【史上最悪】日航機墜落事故の坂本九の遺体が衝撃的!遺書はアルバムに残されていた!

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史上最悪と言われる航空事故の中で、日航機墜落事故があげられます。

520人が死亡し生存者はわずか4人とほとんどの乗客・乗員がなくなっています。

4人の生存者はなぜ助かったのか気になりますよね。

亡くなった方の中には歌手の坂本九さんがいて、その他にも有名人が事故に巻き込まれ亡くなっています。

事故の裏には自衛隊に生存者が殺されたとの噂もあり、事件の真実にせまっていきます。

日航機墜落事故の坂本九の遺体の状態が衝撃的!

日航機墜落事故の現場はまさに戦場ではないかと言われるほど無惨な光景だったそうです。

顔の無い遺体や木の枝に焼きただれた腕がぶら下がっており、肉片が散乱していたとのことです。

坂本九さんの遺体の状態も非常にひどい状態であり、遺族はショックを隠せないものです。

そんな状態の遺体から身元を特定できた理由がありますので紹介します。

坂本九の遺体は胴体のみ?肉片が散乱していた!

日航機墜落事故で見つかった遺体の多くは、臓器が飛び出していたり全身の皮膚がめくれている状態ものや四股、頭部などが断裂していたそうです。

肉片がいたるところに散乱しており、見た人がトラウマになってしまう程ひどい状態といいます。

火災により完全に焼損した遺体や顔も判別できないほど焦げた遺体もあり、坂本九さんもその1人だったそうです。

坂本九さんの遺体が胴体のみになっており火災により黒焦げになっていた為、遺体の状態から坂本九さんの遺体が本人だと特定するのは困難を極めたようです。

坂本九さんの遺体は安全体制の格好のまま発見されたといいます。

墜落事故は8月ということもあり腐敗が進むのが早かったことも、身元の特定に時間を要した要因の一つです。

遺体の状態から事故の規模の大きさが分かります。

坂本九が乗った飛行機は変更した便だった?!

坂本九さんは事故の前日は広島にてラジオ収録があり本来はその後、車で元マネージャーであり羽曳野市議員に立候補した香川弘行さんの応援へ大阪へ行く予定でした。

しかし急遽代役で歌番組の司会をする為、東京へ戻りその後大阪へ向かう為搭乗したのが墜落した日航機の123便となります。

全日空のチケットは先方が用意したものであり、坂本九さんはギリギリまで全日空のチケットが取れず粘っていたそうです。

急遽のことであった為、全日空のチケットが取れなかったことが考えられます。

全日空のチケットが取れていたら事件に巻き込まれることはなかったでしょう。

発見①事故発生から2日後に発見された?

事故発生から2日後の8月12日に坂本九さんの遺体は発見されたそうです。

救援活動が開始されたのが事故発生から15時間後であり、救援活動が開始されてから1日後に坂本九さんの遺体が発見されています。

発見までに時間がかかってしまったのは、救援活動が開始されるのが遅かったことが考えらます。

救援活動が遅れた原因として、自衛隊が嘘の事故現場の情報を流していたとの噂があります。

墜落事故当初はまだ生存者がいた為、救援活動がもう少し早ければ救えた命があったかも知れません。

発見②身元特定の鍵はペンダント?

坂本九さんの遺体は火災により黒焦げになっていたり、胴体のみになっていたりと身元の確認が難しい状態だったそうです。

遺体が見つかった2日後の8月16日に家族によって身元が特定されます。

身元特定の決め手となったのが坂本九さんが肌身離さずつけていた笠間稲荷のペンダントであり、ペンダントは遺体の胴体に刺さっていたとされています。

笠間稲荷のペンダントは坂本九さん夫婦にとって非常に思入れが強い品であり、笠間稲荷神社で妻の柏木由紀子さんと結婚式を挙げています。

墜落事故でペンダントが無事であり、ペンダントのおかげて身元の特定ができたのはまさに奇跡です。

身元が特定ができない人が多くいる中で、身元の特定ができただけでも家族は少しだけでも救われるところがあったのではないでしょうか。

坂本九は遺書を残した?

墜落前の揺れる機体の中で遺書を書いた方もいるそうですが、坂本九さんの遺書はなかったそうです。

坂本九さんが機内に持ち込んだとされるバックの中には、ウォークマンが入っていましたがその他に遺書と思われるものは見つからず、ウォークマンにはWe are the worldの楽曲のみが入っていたそうです。

不慮な事故であり遺書がないことの方が自然でしょう。

【陰謀】坂本九は事故を事前に知っていた?

坂本九さんは事故当日に家族が不思議に思うような発言や行動をしています。

事前に123便が墜落することを知っていたかのような言動です。

日航機墜落事故は様々な陰謀論がネット上で飛び交っており、坂本九さんが事前に事故を知っていたされているのがその一つです。

その理由について解説します。

坂本九が亡くなる事故は元々準備されていた!

事故当日の坂本九さんの発言や行動がまるで墜落事故を知っていて、墜落事故は元々準備されていたのではないかと一部で囁かれています。

事故当日坂本九さんが「今日は雲が速いから飛行機に乗りたくないんだよね」と呟いていたそうです。

また事故前日の坂本九さんの様子が変であり、いつもは冗談を言って家族を楽しませている坂本九さんが娘を抱っこして目をつむっていたそうです。

事故当日と前日の坂本九さんの様子から、まるで事故を知っていたかのように見えます。

SNS上では坂本九さんの楽曲スキヤキのジャケットで坂本九さんが火薬箱に座っていることから、123便で黒焦げになる遺体が連想され、事故が元々準備されていたものではないかと言われています。

事故当日と前日の坂本九さんの様子の真実は本人にしか分かりません。

坂本九さんの楽曲のジャケットについてはこじつけであり、後からなんとでも言えるので事故との関係性は限りなく低いと判断しても問題ないでしょう。

坂本九以外の有名人が墜落事故と関係あり!?

坂本九さん以外の有名人で墜落事故にて亡くなられた方や、墜落事故当日に体調に異変があった方がいますので紹介します。

タレントの稲川淳二さんは事故当日に立っていられなくなるほど体調が悪くなったそうで、当初123便にて大阪に帰る予定でしたが次の日に変更したそうです。

そのおかげて命拾いしています。

その稲川淳二さんの友人の美容研究科の和田浩太郎さんや、宝塚歌劇団出身の北原遥子さんは123便に搭乗していた為、墜落事故に巻き込まれ帰らぬ人となっています。

有名人ではないですがSONYの技術者も多く亡くなったとか。

九死に一生とはこのことでお笑い芸人の明石家さんまさんは日頃から123便を利用していた為、事故当日も123便に搭乗予定でしたが一つ前の収録が早く終わったことで、123便の一つ前の便で大阪に帰ったそうです。

もし予定通りに収録が進んでいた場合、明石家さんまさんが命を落としていた可能性が高いです。

坂本九が日本航空は絶対に使わなかったワケとは?

日本航空は123便の墜落事故が起きる以前に、いくつもの事故を起こしています。

過去の事故の多さから坂本九さんは日本航空を嫌っており、日頃から全日空ばかり利用しています。

坂本九さん以外の有名人も同様の理由で、日本航空の利用を嫌っていた人も多かったそうです。

日本航空の123便以外の主な事故を一部紹介します。

・三原山事故(死者37人)

・横津岳事故(死者68人)

・モスクワ事故(死者62人)

引用:JALグループにおける123便以外の主な事故

事故の多さから日本航空の信用が低かったのも納得です。

過去に多くの事故があったことで現在は安全で安心な空の旅ができているのでしょう。

123便が米軍によって狙われた?

123便が墜落し米軍ヘリが墜落現場をを特定し、降下を試みるも米軍ヘリは自衛隊の要請で引き上げたそうです。

米軍ヘリが事故現場到着後に着陸していたら、米軍の救援活動が開始されてしまって日本の立場がない為、撤退させたのではないかと一部で囁かれています。

米軍は米軍横田基地への緊急着陸を承認していたこともあり、米軍が123便を狙っていた情報はなくむしろ助けようしています。

日本の自衛隊にはなにか裏があり闇を感じます。

【史上最悪】日航機墜落事故とは?遺体が酷くなるまでの経緯

123便が墜落するまでの機内の中の状況や、どのように墜落したのか気になると思います。

機内の中は乗客・乗員全員が必死に助かろうとしてる様が分かります。

墜落した原因や墜落するまでの経緯を解説します。

【1985年8月12日】日航機が御巣鷹山に墜落した

1985年8月12日に発生した日航機123便の墜落事故は、航空事故の死亡者として過去最多であり乗客・乗員520人が死亡しています。

乗客・乗員は合わせて524人であり、そのうち4人は生存しています。

4人の生存者以外は即死もしくはそれに近い状況だったと言われていますが、生存者の女子中学生によれば墜落直後は父と妹は生きていたという為、救出が早ければ多くの人が救えた可能性があります。

123便は離陸約12分後の伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる頃、機体に破損が生じ操縦が不能になり32分程度迷走を続け、群馬県多野郡上野村の高天原山の屋根に墜落したとされています。

墜落の影響で機体機首部分と胴体部は焼損してしまったが、燃料の入った主翼の大半とスゲノ沢へ滑落した機体後部が損傷しなかったといいます。

機内①爆発音が響き酸素マスクを装着

操縦室音声記録装置(CVR)と生存者である非番のスチュワーデスの証言から、機内の状況を一部紹介します。

機長が「まずい、なんか爆発したぞ」と発言し、その直後にオートパイロット(自動操縦)が解除され機体の点検が行われます。

123便が緊急救難信号の無線信号を発進し、搭乗ACCはそれを受信します。

その後機体の傾きが生じたが戻らない状態になり、この時機体は垂直尾翼は垂直安定板の下半身のみを残して破壊され、様々な箇所に異常が生じます。

チーフパーサーは全スチュワーデスに対して、機内アナウンスで酸素ボトルに用意を指示します。

爆発音が響いた直後に酸素マスクが各座席に下り、スチュワーデスの指示に従って酸素マスクとシートベルトを乗客は着用。

機内の中はパニック状態ではなく、客は冷静さを欠いていたような感じではなかったようです。

しばらくすると酸素が切れ次第に揺れが強くなり、スチュワーデスが立っていられない状態になり、救命胴衣の着用が指示されます。

機内②不時着の姿勢!遺書を書く人も?

時間が経つにつれ機体の状況は悪化し、機長が「これはもうだめかも分からんね」と発言し山岳地帯上空へと迷走していく。

一方乗客は前席に両手を重ね合わせて頭部を抱え込むようにして、不時着に備えた姿勢をとっています。

乗客の中には家族へ遺書を書く人も複数いたそうです。

自分の命の危機である状況の中で遺書を書く人は相当な決心であり、最後になってしまうかもしれないと覚悟を決めての行動だったことがわかります。

その後も機長、副操縦士、航空機関士の会話が頻繁になり、いろいろ試すも機長の「もうダメだ」と聞き取れる叫び声直後に墜落したと思われ、フライトレコーダとボイスレコーダーの記録は終了します。

日航機墜落事故の原因は機体の疲労?

123便は16000時間にわたる飛行をつづけたことで機体が疲労していたり、過去に伊丹空港で航空機同士のしりもち事故が起きたことによりボーイング社にて機体の修理が行われています。

修理の為アメリカのボーイング社より修理担当職員が派遣され、羽田整備工場にて修理が行われていたが、修理ミスがありその影響で墜落事故が起きたとされています。

後部圧力隔壁を修理した際、上下アルミ合金膜を張り合わせるリベットを1列しか打っていなかったのです。

修理ミスについてボーイング社は認めており、整備士数人が書類送検されています。

ボーイング社の修理ミスが根本原因ですが、日本航空は日常の点検や整備に手落ちがあったとことを認めています。

日常の点検や整備をもっと厳重にしていれば、事故を未然に防げた可能性があります。

命を預かっている仕事にもっと責任感を持ってほしいものです。

坊主頭のタブー少年は殺された?真相が黒い?

救出活動の写真で坊主頭の少年が自衛隊に抱き抱えられ、救出されている姿が映っています

当時現場からの生放送でアナウンサーが「今12、3歳の少年が救出され自衛隊員に担がれ尾根に向かいました。まもなく自衛隊のヘリコプターで救出されるものと思われます」と坊主頭の少年が自衛隊により救出される様子を実況しています。

誰しも少年は助かったと思いましたが、報道された生存者4人の中に男性はいなかった為、タブーとされる少年がいると、話題になりこの少年はタブー少年と言われています。

タブー少年が自衛隊に抱き抱えられた時には息を引き取っていたのか、救出された後に亡くなったのか真実は分かりません。

どちらにしてもなぜ助かったと思われた少年についての報道がなかったのか違和感を感じている人が多く、タブー少年は謎につつまれています。

生存者4人はなぜ助かった?スチュワーデスは?

生存者4人の名前と事故当時の年齢をまとめました。

・落合由美(26歳)

・川上慶子(12歳)

・吉崎博子(34歳)

・吉崎美紀子(8歳)

生存者4人のうち1人は非番のスチュワーデスだったそうです。

生存者4人が乗っていた場所は機体の後部座席であり火災が発生していなかったことが、生存できた一つの要因だと言われています。

しかし火災が発生していない場所に乗っていた乗客の大半が亡くなっていることから、なぜ助かったのかは分かりません。

生存した人は運がよかったというのが正解でしょうか。

自衛隊に生存者が殺された!?

日航機墜落事故は陰謀説など様々な噂があります。

その中でも生存者が自衛隊に殺された噂が話題を集めています。

123便が墜落した際の当時のニュースで自衛隊によって生存者が殺されたかのように見える報道がありました。

その内容が待機命令を無視して救出に行こうとして隊員を射殺といったテロップがNHKにて流れました。

その後テロップは誤報と発表されましたが、誤報でそのようなテロップが流れることがあるのか疑問を感じるところです。

また現場ではガソリンの匂いがしていた証言があり、ガソリンは航空事故では一般的に使用されせん。

自衛隊が使用している火炎放射器はガソリンとタールを混合したゲル状燃料であることから、隠蔽の為に生存者を火炎放射器で燃やしたのではないかと噂されています。

事故現場はいろいろな匂いが混じっていた為、ガソリンのような匂いがしていても不思議ではない為、自衛隊が火炎放射器を使用したのかは定かではありません、

いずれも都市伝説的な噂であり信憑性はありませんが、自衛隊にて生存者が殺された可能性があります。

日航機墜落事故は謎が多く坂本九の遺体は黒焦げだった

日航機墜落事故はタブー少年であったり、自衛隊により生存者が殺されたりと事故の裏になにか隠されていそうです。

真実は分かりませんがまた同じような事故が起きないか心配になります。

坂本九さんの遺体含め墜落事故で亡くなった人の遺体はひどい有様であり、史上最悪の航空事故であったことは間違いないので二度とこのような事故が起きないことを願うばかりです。

ご冥福をお祈りします。