【閲覧注意】残酷すぎる凌遅刑とは?刑を受けたのは人物の最後がヤバい?

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現代の死刑では、なるべく苦痛を与えないことが重視されている場合が多いです。

しかし、世界にはこれまでにいろいろな処刑法があり、現代とは逆に苦しみ与える処刑法もありました。

それらかつての処刑法の中でも、特に残酷を言われているのが凌遅刑です。

その残酷さから、凌遅刑は検索してはいけない言葉として扱われることもあるほどです。

では、凌遅刑はどのような処刑法なのでしょうか?

また、どのような人がその刑を受けたのでしょうか?

残酷な処刑法・凌遅刑とは?

凌遅刑は残酷な処刑法であり、検索してはいけない言葉とされることもあります。

では、その残酷な凌遅刑とは、どのような処刑法だったのでしょうか?

どのような処刑法?

凌遅刑は生きたまま肉を切り落としていく処刑法です。

肉は命を落とすまで切り落とされることになります。

しかし、切り落とされる肉は、命を落としにくい場所から順番に少しずつでした。

そのため、なかなか命を落とすことができず、苦痛が長時間に渡って与え続けられる残酷な処刑法です。

あまりにも残酷であったことから、親族が執行側に対してお金を支払って、肉を切る場所の順番を変えてもらうこともあったと言われています。

これは肉を切る順番を変えることで、なるべく早く命を落とすためです。

どこで行われていた?

凌遅刑は清時代までの中国で行われていました。

また、李氏朝鮮時代までの朝鮮半島でも行われていたそうです。

場所によって刑の執行方法に多少の違いはあるものの、生きたまま死ににくい場所から順番に肉を切り落とされる基本スタイルは同じです。

凌遅刑が与えられるのは、国家反逆や皇帝の墓や宮殿などに対するテロリスト行為などをした重罪人でした。

凌遅刑はうっかりネットで検索してしまうと、グロテスクな画像がヒットする可能性があるので注意が必要です。

ただし、画像は当時のものとは限らず、拷問画像やフェイク画像などで凌遅刑に近いものも表示される場合があります。

それらもグロテスクな画像に変わりありません。

また、処刑方法そのものが過激なこともあり、凌遅刑は検索してはいけない言葉に含まれることもあります。

凌遅刑を受けた人はいる?

凌遅刑はその残酷さから、中国史上最も残酷な処刑法と言われています。

では、その残酷な処刑法を実際に受けた人はいるのでしょうか?

劉瑾

凌遅刑を受けた有名な人物の1人が劉瑾(りゅうきん)で、皇位の地位を奪う計画を立てたとして凌遅刑に処されました。

劉瑾は3000回ほど肉を切り落とされましたが、それでも命を落とすことができませんでした。

そのため、初日は処刑が中断されて獄舎に戻されます。

夕食では粥を2杯食べたとされています。

処刑は2日目に突入し、さらに300回~400回ほど肉を切り落とされて、ついに劉瑾は命を落としました。

袁崇煥

袁崇煥(えん すうかん)は明の諸葛亮孔明と呼ばれた明末の武将です。

しかし、謀略によって謀反の疑いをかけられたことで、凌遅刑に処されてしまいました。

優秀な袁崇煥を失ったことが、明は滅亡の要因の1つとなったと言われています。

洪天貴福

洪天貴福(こう てんきふく)は太平天国を建国した洪秀全の長男で、第2代天王です。

父である洪秀全が亡くなった際に、天京(南京)で即位しました。

しかし、天京攻防戦によって天京が陥落し、洪天貴福は逃亡することになります。

その後に捕らえられて凌遅刑を受けました。

凌遅刑を受けたときの洪天貴福の年齢は15歳であり、凌遅刑を受けた最年少と言われています。

鄤(てい まん)は官僚登用試験である科挙に合格して官僚となった人物です。

その鄤は大学士の温体仁(おん たいじん)の怒りを買ったことで、妹と次男の妻への性的暴行と母への暴力の罪を着せられ凌遅刑となりました。

鄤の処刑には多くの市民が見物に来て、鄤の切り落とされた肉を拾って販売する者もいたそうです。

康小八

康小八は北京や天津で活動していた義賊で、国家の金を何度も盗んでいました。

その康小八は、捕まって西太后の前で傲慢な態度を取ったことで、西太后を怒らせて凌遅刑となりました。

刑を行われたのは1905年で、凌遅刑を受けた最後の人物と言われています。

福岡一家殺害事件で凌遅刑が行われた?

凌遅刑は中国や朝鮮半島で行われていた処刑法です。

しかし、その凌遅刑が日本で行われたと言われる事件があります。

その事件は、福岡一家殺害事件です。

では、その福岡一家殺害事件とはどのような事件だったのでしょうか?

被害者宅に押し入り母を襲う

福岡一家殺害事件の犯人は中国人留学生3人で、被害者は夫婦2名とその子ども2名です。

犯人らは被害者宅に鍵のかかっていなかった窓から侵入して、入浴中だった妻を2名で襲います。

犯人の1名は子供部屋で寝ていた長男と長女を見張っていました。

妻は浴槽に頭を押し付けられたことで溺死させられてしまいます。

長男も襲われる

妻を殺害した犯人2名は現金やキャッシュカードなどを物色して、子どもたちを見張るもう1名の犯人がいる部屋に向かいます。

犯人らはキャッシュカードの暗証番号を聞きだすために、夫の帰宅を待つことにします。

また、夫から暗証番号を聞きだすための人質は1人で良いという判断から、長男が絞殺されました。

夫が帰宅する

夫が帰宅すると、犯人らは大声で夫を呼びつけました。

犯人らは長女にナイフを突きつけながらキャッシュカードの暗証番号を聞き出します。

このとき、夫が拷問され、その拷問方法が凌遅刑だったと言われています。

しかし、凌遅刑ではなく絞殺しようとしたが、夫がなかなか死ななかったので、ひとまず殺害を後回しにしたとも言われています。

暗証番号が聞き出されると、長女が絞殺されました。

遺体を海に遺棄する

犯人らは妻と子どもらの遺体と瀕死になった夫を車で博多湾の岸壁まで運びました。

遺体にはダンベルや鉄製の重りなどを付けて海に投げられました。

また、夫も溺死させれてしまいます。

犯行後、犯人2人は事件発覚を恐れて中国へ逃げます。

犯人の1人は旅費が工面できなかったことで、知人女性にお金を借りることにしました。

しかし、女性のアルバイト先に来たことに文句を言われ、腹を立てた犯人は女性に暴力を振るいます。

その後、お金を準備した犯人でしたが、暴行の罪で出国前に逮捕されます。

中国へ逃げた2名のうち、1名は別の事件で中国公安当局に身柄を拘束されました。

その事情聴取で福岡での事件に関与していたことを認め、残りの1名も中国公安当局に身柄を拘束されることになりました。

凌遅刑は非常に残酷な処刑法

凌遅刑は生きたまま命を落とすまで肉を切り落としていく処刑法です。

また、肉は死ににくい場所から順番に切り落とされるため、なかなか命を落とすことができなかったと言われています。

その残酷さから中国史上で最も残酷な処刑法とも言われています。

当然ながら、現在ではそのような処刑法は行われていません。

世界にはかつていろいろと残酷な処刑法がありました。

それらの処刑法を歴史の1つとして知っておくようにしましょう。