丘崎誠人(月ヶ瀬村女子中学生殺人事件犯人)の生い立ちと現在がヤバい!?風習や家族も調査!

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1997年に起きた奈良県月ヶ瀬村殺人事件は、当時注目を集めていた子供が被害者という弱者への犯行という点でも注目を集めました。

犯人の丘崎誠人の犯行動機が村八分という、江戸時代より伝わる集団いじめに原因がある、と言われ田舎のすさんだ環境が話題になったのです。

丘崎誠人は、どのような動機でこの事件を起こしたのでしょうか。

彼の生い立ちは、想像を絶するようなが壮絶なもので世間に大きな衝撃を与えました。

丘崎誠人を取り巻いていた風習や家族、村での環境などに注目して奈良県月ヶ瀬村殺人事件に潜む闇、事件の真相を紐解いていきましょう。

目次

奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺害事件とは?丘崎誠人がヤバい?

奈良県月ヶ瀬村殺人事件とは、当時中学2年生だった浦久保充代さんが、卓球大会の帰りに行方不明となった事件。

犯人は事件の2か月後に捕まり、浦久保充代さん殺害を認めるという悲しい結末になってしまいました。

弱者である子供を狙った犯罪であると共に、犯人丘崎誠人がヤバすぎると注目を集めた事件です。

ヤバイと言われている犯人の人物像はどのようなものだったのでしょうか。

まずは、奈良県月ヶ瀬村殺人事件を発生から詳しく時系列で追っていきましょう。

事件の流れ①1997年5月・中学2年生の浦久保充代さんが行方不明になる

奈良県月ヶ瀬村殺人事件は、奈良県の添上郡月ヶ瀬村という場所で起きました。

月ヶ瀬村は梅の名所としても知られ、観光名所と呼ばれる美しい村です。

三重県の旧上野市(現在の伊賀市)とも経済的に近い関係にあるのですが、実は奈良県月ヶ瀬村殺人事件にも深く関係していました。

1997年5月4日、奈良県添上郡月ヶ瀬村で当時13歳だった中学2年生の女子生徒Aが卓球大会の帰りに行方不明となった[1]。

村人、警察が通学路を捜索していると、Aのスニーカーが発見され、道路にはタイヤ痕、ガードレールには血痕が付着していた。近くの西部浄化センターの公衆トイレでは切り裂かれたAのジャージと、血だらけのダウンベストが発見された。

警察はAがひき逃げや事件に巻き込まれた可能性があるとして捜索を開始した

引用元:Wikipedia

ことの発端は、当時13歳の浦久保充代さんが、卓球大会の帰りに行方不明になったことから始まります。

警察と共に村の人が協力して捜索をしたようです。

事件の流れ②浦久保充代さんのスニーカーが発見される

奈良県月ヶ瀬村殺人事件を警察が捜査を開始したところ、通学路であるものが発見されました。

それは、行方不明となっていた浦久保充代さんのスニーカー

しかも、近くのガードレールには血痕が付着し、タイヤ痕まで残っていたといいます。

当初、警察は交通事故に巻き込まれたものとして捜査を進めていたようです。

事件の捜査を進めていくと、彼女の切り裂かれたジャージや血だらけのダウンベストが西部浄化センターの公衆トイレ内に捨てられているのを発見しました。

犯行の形跡を見るとあまりにもずさんで、とても計画的な犯行には見えなかったことでしょう。

事件の流れ③当時25歳の丘崎誠人が容疑者として浮上!

奈良県月ヶ瀬村殺人事件は、その後の調査で容疑者が浮上していきます。

タイヤ痕などから警察の捜査上に名前があがったのは、同村に住む当時25歳の丘崎誠人という人物でした。

当時を振り返ると、情報が洩れたようで警察が動き出す前にマスコミが動き出し、丘崎誠人に多くの報道陣が押し寄せるという事もあったようです。

この時、丘崎誠人はサンダルを履き痩せこけた姿がとても貧弱に見えました。

さらに報道陣に対して不遜な態度をとったことで、犯人は彼に間違いないと世間から大きく非難されれる結果となりました。

報道された丘崎誠人は、不気味な笑みをも浮かべているように見えました。

事件の流れ④浦久保充代さんに対する略取誘拐の容疑で丘崎誠人が逮捕

浦久保充代さんが行方不明となってから2ヶ月以上過ぎた7月25日、略取誘拐の容疑で、丘崎誠人が逮捕されました。

決め手となったのは、公衆トイレから発見された浦久保充代さんのジャージに残されたタイヤ痕!

丘崎誠人の愛車「三菱ストラーダ」のものと一致したのです。

さらに車内を調べたところ、後部座席から浦久保充代さんの血液やDNAが見つかりました。

逃れられない証拠を突き付けられて、丘崎誠人は自分の犯行であることを認める結果となったのでしょう。

事件の流れ⑤警察の追及により犯行を認める

丘崎誠人は逮捕後、警察の追及により犯行を認めました

丘崎誠人は動機について、偶然見かけた浦久保充代さんに「家に送ってあげる」と声をかけたが無視されたことが引き金だったと語っています。

丘崎誠人は、それまでも村八分を受けていて、無視されたことで感情が爆発してしまったようです。

浦久保充代さんに声をかけた日は、新車の三菱ストラーダで滋賀県まで足を延ばし風俗店に来店、その帰りだったといいます。

やはり犯行に計画性はなく、浦久保充代さんを偶然見かけたという事です。

この時、浦久保充代さんが丘崎誠人の声掛けに何らかの言葉を返していたら、結果は大きく異なっていたのかもしれません。

無視されたことで、彼女に馬鹿にされていると感じた丘崎誠人は、一度浦久保充代さんを背後から車で轢きました。

さらに虫の息だった彼女を後部座席に押し込み三重県の上野市へ向かったと供述していました。

この時、丘崎誠人は自分の罪を隠蔽しようと決意していたのでしょう。

事件の流れ⑥供述により遺体が発見される

三重県上野市の山中につくと、ビニールテープを取り出し絞殺しようとしたと語っていました。

しかし、彼女は死ななかったので5キロほどの大きな石を使い頭部を殴り続けたようです。

これにより、浦久保充代さんの直接の死因は脳挫傷という事になりました。

さらに、丘崎誠人は三重県上野市の御斉峠付近で捨てたと供述し、供述通り遺体が発見されました。

月ヶ瀬村殺人事件の動機がヤバい?丘崎誠人の壮絶な生い立ち7選!

奈良県月ヶ瀬村殺人事件の舞台となった月ヶ瀬村は、2005年に廃村となり現在は奈良市月ヶ瀬となっています。

この事件の裏側には、歴史的な闇が隠されており、社会的弱者という言葉が拡散されて行きました。

歴史的な闇こそが、奈良県月ヶ瀬村殺人事件の動機がヤバすぎると言われている所以です。

また、丘崎誠人の生い立ちも壮絶と言われており、彼が犯罪を犯した背景をあわれむ声も多くあがっていました。

丘崎誠人が奈良県月ヶ瀬村殺人事件を引き起こしてしまった動機や彼の信じがたい生い立ちを見てきましょう。

丘崎誠人の動機は村八分による恨み?!

丘崎誠人と浦久保充代さんは知り合いだったと言われています。

小さい村なので顔を合わせたりすることもあったはずですが、それ以前に丘崎誠人の家族が村に引っ越してきた際に、家などを紹介したのが民生委員をしていた浦久保充代さんの祖父だったようです。

しかし、丘崎誠人の家庭は貧しく、月ヶ瀬村の中では村八分の状態だったと言います。

元々極貧生活を送っていた丘崎誠人ですが、小学3年生の時に大きなきっかけが訪れたようです。

その事件は村にある公民館の放火。

犯人はわかっていないのですが、村人たちは丘崎誠人が犯人だと囁き合い周囲から村八分が始まったと言われています。

その後もお金が消えた時があり、これも丘崎誠人が犯人だと噂されたようです。

丘崎誠人は、村で差別されるような状態になっていったのでしょう。

実際に、事件が起きた時も丘崎誠人の家は自治会などに入れてもらえず、孤立した状態でした。

村八分と聞くと遠い昔のような気がしますが、田舎の小さな村ではいまだに残る悪しき風習のようです。

上記投稿でも村八分の様子や、恨みが綴られています。

丘崎誠人の生い立ち①両親は朝鮮人と日本人のハーフ!部落出身との声も?

丘崎誠人は両親が朝鮮人と日本人のハーフとの噂がありますが、事実、丘崎誠人の両親は共に日本人と朝鮮人のハーフだったようです。

事件後ネット上では父親がセイジ、母親ナツエという名前であることも拡散されています。

丘崎誠人の両親は、いわゆる被差別部落に住んでいたようで、元々日常的に差別を受けていたのでしょう。

家庭環境も悪く、極貧生活を送っていたため周囲から蔑まれていましたが、両親が朝鮮人の血を引く部落出身者であることも村八分の原因となっていました。

丘崎誠人の生い立ち②母親はネグレクト?!父親には愛人がいた?

丘崎誠人の母親はネグレクトをしていたとの話があります。

盲目だったという噂もあり、家事はもちろんのこと子育ても放棄していたようです。

丘崎誠人には姉が3人、妹が1人いるようですが、共働きの家庭で子どもにお金だけ与えるネグレクトの状態だったと言われています。

両親は籍を入れておらず、不仲で父親には愛人がいたとの話もありました。

母親が料理を作ってくれず、代わりに姉が食事を作っていたようです。

丘崎誠人の生い立ち③差別や嫌がらせが日常茶飯事!

丘崎誠人は、差別や嫌がらせが日常茶飯事だったようです。

例えば、村で何かしらのトラブルが起こると、丘崎誠人は真っ先に疑われていたのだとか。

子供の頃は「一緒に遊ぶな」「近づくな」などと言われていたようで、孤立していたとのことでした。

事件が起きた日、浦久保充代さんが彼を無視したのも、この村人たちからの差別の延長上だったのでしょう。

さらに両親が朝鮮とのハーフだったことから、チョーセンと呼ばれ馬鹿にされていたという話もあります。

その後、丘崎誠人は中学校で体罰を受けたことをきっかけに不登校となり、大きく人生を狂わせていきました。

丘崎誠人の生い立ち④トイレも風呂も無い物置小屋のような家だった?

丘崎誠人は、月ヶ瀬村で物置小屋のようなボロボロの家に住んでいたそうです。

村八分状態だったため、普通の家を借りたりすることはできず、浦久保充代さんの祖父の計らいでかろうじて住むことができたのが物置小屋のような家だったといいます。

その家の状態はあまりに酷く、日当たりが悪い上にトタン屋根とベニヤ板の壁ですきま風が吹くような家だったと言われていました。

下水道敷設の分担金が支払えず、トイレは無くて風呂は薪で沸かすしかなかったのだとか。

丘崎誠人の生い立ち⑤不登校になり家庭内暴力も?

丘崎誠人は中学2年生で不登校になってしまいました。

教師から受けた体罰が原因だったとされていますが、実際には学校内でも差別を受けていたことでしょう。

また、その頃から生活が荒れ始めて家族に対し暴力を振るうようになったと言われてます。

学校や村での差別や劣悪な家庭環境などを考えると、丘崎誠人が暴力的になっていたことは自然の流れなのかもしれません。

丘崎誠人の生い立ち⑥仕事が長続きせず月ヶ瀬村に出戻り?!

丘崎誠人は中学校時に不登校になり、あまり学校に通ってはいませんでしたが、卒業証書は同級生が届けてくれたようです。

しかし、せっかく届けてくれた卒業証書をすぐに破り捨てた、ともいわれており、すでに彼の心の中に怒りが芽生えていたことを感じさせます。

卒業後は奈良県内の測量事務所でアルバイトを始めたのですが、うまくいかず、その後も、大阪や東京で調理師の仕事をするも長く続かず、月ヶ瀬村に戻ってきていたそうです。

戻ってからも土木作業員や警備員、左官見習いなどの仕事をしますがこれらも長続きせず、最終的には無職になったのでしょう。

丘崎誠人の生い立ち⑦母親と姉が村で慰み者にされていた?!

丘崎誠人の母親と姉は慰み者にされていたという情報も出てきました。

当時、村に長く住んでいる老人がそのような発言をしていたようです。

長女の名前は「環」だそうで、彼女や母親の元に村の男達がやって来ては事に及んでいたと語っています。

そこに金銭的なやり取りがあったかは不明ですが、この行為などを丘崎誠人は見聞きしていたのかもしれません。

ちなみに姉は子供を産んでいるようですが、その父親は誰なのか分からないとのことです。

奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件の判決は?月ヶ瀬村のその後は?

中学生の殺害というむごい事件として注目を集めた奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件、この結末はどうなったのでしょうか。

丘崎誠人に対しどんな判決が出たのか、世間からは大きな注目を集めました。

その後、村八分や殺人事件などマイナスのイメージが付いてしまった月ヶ瀬村がどのようになったかも見ていきましょう。

丘崎誠人は逮捕前にインタビューを受けていた!?

奈良県月ヶ瀬村事件は、小さな村でおきた大事件として全国的にも報道されました。

被害者の失踪後に、マスコミが月ヶ瀬村の住人にインタビューを行っていたようです。

その時マスコミのインタビューに、犯人である丘崎誠人も出ていました

丘崎誠人は何食わぬ様子でインタビューを受けていたようですが、狂気を感じる方もいるかもしれません。

丘崎誠人には無期懲役の判決!

丘崎誠人は逮捕後、奈良地方裁判所で無期懲役が言い渡されました。

丘崎誠人の犯行動機は、ほとんど酌むべき事情にはならないとの理由で情状酌量はされなかったようです。

一審では懲役18年だったようですが、検察側が控訴して2000年の二審では無期懲役の判決となりました。

この時彼の弁護士は、さらに上告を勧めたようですが、丘崎誠人はこれを拒否、無期懲役の判決を受け入れています。

丘崎誠人は刑務所内で自殺?!

無期懲役の刑に服していた丘崎誠人ですが、世間が事件への関心を失いつつあった2001年9月に大分刑務所の中で、自殺しています。

ランニングシャツを紐にして窓枠で首つりをはかったのだとか。

特に遺書も残されることもなく、自殺の真相は現在も不明のままのようです。

この日は被害者である浦久保充代さんの月命日だったとも噂され、ただの偶然なのか、何かを意図しての自殺だったのかと、再び奈良県月ヶ瀬村事件に注目が集まりました。

丘崎の両親と姉の現在は?

事件後、村にあった丘崎家の家は取り壊されたようです。

そのため、両親や姉は現在どこでどういう生活を送っているのかは全くもって不明

元より家庭は崩壊していた状態だったようで、両親や姉たちが健在なのかも分からない状態です。

現在月ヶ瀬村は消滅?!

月ヶ瀬村は、2005年に奈良市と合併し奈良県月ヶ瀬嵩となっていました。

村としての存在は消滅しています。

ですが、やはり特有のしきたりやコミュニティ制度自体は残っているようです。

現在の日本でも、未だに閉鎖的な環境が根強く残されているのを恐ろしく感じる人もいるかもしれません。

こちらの動画では奈良県月ヶ瀬嵩の様子を見ることが出来ます。

とてものどかで静かな村が映っており、とても凶悪な事件が起きた場所とは考えにくいのではないでしょうか。

奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件を題材にした映画が存在する!?

何と、奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件を題材にした映画が存在するとの噂があります。

その映画は2019年公開の映画「楽園」。

俳優の綾野剛さんが主演した作品で、限界集落に暮らす男性が描かれていました。

映画の登場人物が村八分により狂気に陥り、恐るべき事件に発展する様がこの事件に似ていると言われています。

ストーリー
ある地方都市で起きた少女失踪事件。家族と周辺住民に深い影を落とした出来事を機に知りあった孤独な青年・豪士と、失踪した少女の親友・紡。それぞれの不遇に共感しあう2人だったが、12年後再び同じY字の分かれ道で少女が姿を消したことから事態は急変する。

引用元:U-NEXT

奈良県月ヶ瀬村殺人事件は閉塞された悪き風習が生んだ悲劇

奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件について、不気味な犯人像を紐解いてきました。

丘崎誠人は許しがたい犯罪者であることはかわりませんが、彼の生い立ちを聞くと同情してしまう人もいるようです。

丘崎誠人を歪めてしまったのは、村の風習が原因であると批判する人も多くいます。

現代に残る閉ざされた村でおきた殺人事件、根底を探ってみると村八分という悪しき風習が見えてきたのです。

凶悪犯である丘崎誠人を通して、何かと考えさせられる事件だったのではないでしょうか。