皆さんは豊田商事事件をご存知でしょうか?
1980年代前半に悪徳商法を手口とした詐欺事件として知られ、その後に最悪の結末を迎えてしまった事で日本史に残る事件として今も語られています。
高齢者をターゲットにした巧妙な手口で多額の金銭を騙し取っていた豊田商事の会長である永野一男がマスコミの前で男に刺殺されたことが当時の日本に衝撃を与えました。
永野一男殺害の瞬間をマスコミが撮影し、刺されて血塗れになった永野の姿が雑誌やテレビでそのままモザイクなしに写し出されたことも、今では考えられないですね。
今回は、そんな豊田商事会長刺殺事件での豊田商事会長永野一男の最後の姿と、事件写真と永野の殺害を企てた殺人犯の正体と現在について調査してみました。
目次
【豊田商事会長刺殺事件】永野一男の最期の叫び声や一部始終が生中継!?
1985年6月18日、巨額の詐欺事件を起こして警察に告訴されていた豊田商事会長の永野一男が逮捕されることを聞きつけたマスコミは、大阪市北区の永野の自宅マンションに集まっていました。
しかし突然2人の男が永野の部屋に侵入し、永野の頭部など全13ヶ所を刺して殺害したのです。
偶然その様子がテレビ中継されていたことで、永野が殺害される時の断末魔の叫びや血まみれの永野が搬送される姿がそのまま放送されました。
このような壮絶なシーンがテレビで流れたことから、豊田商事事件と同時に豊田商事会長刺殺事件は日本の犯罪史に残る重大事件として現在も語り継がれています。
一体どうしてこのような残忍な事件に発展してしまったのでしょうか?
豊田商事事件とは?「ペーパー商法」と呼ばれる卑劣な手口とは?
豊田商事巨額詐欺事件は悪徳商法による現金詐欺事件で、その被害総額は約2,000億円とも言われている悪質なものでした。
多くの被害者は証券の知識がない高齢者中心で、「純金ファミリー契約証券」という地金を購入させて後ほど現物を会社から渡すと約束して強引に契約させたのです。
しかし実際には契約者に現物は渡さず、預かり証として手元に渡った証券は単なる紙切れだったという典型的な「ペーパー商法」でした。
さらに消費者を信頼させるために、有名人を起用したCMを流して優良企業であることをアピールして騙そうとしており、卑劣な手口であることがわかります。
詐欺被害総額がヤバい?永野一男は殺されることを恐れていた!?
豊田商事が起こした一連の詐欺被害の総額2,000億円というのは、当時の日本の巨額詐欺事件で最大の被害総額でした。
それだけに会長の永野は色々な人間から恨みを持たれていたことは確実で、現に永野を刺した犯人も、詐欺被害者の元上司だったと自称していました。
積もり積もった恨みが一気に爆発してしまった事で起こってしまった悲劇と言えるでしょう。
永野一男の最期の叫び声が悲惨すぎる!?2人の男に滅多刺しにされ死亡!
巨額の詐欺事件を起こした豊田商事の会長だった永野一男の最後は、自宅マンションで大勢のマスコミの前で2人の男に刺されて叫び声を上げて亡くなるという悲惨なものでした。
大勢のマスコミがいたにも関わらず、誰も助けようとはしなかったのでしょうか?
永野の姿を見た犯人の怒号や刺された瞬間の永野の断末魔の叫び声も同時にテレビで放映され、しかもそれが生中継で起こってしまったというのが驚きです。
因果応報とはいえ、誰も自分を助けてくれる人はおらず、2人の男に囲まれて絶望の中で永野一男は命を落としたことが容易に想像できますね。
豊田商事会長刺殺事件は生中継されていた?一部始終の動画も存在する?!
豊田商事会長射殺事件は、テレビで犯人が刺殺される様子が生中継されるという前代未聞の展開を見せました。
実は今でもYouTube内には当時の様子を写した動画があって、叫び声など生々しい様子を閲覧することができます。
この動画の中で犯人がドアを突き破って侵入していく姿を冷静に写しているカメラマンがいるのが非常に恐怖を感じます。
当時のマスコミは、突然のことで恐怖もあったのでしょうが犯人の行動を止める人は1人もいなかったそうです。
自分が巻き込まれたく無いからマスコミ連中も傍観してたのかもしれませんが、一方であれだけの犯行を行ったのだから当然の報いだと思った人もあの場にいたのかもしれませんね。
永野一男の最期の写真がFOCUSに掲載?13か所を銃剣で滅多刺し?!(閲覧注意)
永野の家に侵入した2人の男は、メディアのカメラの前で永野を滅多刺しにしたのです。
永野の部屋は血塗れになっていて、事件の様子を放送していたNHKのアナウンサーも、「子供に見せないでください!」と大声でアピールしたほどの悲惨ぶりだったそうです。
そして、犯人の写真と血塗れの永野の最後の姿を、写真週刊誌「FOUCS」が掲載し物議をかましました。
こちらがその実際の写真です(閲覧注意)
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この時まだ永野は息をしていたようですが、13ヶ所を斬られていたせいで出血多量を起こし、事件の45分後に亡くなりました。
永野一男が殺害されたマンションは大島てるに掲載されている?
この凄惨な事件の起こったマンションの名前は、大阪府にあるストークマンション扇町であることがわかりました。
その住宅は大阪天満宮の近くにあり、現在でも事件の起こった502号室は誰かが住んでいる可能性があります。
ただ、事故物件サイトとして有名な大島てるさんのサイトには、ストークマンション扇町は含まれていないことがわかりました。
サイトに掲載されない理由があるのでしょうか?真相は謎のままでした。
永野一男の生い立ちや女性遍歴も調査!
永野一男は、巨額の詐欺事件として全国に名前が知れ渡った豊田商事を創業したことでも知られていますが、その生い立ちとは一体どのようなものだったのでしょうか?
また永野には殺害された当時、真剣交際をしていた女性がいたことも判明しています。
永野一男というのは、一体どんな男だったのでしょうか?
ここからは永野一男のプロフィールや生い立ち、愛人の存在について紹介します。
豊田商事会長・永野一男のプロフィール
- 出身地:岐阜県恵那市
- 生誕:1952年8月1日
- 暗殺日:1985年6月18日
岐阜県恵那市で生まれた永野一男は、15歳の時に島根県浜田市にある母親の叔父の家に預けられてそのまま中学を卒業します。
集団就職によってデンソーに就職しましたが、2年で退社しその後は先物取引きの会社に就職しましたが、顧客から預かった3,000万円を小豆相場につぎ込み会社を解雇されてしまいます。
その後は岐阜県の大垣競輪場のトイレで盗みを働いて逮捕されるなど荒れた生活をしていました。
逮捕から5年後の1981年に「大阪豊田商事株式会社」を設立し、翌年に「豊田商事株式会社」に社名を変更します。
永野が「豊田商事」と名付けた理由は、自動車大手の「トヨタ自動車」の系列会社と錯覚させるために命名しました。
永野一男の生い立ちがヤバい!?母親が新興宗教へ多額の献金をしていた?
永野一男の実家は、父親が元々障害を持っていたこともあって働くことができずに生活は困窮していました。
そのため家計を支えていたのは祖父でしたが、祖父が亡くなったことで永野は母親の実家である島根県浜田市に引っ越しますが、母親も突然失踪し、永野は叔父の家に預けられました。
この時母親が行方不明になった理由が、実は創価学会へ多額の借金をしていたのでは?と噂になっています。
しかしこれに関しては裏付けなども存在していないことから1つの陰謀論として認識されているようです。
永野一男の女性遍歴は?殺される直前まで愛人と会っていた!?
永野一男が殺害されてから半年後、殺害されたマンションに若い女性が花束をお供えしました。
実はこの女性は大阪北新地でホステスをしていた女性で、永野とは生前愛人の関係だったそうです。
女性と永野は、事件が起きる半年前に知り合ってデートを重ねていました。
事件はお店のお客さんによって伝えられたそうで、事件現場に花束を持って泣き崩れた様子が文藝春秋に掲載されることになります。
噂では永野には生前数多くの愛人がいたと噂されていたようで、心のやすらぎとして愛人を全国に作っていたのでは?と言われています。
豊田商事元社員と殺人犯の現在とは?2000億円の行方はどこに!?
全国で組織まがいの詐欺を繰り返した豊田商事は会長の殺害という形で倒産しましたが、実は永野を殺害した2人の男はすでに服役を終えて釈放されていることがわかりました。
そして豊田商事倒産後、ある有名企業の社長になった元社員がいることが判明しています。
永野を殺害した犯人は現在どこで何をしているのでしょうか?
豊田商事を経て会社の社長になった人物の詳細と合わせて解説していきます。
殺人犯・飯田篤郎と矢野正計の現在とは?殺害直後に出頭し現在も服役中!?
永野一男を殺害したのは、「まことむすび誠心会代表委員」と名乗る鉄工所勤務の飯田篤郎(当時56歳)と建築作業員の矢野正計(当時30歳)の2人でした。
飯田は殺人の動機に関して当初は「人から頼まれたが言えない」と言っていましたが、「豊田商事のやり方が気に入らないので永野を殺した。人に頼まれていない」と主張を変えています。
主犯格は飯田で、矢野とは事件の5年前に鉄工所で知り合ったそうで、この犯行の際も電話で矢野を呼び出して一緒に犯行に及びました。
実は飯田は当時5億円の借金を抱えており、背後では誰かが飯田を操っていたのでは?との疑いがかけられましたが、はっきりしたことはわかっていません。
2人は現行犯逮捕され、裁判の結果飯田に懲役10年、矢野には懲役8年の判決が下されました。
その後刑期を終えた2人は釈放され、現在は普通に生活しています。
現在80代の飯田は近畿地方で静かに暮らし、60代の矢野は結婚し子供にも恵まれて静かに暮らしていると噂されているそうです。
豊田商事元社員の幹部は大企業の創業者になっていた?!
会長である永野一男の死によって倒産した豊田商事ですが、実は元社員が誰もが知る有名企業の創業者だったということがわかりました。
その人物とは、大手うどんチェーンの「はなまるうどん」を創業した前田英仁さんです。
2004年に週刊新潮によって、前田さんが実は豊田商事の元社員だった過去があるということが紹介され、当時の事件を知る人を中心にちょっとした騒動となりました。
このことで社長が東証に提出した目論見書にそのことが記載されてなかったことで、東証から株式公開を延期するように要請されたのです。
延期が発表されたのは2003年ですが、延期の理由など具体的なことについては現在でもわかっていません。
豊田商事による詐欺被害総額2000億円は何に使われた?
豊田商事は、会長である永野の死によって破産へと追い込まれてしまいました。
詐欺による被害総額2,000億円は従業員の人件費と会社の運営費にあてられたとのことですが、ほとんどは永野個人の先物取引の失敗や会社の損失でほぼ消えてしまっていたようです。
その影響か殺害時の永野の所持金はたったの711円でした。
つまり豊田商事には資産と呼べるものはほどんどなかったのです。
豊田商事は現在も存在している?!今も詐欺被害者が増加中?
事件から40年近くが経過した豊田商事の詐欺事件ですが、実は今でも豊田商事の元社員の残党が詐欺まがいの行為を行っているとされています。
その代表的な存在が、2008年に原野商法詐欺を行って逮捕された「ワールドリゾート」の代表の北村一富です。
他にも、霊感商法で高額な仏具を買わせた宗教法人「幸運乃光」の代表の小沢茂夫も有名で、彼は所得隠しやビルの不法占拠などの悪の限りを尽くしたことでも知られています。
「はなまるうどん」の創業者のように、正しい道を進んで成功を掴んだ元社員もいますが、一方でその後も詐欺の味を忘れられない人間がいるのも事実です。
そう考えれば詐欺を働いた彼らも豊田商事の被害者なのかもしれませんね。
殺害された永野一男に影武者説も?
豊田商事会長刺殺事件に関しては、実は殺害されたのが影武者だったのではという説が現在でもあります。
なぜなら、あれだけの知名度のある会社の社長がどうしてあれだけセキュリティの甘いマンションに住んでいたのかなど今でも疑問となっているようです。
また永野が殺害された後、遺体の確認をしたのが家族だけだったことも疑問視され、これも殺害されたのが影武者だったのでは?という噂を強くしています。
つまり裏で永野を操っていた黒幕がいたということになり、その黒幕こそが豊田商事の本当の社長だったのでは?という噂も一部であるのです。
口封じで殺されたという噂もありますが、これらの情報はあくまで憶測であり、現在でも真実はわかっていません。
豊田商事の永野一男殺害事件は現在も不可解な点が多い
今回は、1985年6月18日に起こった豊田商事会長刺殺事件の詳細と事件が起こった背景について解説してきました。
豊田商事は80年代に巨額の詐欺を働いた会社であり、最終的には会長が自宅マンションでマスコミの前で男に殺害されるという衝撃の結末を迎えた事件として、今でも語り継がれています。
しかし、この事件には犯人の殺害動機がはっきりしなかったり口封じで殺された説があったりと、現在でも不可解な点が多い事件としても有名です。
また豊田商事の残党がその後詐欺事件を働いて逮捕されるなど、事件は大きな影響を各方面に与えました。
豊田商事の残党にも因果応報が起こらないうちに改心することを願うばかりです。