高校と同じ進路を歩み、高校ではAくんが生徒会長を務め、それがきっかけで山口芳寛も生徒会へ入ることとなります。
Aくんと共に熊本市長との討論番組に出たこともあり、彼から受ける影響は大きなものがあり、東京の大学へ進んだAくんは山口芳寛の目標でした。
しかしAくんは、事件が起こる約9ヶ月前の2010年6月に病気で急逝したそうです。
人生の目標であったAくんを、突然失った山口芳寛は一気に絶望へと叩き落とされたことでしょう。
その後も山口芳寛は気丈に振る舞っていたようですが、心の中では黒く濁った思いが溜まっていき、事件へと繋がっていった可能性があります。
熊本3歳女児殺害事件の動機③好きなタイプ
この事件で山口芳寛は、殺人と強制わいせつ致死などの罪に問われています。
心ちゃんはわいせつな行為も受けていたそうで、それは山口芳寛のある趣向に原因があったのです。
山口芳寛は、大学入学して最初のコンパの中で同級生と好きな女の子のタイプの話になった際に「小さい子が好き」と答えていたそうです。
一言で「小さい」と言っても、何が小さいのか言及をしていなかったものの、話をする雰囲気も相まってクラスの中で「山口はロリコン」という噂が広まっていったようです。
果たして、山口芳寛のロリコン説は本当だったのでしょうか?
熊本3歳女児殺害事件の動機④自宅の2階から幼い子を眺めていた
山口芳寛は中学時代に、とある姿が近所の人に目撃されていました。
「芳寛くんがまだ中学1、2年生くらいのときに、2階の部屋からカーテンを少し開けて、幼稚園くらいの小さい女の子が道を通るのをじーっと見ていることがよくあったんです。“なんだか気持ち悪いね”と小さい女の子がいるお母さんたちは気をつけようと注意し合っていました」
山口芳寛はアルバイトが終わるとよくレンタルビデオ店へ立ち寄っていたようで、アニメやゲームにハマっていたそうでした。
さらに、事件後に県警が家宅捜索に入ったところ、部屋の奥に隠し持っていた「ロリ系の本」なども発見されており、以前よりロリコンの趣味趣向がありコンテンツを聴取していたことが分かります。
コンパでクラスメイトに「小さい子が好き」と言った山口芳寛は、ロリコン趣味があったと見て間違いなさそうです。
熊本3歳女児殺害事件の動機⑤中学で女子に「キモい」と言われる
山口芳寛はなかなかの女好きだったそうで、中学時代にはショートカットの和風美人の同級生に告白をして振られた経験もあったそうです。
また、何人もの女の子をいっぺんに好きになって、一度に全員に告白をした逸話もあったとのこと。
恋愛下手というより、人との付き合いそのものに難があった山口芳寛は、女性との関わりを学ぶ機会がないまま大人になり、ロリコンをこじらせていったと思われます。
熊本3歳女児殺害事件の動機⑥大学時代は女子大生にストーカー行為
事件が起こる前の夏頃、学食に不審者がいるという噂が流れるようになり、その不審者というのが山口芳寛だったというのです。
ある女子グループ3人組が学食でご飯を食べていたところ、向かいの席に座った山口芳寛が1人のモデル級の美少女だった女子学生の方をニヤニヤ眺めながらカレーを食べていたというのです。
気味悪く思い3人で席を移動したところ、それに合わせて山口芳寛も一緒に移動してまた向かいの席に座り、同じようにニヤニヤしながら女子学生を見つめていたそうです。
その時は、グループの1人が「彼女が嫌がっているからやめろ」と言って、山口芳寛が「分かった」と言い立ち去ったようですが、これは瞬く間に学内に広がり、不審者として有名になったそうです。
親戚には「彼女がいる」と話していた
親戚に対しては、「自分は彼女がいて、誕生日にプレゼントをもらった」という話をしていた山口芳寛。
果たしてその「彼女」は本当に存在していたのでしょうか。
山口芳寛の女性との関わり方がおかしかったのは間違いないでしょう。
どうにかして女の子との関わりを持ちたいと思った山口芳寛は、無理やり心ちゃんをトイレに連れ込み今回の犯行に及んだと思われます。
清水こころちゃんの家族が中学校で講演
事件から10年以上が経過した今も、清水心ちゃんの両親は事件を風化させない・2度と同様の事件が起こらないよう中学校や自治体などで講演を続けています。
日本に終身刑が無いために、加害者が想定よりも早く出所してしまうケースや、出所後に再度犯罪を犯すケースも珍しくありません。
犯罪被害者の心情や法律の在り方について、清水心ちゃんの家族から学ぶことは多いと言えるでしょう。
SNSでのコメントに一家心中も考えていた?
2023年7月13日には、鹿児島市の清水中学校で父親の誠一郎さんが講話を行いました。
講話の内容の中で、報道陣による過剰な取材への恐怖と、SNSでの家族への非難について「一家心中も決めたほどだった」と話しています。
多くの報道陣から自宅を囲まれた。恐怖で昼間はカーテンを閉め切り、夜も電気を消して隠れるように過ごした。「幼い子どもから目を離した最低の親」「責任を取って死ね」。交流サイト(SNS)には、非難のコメントが書き込まれた。
引用:Yahoo!ニュース
家族を守り変わらず接してくれる人たちのおかげで救われたと話しますが、SNSが被害者家族への第二次被害・第三次被害を招いたことは明白です。
被害者家族へのSNSの誹謗中傷に対しても、対策を講じる必要があるでしょう。
清水こころちゃん殺害事件犯人・山口芳寛の生い立ちと現在が最悪?
今回は、悲惨すぎる女児殺害事件を起こした山口芳寛について紹介をしてきました。
遺族へ宛てた手紙を見ると、とても反省をしているとは思えない山口芳寛ですが、あと20年ほど経つと出所をしてくる可能性が高いと言われています。
遺族の苦しみや心の傷が癒えることはありません。
もう2度と、このような事件は起きて欲しくないと切に願います。