ラブラドール事件とは?世界最大の獣害で集落が全滅した歴史上最悪の食人事件!?

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1886年にカナダで発生したラブラドール事件、歴史上類を見ないほどの獣害事件と呼ばれています。

しかし、wikiには「ラブラドール事件」は記載がなくデマなのではないか、という声もあがっていました。

この事件は飢餓、ホッキョクグマ、そして食人というワードと共に当時の紙面をにぎわせていましたが、記事によると3500人ほどが犠牲になったと言われているのです。

あまりにも悲惨すぎるラブラドール事件の真偽は、どこにあるのでしょう。

イヌイットの少数民族を襲った歴史上最悪の獣害事件を、これから詳しく紐解いていきます。

ラブラドール事件はホッキョクグマの獣害!飢餓からの食人で地獄!?

2015年のアメリカ映画「Unnatural」では、ホッキョクグマが人間を襲撃し続ける姿が描かれていましたが、この恐ろしい内容は、一部現実として語り継がれていました。

1886年におきたラブラドール事件の舞台は、カナダ北部のイヌイット族がすむ集落

この事件に関して、当時はアメリカなどで紙面を騒がせていましたが、現在はデマなのではないか、という見方も出ています。

事件がおきた19世紀、イヌイットの人々は飢餓に苦しんでいたと言われており、この食料不足こそが、ラブラドール事件を引き起こすきっかけとなったのです。

ラブラドール事件の根拠は?

現在真偽が議論され続けている「ラブラドール事件」ですが、この歴史上類を見ない獣害事件があったとされる根拠は何なのでしょう。

背景を探ってみると、そこには地球温暖化というキーワードが隠されていました。

イヌイット族はアザラシやクジラ、トナカイの生肉を食することで有名ですが、ホッキョクグマも同じものを餌としています。

地球温暖化によって、食事となるアザラシなどが激減し、イヌイット族の人々もホッキョクグマも同じように飢餓状態にあったのです。

さらにホッキョクグマは北極の氷が解けたことで、その生息域を南へ拡大させざる負えない状態。

そんななか、イヌイット族の集落が餌の確保地として襲われたという事になります。

このラブラドール事件は、運よく生き残ったイヌイット族の若者によって伝えられたようです。

ラブラドール事件で犠牲者数は驚愕の数千人!?

1886年というと日本は明治時代、この年カナダのラブラドール地方は飢餓に見舞われていたのです。

同じように、餌が取れず苦しんでいたホッキョクグマは、人々を襲うようになったのでしょう。

28世帯が住むイヌイットの村は、あっという間にホッキョクグマの群れに襲われ、住民たちは皆ホッキョクグマに食べられてしまったといいます。

この時、必死に逃げた4人の若者がおり、うち3人は寒さに凍え死んでいったようです。

そして生き残りはわずか1名、ヨハン・アンデルセンは少ない食料をもって隣町の「ホワイトベア」に駆け込み、自分たちにおきた事件を伝えたといわれています。

彼は仲間や家族がホッキョクグマに襲われ食べられていく様子を見ており、あまりにも悲惨な出来事に、真実として考えられないという人もいたのでしょう。

実は彼の集落以外も、ホッキョクグマに襲われていた集落があり、そちらは集落に住む全員が全滅したということでした。

この出来事は、当時のメディアによって様々に伝えられ、集落を襲ったホッキョククマは1000頭に及び、犠牲者は3500人程とも伝えられています。

ホッキョクグマの食い残しを狼が食い漁った!

たった一人の生き残りと言われているヨハン・アンデルセンによると集落が襲われた時、彼らは小高い岩山に逃げたとのこと。

なんとそこに48時間隠れていたようで、その間家族や仲間が次々とホッキョクグマに食べられていく姿を目撃しました。

しかし彼らの敵はホッキョクグマだけではなく、極地という極寒の寒さが3人を凍死させ、たまたま分厚い防寒着を着ていたヨハン・アンデルセンだけが生き延びたというわけです。

彼は、ホッキョクグマが立ち去ったあと、血の匂いを嗅ぎつけた狼たちが集落に入ったと語りました。

ホッキョクグマが食べ残した人々の体を狼たちが食べつくしたようです。

ヨハン・アンデルセンが隣町にたどりつけたのは、奇跡ともいわれており、隣町の人々は貧しいながらも彼に救いの手を伸ばしたとのことでした。

ラブラドール事件で飢餓からの食人が行われた!?

後にメディアが伝えた情報によると、この時代の飢餓は食人をも引き起こしていたといいます。

ラブラドール地方では、死んだ仲間を凍結させておき、食用にしているという記事が出ました。

当時は、かなりの衝撃を与えた記事となり瞬く間に食人の噂が広まっていったのです。

イヌイット族は、野菜を育てる環境にないため野菜をほとんど食べず、海獣などの生肉を食べます。

生肉を食べる文化が野蛮であると考えられていた時代、食人までしているという記事が真実味を帯び伝えられていったのでしょう。

確かにあまりの飢餓状態の為に、食人をしたというのも否定はできませんが、彼らが本当に食人をしたのかどうかは不明であり、デマである可能性も捨てきれないのではないでしょうか。

ラブラドール事件が起きた集落で生き残った人数が少なすぎる!

引用:Wikipedia

ラブラドール事件で生き残ったヨハン・アンデルセンの外にも生存者がいたようで、当時の記事には他の集落の様子も記載されています。

ラブラドール地方のとある集落では、飢えに耐えられず死んだ仲間の死体を食べていましたが、赤痢が広まってしまい多くの犠牲者を出したのだとか。

また、犬ぞりで集落から脱出した人々は30頭ほどのホッキョクグマに襲われ餌となってしまい、その時必死に逃げた2名は助かったようです。

このようにイヌイットの集落は、一度人間の味を覚えてしまったホッキョクグマたちに襲われ、中には墓を掘り返して死体を貪り食うホッキョクグマもいたということでした。

当然のことながら、イヌイットの人々も抵抗し戦おうとしたようですが、飢餓に苦しむ中で力が出るはずもなく、次々にやられてしまったのでしょう。

貧困に苦しむ極寒の地、簡単に逃げ出せる立地でないことから生き残った人はごくわずかだったのです。

ラブラドール事件はデマだった!?真偽を徹底調査!

当時メディアが騒いだ事件とはいえ、現在wikiを調べて見ても「ラブラドール事件」の記載はありません。

あまりにも信じがたい惨劇だったために、デマなのではないかという意見が支持されているようです。

確かにこの事件の真偽を確かめる方法はありません。

この事件をデマだとする意見の中には、ホッキョクグマは群れない生き物だ、というものがあります。

信じがたい獣害被害の歴史は、作り上げられたデマなのでしょうか。

ラブラドール事件はデマ!?

ラブラドール事件の真偽を語るうえで、国内でおきた獣害事件を見逃すわけにはいきません。

国内では1915年に北海道の苫前郡でエゾヒグマが集落を襲い、7人の死者をだしました。

近年では2016年に十和利山熊襲撃事件が起き、4人がクマに襲われ食べられるという事件が起きています。

1957年頃にはインドで12人を殺害し食べたナマケグマの事件が発生。

一度人間の味を知ってしまったクマは何度でも人間を襲うと言われているようで、まして飢餓状態に陥ったホッキョクグマにとっては、人間は餌以外の何物でもありません

ラブラドール事件が実際に起こっていたとしても、なんら不思議はないのです。

しかし上記したように、デマだという意見の中にはホッキョクグマが群れる動物ではないことを指摘する声が多く聞かれます。

ラブラドール事件が本当に起きた根拠は?

確かにホッキョクグマは普段から群れをつくって行動する動物ではありません。

しかし、2019年には、ロシアで50頭以上のホッキョクグマが村を襲撃しています。

ベルーシャ・グバというロシア北部の村には、人を恐れないホッキョクグマが集団で押し寄せ、住民たちは家から出れない状態だったようです。

地球温暖化で住む場所を追われ飢餓状態にあるホッキョクグマ、南下している彼らと北極圏にすむ人間がぶつかるのは避けて通れないことなのかもしれません。

1000頭のホッキョクグマ、3500人以上の被害者、その圧倒的な数字はもしかしたら記事を書いた者が盛った情報なのかもしれません。

しかし、ラブラドール事件が全くのデマであるとも言い切れないのではないでしょうか。

最悪のラブラドール獣害事件は起こりうる

1886年に起きたとされる獣害事件の真相は、現在謎に包まれており、デマであるという意見も多く出ています。

しかし、当時の記事が残っている以上、何もなかったという事はないのではないでしょうか。

当時、ホッキョクグマに襲われた集落があっても不思議ではありません。

真偽が議論されているラブラドール事件ですが、温暖化が進み南極が疲弊している現在、過去にもそしてこれからも起こりうる事件と言えるのではないでしょうか。