【退社一覧】フジテレビ女性アナウンサーの45選!衝撃のあの人や最近退職したアナも!?

【退社一覧】フジテレビ女性アナウンサーの45人を徹底調査でランキング!衝撃のあの人も!? その他
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1990年代に退社した女子アナ

1990年代に退社した女子アナウンサーたちは、バブル絶頂期をテレビ界で過ごした人たちです。

テレビ界は華やかで番組予算はかけ放題、女子アナウンサーもきらびやかで、フジテレビは他局に比べ圧倒的な強さを誇っていました。

ここではバブルがはじけるとともに、フジテレビを去っていった女子アナウンサーたちをご紹介していきます。

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中井美穂(1987年入社~1995年退社)

中井美穂さんは「プロ野球ニュース」のメインキャスターを務めました。

当時、トレンディドラマが大流行していたこともあり、月9ドラマ「同・級・生」にレギュラー出演しています。

数多くの番組を担当し、1995年に野球選手・古田敦也さんと結婚して、フジテレビを退社しました。

その後、フリーアナウンサーとして活躍して、俳優・織田裕二さんと「世界陸上」のメインキャスターを1997年から2022年まで勤めています。

2002年に子宮筋腫、2003年に腹膜炎を患っていますが、現在は元気に活躍を続けています。

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有賀さつき(1988年入社~1992年退社)

有賀さつきさんはニュース番組からバラエティ番組まで、多くの番組を担当し、同期入社の河野景子さん、八木亜希子さんと「花の三人娘」と呼ばれていました。

1992年にフジテレビを退社して、タレントに転身しクイズ番組やバラエティ番組に多数出演しています。

有賀さつきさんは1995年に、芸能事務所社長との不倫関係を週刊誌に自ら告白し、世間を騒がせました。

騒ぎが大きくなって記者会見を開いたのですが、有賀さつきさんはその会見で謝罪ではなく、相手の男性と結婚したいと発言して、さらに大騒ぎになりました。

世間から猛バッシングを受けて、全てのレギュラー番組を降板することになって仕事がなくなり、2000年に芸能界を引退しています。

2002年にフジテレビの上司だった和田圭さんと結婚しますが、13歳の年齢差が話題になりました。

同じ年に第1子を出産し、2006年に離婚後、芸能活動を再開しています。

再びタレントとして活動していましたが、2018年に病気のため52歳の若さで亡くなりました

河野景子(1988年入社~1994年退社)

河野景子さんは「FNNモーニングコール」「FNNスピーク」などのニュース番組を主に担当していました。

1991年には自らの希望でパリ支局に駐在し、「FNN World Uplink」の特派員を務めます。

1994年にフジテレビを退社後は、フリーアナウンサーとして活動を開始します。

1995年に当時横綱だった貴乃花と結婚し、河野景子さんが8歳年上だったこともあって、世間を驚かせました。

その年に第1子、2002年に第2子を出産し、2004年には相撲・二子山部屋の女将になって親方や弟子を支えていきます。

2018年に貴乃花が相撲協会を退職し、部屋が閉鎖されるのを機に離婚して、現在は実業家として活躍しています。

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近藤サト(1991年入社~1998年退社)

近藤サトさんは「FNNスーパータイム」などの報道番組を主に担当していました。

1998年に退社後、歌舞伎俳優・五代目坂東八十助さんと結婚しますが、妻と3人の子供がいた八十助さんと不倫の末の結婚は「略奪婚」と話題になりました。

その結婚はわずか2年で破綻し、2000年に離婚してしまいます。

2003年にイベント企画会社社長と再婚して、2004年に第1子を出産し、フリーアナウンサーとしての活動も始めました。

2011年からは日本大学の非常勤講師として、アナウンスや朗読の指導もしています。

中村江里子(1991年入社~1999年退社)

中村江里子さんは「スーパータイム」や「プロ野球ニュース」などを担当していて、バラエティ番組も多く担当していました。

女子アナウンサーでありながら、ドラマにも多数出演してタレント並の人気を得ていました。

仕事が多忙を極め、ナレーションやドキュメンタリーなど画面に出ない仕事を希望しても叶えられず、1999年に退社します。

2000年にフランス人の実業家と結婚して、以来ずっとパリを生活の拠点としています。

3人の子供を出産し、現在は化粧品ブランドの経営などをしているようです。

濱田典子(1993年入社~1997年退社)

濱田典子さんは「FNNスーパータイム」のお天気キャスターなどを担当していて、気象予報士の資格も取っています。

気象予報士の資格を取得した女子アナは、濱田典子さんがフジテレビでは初めてだったそうです。

1997年にフジテレビアナウンサー・福原直英さんと結婚し、そのままフジテレビを退社しています。

結婚後もフリーアナウンサーとしてフジテレビに出演していましたが、現在の活動は不明です。

富永美樹(1994年入社~1998年退社)

富永美樹さんは「めざましテレビ」「笑っていいとも!」などを担当していました。

1998年にロックバンド・シャ乱Qのまことさんと結婚し、フジテレビを退社しています。

退社後は専業主婦となってメディアに出ることはありませんでしたが、2006年から芸能活動を再開しています。

1980年代より前に退社した女子アナ

1960年代後半、フジテレビの女子アナウンサーは定年が25歳と、今ではとても信じられない待遇にあったようです。

当時、テレビがカラーになることで、テレビ局は設備投資にお金がかかるため人件費を削減していました。

女子アナは社員ではなく契約社員として入社して、5年後にそのまま退社していたというのです。

1980年以前に退社した女子アナは、そんな時代を過ごしてきた人たちになります。

田丸美寿々(1975年入社~1983年退社)

田丸美寿々さんが入社した当時、ニュースは男が読まないと信用されないという時代でした。

そのため、女性アナウンサーはアシスタントのような存在だったそうです。

天気予報やワイドショーのアシスタントばかりを担当していましたが、1978年に「FNNニュースレポート6:30」のメインキャスターに抜擢されます。

この番組で田丸美寿々さんは、強引な突撃取材などを行い、報道番組における女性の地位向上に貢献しました。

1983年に退社した後はフリーとしてテレビ朝日の「朝まで生テレビ!」「モーニングショー」などのメインキャスターを務めています。

2010年に母親の介護を理由に番組を降板し、引退状態にあると思われます。

中村奈緒美(1983年入社~1988年退社)

中村奈緒美さんは「FNNモーニングコール」「FNNスピーク」などのニュースや情報番組のキャスターを担当しました。

1989年に会社社長との結婚を機に退職し、専業主婦となりますが、その傍ら慶応大学に進学します。

1998年に明治大学専任講師となり、2016年には副学長になりました。

結婚後は牛尾奈緒美名義となって、報道番組のコメンテータや後援などの活動をしています。

渡辺直子(1966年入社~1968年退社)

渡辺直子さんは入社後、幼児番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」の初代お姉さんを務めて人気を博します。

当時の女子アナは25歳定年だったため、退社後はタレント・歌手に転身して子供向けの番組などに多く出演しました。

1980年にTBSアナウンサー・料治直矢さんと結婚して、1980年に第1子、1982年に第2子を出産しています。

竹下典子(1948年入社~1971年退社)

竹下典子さんは「オールナイトフジ」「スター千一夜」などの司会を務めています。

1971年にフジテレビアナウンサー・野間脩平さんと結婚し、退社してフリーアナウンサーに転身しました。

フリー後はTBS「3時にあいましょう」「スーパーワイド」などの情報番組を担当して、1996年までは皇室や芸能担当のレポーターとして活躍しています。

歌舞伎が好きで、75歳を過ぎても歌舞伎のトークショーの司会や聞き役などを務めています。

石毛恭子(1971年入社~1976年退社)

石毛恭子さんは、前出の渡辺直子さん同様、入社直後「ママとあそうぼう!ピンポン」の2代目お姉さんに就任しています。

かわいらしい顔立ちから、子供たちの人気者になりましたが、1976年にフジテレビを退社しました。

退社後は女優・歌手に転身して、ドラマ出演やコンサート活動をしています。

1979年に作曲家・坂田晃一さんと結婚しています。

フジテレビ女子アナウンサーの退社一覧!退社後の経歴はさまざま

 

今回はフジテレビ女子アナウンサーの退社一覧を、ランキングなども交えてご紹介しました。

1990年頃の女子アナブーム以降、フジテレビの社員であってもタレントのような人気を得て、多くのファンを持つ人が多くなっていました。

しかし、それ以前のアナウンサーには報道番組で突撃取材をしていたり、幼児番組のお姉さんをしていたりと、意外な経歴を持つ人もいましたね。

こうして一覧にして見ると、昔の女子アナと近年の女子アナとの共通点もありました。

ほとんどの女子アナが有名人や著名人、会社経営者と結婚していたのに驚いた方も多かったのではないでしょうか。

この一覧に登場した女子アナは美人で頭もいいので、男性にとてもモテたのでしょう。

フジテレビを退社後は、フリーアナウンサーとして活動している人が多いので、今後もみなさんの活躍から目が離せません。