対馬悠介の生い立ちが超悲惨で2024現在が衝撃?裁判の判決結果はどうなった?!

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2021年8月6日、小田急電鉄の車内で無差別に人が襲われる刺傷事件が発生して世間を震撼させました。

犯人の男は当時36歳の対馬悠介という男で、牛刀を振り回し小田急線の車内で10人の乗客を負傷させたのです。

特に20歳の女子大生に関しては執拗に攻撃を繰り返し、胸や背中などに重症を負ってしまいました。

対馬はその後電車から降りて逃走しますが、駆けつけた警察官に逮捕されます。

彼は女性に対して執拗な殺意を感じる性格だったそうで、大量に殺したいという思いを常に持っていたそうです。

そんな恐ろしい願望を抱えた彼は、どのような生い立ちや経験から犯行に至ったのでしょうか。

世間に恐怖を与えた対馬悠介について、最新の判決内容とともに詳しく見ていきましょう。

目次

対馬悠介とは?小田急殺傷事件犯人で内容がヤバい!?

2021年8月6日、当時36歳の対馬悠介は小田急線の車内で牛刀を振り回し乗客を無差別に襲う犯行に出ました。

これにより乗客10名が負傷し、未遂に終わりましたがサラダ油を車内にばら撒き放火しようとも企んだのです。

一体対馬は、どうして電車の中でこのような犯行に及んだのでしょうか?

ここからは、小田急線殺傷事件の内容と犯人の対馬の詳細について解説していきます。

対馬悠介とは?小田急殺傷事件の犯人?

小田急線刺傷事件の犯人である対馬悠介は、神奈川県川崎市に住んでいる職業不詳の36歳の男でした。

対馬は犯行の数年前から、女性に対して強い殺意を感じていたと供述しており、特に女子大生が執拗に襲われたことからフェミサイドによる犯行が疑われました。

女性を執拗に襲撃する残忍な犯行に、世間では性暴力に対しての抗議運動であるフラワーデモが行われたりなど、色々な面で一石を投じる事件となったのです。

対馬は大学を中退してから、強い劣等感を感じながら生きるようになり、日頃から大量殺人を計画したり食料を万引きするなどの異常行動を起こすなど、精神的にもかなり危険な状況になってたことがわかりました。

対馬悠介が起こした小田急線刺傷事件を徹底解説!

対馬悠介が起こした小田急線刺傷事件は、2021年8月6日に小田急電鉄小田原線車内で発生しました。

20時30分頃、小田急線成城学園前駅と祖師ヶ谷大蔵駅間の快速急行の車内で、対馬が牛刀を振り回し、乗客を負傷させました。

被害者は20代〜50代の男女10人で、刺傷されたのは女性3人、男性1人でした。

刺傷した4人以外は、逃げる際に転倒したことによる負傷だということです。

被害者の中でも20歳の女子大生については、逆手で持った牛刀で胸を2回刺され、逃げようとする背中も刺されて、牛刀の柄が折れて使用が出来なくなるまで切りつけられました

その後、サラダ油を電車の床に撒いて、ライターで着火させようとしましたが失敗しています

対馬悠介は緊急停車後に下車して、現場から一度逃走をしますが、同じ日の22時頃、杉並区のファミリーマートに入店し、犯人であることを自供しています。

店員の通報によって駆けつけた警察官によって、彼は殺人未遂容疑で逮捕されました。

犯行に使用した牛刀については、数年前に「自殺をしようとしてネットで購入した」と語っているようです。

対馬悠介の生い立ちは?実家や出身校について調査

報道では「對馬悠介」と表記されることもありますが、対馬悠介と同一人物です。

大きな心の闇を抱えた彼の生い立ちは、どのようなものだったのでしょうか。

また母子家庭となった家族との関係や、実家での生活についても、彼に近しい人々から語られています。

高校や大学時代の対馬悠介の様子も踏まえて、確認していきましょう。

対馬悠介の生い立ちは母子家庭?幼少期~中学時代について

対馬悠介の出身地は青森県五所川原市ですが、幼い頃に東京都世田谷区の母方の実家に、家族で移り住んでいます。

少年時代の彼を知っている人は、当時の様子を「ムードメーカーだった」「明るくて活発な子だった」と話しています。

3歳下の弟とも一緒に下校したり遊んだりして、面倒を見ていたそうです。

小学校ではサッカー部に所属し、対馬が5年生の時に「俺をキレさせたらやばいよ」と言ったことがあるようです。

よくある子どもの会話だと思いますが、事件を起こしてから聞くと、少し気になる発言です。

時期は不明ですが、対馬悠介の両親は離婚しており、母子家庭で育てられたようです。

高校時代の愛称は「ツッシー」

小学校と中学校は地元の学校に通い、高校は偏差値60程度の都立大学附属高校へ進学します。

当時のニックネームは「ツッシー」と呼ばれ、みんなから親しまれていたので、クラスの中心にいるような人物でした。

身なりにも気を遣っていたそうで、周囲からは「容姿端麗なイケメン」というイメージを持たれていたそうです。

茶髪で少しチャラい印象に見られますが、成績は比較的上位にいたようです。

そんな彼も、高校3年間で女性との交際経験はなかったと言われています。

高校の卒業アルバムの中で彼は、自分の漢字一文字で表すと「醒」と答え、10年後の自分の財産は「金」と書いています。

生活保護を受け、万引きをするほど金に困っていた彼は、何に醒めてしまったのでしょうか。

小田急線刺傷事件の犯人・対馬悠介の現在は?懲役19年の判決?!

対馬悠介被告は、2021年8月の小田急線刺傷事件で、男女10名に重軽傷を負わせました。

事件後すぐに自首をしており、殺人未遂罪などで逮捕・起訴されています。

なぜ、彼は無差別殺人の計画を企ててしまったのでしょうか

対馬悠介が起こした事件について振り返り、現在の様子を探っていきます。

【最新情報】対馬悠介に懲役19年の実刑判決!

2023年7月14日、東京地裁は裁判員裁判にて「懲役19年」とする実刑判決を言い渡しました。

検察は「過去に類を見ない無差別大量殺人未遂事件であり、厳しい処罰が必要」と指摘し、懲役20年を求刑していたようです。

小田急線刺傷事件の模倣とされる京王線殺傷事件など、鉄道の安全管理にも多大な影響を与えたことも判決に影響されたと見られています。

なおネット上では、「19年は短い」「出所したら再犯する可能性が高い」と判決結果を不服に思う方も多いようです。

 

対馬悠介の現在は?懲役19年は重い?

対馬悠介被告が殺人未遂容疑で逮捕され、どのくらいの罪に問われるのか、判決前から注目をされていました。

一般的に殺人未遂での刑罰の相場は懲役5〜7年程度のようで、懲役19年という判決結果は重い罪を下されたとも言えます。

今回の判決結果は、対馬悠介は明らかに殺意を持って犯行に移しているため酌量の余地がなく、被害者にも落ち度はないことが考慮されたのでしょう。

さらに、逃げ場のない公共機関での犯行は、社会的影響力の高さからしても、負うべき責任は重いと考えられています。

ただ懸念されたのは、対馬悠介が精神的に正常な状態だったのかという点です。

サラダ油にライターで着火しようとしたり、「スクランブル交差点を爆破する」と供述したりするなど、まともな判断ができる状態であったのか疑問視されています。

精神鑑定で精神疾患が認定されれば、刑が軽くなる可能性もあったようです。

第3回公判で自身の困難について暴露

第3回公判で、対馬悠介は事件の背景として「抜け出せなかった貧困による困難」を語りました。

事件当時は生活保護を受給し無職であった対馬悠介ですが、これまでに多くのアルバイトを転々としており、「もうこれ以上僕にできる仕事はない」「この先、生活していくのは無理だ」と限界を感じていたと話します。

アルバイトで嫌な思いをしたり、自身が作ることのできないクレジットカードを自由に使うカップルを目の当たりにすることで自身の状況を憂い、世の中の人たちに嫉妬や妬みを抱くようになったとも供述します。

事件への肯定は絶対に出来ないものの、貧困が引き起こす心の闇は対馬悠介に限ったことではないのかもしれません。

10人刺傷!殺人未遂などの罪で起訴

2022年1月28日に東京地検は、乗客3人に対する殺人未遂などの罪で、対馬悠介を起訴しました。

精神障害等があるのかを調べる鑑定留置の結果、刑事責任は問えると判断されています。

起訴状によると、対馬悠介は小田急線の電車内で、女子大生の胸や背中を刺して、全治約3ヶ月のけがを負わせ、50代の女性と30代男性にも、約2週間〜1週間のけがを負わせたとしています。

さらに、事件前に川崎市や新宿区のコンビニ店で飲料を万引きしたり、カッターナイフを所持したりしており、窃盗や銃刀法違反などの罪でも起訴しています。

事件前に万引きをしていた!

対馬悠介は、事件当日にビールと酎ハイを万引きしています。

その後、酒のつまみが欲しくなり、新宿区内の食料品店でベーコンとオリーブを万引きしようとしましたが、女性店員に110番通報をされています。

人生で初めて万引きしたことがバレて、頭にきた彼は女性店員を逆恨みし、殺そうと店に戻っています。

しかし店が閉まっていたため、電車内の女性乗客に殺害対象を変えたと話しているそうです。

この女性店員がした万引きの摘発は、犯行決意の遠因として挙げられています。

残酷な犯行に至った背景

対馬悠介は供述で、「大学や出会い系サイトで知り合った女性にバカにされてきた」ことを話しています。

また、「6年ほど前から、幸せそうな勝ち組の女性を見ると、殺してやりたいと思うようになった」と、女性対して強い殺意を持っていたことが判明しています。

これらの発言から世間では、性別を理由に女性を狙って殺人を起こす「フェミサイド」の可能性を指摘されています。

対馬悠介が殺意を感じ始めた6年前は、ちょうど母親が再婚をすることになった頃です。

対馬は、母親の実家を離れて一人暮らしをせざるを得なくなり、その生活環境の変化によって、何か異変があったのかもしれません。

さらに、派遣社員などで働いていましたが辞めており、貧困から脱することはできない彼は、生活保護を受けていました。

警視庁は犯行の動機として、社会への強い恨みがあったとみているようです。

対馬悠介が釈放したら「また恐怖」の声

対馬悠介は、殺人未遂で懲役13年〜15年の罪に問われる可能性があるようです

一般的には殺人未遂で10年を超える量刑はあまりないようですが、彼の行動が社会に与えた影響は少なくありません。

釈放後にまた同じことを繰り返したら恐怖」という声も多いです。

今後は刑事裁判が開かれて、正式な刑罰の判断が下されることになるでしょう。

対馬悠介は大学入学後に人柄が変化?大学時代について調査

対馬悠介は、中央大学理工学部に現役で進学しました。

母子家庭にも関わらず、家族は私立大学進学を応援したようです。

本人はというと、在学中はテニスサークルに入り、友人とイタリア旅行を楽しむなど、学生生活を謳歌していたようです。

交際していた女性もいましたが、3年生くらいの時に振られています。

1年留年しますが、その後2009年の春には単位がとれすに、23歳で大学を中退をしています。

中央大学理工学部は推薦だった?

対馬悠介は小田急線の事件現場で、常温では発火しないサラダ油を床に撒いて、火をつけようとしています。

この行動の意図を、「大量に殺せるから」だと本人は供述しています。

中央大学理工学部に進学するほどの学力があれば、このような発想はしないのではないかと、ネット上では囁かれています。

もしかしたら「大学入試は、一般入試ではなく、推薦で苦労なく合格しているのでは」という声も出ているようです。

灯油を買うお金がなく、サラダ油を選んだ説などもあり、実際のところはわかっていません。

大学入学後に突然女性関係が豹変

大学中退後に対馬悠介に会った友人によると、当時彼は三軒茶屋などの駅近くで、通りすがりの女性に声をかけていたそうです。

「ナンパの成功率は数%」と話し、うまくいった時はホテルに連れて行くこともあったようです。

ただ、当時20歳を超えた対馬悠介のナンパ相手は、女子高生や女子中学生でした。

住んでいる自治体によっては、淫行条例違反で逮捕される可能性があり、彼の女性関係の異変はこの頃から始まったとされています。

さらに、対馬は取り調べの中で、「大学時代のサークル活動で女性にバカにされたり、出会い系で女性にデートの途中で断られたりした」と恨みつらみを語っているそうです。

このように大学の頃から女性関係が派手になり、さらに男性のプライドを傷つけられた経験が蓄積していったようです。

大学中退後から人生の歯車が狂った?

彼の人生の歯車が狂っていったのは、大学を中退した後からだったようです。

定職には就かずに、荷物搬入の作業員やコンビニ店員、温泉宿の住み込み従業員など、職を転々としました。

その頃友人には「フットサルをやっている」と話し、まだ生活を楽しむ姿が見られたようです。

20歳代半ばで勤務した都内の倉庫会社でも、勤務態度は「優良」だったそうです。

ところが、30歳の頃から「大量に人を殺したい」と考えるようになったと供述しています。

ちょうどその頃に母親が再婚し、対馬は実家を離れて川崎市のアパートで一人暮らしを始めました。

しかし近隣住民とも交流はなく、友人とも疎遠になっていき、次第に孤立を深めていきます。

2021年2月には、派遣社員として勤務していた都内のパン工場を、人間関係が嫌になって退職し、翌月から生活保護の受給を開始しています。

有名大学に進学し、イケメンという好条件が揃っているにも関わらず、周囲よりもモテない、良い暮らしができない環境に、勝ち組への憎しみが募っていったのかもしれません。

対馬悠介のヤバいエピソード8選!インスタやTwitter特定も?

対馬悠介の家族関係や生い立ちから、彼が殺人を企てることになった引き金が少しずつ見えてきました。

他にも、彼には本人の人柄を象徴するような逸話がいくつもあります。

本人と思われるインスタやTwitterも特定されており、内面の部分もみえてきました。

ここからは対馬悠介の8つのエピソードから、どんな人物だったのかを深掘りしていきましょう。

① 対馬悠介はナルシスト?本人特定のアカウントも?

Twitter上で、対馬悠介本人と思われるアカウントが注目されています。

ツイートは1件だけあり、「約束というあいまいなものを2人で決めている男女が付き合っている意味はあるのか」というような文章を残しています。

少しキザな言い回しで男女関係を表現しており、ナルシストなのではないかと憶測されています。

また、インスタでも本人と疑われるアカウントが見つかり、プロフィールには「ハワイがおれを待っている」と記載されています。

こちらでも自信たっぷりな言い回しや、公開している写真の雰囲気から、ナルシスト疑惑が浮上しています。

 

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② 過去に2回の逮捕歴

対馬悠介は、これまで合計3回逮捕をされています。

  • 1回目:2021年8月7日に、20歳の女子大学生への殺人未遂容疑
  • 2回目:別の乗客女性1人への殺人未遂容疑
  • 3回目:2021年9月17日に、男性乗客1人への殺人未遂容疑、犯行前に食料品店で万引きをした窃盗容疑と、その際カッターナイフを所持していたことから銃刀法違反の容疑など

事件後、捜査が進むにつれて、次々と対馬悠介が起こした事件が増えていったことがわかります。

③ 事件1週間前にボヤ騒ぎ

小田急線刺傷事件の5日前には、対馬悠介が住むアパートの部屋から白い煙が出ていると、近隣住民が119番通報をしています。

消防車2台とパトカーが来て騒然とする中、当の本人は慌てる様子もなく、駆けつけた消防隊員に対して、「大丈夫なんで、もう帰ってください」と言い放ったようです。

通報した近隣住民が見た彼は、髭を生やしていて、なぜか上半身裸だったそうです。

後に対馬は小田急線の事件で、サラダ油を車内の床に撒いて着火させようとしました。

このボヤ騒ぎは、たまたまだったのか、事件の準備だったのかどうかは定かではありません

④ 川崎市登戸通り魔事件の容疑者と家が近所

川崎市登戸通り魔事件は、2019年5月28日に神奈川県川崎市多摩区登戸新町で起きた、通り魔殺傷事件です。

カリスタ小学校のスクールバスを待っていた児童とその家族が狙われました。

被害者のうち男性保護者と6年生の女児が亡くなり、18人が負傷しました。

犯人とされる岩崎隆一は、犯行直後に自ら首を刺して、その後死亡しています。

その岩崎の自宅と対馬のアパートの最寄り駅が、同じよみうりランド駅だということです。

このことから、2人はどこかですれ違ったり、岩崎の事件から対馬が何か影響を受けたのではないかと指摘されています。

無差別に人を殺したいという岩崎の衝動は、対馬悠介にも通じるところがあったのかもしれません。

⑤ 自称「職業ナンパ師」

中央大学を中退後、対馬悠介は友人らに、「今は仕事をしてなくて、職業はナンパ師」だと言っていたようです。

周囲からもイケメンと呼ばれており、女性を口説くことにも自信があったようです。

「高校生を相手に、どこまで自分のナンパ技術が通用するのか度胸試しをしているのだ」と、得意げに語っていました。

ナンパの成功率はかなり低かったらしいですが、女子中高生をホテルに連れ込むこともあったそうです。

20歳を過ぎた対馬の「普通」じゃない行動に、友人たちも「正直、引いた」と証言しています。

⑥ 生活保護受給者

対馬悠介は世田谷の実家から引っ越し、神奈川県川崎市の木造アパートで暮らしていました。

築40年近く、6畳間の1Kで家賃は約2万5000円だったようです。

派遣やアルバイトなどの仕事をするも、生活は困窮していきます。

2021年2月に派遣の仕事を辞め、翌3月から生活保護を受給しています。

このことは、彼の生い立ちから考えても、自分自身は負け組になってしまったのだという辛い現実を突きつけられた出来事だったのかもしれません。

⑦ 卒アル画像がイケメンだと話題

彼の高校の卒業アルバムの写真がメディアで報じられ、イケメンだと話題になっています。

元々、対馬は学生時代からイケメンだと言われてきたようです。

あんな残忍な事件を起こし、女性への憎しみを語っていた犯人が、イケメンだったことにギャップを感じる人が多くいました

高校時代の対馬は、おしゃれや身なりにも気を遣っていたようです。

爽やかな笑顔の彼が、その後の生い立ちで、世間を賑わす犯罪者になるとは想像できませんよね。

⑧ 勤務先は地獄バイトで有名

対馬悠介が最後に勤務していた職場は、「地獄のバイト先」として有名だったそうです。

パン工場の製造ラインの仕事で、あの有名な「〇〇パン」だといいます。

そこでのバイト経験者によると、夜勤だと12時間勤務で日当が1万2,000~1万3,000円で、日払いでお金がもらえたそうです。

ただ仕事環境は良くなく、「頭がおかしくなる」と訴える人も多かったようです。

防護服のようなビニール製の服を着て、消毒液にまみれた部屋で、ベルトコンベアの横で延々と流れてくる弁当箱に食材を入れる、単純作業の繰り返しでした。

貧乏学生が最終手段として働きに行く仕事とも言われ、30代の対馬にとっても辛い職場だったのかもしれません。

対馬悠介が起こした事件を教訓に、二度と同じような事件が起きないように

対馬悠介は小田急線刺傷事件を起こし、今もなお多くの被害者が事件で感じた恐怖を抱えながら暮らしています。

対馬悠介の事件は、新たな恐ろしい事件にも影響を与え、悪循環の連鎖が生まれています

二度と同じような事件が起きないことを、切に願うばかりです。