【壮絶】奈良県月ヶ瀬村殺人事件の動機がヤバすぎる?犯人・丘崎の衝撃生い立ち7エピソード!

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奈良県月ヶ瀬村殺人事件の動機がヤバすぎると言われているようです。

犯人・丘崎誠人は、どのような動機でこの事件を起こしたのでしょうか。

また、丘崎の生い立ちが壮絶すぎたことも世間に大きな衝撃を与えました。

奈良県月ヶ瀬村殺人事件について、詳しく調査していきます。

目次

奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺害事件とは

奈良県月ヶ瀬村殺人事件とは当時中学2年生だった被害者が、村八分状態にあった容疑者に山中で首を締められ撲殺された事件です。

犯人の人物像はどのようなものだったのでしょうか。

奈良県月ヶ瀬村殺人事件について、詳細を見ていきましょう。

事件の流れ①1997年5月・中学2年生の浦久保充代さんが行方不明になる

奈良県月ヶ瀬村殺人事件は、添上郡月ヶ瀬村という場所で起きた殺人事件です。

1997年5月4日、奈良県添上郡月ヶ瀬村で当時13歳だった中学2年生の女子生徒Aが卓球大会の帰りに行方不明となった[1]。

村人、警察が通学路を捜索していると、Aのスニーカーが発見され、道路にはタイヤ痕、ガードレールには血痕が付着していた。近くの西部浄化センターの公衆トイレでは切り裂かれたAのジャージと、血だらけのダウンベストが発見された。

警察はAがひき逃げや事件に巻き込まれた可能性があるとして捜索を開始した

引用元:Wikipedia

ことの発端は、当時13歳の女子生徒が行方不明になったことから始まりました。

後にこの女子生徒が山中で首を絞めて石で撲殺されたことが判明したという事件です。

事件の流れ②浦久保充代さんのスニーカーが発見される

奈良県月ヶ瀬村殺人事件を警察が捜査を開始したところ、あるものが発見されました。

被害者である浦久保充代さんのスニーカーが発見されたのです。

他にも、ジャージと血だらけのダウンベストが発見されたそうです。

事件の流れ③当時25歳の丘崎誠人が容疑者として浮上!

奈良県月ヶ瀬村殺人事件のその後の調査で容疑者が浮上しました。

その容疑者とは、丘崎誠人という人物でした。

丘崎誠人は当時25歳でこの村の住人だったようです。

事件の流れ④浦久保充代さんに対する略取誘拐の容疑で丘崎誠人が逮捕

略取誘拐の容疑で、丘崎誠人という人物が逮捕されました。

警察は聞き込み調査を行い、丘崎誠人をマークしたそうです。

通学路にタイヤ痕があったことと丘崎誠人が四輪駆動車を所有していたことが決め手になったようです。

事件の流れ⑤警察の追及により犯行を認める

丘崎誠人は逮捕後、警察の追及により犯行を認めました。

丘崎誠人は動機について、偶然見かけた被害者に”家に送ってあげる”と声をかけたが無視されたのがきっかけだったようです。

加えて、村八分のストレスが原因で被害者を山中で首を絞めて石で撲殺したと供述したそうです。

事件の流れ⑥供述により遺体が発見される

丘崎誠人の供述により遺体が発見されました。

供述によると、遺体を三重県御斉峠付近で捨てたとのことでした。

その供述をもとに、警察が付近を捜索したところ白骨化した遺体が発見されました。

月ヶ瀬村殺人事件の動機がヤバすぎる?丘崎誠人の壮絶生い立ち7選!

奈良県月ヶ瀬村殺人事件の動機がヤバすぎると言われているようです。

また、丘崎誠人の生い立ちも壮絶と言われているそうでうす。

犯人の動機や生い立ちを調査しました。

動機は村八分による恨み?!

事件の舞台となった月ヶ瀬村では、容疑者の丘崎家は”村八分”の状態だったと言います。

そもそも”村八分”とは、簡単にいうと差別行為を表した言葉のようです。

ある地域に住む多数の者が結束して、特定の1人又は数人に対し永続的にに関わりを持たないことだそうです。

しかし、葬儀と火災の2つについては周囲に被害が及ぶ可能性が有り、仕方なく関わりを持ちます。

つまり全ての関わりを10とすると、この2つを除いて(10-2=8)で残りの8から”村八分”という言葉の由来になっているようです。

丘崎誠人は村で差別されたような状態になっていたようですね。

丘崎誠人の生い立ち①両親は朝鮮人と日本人のハーフ!部落出身との声も?

丘崎誠人は両親が朝鮮人と日本人のハーフとの噂があります。

事実、丘崎誠人の両親は共に日本人と朝鮮人のハーフだったようです。

また、朝鮮人とのハーフということが丘崎誠人の人生に大きく影響を及ぼすことになったようです。

丘崎誠人の生い立ち②母親はネグレクト?!父親には愛人がいた?

丘崎誠人の母親はネグレクトをしていたとの話があります。

丘崎家は母親も働く共働きの家庭で、子どもにお金だけ与えてネグレクトの状態だったようです。

また、両親は不仲で父親には愛人がいたとの話もあります。

母親が料理を作ってくれず、代わりに姉が食事を作っていたんだそうです。

丘崎誠人の生い立ち③差別や嫌がらせが日常茶飯事!

丘崎誠人は、差別や嫌がらせが日常茶飯事だったようです。

例えば、村で何かしらのトラブルが起こると、丘崎誠人は真っ先に疑われていたそうです。

子供の頃は、”一緒に遊ぶな”、”近づくな”などと言われていたようで孤立していたとのことでした。

さらに朝鮮とのハーフだったことから、”チョーセン”と呼ばれ馬鹿にされていたという話もあります。

丘崎誠人の生い立ち④トイレも風呂も無い物置小屋のような家だった?

丘崎誠人は、月ヶ瀬村で物置小屋のようなボロボロの家に住んでいたそうです。

村八分状態だったため、普通の家を借りたりすることはできず、祖父の計らいでかろうじて住むことができたのが物置小屋のような家だったといいます。

その家の状態はあまりに酷く、日当たりが悪い上にトタン屋根とベニヤ板の壁ですきま風が吹くような家だったと言われています。

下水道敷設の分担金が支払えず、トイレは無くて風呂は薪で沸かすしかなかったようです。

丘崎誠人の生い立ち⑤不登校になり家庭内暴力も?

丘崎誠人は中学2年生で不登校になってしまったようです。

また、その頃から生活が荒れ始めて家族に対し暴力を振るうようになったと言われてます。

ちなみに、丘崎誠人は不登校になった理由を教師からの体罰であったと発言したそうです。

丘崎誠人の生い立ち⑥仕事が長続きせず月ヶ瀬村に出戻り?!

丘崎誠人は、中学卒業後は奈良県内の測量事務所でアルバイトを始めたと言われています。

その後も、大阪や東京で調理師の仕事をするも長く続かず、月ヶ瀬村に戻ってきていたそうです。

戻ってからも土木作業員や警備員、左官見習いなどの仕事をしますがこれらも長続きせず、最終的には無職になったようです。

丘崎誠人の生い立ち⑦母親と姉が村で慰み者にされていた?!

丘崎誠人の母親と姉は慰み者にされていたという情報があるそうです。

当時、村に長く住んでいる老人がそのような発言をしていたようです。

母親や姉の元に村の男達がやって来ては事に及んでいたそうです。

ちなみに姉は子供を産んでいるようですが、その父親は誰なのか分からないとのことです。

奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件の判決は?月ヶ瀬村のその後は?

奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件の結末はどうなったのでしょうか。

丘崎誠人に対し、どんな判決が出たのかも気になりますね。

その後、殺人事件のイメージが付いてしまったであろう月ヶ瀬村がどのようになったかも見ていきましょう。

丘崎誠人は逮捕前にインタビューを受けていた!?

奈良県月ヶ瀬村事件は、全国的にも報道された大事件でした。

被害者の失踪後に、マスコミが月ヶ瀬村の住人にインタビューを行っていたようです。

そのマスコミのインタビューに、何と犯人である丘崎誠人も出ていたというのです。

丘崎誠人は何食わぬ様子でインタビューを受けていたようですが、狂気を感じる方もいるかもしれませんね。

丘崎誠人には無期懲役の判決!

丘崎誠人は裁判で無期懲役が言い渡されました。

丘崎誠人の犯行動機は、ほとんど酌むべき事情にはならないとの理由で情状酌量はされなかったようです。

一審では懲役18年だったようですが、検察側が控訴して二審では無期懲役の判決となりました。

丘崎誠人は刑務所内で自殺?!

丘崎誠人は最後は自殺したと言われているようです。

服役生活をしていた丘崎誠人は、2001年に刑務所内で首を吊って自殺したそうです。

特に遺書も残されることもなく、自殺の真相は現在も不明のままのようです。

丘崎の両親と姉の現在は?

事件後、丘崎家の家は取り壊されたようです。

そのため、両親や姉は現在どこでどういう生活を送っているのかは全くもって不明です。

そもそも、現在も健在なのか分からない状態です。

現在月ヶ瀬村は消滅?!

月ヶ瀬村は現在、奈良市と合併し、村としての存在は消滅しています。

ですが、特有のしきたりやコミュニティ制度自体は残っているようです。

現在の日本でも、未だに閉鎖的な環境が根強く残されているのは恐ろしく感じる人もいるかもしれませんね。

奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件を題材にした映画が存在する!?

何と、奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件を題材にした映画が存在するとの噂があります。

その映画とは、”楽園”というタイトルの映画です。

映画の登場人物が村八分により狂気に陥り、恐るべき事件に発展する様がこの事件に似ているそうです。

ストーリー
ある地方都市で起きた少女失踪事件。家族と周辺住民に深い影を落とした出来事を機に知りあった孤独な青年・豪士と、失踪した少女の親友・紡。それぞれの不遇に共感しあう2人だったが、12年後再び同じY字の分かれ道で少女が姿を消したことから事態は急変する。

引用元:U-NEXT

奈良県月ヶ瀬村殺人事件は閉塞された悪き風習が生んだ悲劇

今回は、奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件について調べました。

丘崎誠人の犯行は決して許されるものでは無いですが、生い立ちを聞くと同情してしまう人もいるのではないでしょうか。

また、丘崎誠人を歪めてしまったのは村の風習が原因とも考えられますね。

事件の部分的な情報だけ聞くと、丘崎誠人は単に凶悪な人物という印象を受けますが、彼の生い立ちを知ると事件の印象がガラッと変わり、何かと考えさせられる事件だったのではないでしょうか。