2021年2月21に死刑執行された高根沢智明とはどういった人物なのでしょうか。
高根沢智明は無職で借金もあり、遊ぶ金欲しさに殺人と強盗を繰り返した凶悪事件です。
凶悪な犯罪にもかかわらずあまり報道されることもなかった事件について解説します。
目次
高根沢智明に死刑執行!何の罪で死刑になったのか?
高根沢智明(たかねざわともあき)は2021年2月21日に死刑が執行されました。
死刑執行時のニュースに取り上げられましたが、逮捕された時はほとんど報道されることがなく、世間にあまり知られていない事件です。
高根沢智明が主犯とされている群馬パチンコ店員連続殺人事件について詳しく解説します。
高根沢智明は強盗殺人や死体遺棄などの罪で死刑確定
高根沢智明(当時36歳)は群馬県にある2軒のパチンコ店から金を盗むために殺人や死体遺棄などの犯罪を繰り返していました。
当時の高根沢は無職で150万円の借金があり、遊ぶ金欲しさに元同僚の小野川光紀(おのがわみつのり当時25歳)と共謀して犯行を計画したのです。
わずか1か月ほどの間に起こったふたつの事件は同じ手口で、犯行から約4ヶ月後に高根沢と小野川は逮捕されふたりとも死刑が確定しました。
群馬パチンコ店員連続殺人事件とは?
群馬パチンコ店員連続殺人事件とは高根沢智明と小野川光紀が共謀して、群馬県にある2軒のパチンコ店で発生した連続殺人事件です。
最初の犯行現場となった「パーラーマリーン」は高根沢の元職場で、2003年3月に元同僚の男性をロープを使って絞殺、福川の「さすなべ排水門」に遺体を遺棄して店の売上金300万円を盗みました。
パーラーマリーンの事件から1か月ほど経った4月、高根沢と小野川が再び群馬県太田市のパチンコ店「タイガージャンボ」で同じ手口で殺害、遺棄しましたが売上金を奪うことは失敗しています。
同じようなふたつの手口からパチンコ店の事情に詳しい人物の犯行として捜査を開始したところ、高根沢智明が容疑者として浮上し7月20日に共謀した小野川光紀とともに逮捕されました。
事件発生から逮捕されるまでの流れを以下にまとめます。
- 2003年2月23日 午前1時ころ「パーラーマリーン」で従業員殺害、売上金300万円奪う
- 3月18日 遺体発見
- 4月1日 午前2時ころ「タイガージャンボ」で従業員殺害、売上金は盗めなかった
- 4月4日 遺体発見
- 7月20日 高根沢と小野川が逮捕される
高根沢智明は「死んでお詫びしたい」と発言
高根沢智明と小野川光紀のあまりにも身勝手で非人道的な行動の更生は不可能として、裁判所は死刑を言い渡します。
弁護側は起訴事実は認めても死因は溺死だと主張しますが、首の骨が折れたことによる窒息死であることが証明されているため、高根沢と小野川の判決は変わりませんでした。
死刑判決に対して高根沢と小野川は即日控訴しますが、高根沢は同じ日に出廷を拒否して控訴を取り下げます。
弁護人によれば、高根沢は精神的に不安定な状態になっており「死んでお詫びしたい」「裁判を続けても結果が見えている」などと話したということです。
弁護側は高根沢の精神状態が不安定だったため控訴取り下げの無効を主張しますが、東京高等裁判所は無効は認めず、控訴取り下げは有効と判断します。
死刑執行1週間前に高根沢智明から手紙が届く?
東京拘置所で拘留中だった高根沢智明からとある人物に手紙を書いていました。
誰に宛てた手紙なのか不確かな情報ですが、死刑囚が手紙を送る事ができるのは家族や弁護士などごく限られた人物と決まっています。
高根沢から手紙が届いたわずか1週間後に死刑が執行されたのです。
手紙の内容は、現金の差し入れを受けたときに渡すお礼状で事務的な内容でしたが、高根沢本人も手紙を出した1週間後に死刑が執行されると想像していたでしょうか。
2021年2月に死刑が執行するまでの時系列は以下の通りです。
- 2006年 6月 6日 高根沢智明 死刑確定
- 9月 9日 小野川光紀 死刑確定
- 2021年 12月14日 高根沢の手紙がある人物あてに届く
- 12月17日 法務大臣が執行命令書にサイン
- 12月21日 高根沢、小野川の死刑執行
死刑囚高根沢智明の素顔を調査!生い立ちや家族は?
死刑囚高根沢智明はどのような家庭で育ったのでしょうか。
生い立ちや家族について、高根沢の素顔について調査しました。
高根沢智明の生い立ちや家族について
高根沢智明について、事件当初は群馬県太田市東矢島町に住んでいると報道されました。
ネット上には「神奈川県出身」「群馬県太田市東矢島町の貸家には今も奥さんが住んでいる」「離婚歴がある」などありますが、いづれも不確かな情報です。
群馬パチンコ店員連続殺人事件は犯人の逮捕時と死刑執行時の報道以外ほとんど情報がなく、高根沢の顔写真もありませんでした。
高根沢智明はパチンコ店に勤務していた
高根沢智明と共犯者の小野川光紀は、同じパチンコ店に勤務していた同僚です。
事件の7年前の1996年に高根沢と小野川は、最初の事件があったパーラーマリーンの近くにある系列店で働いていたことがわかっています。
群馬パチンコ店員連続殺人事件
1件目の事件のあったパチンコ店の近くにある系列店で事件の2ヶ月前まで働いてた。
当該店の班長の話とかもあったらしい…死刑囚3人の刑執行 岸田内閣で初 執行は2年ぶり|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト https://t.co/Lzr88IRlti
— 赤堀パンクロッカー (@akabori_pr795) December 21, 2021
さらに高根沢は最初の事件現場のパーラーマリーンに1996年2月から9月まで勤務していました。
高根沢智明には借金150万があった
事件当初、高根沢智明には借金が150万円ありました。
群馬パチンコ店連続殺人事件は遊ぶ金欲しさの犯行とされています。
高根沢の借金も欲望のまま遊び倒した果ての150万円でした。
ただ楽をして大金を手にするためだけに、恨みもなければ何の罪もない2人が犠牲になってしまったのです。
群馬パチンコ店員連続殺人事件がほとんど報道されない理由
群馬パチンコ店員連続殺人事件は極めて凶悪な犯罪にも関わらず、ほとんど報道されませんでした。
報道されなかったには、ある「理由」があるのです。
理由① 犯人の顔写真が一般公開されていない
群馬パチンコ店員連続殺人事件は2人の犠牲者が出た凶悪な犯罪にもかかわらず、高根沢智明と小野川光紀の顔写真が公開されていません。
犯人の顔写真が公開される理由は、マスコミが報道した際に撮影したものが使用されるからです。
群馬パチンコ店員連続殺人事件がマスコミに注目されなかった理由は、同時期に「熊谷4人殺傷事件」があり注目が一気に薄れたことが原因です。
理由② 直後の熊谷男女4人殺傷事件の方が残虐だった
2003年7月に発覚した群馬パチンコ店員連続殺人事件の直後である8月に熊谷男女4人殺傷事件がありました。
この事件は妻子持ちの犯人が、不倫相手であった未成年の家出少女にけしかけられ、少女の同居人男性を殺害、殺害された男性の同僚女性ら3人を拉致暴行する残虐な事件です。
拉致され暴行を受けた1人が死亡、残りの2人が助かったという報道を知った犯人はさらに搬送先の病院まで行って口封じのため殺害を計画したと言います。
極めて残虐な事件が起こったことが原因で、群馬パチンコ店員連続殺人事件の存在は影にかくてれてしまいました。
群馬パチンコ店員連続殺人事件に対する世間の反応は?
凶悪な犯罪にもかかわらず、ほとんど注目されなかった群馬パチンコ店員連続殺人事件ですが、世間の反応も薄い印象です。
覚えてない、知らない、死刑執行のニュースで知ったなどの意見が多くありました。
高根沢と小野川の死刑執行日も、2004年に起きた「加古川7人刺殺事件」の犯人「藤代康孝」の死刑が同日に執行されています。
加古川7人刺殺事件は知っているけど群馬パチンコ店員連続殺人事件は知らないと言った声が大半を占めました。
藤城康孝はわかるけど、群馬パチンコ店殺人事件って覚えてない
— しまさん (@kafun_boy) December 21, 2021
高根沢智明の死刑執行は世間の関心以上に残酷で身勝手な事件
高根沢智明死刑囚について、群馬パチンコ店員連続殺人事件をまとめました。
マスコミは新しく、派手な事件を好みます。
群馬パチンコ店員連続殺人事件については世間にあまり知られることなく、高根沢智明と共犯者の小野川光紀の死刑が執行されました。
殺人は決して許される行為ではありませんが、死刑が執行されると必ずと言っていいほど死刑の可否について話題があがります。
残念ながら凶悪な事件は発生してしまい、死刑執行が犯罪の抑止力になっていないことは明白なのです。