【フジファブリック・志村正彦】死因と最後の写真が衝撃的!?激痩せも原因?

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2004年にメジャーデビューを果たし、若者を中心に爆発的な人気を集めたロックバンド・フジファブリックは、現在3人で活動しています。

メジャーデビューからわずか5年後の2009年、ボーカルの志村正彦さんが急死してしまった件については、いまだ多くの謎が残されたままです。

死因不明としてさまざまな憶測を呼んだ志村正彦さんの急逝の理由について、改めて追いかけてみましょう。

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フジファブリックのボーカル・志村正彦の死因7選!

2009年の12月25日、衝撃的なニュースが音楽ファンの耳に飛び込んできます。

フジファブリックのボーカルである志村正彦さんが、29歳という若さで急死したのです。


病名は不詳とされましたがファンは納得せず、これにより様々な憶測や議論を呼ぶこととなりました。

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死因①不整脈

志村さんの死因の1つともなりえるエピソードを、ロックバンド「メレンゲ」のボーカルでもあるシンガーソングライターのクボケンジさんが語っていました。

彼は志村さんと親友であったことが知られていますが、近年になってツイキャスで「志村は不整脈だったんだよね」と発言しています。

不整脈はその名の通り、心臓に異常があるため脈が乱れている状態のことを言い、さまざまな障害を身体にもたらします。

症状については動悸、息切れといったものからめまいや失神といった重度のものまで幅広く存在しており、特に「致死性不整脈」という状態になってしまうと突然死などのリスクが急激に跳ね上がるといいます。

当時志村さんも、「日本人の死因第2位とされるものの影響で倒れた」、「医者からはこのままいくとあと数年で死ぬと言われた」と自身のブログで語っていました。

冗談めいた雰囲気ではあったものの、症状の進行度はともかく、志村さんが持病として不整脈を患っていたのは事実だと思われます。

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死因②自殺

当時志村正彦さん急逝のニュースを受けた世間が病気などと並んで死因に挙げていたのが、自ら命を絶ったのだ、という説です。

当時の志村さんはかなり多忙で、自身のブログにも精神的に追い詰められておりスランプであることなどを綴っていました。

「休みたい」という発言も度々見られており、過度のストレスで心を病み、自殺を選んだのではないか、という予想がされたのです。

しかし自殺であれば公式が「病名不詳」とするのも変ですし、志村さんは亡くなる前日に開かれた食事会にも顔を出しており、思いつめた様子はなかったそうです。

またTRICERATOPS(トライセラトップス)のボーカルであり志村さんと親交の深かった和田唱さんも、「自殺はありえない」と自身のブログで否定しています。

死因③慢性的な睡眠不足

前述の通り多忙であった志村さんは、まともに寝ていない日々が続いていたそうです。

睡眠時間は2時間ほど、という生活を何年も続けていたそうで、本人は平気だとおっしゃっていましたがストレスが蓄積されていた可能性はあります。

もし仮に慢性的な不眠症だったとすると自律神経が乱れ、身体や精神にも異常を及ぼすため、直接的ではないにしろ間接的な死の原因には充分になりえるでしょう。

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死因④急に痩せた?食事はミンティア?

志村さんはもともとやせ型の体格ではあったのですが、死の直前には病的なほどに痩せこけていました。

当時から偏食家として知られていた志村さんは、ある時期にはコンビニで買った弁当とコーラしか口にしない、ということもあったそうです。

そしてどんどんとその食生活はエスカレートしていき、死亡する前の数年間は夕食を口にしない、という極端な食生活を送っていたようです。

なんと、「主食はミンティアです」という発言もしていました。

志村さんはミンティアを好んでおり、常時口に入れていたとの話もあるようですが、主食と言えるほど他の物を口にしていなかったのであればさすがに極端すぎますね。

死因⑤ポリープが癌だった?

実は志村さんは2007年ごろに声帯ポリープを発症しています。

声帯ポリープとは喉を酷使することで炎症を起こし、声帯に腫瘤ができてしまう病気のことで、ミュージシャンの職業病ともいえる病気です。

高音が出にくくなる、喉が狭まり声量がなくなるなどの症状はボーカルとしては致命的です。

これにより以前より声が出ない、というスランプのような状態に陥った志村さんはスケジュールの合間を縫って、よく2008年に治療のため手術を行いました。

しかし予後は問題なく快復したようなので直接の死因であることは考えにくいですね。

実はポリープには腫瘍性と非腫瘍性の2種類があり、癌化するのは腫瘍性のものだけなのです。

志村さんが患った声帯ポリープは非腫瘍性のものなので、癌化することはありません。

おそらくその辺りの認識のズレがこんなウワサを生んだのではないでしょうか。

死因⑥お酒の飲みすぎ?

昔のイメージで言えば、ロックバンドにお酒はつきものでした。

そのイメージに漏れず、志村さんも大のお酒好きだったことで知られていました。

そのため志村さんの死亡が発覚した際は飲酒による影響があるのではないかと疑われたそうです。

しかし大酒飲みだった志村さんは、若い頃からかなりの量の飲酒を繰り返していたそうですが2007年頃からはその量がガクッと減っていったそうです。

死の前日に行われた食事会において、志村さんはお酒を大量に飲み、泥酔した状態で当時の彼女に迎えに来てもらって自宅に帰った、というウワサが流れていました。

しかし前述の通り志村さんはお酒の量をセーブしているため、当日もお酒は1杯しか口にしていなかった、という証言もあるようでどうやら飲酒が原因の死亡、というわけではないようですね。

死因⑦薬物

そして今でも根強くウワサされているのが薬物の影響による死亡説です。


しかし生前、志村さんが薬物に手を出していた証拠などは一切ありません。

ではなぜこのようなウワサが流れたのでしょうか。

それは「ロッカーに薬物はつきものだ」という偏見からきているのだと思われます。

世界のロックミュージシャンたちの中にはボブ・ディランやニール・ヤングといった薬物を常用していた人物が多く、音楽界全体の暗黙の了解となっていた時期が確かにあったのです。

そして欧米のカルチャーに影響され成長してきた日本の音楽界にもその土壌は根付いていました。

尾崎豊やHideといった有名ミュージシャンが亡くなった時にも死因の可能性として真っ先に薬物中毒が挙げられています。

このような歴史から偏見の目がロックミュージシャンに多少向けられているのも事実であり、志村さんのケースでも薬物による死亡が疑われたのだと思われます。

死因は今も不明?

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志村さんの死因に関して、今でもさまざまな憶測が飛び交っています。

ここまでいろんな説を紹介してきましたが、結局現在においても公式での死因の発表はありません。

世間に流れている死因とされるものの中でも、すでに否定されているものや証拠のないものなども数多くあります。

ささいな体調不良が事故の原因になったり、少しの不摂生が大病の原因になったりすることを考えれば単なるウワサでの決めつけは早計と言えるかもしれません。

死亡する2週間前のブログには健康と綴られていた

ユージー on Twitter: "元々イケメンだけど、クロニクルの時の志村は一番かっこいいと思う。 #フジファブリック #志村正彦 https://t.co/vjwGHUaLCO" / Twitter

年末のイベントやライブを控えていた志村さんは、2009年の12月10日付のブログで、「体調面は怖いくらい良好」と自身の健康を報告していました。

元々風邪などを引きやすい体質だった志村さんですが直近はそういったこともないので「むしろ怖いくらい」と冗談めかした文章を綴るほど余裕があったようです。


しかしこのわずか2週間後、志村正彦さんは前述の通り自宅にて急逝します。

予兆がなかっただけにファン、そして世間へ与えた衝撃は凄まじいものとなってしまいました。

椎名林檎と志村正彦は付き合っていた?

フジファブリックは2005年にメジャーデビュー後2枚目となるフルアルバム、「FAB FOX」をリリースしています。

そのアルバムのスペシャルサンクスの欄に、椎名林檎さんの名前があったことからフジファブリックのほとんどの曲を手掛けている志村さんと親交があったことがわかっています。

そこから二人は交際しているのでは、という疑惑もネットを中心に流れたのですがスクープなどはなく、ガードが堅いのか証拠も一切出てこなかったためウワサに留まっていました。

しかし2009年、志村さんが急逝した6日後に開催されたロックフェス、CDJ(カウントダウン・ジャパン)でのことです。

フジファブリックも出演予定だったこのライブに「東京事変」として出演していた椎名林檎さんは、バンドメンバーと共に白黒を基調としたモノトーンの衣装を着て登場したのです。

これは志村さんに向けた追悼ではないかと話題になり、交際していたというウワサが再燃したのです。

フジファブリック志村の最後の写真とは?

フジファブリック、志村正彦の生前最後2009年ツアー&ドキュメントの映像作品リリースへ | Daily News | Billboard JAPAN

フジファブリック・志村正彦さんの死はあまりにも突然でした。

「死亡した」というよりは「この世からふっと消えてしまった」という表現の方がしっくりくるほど、前触れもなく静かに彼は世を去っていきました。

そのため当時の志村正彦さんを感じられるのは、2009年に行われたフジファブリックとしてのライブツアーで撮影されたものが文字通り最後の写真となってしまっています。

しかもこの2009年のライブツアーに限って記録用のカメラがほとんど入っておらず、固定カメラ1台のみでの記録となっているためより希少なものとなっています。

フジファブリック志村正彦の死因不詳はおかしい!

志村さんは2009年の12月24日から連絡が取れなくなっており、25日に不審に思ったマネージャーが自宅を訪ねたところ、パソコンの前で事切れているのを発見されました。

即日、公式サイトにて死亡が公表され、解剖の結果、死因不詳であるということも合わせて発表されたのですが、このことがファンの間で物議を醸すことになります。

隠さないとヤバい死因なのか?

医療が発達した現代において、死因不詳ということがあり得るのか?という疑念により、志村さんの死にはなにか画すべき事情があったのではというウワサが飛び交うこととなります。

例えば薬物による中毒死などであれば世間への影響を鑑みて死因を敢えて公表しないケースがある、とも言われています。

また死亡の原因が特定できなくても、事件性がなければ解剖を行わないことも多いそうです。

解剖を行ったということは事件などの可能性もあるのでは?といった声なども上がり、やがて尾ひれがついて「志村正彦の死には隠さなければヤバい事情がある」とウワサされるようになっていきました。

フジファブリックファンは死因の公表を待ち続けている!

志村さんの急逝から14年が経過した今も、彼が残した名曲の数々は新たなファンを生み出し続けています。

そうしたファンは彼のことをより良く知るためにフジファブリックの歴史を遡り、悲しい事実を知ることとなるのです。

ファンの願いはあの日からずっと変わっていません。

愛したアーティストがなぜいなくなってしまったのか、その理由をただ知りたい。

志村さんの遺した音楽を聴きながら、公式の発表を今でも待ち続けているのです。

フジファブリック志村のお墓やファンの反応は?

志村さんが急逝された後、葬儀は親族や近しい関係者にて静かに執り行われたそうです。

しかし彼を偲ぶファン達はせめて志村さんに少しでも近い場所で彼の冥福を祈りたいはずです。

志村さんのお墓の場所はどこなのか、お墓参りなどは可能なのかを調べました。

フジファブリック志村のお墓はどこ?

志村正彦さんの故郷は山梨県の富士吉田市で、彼はそこで幼少期を過ごしたそうです。

中学の頃に音楽に興味を持ち、高校で自身もバンドなどで活動を続けていき、そして2000年には志村さんを中心にしてフジファブリックが結成されました。

彼の原点、ルーツとも言える富士吉田市に志村正彦さんは眠っています

しかし、志村さんのお墓は実は公表されていません

心無い方によるマナーのない行為や、来訪される方が増えることによる混乱を防ぐための措置のようです。

ご遺族の方の心情などを考えると仕方のない判断であると思えますし、何よりファンが願うのは志村さんの安らかな眠りであるはずです。

フジファブリック志村のお墓は「大正寺」?

現在も公式な発表などはないのですが、ネットなどでの情報を基に、志村さんが眠るのはおそらくここではないかというお寺を確認できました。

富士吉田市にある「大正寺」というお寺に志村さんは眠っているようです。

そのお寺にはメッセージノートが設置されており、彼を偲ぶファンはそこに思いを綴るなどして、志村さんのご冥福を祈られるそうです。

ただしこの記事を読まれている中で、「行ってみたい」と思われる方にお願いがあります。

それは、お墓参りとは故人を偲ぶための神聖な行為であり、決して面白半分や軽い気持ちで訪ねることはしないように、ということです。

当たり前ですが「志村さんの墓」というのは観光スポットでもなんでもなく、個人の場所です。

それでも本当に行ってみたい、という方はご遺族の方やお寺の関係者のご厚意によりファンのお墓参りが許容されている、ということを肝に銘じておいてくださいね。

フジファブリックが再始動!ファンの反応は?

フジファブリックは志村さんが亡くなった後も、親交のあるアーティストとの共演や、バックバンドでの参加という形で音楽活動を続けていました。

また生前に志村さんが作った楽曲の中でも未発表、未完成であったものをパッケージしリリースするなどファンを思いバンドとしての活動も継続していきます。

そしてその後の去就が注目される中の2010年の8月27日に、残された3人で「フジファブリック」としての活動を継続していくことを公式に宣言しました。

志村さんが務めていたヴォーカルをギター担当であった山内さんが引き継ぎ、「新生」フジファブリックとしての活動をスタートさせたのです。

その熱意を証明するかのように2011年には志村さんが亡くなって以降初の、新生フジファブリックの3人による制作のオリジナルアルバムをリリースします。

ファンも彼ら3人の思いや熱意を理解しており、3人となったフジファブリックの人気は衰えることなどありませんでした。

新体制になってからの楽曲にはしっかりとフジファブリックのテイストが込められており、現在でもその魅力的な音楽でファンを獲得し続けています。

その後も現在までシングルやアルバムを世に出しながらライブ活動を続け、志村さんが遺したフジファブリックを進化させ続けているのです。

フジファブリック志村の死因は不明のまま…ファンは今も発表を待っている

フジファブリック、志村正彦さんの死因は現在でも公式発表がなく真相は分かっていません。

しかし、彼の音楽が多くの人を勇気づけ、愛されてきたのは紛れもない事実でしょう。

新生フジファブリックの活動を応援し、時にはふと志村さんのことを想い彼の遺した言葉や楽曲を聴きながら、ファンは真実がわかる日を待ち続けているのです。