【御巣鷹山】日航機墜落事故の坂本九の遺体は脳みそ剥き出しでヤバい!?遺書や生存者の現在も調査!

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日本の航空史上最悪である航空事故といえば、1985年8月12日に起きた日航機墜落事故が挙げられます。

乗員乗客520人が死亡し、生存者はわずか4人という単独機の航空事故の死亡者数としては世界でも過去最多の人数です。

お盆の帰省ラッシュも重なり、多くの著名人も犠牲になったことで当時世間に大きな衝撃を与えました。

人気歌手で「上を向いて歩こう」で有名な坂本九さんも犠牲者の1人であり、遺体は見るに堪えない状況だったと言われています。

事件から35年以上経つ現在も、事故の原因や背景には多くの謎が残されており、公表されている内容を疑問に思う方も少なくありません。

果たして4人の生存者はどのようにして事故から生き抜いたのか、また犠牲者の方の残した遺書とはどのような内容だったのか事件の真実に迫ります。

【御巣鷹山】日航機墜落事故の坂本九の遺体の状態が衝撃的!

日航機墜落事故の現場は、まさに戦場ではないかと言われるほど凄惨な光景だったそうです。

顔の無い遺体や木の枝に焼きただれた腕がぶら下がっており、肉片が散乱していたとのことです。

坂本九さんの遺体の状態も非常にひどい状態であり、遺族はショックを隠せなかったといいます。

どのようにして、無残な状態の遺体から身元を特定できたのでしょうか。

坂本九の遺体は胴体のみ?肉片が散乱して脳みそが飛び出ていた!?

日航機墜落事故で見つかった遺体の多くは、臓器が飛び出していたり全身の皮膚がめくれている状態だったり四股、頭部などが断裂していたそうです。

肉片がいたるところに散乱しており、見た人がトラウマになってしまう程ひどい状態でした。

火災により、完全に焼損した遺体や顔も判別できないほど焦げた遺体もあり、坂本九さんもその1人だったそうです。

坂本九さんの遺体は胴体のみになっており火災により黒焦げになっていた為、遺体の状態から坂本九さんの遺体が本人だと特定するのは困難を極めたようです。

墜落事故が8月ということもあり、腐敗が進むのが早かったことも身元の特定に時間を要した要因の1つでしょう。

坂本九が乗った飛行機は変更した便だった?!

坂本九さんは事故前日は広島にてラジオ収録がありました。

本来はそのあと、車で元マネージャーであり羽曳野市議員に立候補した香川弘行さんの選挙応援へ大阪へ行く予定でした。

しかし急遽代役で歌番組の司会が決まり東京へ戻ることになり、その後大阪へ向かう為搭乗したのが墜落した日航機の123便となります。

普段より全日空(ANA)に搭乗していた坂本九さんは、ギリギリまで全日空のチケットが取れず粘っていたといいます。

しかし予定変更が急であった為、全日空のチケットが取れなかったのでしょう。

もし全日空のチケットが取れていたのなら、事故に巻き込まれることも無かったと思うと悔やまれます。

発見①事故発生から2日後に発見された?

事故発生から2日後の8月14日に坂本九さんの遺体は発見されたそうです。

救援活動が開始されたのが事故発生から15時間後であり、救援活動が開始されてから1日後に坂本九さんの遺体が発見されています。

発見までに時間がかかってしまったのは、救援活動が開始されるのが遅かったことが考えらます。

救援活動が遅れた原因として、自衛隊が嘘の事故現場の情報を流していたとの噂があります。

墜落事故当初はまだ生存者がいた為、救援活動がもう少し早ければ救えた命があったかも知れません。

発見②身元特定の鍵はペンダント?

坂本九さんの遺体は火災により黒焦げになっていたり、胴体のみになっていたりと身元の確認が難しい状態だったそうです。

遺体が見つかった2日後の8月16日、家族によって身元が特定されます。

坂本九さんであることを特定できたのは、坂本九さんが肌身離さずつけていた笠間稲荷のペンダントが手がかりになったと言われています。

実は笠間稲荷のペンダントは坂本九さんにとって非常に思い入れが強い品でした。

坂本九さんは笠間稲荷神社で妻の柏木由紀子さんと結婚式を挙げており、ペンダントは夫婦にとって宝物のようなものだったことでしょう。

ペンダントは遺体の胴体に刺さっていたとされており、墜落事故でペンダントが無事だったうえペンダントのおかげて身元の特定ができたのはまさに奇跡です。

なお、坂本九さんの遺体は安全体制の格好のまま発見されたといいます。

身元が特定ができない人が多くいる中で、身元の特定ができただけでも家族は少しだけでも救われるところがあったのではないでしょうか。

坂本九は遺書を残した?

墜落前の揺れる機体の中で遺書を書いた方もいるそうですが、坂本九さんの遺書はなかったそうです。

坂本九さんが機内に持ち込んだとされるバックの中にはウォークマンが入っていましたが、その他に遺書と思われるものは見つからず、ウォークマンにはWe are the worldの楽曲のみが入っていたそうです。

不慮な事故であり遺書がないことの方が自然でしょう。

【陰謀】坂本九は事故を事前に知っていた?

一方で、坂本九さんは事故当日に家族が不思議に思うような発言や行動をしていたというエピソードがあります。

まるで事前に123便が墜落することを知っていたかのような言動だったようで、日航機墜落事故は様々な陰謀論がネット上で飛び交っていますが、坂本九さんが事前に事故を知っていたとされているのもその1つです。

どのような点が不審だったのか調べてみました。

坂本九が亡くなる事故は元々準備されていた!

事故当日の坂本九さんの発言や行動がまるで墜落事故を知っていて、墜落事故は元々準備されていたのではないかと一部で囁かれています。

  • 事故当日、坂本九さんが「今日は雲が速いから飛行機に乗りたくないんだよね」と呟いていた
  • 事故前日の坂本九さんの様子が変であった・いつもは冗談を言って家族を楽しませている坂本九さんが、娘を抱っこしてじっと目をつむっていた

事故後に”今思えば妙だった”と思うようなエピソードではありますが、SNS上では、坂本九さんの楽曲「スキヤキ」のジャケットで、坂本九さんが火薬箱に座っていることから、123便で黒焦げになる遺体が連想され、事故が元々準備されていたものではないかとも言われています。

事故当日と前日の坂本九さんの様子の真実は本人にしか分かりません。

ただ坂本九さんの楽曲のジャケットについてはこじつけに近く、後からなんとでも言えるので事故との関係性は限りなく低いと判断しても問題ないでしょう。

坂本九以外の有名人が墜落事故と関係あり!?

坂本九さん以外の有名人で墜落事故にて亡くなられた方や、墜落事故当日に体調に異変があった方がいますので紹介します。

タレントの稲川淳二さんは事故当日に立っていられなくなるほど体調が悪くなったそうで、当初123便にて大阪に帰る予定だったのを次の日に変更し、そのおかげて命拾いをしています。

しかし稲川淳二さんの友人の美容研究科の和田浩太郎さんや、宝塚歌劇団出身の北原遥子さんは123便に搭乗していた為、墜落事故に巻き込まれ帰らぬ人となりました。

そのほか、SONYの技術者も多く亡くなっています。

お笑い芸人の明石家さんまさんは、日頃から123便を利用していた為、事故当日も123便に搭乗予定でしたが一つ前の収録が早く終わったことで、123便の一つ前の便で大阪に帰ったそうです。

もし予定通りに収録が進んでいた場合、明石家さんまさんが命を落としていた可能性が高いです。

九死に一生とはこのことでしょう。

坂本九が日本航空は絶対に使わなかったワケとは?

実は日本航空は123便の墜落事故が起きる以前に、いくつもの事故を起こしています。

過去の事故の多さから坂本九さんは日本航空を嫌っており、日頃から全日空ばかり利用してたといいます。

坂本九さん以外の有名人も同様の理由で、日本航空の利用を嫌っていた人も多かったそうです。

日本航空の123便以外の主な事故を一部紹介します。

  • 三原山事故(死者37人)
  • 横津岳事故(死者68人)
  • モスクワ事故(死者62人)

引用:JALグループにおける123便以外の主な事故

事故の多さから日本航空の信用が低かったのも納得です。

過去に多くの事故があったことで現在は安全で安心な空の旅ができているのでしょう。

123便が米軍によって狙われた?

123便が墜落し米軍ヘリが墜落現場をを特定し、降下を試みるも米軍ヘリは自衛隊の要請で引き上げたそうです。

米軍ヘリが事故現場到着後に着陸していたら、米軍の救援活動が開始されてしまって日本の立場がない為、撤退させたのではないかと一部で囁かれました。

米軍は米軍横田基地への緊急着陸を承認していたこともあり、米軍が123便を狙っていた情報はなくむしろ助けようしています。

日本の自衛隊にはなにか裏があり闇を感じるという意見が今も多いようです。

【史上最悪】日航機墜落事故とは?遺体が酷くなるまでの経緯

123便が墜落するまでの機内の中の状況や、どのように墜落したのか気になる方も多いでしょう。

機内の中は乗客・乗員全員が必死に助かろうとしてる様が分かります。

墜落した原因や墜落するまでの経緯を解説します。

【1985年8月12日】日航機が御巣鷹山に墜落

1985年8月12日に発生した日航機123便の墜落事故は、航空事故の死亡者として過去最多であり乗客・乗員520人が死亡しています。

乗客・乗員は合わせて524人であり、そのうち4人は生存しています。

4人の生存者以外は即死もしくはそれに近い状況だったと言われていますが、生存者の女子中学生によれば墜落直後は父と妹は生きていたという為、救出が早ければ多くの人が救えた可能性があります。

123便は離陸約12分後の伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる頃、機体に破損が生じ操縦が不能になり32分程度迷走を続け、群馬県多野郡上野村の高天原山の屋根に墜落したとされています。

墜落の影響で機体機首部分と胴体部は焼損してしまったが、燃料の入った主翼の大半とスゲノ沢へ滑落した機体後部が損傷しなかったといいます。

機内①爆発音が響き酸素マスクを装着

操縦室音声記録装置(CVR)と生存者である非番のスチュワーデスの証言から、機内の状況を一部紹介します。

機長が「まずい、なんか爆発したぞ」と発言し、その直後にオートパイロット(自動操縦)が解除され機体の点検が行われます。

123便が緊急救難信号の無線信号を発進し、搭乗ACCはそれを受信します。

その後機体の傾きが生じたが戻らない状態になり、この時機体は垂直尾翼は垂直安定板の下半身のみを残して破壊され、様々な箇所に異常が生じます。

チーフパーサーは全スチュワーデスに対して、機内アナウンスで酸素ボトルに用意を指示しました。

爆発音が響いた直後に酸素マスクが各座席に下り、スチュワーデスの指示に従って酸素マスクとシートベルトを乗客は着用します。

機内の中はパニック状態ではなく、乗客は冷静さを欠いていたような感じではなかったようです。

しばらくすると酸素が切れ次第に揺れが強くなり、スチュワーデスが立っていられない状態になり、救命胴衣の着用が指示されます。

機内②不時着の姿勢!遺書を書く人も?

時間が経つにつれ機体の状況は悪化し、機長が「これはもうだめかも分からんね」と発言し山岳地帯上空へと迷走していきます。

一方乗客は前席に両手を重ね合わせて頭部を抱え込むようにして、不時着に備えた姿勢をとっています。

乗客の中には家族へ遺書を書く人も複数いたそうです。

自分の命の危機である状況の中で遺書を書く人は相当な決心であり、最後になってしまうかもしれないと覚悟を決めての行動だったことがわかります。

その後も機長、副操縦士、航空機関士の会話が頻繁になり、いろいろ試すも機長の「もうダメだ」と聞き取れる叫び声直後に墜落したと思われ、フライトレコーダとボイスレコーダーの記録は終了します。

日航機墜落事故の原因は機体の疲労?

123便は16000時間にわたる飛行をつづけたことで機体が疲労していたり、過去に伊丹空港で航空機同士のしりもち事故が起きたことによりボーイング社にて機体の修理が行われています。

修理の為アメリカのボーイング社より修理担当職員が派遣され、羽田整備工場にて修理が行われていたが、修理ミスがありその影響で墜落事故が起きたとされています。

後部圧力隔壁を修理した際、上下アルミ合金膜を張り合わせるリベットを1列しか打っていなかったのです。

修理ミスについてボーイング社は認めており、整備士数人が書類送検されています。

ボーイング社の修理ミスが根本原因ですが、日本航空は日常の点検や整備に手落ちがあったとことを認めています。

日常の点検や整備をもっと厳重にしていれば、事故を未然に防げた可能性があるでしょう。

坊主頭のタブー少年は殺された?真相が黒い?

救出活動の写真で坊主頭の少年が自衛隊に抱き抱えられ、救出されている姿が映っています

当時現場からの生放送でアナウンサーが「今12、3歳の少年が救出され自衛隊員に担がれ尾根に向かいました。まもなく自衛隊のヘリコプターで救出されるものと思われます」と坊主頭の少年が自衛隊により救出される様子を実況しています。

誰しも少年は助かったと思いましたが、報道された生存者4人の中に男性はいなかった為、タブーとされる少年がいると、話題になりこの少年はタブー少年と言われています。

タブー少年が自衛隊に抱き抱えられた時には息を引き取っていたのか、救出された後に亡くなったのか真実は分かりません。

どちらにしてもなぜ助かったと思われた少年についての報道がなかったのか違和感を感じている人が多く、タブー少年は謎につつまれています。

生存者4人はなぜ助かった?スチュワーデスは?

生存者4人の名前と事故当時の年齢をまとめました。

  • 落合由美(26歳)
  • 川上慶子(12歳)
  • 吉崎博子(34歳)
  • 吉崎美紀子(8歳)

生存者4人のうち1人は非番のスチュワーデスだったそうです。

生存者4人が乗っていた場所は機体の後部座席であり火災が発生していなかったことが、生存できた一つの要因だと言われています。

しかし火災が発生していない場所に乗っていた乗客の大半が亡くなっていることから、なぜ助かったのかは分かりません。

生存した人は運がよかったというのが正解でしょうか。

自衛隊に生存者が殺された!?

日航機墜落事故は陰謀説など様々な噂があります。

その中でも生存者が自衛隊に殺された噂が話題を集めています。

123便が墜落した際の当時のニュースで自衛隊によって生存者が殺されたかのように見える報道がありました。

その内容が待機命令を無視して救出に行こうとした隊員を射殺といったテロップがNHKにて流れたという内容です。

その後テロップは誤報と発表されましたが、誤報でそのようなテロップが流れることがあるのか疑問を感じるところですよね。

また、現場ではガソリンの匂いがしていたという証言がありましたが、ガソリンは航空事故では一般的に使用されません。

自衛隊が使用している火炎放射器はガソリンとタールを混合したゲル状燃料であることから、隠蔽の為に生存者を火炎放射器で燃やしたのではないかと噂されています。

事故現場はいろいろな匂いが混じっていた為、ガソリンのような匂いがしていても不思議ではない為、自衛隊が火炎放射器を使用したのかは定かではありません、

いずれも都市伝説的な噂であり信憑性はありませんが、自衛隊によって生存者が殺された可能性があると噂されています。

5年ぶりに再現VTRが放送!新事実も発覚?

2023年11月14日の「ザ!世界仰天ニュース」にて、5年ぶりともなる日航機事故の再現VTRが放送されました。

番組では新事実として、圧力隔壁の修理ミスにより内部の空気が一気に尾翼内側に入り込み、機体が破壊されたのが事故の原因だったのではないかと結論付けています。

しかし視聴者からは、「事故の原因は圧力隔壁じゃないとさんざん検証されてるのにおかしい」「不都合な真実があるのではないか」と事故の原因についての説明を疑問に思う声も上がっています。

果たして、全ての真実が明らかになる日は来るのでしょうか。

日航機墜落事故は謎が多く坂本九の遺体も凄惨な状態だった

日航機123便墜落事故では、坂本九さんの遺体含め墜落事故で亡くなった人の遺体はひどい有様であり、史上最悪の航空事故であったことは間違いないでしょう。

またタブーとされる少年であったり、自衛隊により生存者が殺されたりとう不穏な噂から、事故の裏になにか隠されているという疑惑がぬぐえません。

二度とこのような事故が起きないことを願うばかりです。