夏目漱石と言えば、「吾輩は猫である」「坊つちやん」「こゝろ」などを書いた誰もが知る文豪でしょう。
夏目漱石の脳はホルマリン漬けにされて保存されていると噂されることがあります。
その噂は本当なのであれば、なぜ脳を保存しているのでしょうか?
また、その脳はどこに保存されていて、誰でも見ることはできるのでしょうか?
夏目漱石の脳が保存されているって本当?!
夏目漱石の死後、その脳は保存されたと噂されることがあります。
「どうせ、また都市伝説的なものでしょ?」と思う人もいるでしょう。
しかし、夏目漱石の脳の保存は嘘のようで本当の話です。
では、その脳はどこで保存されているのでしょうか?
夏目漱石の脳が保存されている場所
夏目漱石の脳が保存されているのは、東京大学にある医学部の標本室で保存されています。
「なぜ東大に?」と思う人もいるでしょう。
夏目漱石は帝国大学の英文科を卒業していて、東京帝国大学の講師も務めていました。
帝国大学は後の東京帝国大学であり、東京帝国大学は後の東京大学のことです。
そのため、夏目漱石と東大が全くの無関係というわけではありません。
夏目漱石の脳だけではない
「なぜ夏目漱石の脳だけ保存するの?」と疑問に思う人もいるでしょう。
実は東大の医学部標本室では、夏目漱石以外の脳も保存されています。
そこには、日本画家の横山大観・第27代内閣総理大臣の浜口雄幸・第11代内閣総理大臣の桂太郎など、計35人の脳があるそうです。
どうやって保存されている?
夏目漱石を脳は噂ではなく、本当のことでした。
しかし、「ホルマリン漬けにされて保存されている」というのは少し間違いです。
正確にはエタノールで保存されています。
ホルマリンは防腐性には優れていますが、劇物なので安全性を重視して、夏目漱石の脳のような標本にはエタノールが使われることが多いです。
ただし、エタノールはホルマリンよりも保存性が弱いので、夏目漱石の脳は色抜けして青味のある灰色に変色しているそうです。
漱石の脳の特徴について平均的な脳よりも「大きくて特に前頭葉が著しく発達している」と書かれた資料があるそうです。
脳以外も保存されている?
東大の医学部標本室では35人もの脳が保存されています。
また、脳だけでなくエジプトのミイラや皮膚疾患の模型や人工癌の標本なども保存されています。
これらは教育や研究などの重要な資料として活用されているそうです。
展示公開はされてる?
「夏目漱石の脳が現在でも保存されているなら実物を見てみたい!」と思う人もいるでしょう。
しかし、夏目漱石の脳は展示されていないので、関係者以外が見ることは難しいです。
ただし、1995年には「人体の世界」、2012年には「FREEDOMMUNE 0 <ZERO>」という音楽フェスに借り出されて展示されることもありました。
そのため、今後も何らかのイベントで展示される可能性はあります。
夏目漱石の脳が保管されている理由3選!脳を摘出したのは誰?
いくら夏目漱石が偉人であるとしても、すべての偉人の脳が保存されているわけではありません。
では、なぜその脳を保存することになったのでしょうか?
漱石本人の意志だったのか、誰かの希望だったのでしょうか?
理由①夏目漱石の妻(鏡子)の希望
これは夏目漱石の妻である鏡子の希望で、死後の翌日には解剖し脳と胃を取り出したあと東大に寄贈されたと言われています。
なぜ、解剖を求めたのか、その理由は「死因がはっきりしなかったせい」であったようです。
理由②東大には様々な人の脳が保管されているから
東大には漱石だけでなく他にも有名な人々の一部が保管されています。
有名人や偉大な功績を残した人物であれば、その理由を知りたいと思うことは「自然な感情」だと思います。
そのため、多くの歴史上活躍した著名人たちの保存は行われていて、現在でも研究が続けられているようです。
理由③愛娘・雛子のため
また、漱石が亡くなる5年ほど前に、娘の雛子が原因がわからないまま亡くなるという痛ましい事件が起きていました。
そのときに悲しみに暮れて何も手を施さずに離れ離れになってしまった彼らの娘のようにはしないといった配慮も考えられます。
夏目漱石が亡くなったのはいつ?
夏目漱石が亡くなったのは1916年で、49歳でした。
死因は胃潰瘍であり、もともと胃が弱かった夏目漱石は何度も胃潰瘍になっていたそうです。
亡くなった翌日には解剖が行われ、そのことは新聞にも記事として掲載されました。
誰が脳を摘出したのか?
夏目漱石の解剖という大役を担ったのは、夏目漱石の主治医であり、癌研究の世界的権威でもあった長與又郎です。
また、夏目漱石の教え子でもあり、日本にレントゲンを広めた眞鍋嘉一郎も解剖に立ち会いました
鏡子夫人は解剖には立ち会わず、その代理として夏目漱石の弟が立ち会ったそうです。
夏目漱石の意外な一面とは?
夏目漱石は偉人なので、「さぞ立派な人だったのだろう」と思う人もいるでしょう。
しかし、実はイメージとは違った意外な一面を持っていたりもします。
では、夏目漱石の意外な一面とはどのようなものがあったのでしょうか?
いくつもの家をたらい回しにされた?
夏目漱石は勉強ができることから「裕福な家庭だったのか?」と思う人もいるでしょう。
しかし、実は夏目漱石は権力のある町役人の家に生まれたものの、8番目の子ということもあり、古道具屋に里子に出されます。
里子となった先の古道具屋では邪険に扱われ、1年以内に生家に戻ることになりました。
生家に戻った夏目漱石でしたが、次は新宿の名主へと養子として出されます。
しかしここでも、養子先の家が離婚することになり、再び生家に戻されます。
3つの家をたらい回しになりましたが、最終的は生家で過ごすことになったのでした。
寿命を縮める悪循環
夏目漱石は亡くなるまでに何度も胃潰瘍になっています。
胃潰瘍の原因はストレスだったとも言われています。
そのストレスを軽減する方法として、夏目漱石は甘いジャムを舐めるようにしていたそうです。
しかし、今度は糖分の摂りすぎで糖尿病になり、糖分によって胃酸が大量分泌されて胃潰瘍も悪化させてしまいました。
やること、やることがすべて悪い方向へと転がってしまったことが、49歳という若さで亡くなった原因の1つのようです。
独特な癖
「吾輩は猫である」には主人公が鼻毛を抜くシーンがあります。
そのシーン、実は夏目漱石本人の癖がモデルになっています。
いまでも、遺された漱石本人の原稿用紙をみると漱石自身の短い鼻毛がキチンと一列に並べられているそうです。
これは執筆に行き詰まった夏目漱石が鼻毛を抜いては原稿の上になぜか並べていたからだそうです。
亡くなる前に言ったこと
夏目漱石は亡くなる直前に「死なないように水をかけてくれ」と叫んだと言われています。
眠気ではないので、水をかけたところで当然ながら目がスッキリと覚めたりはしません。
ただし、夏目漱石の亡くなる直前の言葉にはいろいろな説があり、ぶどう酒を飲ませてもらって「うまい」と言ったとも言われています。
また、娘が泣かないように妻が諭していると「もう泣いてもいい」と伝えたなどの説もあります。
都市伝説ではなく夏目漱石の脳は本当に保存されている
夏目漱石の脳は東大の医学部標本室で保存されています。
都市伝説のような話ですが、この話は事実です。
ただし、展示はされておらず、一般公開はされていません。
しかし、過去にはイベントで展示をされたこともあるようです。
またいつか展示される可能性があるので、その機会があれば夏目漱石の脳を見に行きましょう。