吉永小百合さんといえば、日本を代表する有名な女優さんです。
現在78歳の吉永小百合さんは、1973年に岡田太郎さんと結婚しています。
歳の差婚だったこともあり、吉永小百合さんの旦那さんは現在何歳なのか・旦那さんはどのような方なのか気になっている人が多いようで、「吉永小百合さんの旦那さんは元気ですか」という質問もあがっているようです。
死亡説も浮上していますが、噂になっている吉永小百合さんの旦那さんについて詳しく紹介していきます!
目次
【Q&A】吉永小百合の旦那さんは元気ですか?
吉永小百合さんの旦那さん岡田太郎さんは、元々「文化放送」や「フジテレビ」の社員でプロデューサーなどとしても活躍していた人物です。
かつて岡田太郎さんと吉永さんが交際した時は、岡田さんがバツイチだったこともあり吉永さんの両親は結婚に大反対でした。
しかし、吉永さんは両親の反対を押し切って結婚することを決めたのです。
そんな岡田太郎さんは現在93歳、仕事は引退しており、のんびりと過ごしているとのこと。
趣味である料理を作ってくれたり、二人でワインを飲んで過ごしたりしているようです。
岡田太郎さんは、2014年に重い肝臓疾患を患い危篤になったこともあったので、死亡説が浮上したのかもしれません。
自宅をバリアフリーにするなど、高齢者用の住宅に改造、現在奇跡的に回復した岡田太郎さんは、吉永小百合さんと穏やかに暮らしているといわれています。
吉永小百合の旦那・岡田太郎の現在!93歳で同居生活?
吉永小百合さんと岡田太郎さんが結婚された時、吉永さんは女優として全盛期だったこともありかなりの衝撃があったようです。
岡田太郎さんはどのような人物で、現在何をされているかも解説していきます。
また、死亡説が出てしまった理由についても併せて調査しました。
吉永小百合の旦那さん(岡田太郎)は93歳?
吉永小百合さんと結婚された時に15歳年上ということで、歳の差婚でかなり話題になったようです。
現在、吉永さんが78歳なので岡田太郎さんの年齢は93歳であると推測できます。
Twitterでは岡田太郎さんの誕生日(1930年)までわかる情報がありました。
今日7月20日のお誕生日は、
1914年#杉浦清 (野球(内野手・監督))
1915年#景浦將 (野球(投手))1965年野球殿堂
1930年#岡田太郎 (テレビプロデューサー,吉永小百合の夫)
1937年#緒形拳 (俳優)
1938年#ナタリー・ウッド (米:女優『ウエストサイド物語』)
1949年#間寛平 (コメディアン)
— うえもっちゃん。 (@uegonchan) July 19, 2021
生年月日の情報が正しければ、現在93歳という事になります。
90年以上も元気でいられることは平均寿命が上がった日本でもとてもすごいことです。
ぜひこれからも長生きしてほしいですね。
岡田太郎は現在肝臓の病気で危篤状態に!
実は岡田さんは2014年に肝臓の重い病気にかかり、一時危篤状態になったとニュースになったようです。
その後、吉永さんの献身的な看病により岡田さんは無事に退院されています。
岡田さんの体力を考え、退院後に吉永さんは自宅をバリアフリーに改装したようです。
吉永小百合と岡田太郎に子供がいない理由が衝撃?
吉永さんと岡田さんの間に子供はいません。
吉永さんは結婚後、主婦業に専念するために1年間だけ女優業を休業しています。
休業するにあたって吉永さんは、「もう一度人間らしい生活をしたいと思った」とコメントしていました。
もしかしたら、このタイミングで子供を欲しいと思っていたのかもしれません。
しかし、吉永さんは自分が子供を育てる自信がないとも言っていました。
それはご自身が両親から溺愛され、過剰な執着や束縛を受けていたため自分が子供を産んでも同じように接してしまうかもしれないという恐れがあったからです。
吉永小百合が子供を作らないのは、自分の親子関係の経験から、良好な親子関係を築ける自信がないからと言っていましたね。親子、兄弟、血が繋がっているだけに深刻になるんですね。
— 岩浪 満 (@kawahagi0) May 30, 2011
SNSでも吉永さんの考えに共感している方が多くいました。
2018年の取材では、「映画と一緒に年を重ねていけたらいい。映画たちが私の子供です」とコメントされています。
年月を経て、女優業に専念したことが自分の誇りだと伝えているようにも感じます。
岡田太郎に現在死亡説が出ている?
先程、岡田さんが一度危篤状態になったことを伝えましたが、それ以降のことが報道されていないため一部ではもう亡くなっているのではないかと噂されているようです。
しかし、吉永さんと岡田さんの目撃情報もあるようなので死亡説は本当ではないでしょう。
現在の年齢が93歳とご高齢なので、病状が悪化していないか心配なところです。
岡田太郎は共同TV社長を引退!
岡田太郎さんが吉永さんと出会った時は、フジテレビのディレクターでした。
その後、フジテレビを退職し、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任していますが、現在は引退されています。
岡田さんが引退されてからの夫婦生活について吉永さんは「料理をしてくれるようになって、楽になりました」と笑って語っていました。
元々料理が趣味という岡田太郎さんは、よくワインに合う料理を作ってくれていたようです。
吉永小百合と岡田太郎はマンションで生活!
先程、吉永さんが岡田さんのために家を改装していると記載しましたが、改装している間に吉永さんは別のマンションを購入されたという情報があります。
吉永さんは新しいマンションを拠点に仕事をし、岡田さんは体力が衰えていたため改装したバリアフリーのマンションで生活していたとのこと。
別居という形になった訳ですが、互いのマンションは車で20分程の距離だったようで吉永さんは度々岡田さんのマンションに訪れていたようです。
現在は再び同じマンションで一緒に暮らしているといわれています。
吉永小百合と夫・岡田太郎の馴れ初めが感動!
吉永小百合さんと岡田太郎さんの年の差は15歳。
そんな二人が出会ったのは吉永小百合さん19歳、岡田太郎さん34歳の時です。
しかし、当時は結婚どころか交際という雰囲気もありませんでした。
それどころかその後、吉永小百合さんは故・渡哲也さんと交際をしています。
吉永小百合さんと岡田太郎さんの馴れ初めや結婚には、感動のストーリーが隠されていました。
吉永小百合と渡哲也が破局!
1966年映画「愛と死の記録」で共演した吉永小百合さんと渡哲也さん。
交際をはじめた二人は3年後には結婚を視野に入れていたといわれています。
しかし周囲からは反対され、特にマネージャーも兼任していた吉永小百合さんの両親はイメージが壊れると猛反対したといわれています。
また、渡哲也さんの両親も「結婚したら女性は家庭に入るべき」と仕事を辞めることを希望していたようで、結局二人は周囲によって破局へ導かれてしまいました。
つらい過去がある二人ですが、時代を経てCMやドラマなどで共演をしていました。
結婚👰♀️🤵♂️寸前だったのよ
人生いろいろです渡哲也👘吉永小百合 pic.twitter.com/30YWiV0WuH
— らうおう2 (@am_kydi) January 23, 2022
時代を感じさせる破局のエピソードではないでしょうか。
岡田太郎が吉永小百合にアタック?
岡田太郎さんは、ドキュメンタリー「若いヨーロッパ」という番組で当時19歳の吉永小百合さんに同行しています。
岡田太郎さんは、渡哲也さんとの交際や破局を身近で見ていたという事になるのです。
一方、吉永小百合さんは破局後のストレスから声が出ない、という病気にかかり精神的にも苦しい時間を過ごすことになってしまいました。
この時、親身になって彼女を支えていたのが岡田太郎さんなのです。
どうすれば元気になるのか、声が出せるようになるのか必死に治療方法を探してくれたといいます。
結婚の決め手は、自分を支えてくれる存在の大きさに気が付いたことではないでしょうか。
岡田太郎さんは全てを受け入れたうえで、結婚を申し込んだのでしょう。
吉永小百合さんの結婚時のコメントには「自分を救うため」という言葉が含まれていたようです。
この言葉通り、この結婚によって声も回復し、1年間の休業を経て彼女は女優への復活を遂げています。
吉永小百合と岡田太郎の結婚で両親と険悪に?
1973年、吉永小百合さんと岡田太郎さんは結婚、京王プラザホテルで披露宴を行いました。
しかしこの結婚にも、彼女の両親は欠席していました。
娘の結婚式をボイコットするほど両親は猛反対していたようで、メディアでも確執が大きく取り上げられたのです。
実はこの時、結婚相手の岡田太郎さんはバツイチで、そのことで結婚を猛反対していた両親。
そんな両親を振り払うように、強引に結婚式を挙げたといわれています。
結婚によって険悪な関係になってしまいましたが、その後は仲のいい親子に戻ったようで、後年彼女は父親を「優しい人」と語っており、母親を「自分のことをいつも心配していた」と語っています。
いつも穏やかに見える吉永小百合さんですが、熱い情熱を感じるエピソードではないでしょうか。
吉永小百合さんと旦那さんは支えあって生きている
出会った頃、吉永さんが辛かった時期には岡田さんに支えられていて、岡田さんが病気を患い大変な時には吉永さんが献身的に看病しています。
一緒に辛い時期を支え合えたからこそ、現在は穏やかに日々を過ごしていていてほしいです。
吉永さんが女優として輝き続けていられるのは、岡田さんの支えがあるからこそなのかもしれません。
実際、吉永さんは結婚していなければ女優業を続けられていなかったと語っていました。