1995年に2歳でCMデビューを果たし、その後子役や声優、そして日本を代表する俳優となった神木隆之助さん。
幼いころに難病を乗り越えていることが有名ですが、難病を乗り切れたのは実家がお金持ちだったからなのではないか、とも噂されています。
人柄がよく誰からも愛されている神木隆之介さんの実家は、なぜお金持ちといわれるのでしょう。
ーこの記事でわかることー
- 神木隆之介の実家はなぜお金持ちなのか
- 神木隆之助の両親や姉について
- 神木隆之助が幼年期に苦しんだ病気とは
神木隆之助さんの気になる家族写真や、仲が良いといわれている姉はどんな人物なのか。
育ちの良さが、にじみ出ているといわれている彼の家族構成を中心に、幼年期の難病や実家がお金持ちと噂される真相について詳しく解説していきます!
神木隆之介の実家が金持ちの理由は地主?
神木隆之助さんの実家はお金持ちだ、という噂が囁かれています。
彼の実家の住所は埼玉県富士見市であり地主だったのではないか、と話題になっていました。
なぜ神木隆之助さんの実家がお金持ちだといわれているのか、真相を探っていきましょう。
理由①神木隆之介の実家が代々の地主?
ネット上では、神木隆之介さんの実家の住所が埼玉県富士見市だといわれています。
こちらは確かな情報のようで、埼玉県富士見市立鶴瀬小学校が神木隆之介さんの出身校であることは公表されています。
埼玉県富士見市立鶴瀬小学校は市立なので、学区があり住所は埼玉県富士見市です。
また、鶴瀬駅前にあるの写真館には、神木隆之介さんが子供時代に撮った七五三の写真が飾られていました。
そんな彼の実家が代々地主だったという確かな証拠はなく、富士見市周辺に「神木」という性が多いことから噂が流れたのではないかといわれています。
神木隆之助さんは、2019年のインタビューで「ごく普通の家庭」だと発言しており、一般的な市立の学校に入っていたことからも、実家が地主でお金持ちだったという説はあくまでも噂だったのではないでしょうか。
理由②神木隆之介が2歳から芸能界で働いている
神木隆之介さんの実家がお金持ちだといわれているのは、神木隆之介さん本人が2歳より芸能界で活躍しその出演料が多額になっているからです。
芸歴も長く、俳優として数々のドラマや映画に出演、さらに声優やCMなどもこなしています。
子役時代からの彼の収入があることで、神木隆之介さんの実家はお金持ちだという噂が流れたようです。
神木隆之介の年収は億越え!食費にはお金をかけない節約家?
現在、映画やドラマ、CMさらにはYou Tubeでチャンネル「神木隆之介Official リュウチューブ」も展開している神木隆之助さん。
そんな神木隆之介さんの現在の年収は1億3000万~4000万位といわれています。
映画出演が重なった年などは2億円を越すようです。
神木隆之介さんの実家がお金持ちと噂される理由も納得の収入!
しかし、彼はかなりの節約家といわれており、食事にはこだわりがなく何でもいいとだとか。
またシンプルがいいので同じようなものはなるべく買わないようにしているようです。
しかし、神木隆之介さんは自身のことをオタクだと公言しており、自分が欲しいものに関しては観賞用や保存用など同じものを重複して購入することもあると語っていました。
【写真】神木隆之介の家族構成は6人家族!
神木隆之介さんは2019年のインタビューで、家族は両親と祖父母、11歳年上の姉と自分であることを公表しています。
仲の良い家族のようで、彼の愛される人柄は温かい家族によって育まれたもののようです。
実家の住所は埼玉県ですが、現在は都内で一人暮らしをしているといわれている神木隆之介さん。
両親や姉の写真と共に、彼の家族を詳しく見ていきましょう。
家族構成①祖父母
神木隆之介さんの祖父母の写真はありませんでしたが、おじいちゃんの影響で彼もカメラが好きになったといわれています。
おじいちゃんが使用していたカメラのおさがりをもらって、写真を撮り始めたことが現在の趣味につながっているのでしょう。
子供時代には下手な写真でも現像してくれることがうれしかったようです。
神木隆之介さんがカメラ好きになったきっかけを作ってくれたのが、彼の祖父といえます。
家族構成②父親!神木隆之介より背が低い?
神木隆之介さんは167cmと小柄ですが、彼の父親はさらに小柄ということで164㎝ほどではないか、といわれています。
ちなみに神木隆之介さんは、中学生の時に父親の身長を抜いたと語っていました。
上記の写真は幼年期の神木隆之介さんと父親、母親、そして姉の写真ですが、父親ははっきりした顔立ちのイケメンパパのようです。
神木隆之介さんは子役時代に、父親のことを語っていたことがあり、父親はサーフィンやテニスが好きで車のモーターも好きなんだとか。
更に、キャッチボールは30分くらいで飽きてしまうと嘆いていました。
父親の職業などは公表されておらず、メディアにも登場していません。
神木隆之介さんによると、謙虚で優しい父親ということでした。
家族構成③母親!神木隆之介を芸能界入りさせた
神木隆之介さんを語るうえで欠かせない存在といえるのが母親です。
彼が幼児期に難病を抱えていたことは有名な話ですが、いつも寄り添い支えてくれた存在なのでしょう。
彼はたびたび母親とのエピソードを語っており、現在も仲のいい親子のようです。
わが子の生きた証を残したいという思いから、神木隆之介さんを芸能界へ入れたのも母親でした。
2020年9月25日に発売された彼の全てが書かれた自叙伝「おもて神木/うら神木」には、母親との2ショット写真や母親のインタビューも載っています。
家族構成④姉!11歳差で仲良し!
2016年にフジテレビ系「僕らの時代」に出演した際には、姉とは喧嘩もしたけれど年の離れた親友という感じだと語っていました。
姉とは11歳の年の差があり、神木隆之介さんの姉はすでに結婚し子供がいます。
しかし、今でもよく連絡を取り合っているようで、姉の子供のことも我が子のようにかわいがっていたようです。
神木隆之介さんは、15歳の時に姪が産まれおじさんになったことを明かしているので、姉の子供は現在15歳になっています。
現在の姉の写真は公開されていませんが、上の姉の写真からもわかるように、整った顔立ちで美人な姉であることが想像できるのではないでしょうか。
神木家の家訓は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
神木隆之介さんの家には、母親の作った家訓が3つあるようです。
- 性悪の可愛い人でありなさい
- 逆の意見も一度は受け入れる
- 実るほど頭を垂れる稲穂かな
彼は素直な人になろうと努力していると語っており、特に「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉は大切にしているとのこと。
父親が謙虚であるように、どんなに売れて有名になっても謙虚の姿勢は崩さない、という神木家のルールのようです。
この家訓こそが、彼が多くの人に愛される理由のひとつなのではないでしょうか。
神木隆之介の母親がすごい?芸能界入りのきっかけは難病!
神木隆之介さんは幼年期に生存率1%といわれるほどの病気にかかっていました。
難病を克服し、生き残ったことが奇跡といえる状態です。
生後すぐに危篤の状態になり、4か月ほども生死の境目を彷徨ったのだとか。
しかし、この病気体験こそが神木隆之介さんの芸能界入りのきっかけになったのです!
神木隆之介は生存率1%の難病を患っていた!
神木隆之介さんの病名は公表されていませんが、新生児のため検査が出来ないまま、原因不明の状態だったのではないでしょうか。
ミルクも飲めない状態だったことから、消化器系の疾患だったのではないかとも噂されています。
医師に告げられた生存率はわずかの1%。
この数字だけ見ると、死亡宣告されたのと同じように感じてしまいます。
しかし母親は日々の日記で、息子が助かるようにと祈るように書き綴っていたようです。
彼女の日記にも、息子神木隆之介さんの生きた証を残そうという思いが詰まっていたのかもしれません。
神木隆之介が芸能界入りしたのは難病がきっかけ?
神木隆之介さんは奇跡的にこの難病を乗り越え、命をつなぎますが、母親は不安がぬぐい切れなかったのではないでしょうか。
彼女は息子神木隆之介さんの生きた証を残したい、という思いで芸能界へ入れたのです。
神木隆之介さんのデビューしたCMは「ミッキーのおしゃべりハンドル」という商品でした。
息子を芸能界へ入れた後も、神木隆之介さんの意見を尊重しやりたい道を歩ませてくれた強く優しい母親のようです。
神木隆之介さんの病気や母親のことをもっと詳しく知りたい方は、下記記事を参考にしてください。
神木隆之介は母親の言葉で俳優を続けられている!
神木隆之介さんは、現在も母親をママとよんでいるそうで、子役時代からかわらず仲のいい親子関係のようです。
母親の作った3つの家訓は、彼の俳優人生を支える大きな言葉なのではないでしょうか。
しかし全て順調に見える神木隆之介さんですが、20代後半には「役者で失敗したら人生が終わる」と感じて演じることが怖くなったことがあったのだとか。
母親に相談したところ、あなたが幸せに笑って生きてればそれでいいといわれたようです。
俳優しか道がない、と自分を追い込んでいた彼は、俳優を辞めてもいいんだと気持ちが軽くなったと語っていました。
生まれた時からずっと、母親の願いは揺らいでいなかったのでしょう。
神木隆之介は幸せな一般家庭に育っていた
神木隆之介さんの実家は元々普通の一般家庭で、仲の良い温かな家族だったようです。
生存率1%の難病を乗り越えて、現在も俳優業を続けている神木隆之介さん。
彼はデビューから40年がたつ43歳になったら俳優として定年かなとも語っており、その後は監督や指導者にもなりたいとコメントしていました。
これからの神木隆之介さんの活動からも目が離せないようです。