非常識横暴な人を表すDQNの名をつけられた玄倉川水難事故「DQNの川流れ」は1999年に発生した史上まれな水難事故です。
1999年8月13日、神奈川県の玄倉川の中州でキャンプをしていた廃棄物処理会社のグループが大雨で増水した川に流され、結果13人が死亡しました。
当時は各メディアがこぞって駆け付け、人が流されていく様子なども放送、大きな問題になりましたね。
しかし、この事件が騒がれた本当の理由は、被害者となった廃棄物処理会社のグループの横暴な態度が原因です。
雨で危険なためキャンプを中止するよう再三の警告をされながらも、暴言を吐き中州に居続けた彼らは、結果罪のない子供も事故に巻き込んでしまったのです。
様々な問題を含んだ玄倉川水難事故のリーダー格とされる加藤直樹と生き残りの現在、保険金殺人を噂されている実態について詳しく見ていきましょう。
目次
【DQNの川流れ】玄倉川水難事故がヤバい!DQNがレスキュー隊に暴言で死者13人!
大雨による被害は毎年発表されており、川のレジャーに注意が必要であることは皆さんもご存じと思います。
玄倉川水難事故も忘れてはいけない水難事故の教訓の1つですが、子供含む死者13人が出た悲劇という側面だけでなく、被害者であるキャンプメンバーの横暴さに大変注目が集まった事故でもありました。
「DQNの川流れ」と揶揄されるほどの玄倉川水難事故は、一体どのような事故だったのでしょうか。
また事故の生き残りである、キャンプグループのリーダーの加藤直樹さんは現在何をして過ごしているのでしょう。
とあるYouTuberが加藤さんを突撃取材をした様子なども詳しく見ていきます。
【DQNの川流れ】玄倉川水難事故とは?キャンプ中に13人が死亡?!
玄倉川水難事故は、1999年の8月13日のお盆真っただ中に起こりました。
結果的に社員とその家族の子供達など合わせて18人が被害に遭い、そのうち社員5人その妻2人と子供が4人、社員が誘った友人ら2人の計13人が死亡しています。
下記が死亡された方々となります。
- 松尾利美さん:31歳
- 松尾理恵さん:30歳
- 松尾歩ちゃん:9歳
- 松尾駿兵ちゃん:5歳
- 加藤裕二さん:33歳
- 加藤美江さん:28歳
- 加藤優香ちゃん:1歳
- 梶ケ谷剛さん:25歳
- 織立亜希子さん:25歳
- 高橋直人さん:26歳
- 小野崎恵子さん:25歳
- 原田敬介さん:48歳
- 原田千佳ちゃん:9歳
若い年齢の方、そして小さなお子さんの名前も目立ち、多くの尊い命が一瞬にして奪われた事故だというのがわかります。
当日の気候条件も重なり危険だった?!
事件の起きた1999年夏は北緯20度以北でも熱帯低気圧が発生し、不安定な大雨をもたらしていました。
各地で集中豪雨が観測され、何度も注意が呼びかけられていたようです。
玄倉川付近でも当時、熱帯低気圧が発生し雨量が増えており、危険な状況だったといわれています。
その為、多くのキャンパーは水位などに気を配り、警告が出るとすぐに避難を始めていました。
また貯水率が低い玄倉ダムは、洪水が起きれば空の状態からでも数時間で満水になる為、定期的に放流の操作が行われていたそうです。
警告を無視し濁流に流された?!
問題になった玄倉川水難事故は、増水による危険から何度も退避を警告されても全て無視していたために起こった事故です。
リーダーの加藤直樹さんやグループの人たちは、ダム管理職員や警察官にも暴言を吐いていたそうです。
避難警告も虚しく、翌日の14日も大雨は降り続け18人のグループが気が付いたころには中州は水没していました。
自力での避難が困難になり、レスキュー隊が要請されるものの、困難をきわめ多くの人が濁流に流されてしまい、その結果13人が命を落としました。
この必死の救助中にも暴言を吐き続けた彼らのことは、SNS上で非常識で横暴という意味で「DQNの川流れ」と呼ばれています。
【ゆっくり解説】何度も避難勧告を無視しキャンプ続行!最終的に濁流に飲み込まれる…DQNの川流れ【玄倉川水難事故】 https://t.co/mcwfD24ju8 @YouTubeより
マジでクズしかいねえな
— 顎 (@musyokdotei0721) June 16, 2021
こんなん初めて見たけど、大人はこれ死ぬべくして死んだクズだらけだな。子供は可哀想だけど。
【玄倉川水難事故】「殴るぞ!失せろ!」「早く助けろ!」再三の退避勧告を無視してキャンプ続行!13名死亡 https://t.co/QMfxtubc10 @YouTubeより
— 亡霊 (@bourei_bourei) March 10, 2020
SNS上ではかなりきつい言葉で被害者グループを罵倒している人が多く、非常識な彼らの態度に憤っている人が多数いますした。
では、「 DQNの川流れ」という事故がどのような経緯をたどり、最後はどうなったのかを詳しくみていきましょう。
経緯①大雨のなか玄倉川の中州でキャンプ!
事故当日からの様子を時系列でまとめてみました。
1999年8月13日は、15時ころから雨が降り始めていました。
その時点で50人ほどのキャンプ客が中州にはいたそうです。
ここから8/13日~8/14に起きた事故の詳細を時系列で解説していきます。
・15時20分頃
この頃ダム管理職員は最初の巡回で水位上昇のため「退避」を促しました。
そこで多くのキャンパーは危険を察し退避しています。
その時の玄倉川付近の気候と、さまざまな状況から次のようなことが予想されるためです。
- 熱帯低気圧が発生し雨量が増えている状況
- 玄倉川は急激に水位が上がりやすい
- 上流にある玄倉ダムは貯水率く定期的に放流の操作が行われていた
しかし、問題の廃棄会社グループは警告を無視し、その場に留まっていました。
経緯②警察官の退避勧告も無視!
・19時35分
上流にある玄倉ダムが満水を避けるために「放流予告」の警告サイレンを30分間鳴らし続ける。
この時点で、他に少し残っていたキャンプ客も全員テントを置いたまま避難しました。
・20時6分
ついにダム管理職員が警察へ避難勧告を出すよう通報する。
ダム管理職員といえ、退避を「命令」することはできないので、警察に通報したようです。
・20時20分
玄倉ダムが放流を開始する
21時10分
ダム管理職員と警察が、水流が多くてテントに近づけない状態になっていたため拡声器で退避勧告をする。
ここで、グループ内の3人が中州から退避して車に避難する。
しかし退避した3人以外の加藤直樹含む廃棄会社グループメンバーは中州に留まり続け、警告を無視し、呼びかけに応じようとしなかったようです。
22時45分
警察が退避を求めるも、お酒に酔っていた加藤は、横暴な態度をとり「うるせぇ、警察に言われる筋合いはない」などの暴言を吐く。
経緯③ダム放流開始!18人が濁流の中に!
翌朝8月14日、朝5時より雨がさらに強くなり、神奈川県全域には大雨洪水警報が発表されています。
6時00分
前夜に車に避難していた3人が、中州のテントに残った仲間に避難を呼びかける。
が、加藤直樹らは熟睡していて応答はありませんでした。
この時もし呼びかけに応じていれば、水流はまだ膝下ぐらいの深さだったため川を歩いて避難も可能な深さだったといいます。
6時30分
貯水機能のない玄倉ダムが本格的に放流を開始。
再度警察官が巡回し退避を呼びかけるものの、加藤直樹らは無反応でした。
・8時00分
天候が悪化する。増水により対岸との陸はなくなり、濁流がテントを囲むようになる。
岸に避難していた社員が119番通報で救助要請をおこなう
ここで、前日に避難していたメンバーが「大人12人と子供6人が中州に取り残されている」と消防に救助を求める通報をしています。
9時7分
119番通報を受けて救助隊が到着するも、すでに水流が激しくなっており川を渡っての救助は困難と判断される。
8月14日という時期で(お盆のため)当直のレスキュー隊員が手薄になっていたこともあり、増員されるまで時間もかかっていたようです。
経緯④流された人を340人体制で捜索!
救助要請があった時点で加藤直樹らキャンプメンバーの自力での脱出は不可能で、中州には18人が取り残されてしまいました。
はしご車は地盤が安定せず不可、ヘリは熱帯低気圧で風が強い上に濃雲で飛ぶことはできません。
残る救助方法はロープのみとなるも、急流によりなかなか上手くいかなかったようです。
この時も加藤直樹らは「早く助けろ!」など、救助隊にまで数々の暴言を吐いていたようです。
・11時38分
水深は約2m・水位は胸にまで達し、中州にいた18人全員が次々に人が流されていきました。
1歳の甥(加藤直樹さんの子供)を抱いていた叔父が、とっさに子供を岸に放り投げ、別のキャンプ客がその子供を救出しました。
そしてグループのリーダーとされる加藤直樹さんと姉など大人3名、子供1名が運よく対岸へ流れつき、一命をとりとめたのです。
【玄倉川水難事故】が”DQNの川流れ”と言われているのはなぜ?加藤直樹がヤバい!?
これまでDQNと言われるような言動が垣間見えていましたが、詳しくはどのような言動があったのでしょうか。
避難を促されている時から、救助されるまでやその後などの加藤直樹さん含む18人の行動を見ていきましょう。
またこの玄倉川水難事故はただの事故ではなく、保険金殺人ではないのかと噂されていますが何故なのか深掘りしていきます。
理由①再三の避難警告を無視
この事故は未然に防ぐ事が出来たのではないかと言われています。
避難警告は1度や2度ではなく、警告のサイレンを含めると計6回も事務員や警察官を含め、加藤直樹さんらに伝えていたのです。
多くのキャンプ客が一度目の避難警告で退避しているのに対し、何度も無視したあげく暴言を吐き追い返す様子がテレビ番組で放映されていました。
理由②被害者による暴言の数々
警告を何度も無視したあげく、自力での退避が厳しくなり救助隊員達が対岸で必死に救助活動を行っている際、「早くしろ」「ヘリを呼べ」「もたもたするな」「お前らの仕事だろ」とあまりにも身勝手な言葉を放っていたのです。
理由③地元住民へのひどい態度
警告のサイレンが流れていたのもあり、地元住民らが避難を促したもののとても高圧的な態度だったとされています。
「冠水するから高台へ避難した方がいい」と地元住民がと伝えるも「慣れているから大丈夫」「楽しんでいるから放っておいてくれ」と加藤直樹さんに返されたようです。
挙句の果てにグループ内の人たちが「地元民は臆病だ」「田舎の人間はプライバシーを侵すのが趣味なのか」と言われ、避難を促した地元の住民らは呆れて引き返したとされています。
どうして、加藤直樹さんのグループは地元に住む人間の言葉を受け入れることができなかったのでしょうか?
こうした人間性の部分が、この事故の根本にあると感じてしまいます。
理由④差し入れのおにぎりを捨てる
何度も暴言を吐かれたのにも関わらず、地元のボランティアの方は救助された加藤さんにおにぎりを手渡しました。
ですが、その好意を無下にするように加藤直樹さんは「まずい!」と一言放ち、地面へと叩きつけたとネットで噂されていました。
何故そのようなことが出来るのか、理解に苦しむ言動が多く見受けられ、反社会的な人物なのではないかとも。
この件に関しては、YouTuberの男性も本人に直撃しており、そんなことはしていない、と加藤直樹さんは否定していました。
理由⑤仲間よりもテントを心配
救助された後加藤さんは、救急隊員に対し「テントが回収されたら返してくれ」と伝えていたそうです。
救助された5人は奇跡的に助かったものの、その他の方は流されたまま行方も分からない状態。
自分の妻も流されていますが、仲間よりもテントを心配していたそうです。
本来であれば、何よりも流された仲間の安否が気になると思われますが、加藤さんにとっては違ったのでしょうか。
【DQNの川流れ】玄倉川水難事故のリーダー・加藤直樹の現在がヤバい?顔写真流出も?
数々の暴言が避難を浴びたDQNの川流れこと、玄倉川水難事故。
この事故でかかった救助費や捜索費などは1億円ほどといわれていますが、そのうち4800万円は地元自治体が負担しています。
勧告に従わなかった彼らに多額の公費を使ったことで、さらに世間からのバッシングは激しいものになりました。
更に救助後も、リーダー加藤直樹さんの暴言は止まらなかったといいます。
加藤直樹は現在も株式会社富士繋に勤務している?
グループのリーダーだった加藤さんは救出された後も、同じ名前の会社で業務に必要な登録や許可を取って幅を広げ2024年現在も仕事を続けているようです。
ですが、近年近隣住民との騒音問題や公道施設への協力を拒否したり、違反駐車等であまり会社自体の評価は高くないようです。
会社の口コミでも近隣住民からの苦情を含め、現在も水難事故に関する内容のものも多く、悪目立ちしているように思われます。
【DQNの川流れ】玄倉川水難事故のリーダー・加藤直樹は現在会社員?
会社経営をしているという噂がでておりますが、会社経営をしているという事実はなく、詳しいことは分かりませんでした。
おそらく富士繁で今も変わらず、勤め続けているのだと思われます。
良くも悪くも世間に知れ渡った顔ですから、再就職や新しく開拓していくのは厳しかったのではないでしょうか。
【DQNの川流れ】玄倉川水難事故の救助費4800万が未済?地方自治体が負担!
玄倉川水難事故では、警察、消防そして自衛隊も駆けつけての必死の救助劇となりました。
玄倉川水難事故の救助費用は、同日道志川で起こっていた救助の人件費を含めると1億円もの費用が掛かったとされています。
地元の自治体である山北町はその一部4800万円を負担したのです。
あの人たちは再三の警告にも無視して暴言を吐くような方達で常識性に欠けてますから 払わないのが普通だと思います。
引用:YAHOO!知恵袋
救助活動についての負担は、現在も議論されているところですが、この事故の救助費はすべて国と自治体の負担となっています。
事故後の謝罪会見なども一切行われておらず、救助に対しての感謝の言葉もない状態に世間から、さらなるバッシングを受けることになりました。
バッシングに晒されるのは、因果応報というべきで致し方ない事だと感じます。
加藤直樹の現在の顔写真は?
現在の加藤直樹さんの顔写真ですが、検索してみると同姓同名の方が多くこの玄倉川水難事故に関する方の写真かは特定ができませんでした。
とあるYouTuberの方が加藤さんが勤めているとされている富士繫へ直接会いに行くも、ガスマスクを着けている状態なので、現在どのような見た目になっているかは分かりません。
現在50歳を超えている加藤直樹さん。
自身をSNS等に載せる可能性は低いでしょうから、顔写真は今後世に出回る事は無いかもしれません。
YouTuberが加藤直樹本人を直撃!ヤバイ新事実が発覚!
2021年にYouTuberの男性が、富士繁へ直接出向き「勝手に表彰」と称し今世紀最大の最低な人間という事で、表彰状やトロフィーにおにぎりを差し出しているのが確認できます。
動画を配信している男性は、足立区役所★すぐキレる課【独善的世直しへりくチューバー】というタイトルでチャンネルを開設しています。
彼の元に「加藤直樹さんは、横浜の戸塚で現在も働いてるから、今世紀最大の最低野郎を表彰してくれ」という依頼が来ました。
彼は、加藤直樹さんが救助後に投げつけたとされるおにぎりを副賞で持ち、加藤直樹さんの会社を直撃しています。
「今世紀最大のコロナ野郎、水難事故の件でネットで最低な人間だから表彰します」という言葉と共にトロフィーやお金、おにぎりを渡そうとしますが、拒否されていました。
「助けられた人ですよね?」という問いには「そう」と答えていますが、「ネットに書かれてたことはすべて嘘」とネットの噂を全否定しています。
本人で間違いなければ、当時の事を思い出したくないのか終始その素振りが垣間見えていました。
【現在】玄倉川水難事故の生存者のその後がヤバい!
倉川水難事故の奇跡の生き残りの5人の内3人が大人でした。
自らの誤判断で、世間を騒がせた事件となり多くの公費を費やしたのですが、一切の謝罪はありませんでした。
加藤さんの子供は姉と弟の2名助かっていますが、事故後一体どのように過ごしていたのでしょうか。
生き残りである5人の現在を見ていきましょう。
リーダーの娘が事故後にブログ投稿し大炎上!
救助され助かった子供の内の1人、当時5歳だった加藤直樹さんの娘、加藤朝香さんはその後成長し、高校2年生の友人のブログ内に当時の姿が残っていました。
見た目は大変可愛らしいので、「DQN」のイメージとはかけ離れていますね。
加藤朝香さんは父親の影響を受けたせいなのか、学校は不登校気味だったようです。
また、朝香さんの友人のブログに書かれた内容には朝香さんは高校3年3月まで不登校気味ながらも高校に在籍していた状況がわかることが書かれているそうです。
あさか生きてるかな(´д`)??←
単位大丈夫かな(ToT)?
そして今は閉鎖されていますが、朝香さんが高校2年生の時に運営していたと思われるブログで、事故でお母さんを亡くし寂しい思いをしていると綴ったものもありました。
もうすでにブログは消えていますが、その魚拓は現在でも残っていました。
5歳ともなれば、現状を把握し記憶できる年頃の為、事故当時の記憶は深い心の傷として刻み込まれているのかもしれませんね。
しかし、加藤朝香さんはこの後に下記の言葉を書き込んでいました。
- 無理矢理にでも避難させるべき
- 地元民は危険を知っていのに自分たちを放置した
- もっと真剣に救命活動するべきだったのではないか
必死の救助に対して感謝の気持ちがないばかりか、自分たちの非は棚上げし、他人を非難している態度にSNS上は大激怒。
その結果、彼女のブログは炎上し現在では閉鎖されているとのこと。
幼かった彼女に事件の真相をどのように伝えたのでしょう、加藤朝香さんの言動のうらには大人たちの存在があったのではないでしょうか。
被害者の会社・株式会社富士繋は営業中?
加藤直樹さん達のグループは株式会社富士繋に勤めている社員やその家族だったようです。
事件後、株式会社富士繋は注目を集めましたが、そもそもキャンプは会社が主催していたわけではなく株式会社富士繋に非があるわけではありません。
事業内容は、産業廃棄物処理業務、各種建築物解体及び設備機器解体業務などど記載されていました。
多くの支店を持つ会社で、被害者グループは神奈川県横浜市戸塚区名瀬町にある戸塚工場で働いていたようです。
現在も株式会社富士繋のHPがあり、営業を続けています。
【DQNの川流れ】玄倉川水難事故によりウォーターレスキュー強化!
玄倉川水難事故を受けて、国土保全局で研究会が開かれています。
事故の現場直轄だった足柄上消防本部は、南足柄市消防本部と統合し現在は小田原市消防本部と統合されました。
更に、東京消防庁では事故対応のスペシャリストを養成し、2004年にはスイフトウォーターレスキューを組織に組み込んでいます。
また気象庁にも変化が見られ、弱いや小さいといった台風の表現を熱帯低気圧に統一。
ごく小さい台風や小さい台風などの、誤認識を生む表現を廃止しました。
【DQNの川流れ】玄倉川水難事故の生存者・平野や加藤一樹くんの現在は?
濁流に流される寸前に叔父の咄嗟の判断で、対岸に投げられ助けられた生き残りである一樹さん。
姉の朝香さんに対し、一樹さんに関してはSNS等の情報が無く、事故後から現在に至るまでどのように過ごしているのかは分かりませんでした。
また助かった平野兄弟に関しても、同じく顔写真等の情報も無く現在何をしているのかは不明です。
【DQNの川流れ】玄倉川水難事故リーダーの現在は謎のベールに包まれていた!!
自然災害は恐ろしく、決して軽くみてはいけないと改めて感じる事故でした。
さらに加藤直樹さんらの事故への対応があまりにも非人道的で身勝手な行為だと感じた人が多かったことで、今も記憶に残るような事故の1つなのだと思います。
台風による大雨や、土砂災害など自然災害が特に多くなってきている為、レジャーは正しい知識を持ち楽しく過ごしていきたいものですね。
玄倉川水難事故は、様々なことを教えてくれる忘れてはいけない事故となりました。