三重県津市にある「日生学園」と言えば、芸能人のダウンタウン浜田さんや今田耕司さんの母校として聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
スパルタで大変有名で、逃げ出す学生がほとんどだったという話もよく聞きます。
SNS上では収容所のような場所、とも例えられているようです。
以前は不審死や脱走などが多発し、あまりの惨状に1985年ごろには内部告発も起きていました。
今回は、日生学園の現在はどうなっているのか・テレビで見るスパルタ指導は続いているのかなどを詳しく見ていきましょう。
【現在】日生学園の現在は?スパルタ教育等の変更点5選!
実は、よくテレビで取り上げられる日生学園は略された呼び名だったことご存じでしょうか。
一般的に日生学園と言われるのは「日生学園第二高等学校」とされており、現在も存在しています。
本来、日生学園は中学校、高等学校含めて4校のことを指し、詳細は以下になります。
・日生学園付属中学校
・日生学園第一高等学校
・日生学園第二高等学校
・日生学園第三高等学校
このことを踏まえて、現在日生学園はどのように変化しているのか見ていきましょう。
現在①名称が日生学園から変わる
2015年に日生学園の4校は以下のように名称が変更になりました。
- 日生学園付属中学校→桜丘中学校
- 日生学園第一高等学校→桜丘高等学校
- 日生学園第二高等学校→青山高等学校
- 日生学園第三高等学校→自由ヶ丘高等学校
日生学園付属中学校は日生学園第一高等学校に併設され、新学校名でも分かるように中高一貫校へと変わりました。
こう見ると、名前に面影は一切なくイメージをガラッと変えたかったのがうかがえます。
現在②偏差値が少し上がった?
日生学園第二高等学校時代の偏差値は39とされており、当時のレベルでは底辺と言われていました。
そもそも素行不良で他の高校を受験できなかった生徒達を受け入れる学校だったため、偏差値が低くなっていた可能性があります。
そして現在、青山高等学校の偏差値は38~42であり、平均して40前後です。
あまり昔と偏差値が変わらないとはいえ、現在は不登校の生徒たちを受け入れる学校に変わっているようです。
不登校で学校を休んでいたため勉強が追いつかなかった生徒を受け入れやすくするためにも、偏差値のハードルを低くしているのでしょう。
現在③校則が緩和!スパルタはなくなった?
現在は、当時のスパルタ教育と比べると校則や指導は緩和されたと言われています。
では、具体的にどのように変化したのでしょうか。
時代の流れとともに変化した内容、あるいは残っている慣習を1つずつ見ていきましょう。
校則①大声で大合唱
「大声での合唱」は当時から現在まで残る習慣で、唯一形を変えずに残っているスパルタ文化と言えるでしょう。
ただ、当時の日生学園では合唱だけではなく、全ての作業や返事を大声で行う文化がありました。
そのため、大声を使わなければいけない状況が減ったという観点では、若干スパルタは緩和したと言えるでしょう。
校則②月曜から土曜は朝マラソン
こちらも伝統行事の1つ、朝マラソンですがペースが昔よりも遅くなったようです。
以前と比べるとマラソンよりもジョギングに近いペースで走るようになったといいます。
また、過去には月1回開催されていたマラソン大会も年1回まで減少しているようですね。
通常の学校からすればまだまだ厳しいかもしれませんが、ペースと大会が減っただけでもかなり緩和されたと言えるでしょう。
校則③見た目や時間は厳守
当時は問答無用で全員五厘刈りでしたが、現在そのようなルールはありません。
ただ、女子生徒が肩より長いヘアスタイルの場合は、髪を結ぶなどの校則はあります。
校内の時間に関しても、当時に比べると緩和されていますが、まだまだ厳しいルールは残っているようです。
基本的に学校のスケジュール以外でも、部活動や寮での学習時間や就寝時間など1日のスケジュールは細かく管理されています。
当時のように早朝4時に起きて素手で掃除をするなどはありませんが、昔ながらの校風は残っていまるようです。
校則④恋愛禁止
当時の日生学園と言えば、男女が会話をするだけで退学という厳しい校則がありましたが、さすがに現在ではこのような校則はありません。
しかし、現在でも男女交際が見つかったら停学処分というルールはありますので、方針としては大きく変わっていないことがわかります。
校則➄敬語やマナーに厳しい
日生学園の象徴の1つとも言える厳しいマナーや上下関係は現在も残っています。
ブラザー制度をとっていて、先輩後輩が交流しながら社会常識やマナーを学ぶといった文化が根付いています。
当時のように体罰で指導することはなくなったようなので、その観点で見れば緩和したことは間違いないでしょう。
現在④進学校
偏差値では大きく変わっていませんでしたが、現在の日生学園は新学校へと生まれ変わろうとしています。
日生学園の特徴でもある全寮制のモデル校として、イギリスのイートン校を目標としており、学業にも力を入れているようです。
現在では国立大学や誰もが知る有名大学へ進学する学生も輩出していることから、全体の偏差値は変わらないものの進学率や成績のレベルアップがされているのは確実だといえるでしょう。
現在➄浜田雅功の母校で有名に?
冒頭でも触れましたが、日生学園がこれほど全国区で有名になったのはダウンタウン浜田さんの母校であることが最も大きな要因でしょう。
浜田さんは当時の厳しい学校生活のエピソードをテレビ番組で披露しており、それをきっかけに知ったという方も多いはずです。
記憶に新しいところでは、TBSの人気番組「水曜日のダウンタウン」の『PL学園野球部この世の地獄説』の中で、当時の日生学園エピソードを披露していました。
あまりの衝撃具合に収録現場では驚愕の声が上がっていたのです。
現在⑥日生学園にIPhoneが導入
これまでのような厳しい校則が今でもある日生学園において、もちろん携帯電話の所持はNGでした。
しかし、安全面なども考慮して親御さんから携帯電話を持たせてほしいという強い要望の元、学校認定の「フィーチャーフォン(iPhone)」を全生徒に配布しています。
青山高校では、学校制定スマホとしてiPhoneを導入して10年が経ちました。
家族・友人との連絡はもちろん、探究学習や進学情報の収集・部活動、デイリーテストの点数入力など、幅広く活用中です。#青山高校 #全寮制 #iPhone活用 pic.twitter.com/wB7SB0sQOh— 青山高等学校@全寮制【公式】 (@aoyama_prteam) April 11, 2023
もちろん遊び用ではなく、学校からの連絡や災害時の連絡用などで使用されているようです。
当時の日生学園がとにかくスパルタでヤバイ?
現在の日生学園を見てきましたが、現在でも十分厳しいのではと思った方も多いのではないでしょうか。
しかし昔は現在と比べ物にならない、頭おかしいとも言われるほどのスパルタぶりでした。
どれだけ緩和されたか分かるよう、当時の日生学園の厳しすぎる校則やエピソードをまとめましたので見ていきましょう。
日生学園第二高等学校の厳しすぎる内容とは?
最も厳しいと言われた日生学園第二高等学校はどれほど厳しかったのでしょうか?
日生学園学長である青田強さんは、軍隊式を取り入れた『私欲を捨て去り公に尽くす』という考え方のもと校則を厳しく強いていたようです。
厳しさがわかる一説として、過去に浜田さん司会のテレビ番組「ジャンクSPORTS」でも、
- (親や家族との)面会すらなかった
- 卵がごちそうだった
- テレビも無いから情報も入ってこない
という驚愕のエピソードが語られていました。
日生学園の芸能人!浜田雅功も?
そんな厳しすぎる日生学園第二高等学校ですが、浜田さん以外にも実は出身校とする芸能人が何人もいるので紹介します。
- 今田耕司:お笑い芸人
- 長谷川豊:アナウンサー
- 赤松芳朋:ミュージシャン
- 山口賢一:プロボクサー
- 千葉和彦:プロサッカー選手
- 尾崎瑛一郎:プロサッカー選手
- 山林芳則:プロ野球選手
- 鮫島秀旗:プロ野球選手
- 海猫沢めろん:小説家、ライター
- 永澤陽一:ファッションデザイナー
- 日向まこ:元セクシー女優
今田耕司さんはテレビ番組で高校生活について語ることが多いので、ご存じの方も多いでしょう。
また、卒業生には芸能人だけではなくスポーツ選手が多いこともわかりますね!
なお、浜田さんが日生学園に入学した理由は、「友達の家のドアをノコギリで切ったから」だったようです。
#ごっつええ感じ #ダウンタウン
浜ちゃんがあの(当時)刑務所のような日生学園第二に入れられた理由の一つノコギリ事件の現場 pic.twitter.com/AgGLnNBnwx
— ロシオ (@id_goat) September 28, 2022
日生学園の平日の1日スケジュールがヤバい?
日生学園は、水曜と日曜以外は早朝4時起きから1日が始まり、厳格なスケジュールによって管理されていました。
なかでも、心行とマラソンが過酷とされていたようです。
- 心行(しんぎょう):授業前と授業後に、全校生徒が体育館に集まり約1時間もの時間をかけて行う雑巾がけ
- マラソン:心行に行う1日6㎞のマラソン
授業は午前4時間・午後1時間の計5時間授業だったようで、通常の学校よりもやや短い時間と言えます。
また、食事時間や入浴時間は大変短く、寮に戻ってからはほぼ自習時間だったようです。
日生学園でいじめ・暴力事件・自殺は日常茶飯事?
日生学園のようにかなり厳しく抑圧された環境では、いじめや暴力事件、自殺などさまざまな問題行動が起きていました。
教師や先輩からの厳しい体罰や、同級生からのいじめで自殺する生徒が相次いでいたようです。
しかしながらそういった問題行動は隠蔽されており、1985年に匿名希望の現役教師から内部告発があったことで明るみに出ました。
どうやら、表面上は事故として処理されていたと言うのですから驚きです。
日生学園で不審死・自殺が多発!国勢調査が行われた!
日生学園での不審死や自殺が相次いだことで、週刊誌やマスコミの報道を受けるようになり、全国に日生学園の名が知られるようになります。
特に不審死として有名なのが、夜中に食堂に忍び込んだ生徒が、食堂の出入り口に設置されていたシャッターに首を挟まれ圧死してしまった事件です。
凄惨な事態を重く見た政府は直接動き出し、国会で改善策を議論したり、国勢調査に踏み切ったりと、とうとう国規模で対策に乗り出すほどの事態に発展しました。
しまいには所在地である三重県からの行政指導にも発展し、重大な問題として取り上げられるようになったのです。
日生学園伝説!カンニングと甘い物の密輸がOKだった?
日生学園には、日生学園ならではの伝説ともいえるような逸話がありました。
なんと、テストでの生徒のカンニングが黙認されていたというのです。
理由は生徒が悪い点数を取ると、教師たちが教頭から厳しい叱責に遭うためでした。
実は教師陣も普段から教頭よりスパルタ指導を受けていたようで、生徒のカンニングを正すよりも教頭を恐れていたというのがうかがえるエピソードと言えるでしょう。
他にも日生学園では、禁止されていた甘いものを何とか手に入れるために、生徒たちは親からの仕送りの際に枕など目につかない場所に砂糖などを隠して送ってもらっていた、というエピソードもあります。
元・日生学園の今田耕司さんいわく、「先輩の枕が大きいのは砂糖を隠しているから」とも語っており、まるで密輸のようなやり方ではないでしょうか。
日生学園は昔はスパルタだったが現在は変化しつつある!
日生学園について、当時と現在を比べてきましたがいかがでしたでしょうか?
学校環境や偏差値など改善されてきており、昔のようなスパルタは無くなりつつあります。
日生学園に限らず行き過ぎた指導で命を落としたり、自ら命を絶つような凄惨な事件は二度と起こってほしくないものです。