山口百恵の死因はがんで確定?母親の死因に医者のクズ父親が関与していた!

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70年代に数々のヒット曲を歌い、一時代を築いた女性アイドル歌手の山口百恵さんを皆さんご存知でしょうか?

1980年10月5日の日本武道館公演を最後に歌手活動を引退した百恵さんですが、なんとがんによる死亡説や母親の死因や父親のクズぶりが表面化されたのです。

そこで今回は、山口百恵さんの死亡説の噂や生い立ち、両親にまつわる噂などについて詳しく解説して参ります。

山口百恵が死亡?母の山口正子の死因は自殺?

すでに引退から40年近くが経過している山口百恵さんですが、一部で死亡説や母親が自殺したなどといった噂が広がっています。

一体これはどういうことなのか気になりますね。

ここからは、百恵さんの死亡説や母親の死因について解説していきます。

山口百恵は病気で闘病中?死因はがん?

結論から言いますと、百恵さんは亡くなっておらず元気に過ごされています。

また、癌など病気になったという情報も一切ありません。

一部ネットでは、「肝臓癌で闘病中」と書いてあるところもありますが、これはヤフー知恵袋やChat-GPTを基に作られたデマであるとされています。

百恵さんは引退後、公の場にはほとんど姿を見せていません。

そのため、このように好き勝手に書かれてしまっているのかもしれません。

山口百恵の母・山口正子の死因は?いつ亡くなった?

山口百恵さんのお母さんは、山口正子さんと言います。

山口正子さんは、すでに1989年に亡くなっていて死因は現在まで公表されていません。

元々は看護師の仕事をしていて、百恵さんがデビューしてからも忙しい仕事の合間を縫って、5つ下の妹さんと3人で旅行にも出かけていました。

正子さんは家庭の問題で苦労をしていたので、百恵さんは何とか母を楽にしたいと必死で頑張ったそうです。

引退から40年近く経っても多くの方に愛されている百恵さんですが、正子さんの存在があったからこそ今でもこれだけ愛されているのかもしれませんね。

山口百恵の壮絶な生い立ち!父親がクズ医者過ぎてトラブル多発!

カリスマ歌姫として伝説となっている山口百恵さんですが、実はかなりの壮絶な人生を送っていたことがわかりました。

そして母の山口正子さんとは対照的に、医師だった父親はかなりのクズでトラブルが絶えなかったそうです。

ここからは、山口百恵さんの壮絶な生い立ちについて解説していきます。

生い立ち①山口百恵は母子家庭で育った!生活保護を受けていた?

実は山口百恵さんは、生まれた頃から母子家庭で育っています。

母親は前述したように山口正子さんですが、実は父親は家庭を別に持っていて正子さんは愛人だったのです。

百恵さんはこれに強いショックを受けて、「自分には父親はいない」という認識で過ごしてきました。

母と妹と3人で共同風呂付きの木造アパートの2階で暮らし、一時期生活保護を受けるなどかなり生活は厳しかったそうです。

生い立ち②山口百恵の父親は久保茂で医師!非摘出子として育つ

山口百恵さんの父親の名前は、久保茂という名前で職業は医師だったそうです。

久保氏には実は別に妻がいて、百恵さんの母である正子さんとは愛人関係でした。

つまり、百恵さんは非摘出子というかなり複雑な生い立ちだったのです。

父親は金銭的にはかなりのルーズだったようで、子供の養育費を払わないなど何度も正子さんを金銭面で裏切ったりと、中々のクズな性格だったと言えるでしょう。

山口百恵が芸能活動を開始すると父親が金を要求するようになる!

山口百恵さんは1972年、人気番組「スター誕生!」に出演して20社から指名を受けた後、1972年に「としごろ」でレコードデビューを果たしました。

しかし、百恵さんが芸能活動を始めると、父親のクズぶりが酷くなります。

なんと週刊誌に百恵さんが非嫡出子であるというネタを提供したり、有名になったからといって都合良く養育権を取り戻そうとしたり、挙句の果てには所属事務所のホリプロに借金を要求するほどでした。

デビュー前には何一つ金銭的援助をしていなかったのに、有名になった途端にこれなので人としてどうかと思いますよね。

しかも医師という立場を考えたら、実際のところ生活に困って百恵さんの収入を頼る必要は無いはずです。

クズの父親に振り回された百恵さんが気の毒でなりません。

山口百恵が芸能界を引退した本当の理由は父親と縁を切るため?

そして1980年、山口百恵さんは俳優の三浦友和さんとの結婚を発表と同時に芸能界を引退しました。

80年の9月には自叙伝「蒼い時」をリリースし、複雑な生い立ちや三浦さんとの馴れ初めなどが赤裸々に書かれたことで大ベストセラーとなります。

この本の中で、百恵さんは父親に対してこれ以上に無い憎しみの言葉を発していたことも話題となりました。

そして、引退理由は結婚以外にも父親と縁を切るためでもあったのでは?と一部で囁かれたのです。

これに関しては噂に過ぎませんが、あれだけ金銭的に苦しめられたのですから百恵さんの苦しみは相当なものだったのかもしれませんね。

山口百恵は所属事務所とも揉めていた?

実は百恵さんは、所属事務所だったホリプロとも揉めていた過去があります。

引退理由の1つとして、自叙伝の内容についてホリプロの堀威夫氏と衝突し、懇意にしていた制作部長の方と独立する考えもあったそうですが、ホリプロ側に説得されたことで百恵さんは引退を決意したとされているそうです。

もし独立が成功していたら、そのまま芸能界に残っていたとされて、三浦さんとの結婚も無かったのではないかと言われています。

山口百恵の経歴とは?21歳の若さで芸能界を引退!

山口百恵さんは1973年に若干14歳で歌手デビューを果たし、数々のヒット曲を世に送り出して1980年に21歳の若さで芸能界を引退しました。

わずか7年の間に世間に強烈な印象を植え付けた百恵さんですが、その芸能生活とは一体どんなものだったのでしょうか?

ここからは、山口百恵さんの芸能生活について解説していきます。

1972年:山口百恵は「スター誕生!」をきっかけに芸能界デビュー!

百恵さんは1972年、同じ年の森昌子さんがテレビで活躍しているのを見て、「自分もこの場所で歌いたい!」と憧れを持ち、日本テレビの「スター誕生!」に出演し準優勝を果たしました。

これがきっかけでホリプロにスカウトされて、1973年に「としごろ」でレコードデビューをします。

その後、森昌子さんと桜田淳子さんと共に、「花の中3トリオ」として一声を風靡しました。

歌手としては、「ひと夏の経験」、「プレイバックPart2」、「いい日旅立ち」など数々のヒットを飛ばし、それらは現在でも歌い継がれている名曲です。

同じ頃、後に夫となる三浦友和さんと、映画「伊豆の踊り子」やTBSドラマ「赤いシリーズ」などで共演し、「ゴールデンコンビ」として高い人気を誇りました。

1980年3月:山口百恵は三浦友和と婚約したことを発表!

1979年の大阪でのコンサートで、百恵さんは「三浦友和さんと結婚を前提に交際しています」と突如宣言してファンを驚かせました。

そして翌年の3月7日、百恵さんは三浦さんと正式に婚約するのと同時に芸能界引退を宣言します。

引退理由についてさまざまな憶測が流れましたが、10代をあまりにも早く駆け抜けていったので燃え尽きてしまったのかもしれませんね。

1980年9月:山口百恵は自叙伝「蒼い時」を刊行して芸能界を引退!

そして1980年9月、自らの複雑な生い立ちや三浦さんの恋愛に関する秘話をまとめた自叙伝「蒼い時」が刊行されました。

発売当初から話題を呼んだこの本は、200万部を超えるベストセラーとなります。

10月5日に行われた日本武道館コンサートでの、最後にマイクをステージに置いて立ち去る姿は、今でも語り継がれるほど有名なシーンです。

翌10月6日には、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」の引退特集番組に出演し、10月13日の日本テレビの特番が最後のテレビ出演となりました。

11月には結婚式を挙げて、その後は一切メディアへの出演はありません。

山口百恵の現在3選!止まらないマスコミの取材がヤバい!

引退から40年以上経つ百恵さんですが、姿を見せないことでどうしても現在の姿を収めたいというマスコミの取材がしつこいと批判されています。

百恵さんは結婚後、シンガーソングライターの三浦祐太郎さんと俳優の三浦貴大さんと2人のお子さんに恵まれました。

ここからは、百恵さんの現在の様子について紹介していきます。

現在①山口百恵はキルト作家として活動している?

百恵さんは芸能界引退後、子供のために家の中でも楽しめるものとしてッチワークキルトを自己流で製作を始めました。

1988年にはキルト作家の鷲沢玲子氏の指導を受けて本格的にキルト作家として活動し始め、現在では全国のキルト展で実際に製作された作品が展示されています。

上記の作品は実際に百恵さんが作られた作品ですが、やはり歌手だけで無くキルト作家としても素晴らしい才能があったんだというのがよくわかりますね。

ちなみに、キルト展の際には百恵さんは自らの写真を公開しています。

引退から40年近く経過してますが、今でも変わらない可愛らしさがありますね。

現在②山口百恵には孫がいる?

百恵さんには、長男の三浦祐太郎さんと奥様で声優の牧野由依さんとの間に女の子のお孫さんがいます。

百恵さんにとっては初めてのお孫さんとなり、2022年の3月に生まれました。

初めてのお孫さんということで、百恵さんはお孫さんが好きなアニメを見て遊んだりと、おばあちゃん気分を楽しんでいるそうです。

新型コロナの影響もあり、ここのところ新作の発表の場がなかった中で開催された今回の展示会。3年ぶりに百恵さんの待望の新作が登場したとあって、彼女の作品の前には、人だかりができる場面も見られた。そこで、長年百恵さんのキルトを見続けてきたキルト関係者たちが口にしていたのが、作風の変化だ。

引用:NEWS ポストセブン

クールな印象のキルト作品を生み出していた百恵さんですが、お孫さんが生まれてからかわいらしいデザインのキルト作品が増えたといわれています。

実際に見てみたいですよね。

現在③山口百恵の収入源は印税?

百恵さんは2019年、引退後初の出版物となる「時間の花束」を出版しました。

この本は、百恵さんが引退後から作り続けたキルト作品を紹介した本です。

発売と同時に話題を集め、なんと20万部近くの売り上げを達成しました。

一部では、現在の収入がこの本による印税と歌手時代の印税収入ではないかと言われてます。

実際に金額として換算すると、物凄い金額になるのは言うまでもありません。

現在④マスコミとトラブル

百恵さんは引退後、マスコミとトラブルを起こしたこともあります。

歌手時代の強烈なカリスマ性と、早期の引退によってその後の動向はマスコミの格好のネタとなり、メディアは引退後の百恵さんをしつこく追い求めました。

大騒動になったのは、長男・祐太朗の入園式のとき。幼稚園に向かう三浦家の車が信号で停止すると、報道陣が取り囲み、車内の長男にまでストロボの光を浴びせかけたのだ。このとき、友和さんは窓の隙間から差し込まれたカメラを奪い取り、百恵さんは車を降りて、カメラマンに平手打ちを食らわせた。

引用元:女性自身

そして、長男の祐太郎さんの幼稚園の入園式の時に、押しかけた週刊誌のカメラマンに対してビンタを浴びせたのです。

百恵さんは子供の頃に苦労した過去があることから、普通の家庭を持つことにこだわりを持ってました。

その後、夫の三浦友和さんがカメラマンに謝罪したそうですが、子供を守ろうとした百恵さんの行動はある意味当然かもしれませんね。

山口百恵は引退後メディアに出ていないが、キルト作家として活躍中!

今回は、山口百恵さんの病気に関する噂や壮絶な生い立ちや、現在の活動の様子について解説してきました。

1980年に歌手を引退した百恵さんは、現在祐太郎さんと貴大さんと2人のお子さんに恵まれてお孫さんが1人います。

現在ではキルト作家として活躍していて、その作品は高い評価を得てることでも有名です。

キルト作家として、今後の百恵さんの活躍に期待したいですね!