1994年4月26日に愛知県名古屋国際空港(現:県営名古屋飛行場)で、中華航空(現:チャイナエアライン)140便の飛行機が着陸に失敗して炎上した事故を皆さん覚えていますでしょうか?
乗員乗客合わせて264名が死亡したこの痛ましい事故は、1985年の日航機墜落事故に次いで国内で2番目に死者を出してしまった事故として語り継がれています。
一体あの時、機内の中で何が起こったのでしょうか?
今回は、中華航空140便墜落事故の詳細と、生存者のエピソードなど事故の詳細について詳しく紹介します。
目次
中華航空140便墜落事故とは!?概要や生存者・事故の詳細について調査!
国内の飛行機事故で2番目に多い死者を出してしまった中華航空140便墜落事故は、燃えさかる機体と共に今でもセンセーショナルに思い出される事故です。
すでに被害者への損害補償の裁判などは終了していますが、事故原因については様々な説があって現在でもはっきりわかっていません。
ここからは、中華航空機事故の概要や詳細、生存者について紹介していきます。
中華航空140便墜落事故の概要
中華航空機140便墜落事故とは、1994年の4月26日に台北発名古屋行き中華航空機が名古屋空港で着陸に失敗した事故です。
墜落までの様子を時系列にまとめました。
17:53 | 140便が中正国際空港(現台北桃園空港)を離陸 |
19:47 | 名古屋空港管制塔から着陸の許可を受ける |
20:14 | 副操縦士が誤ってゴー・レバーを動かしたため降下せず水平飛行を維持。 |
20:15 | スロットルが固定されているのを副操縦士が見つけ、機長はスロットルを引き戻して操縦桿を強く押す。 |
20:15 | 機長が「ゴーレバー」と発し、副操縦士が管制塔に着陸復航と伝えたが、機体は400m以上急上昇 |
20:15 45秒 | ピッチ角が52度まで下がり、機体が急降下して名古屋空港の滑走路に墜落。 |
事故を起こしたエアバスA300は過去にも重大事故を引き起こしていて、イラン航空やアメリカ航空の事故では200人以上の犠牲者を出しています。
中華航空140瓶の事故は、これらに次ぐ3番目に犠牲者の多い事故となってしまいました。
中華航空140便墜落事故の生存者は!?平成最大の航空事故って本当?
名古屋空港で着陸失敗した中華航空機140便は炎を上げて炎上し、乗員乗客合わせて264名が犠牲になりました。
この事故は平成に日本で起きた航空事故では最大規模のもので、60年近い中華航空の歴史の中で最も最悪の事故として語り継がれています。
この事故で奇跡的に生存できたのはわずか7名だったことからも、事故の凄まじさがわかりますね。
ちなみに生存者の7名の内2名は子供で、7名全て機体の前方や翼の近くに座っていた人であるとされています。
中華航空140便墜落事故の原因がヤバい?まさかの人的ミスだった?!
では一体なぜ、中華航空140便は着陸に失敗してしまったのでしょうか?
事故後に原因が調査された結果、中華航空のパイロットの人的ミスとエアバス機の設計上の欠陥によるものであると結論づけられました。
事故当時の操縦の交代が遅れたことや、副操縦士が誤って操縦桿のレバーを動かしたことによって、死亡した機長ら6人が愛知県警によって書類送検され、後に不起訴となっています。
事故の遺族は原告団を結成して、中華航空とエアバス社を相手に196億2020万円の損害賠償を求め、これは当時の日本の裁判で最高額の損害賠償になりました。
その後裁判は、2003年に名古屋地裁が中華航空へ総額50億3297万4414円の賠償請求を命じ、2007年には中華航空が事故の責任を認めて裁判は決着したのです。
しかしエアバス社には請求は認められなかったことから、遺族団としてはかなり煮え切らない判決になりました。
もし中華航空がしっかりと訓練などを行っていれば、このような事故を防げたかもしれないので、当時の中華航空の体質による責任は重いのではないでしょうか。
生存者の手記「脳みそを戻して」がヤバい!?機内で起こっていた事とは?
中華航空140便の墜落事故による衝撃は凄まじく、多くの方が犠牲になりました。
生存者は7名いましたが、後の生存者の手記によると亡くなった人から「脳みそ戻して」と言われたとされたそうです。
この話を聞くだけでも悲惨さが伝わりますが、この話の真相は何なのでしょうか?
ここからは、これらの証言の真相について解説します。
生存者の手記「脳みそを戻して」とは?!
墜落事故の生存者は後に手記において、前の席の人から「脳みそを元に戻してくれ」と消え入るような声でお願いされたそうです。
実際頭が割れて脳みそが溢れ出ていた状態になっていて、生存者の方は必死で「助けが来ます」と呼びかけたのですが、結局その人はそれからすぐに亡くなってしまいました。
これだけでも、飛行機事故というのがどれだけ悲惨なものであるのかがよくわかりますね。
「脳みそを戻して」は都市伝説という噂も!?
生存者の手記に書かれていた「脳みそ戻して」という言われたエピソードですが、近年これは都市伝説ではないかと疑われていることがわかりました。
なぜなら、あれだけの衝撃の事故の中で乗客が冷静に他人に声をかけれる状態ではないとされるからです。
また生存者でさえ重症を負ってるのですから、誰かを助けている余裕などないかもしれません。
そして、「脳みそ戻して」と伝えた人も、生死の境を彷徨っている時にそんなに冷静に他人にお願いなどできるのか?と冷静になれば考えてしまいます。
このような矛盾点から、「脳みそもどして」と生存者の手記に書かれているのは都市伝説の疑いが強いようです。
社員旅行だったはずが?社員の過半数が亡くなり倒産危機に陥った企業も?
中華航空140便事故の犠牲者名簿の中には、社員旅行で台湾へ出かけたあるタイルメーカーの社員が多数いることがわかりました。
その会社は岐阜県土岐市に本社があるニットーというタイルの会社で、社員の半数にあたる38人がこの飛行機に乗っていて帰らぬ人となったのです。
この社員は当時台湾へ社員旅行に行っていて、その帰りの便で事故に遭遇してしまいました。
犠牲になった社員の多くは会社でも重要なポストだったそうで、一時は倒産の危機に直面したそうです。
それでも何とか残された社員で会社を立て直し、現在ではタイルや景観資材の大手会社として知られています。
社員旅行が一転し、突然の事故で社員を失いながらも、挫けず会社を支えた社員の人達には頭が下がりますね。
墜落事故の生存者の現在とは!?機長が残したボイスレコーダー記録がヤバい?
中華航空140便墜落事故で生存した方はわずか7人ですが、生存者の中には現在でも元気に過ごしているだけでなく結婚してお子さんのいる方もいます。
また事故当時の機長と副操縦士のやりとりを録音したボイスレコーダーも公開されていて、パイロットの不手際と飛行機の自動飛行システムのトラブルが生々しく記録されています。
ここからは生存者の現在と、機長らが残したボイスレコーダーの記録について解説していきます。
ボイスレコーダーに残した内容とは?記録は公開されている!?
中華航空機140便のボイスレコーダーは回収されていて、音声は公開されませんでしたがやりとりはメディアで公表されました。
ボイスレコーダーには操縦が上手くいかず苛立っている機長と副操縦士のやりとりが記録されていて、墜落直前の「終わりだ」という言葉を覚えている方は多いのではないでしょうか。
この事故は副操縦士が誤った操作をしてしまい、機首が持ち上がり過ぎたことで機体を修正しようと思ったら、バランスを崩してしまい墜落してしまったとされています。
またこの他に、ミスを知らせる警報機が無かったという飛行機側の不備も原因の1つとして浮上していることもわかりました。
事故は操縦士の操縦技術の問題と、飛行機の安全装置の問題の2つが重なって悲惨な事故を招いてしまいました。
しかし事故後の裁判では、中華航空の過失は認められましたが、エアバス社の過失は認められなかったのです。
現在でもネット上では、「終わりだ、終わりだ」と繰り返す機長に対して批判の声があるなど、中華航空の訓練がしっかりしていれば事故は防げたと思っても仕方がありません。
中華航空140便墜落事故の生存者は7名!当時3歳だった子供の現在とは?
中華航空機の事故では264名の乗員乗客が犠牲になりましたが、実は生存者が7人いたのです。
その生存者の1人で当時3歳の長谷部弘義さんは、事故機に母親と一緒に搭乗していました。
母親はフィリピン人女性で、台湾経由で日本人の父親に会うために日本へ帰る途中だったのです。
そしてこの事故に遭遇して母親は亡くなってしまいますが、弘義さんは奇跡的に胴体のたわんだ部分にいたことで奇跡的に助かりました。
実は生存者の7人は、共に両翼の近くに座っていたという共通点があったことがわかっていたことから、座席の位置が乗客の明暗を分けてしまったのです。
脳内出血に内臓損傷!?助かる見込みが「0」に近かった!?
奇跡的に助かった長谷部弘義さんでしたが、脳内出血と内臓損傷や40度の高熱などかなり危険な状態でした。
搬送された小牧市民病院では手術が行われ、事故から2週間後には自発呼吸が可能になり、さらに2ヶ月後には自分で歩けるくらいに回復したのです。
手術をした当初、お腹の中には約1200ℓの血液が溜まっていたそうですが、医師の賢明な治療によって手術は成功しました。
一歩間違えれば亡くなっていてもおかしくなかった弘義さんですが、障害も残らず回復したことからこれはやはり奇跡と言っていいかもしれませんね。
現在は結婚し子供も!?医師との関係が最高すぎる?
事故で奇跡的に助かった長谷部弘義さんは現在(2024年)33才で、現在では結婚し子供もいることがわかりました。
結婚式の時は事故当時治療を行った医師も出席し、「もの凄く強い子だった」などと感激のスピーチを述べたのです。
長谷部さんは現在では日常生活に支障がないくらい元気ですが、足には事故当時に負った傷がまだ残っています。
それでも母が亡くなった後でも、懸命に支えてくれた父親にとても感謝しているそうです。
長谷部さんは事故の風化を恐れていて、2度とこのような事故が起きないように事故のことを発信していきたいと語っています。
実際この事故もパイロットの訓練の不備など、中華航空のヒューマンエラーによるものが大きかったので、ぜひとも長谷部さんの思いが全ての航空会社に伝わることを祈りたいですね。
中華航空機140便は平成最大の航空事故で、生存者は7名
今回の記事では、1994年4月26日に名古屋空港(現県営名古屋飛行場)で起こった中華航空140便墜落事故について解説してきました。
平成で起こった航空事故としては最悪の死者数を出した事故で、事故原因は中華航空側のヒューマンエラーやエアバス社の飛行機の不備とされています。
中華航空はかつて、頻繁に重大事故を起こす航空会社として知られていましたが、2007年の那覇航空での炎上事故以来重大事故は発生していません。
現在はチャイナエアラインと名称を変更しましたが、乗務員やパイロットの訓練はしっかりとしていますので、今では安全に利用できる航空会社になりました。
これからも安全に努めて、2度とこのような事故が起こらないことを祈りたいですね。