香田証生さんは、2004年10月にイラクで「聖戦アルカイダ組織」によって拘束され、その後斬首されました。
彼は当時24歳の一般男性で、自分の目でイラクの現状を見たかったとされています。
かつて「聖戦アルカイダ組織」は、犯行声明と共に殺害の瞬間をインターネット上で公開しました。
その映像は現在もネット上に存在し、「検索してはいけない」動画として知られています。
今回は、事件の詳細や映像の内容について深く探求していきます。
香田証生とは?斬首殺害や検索してはいけない真相がヤバい?
この事件は、インターネット上で斬首殺害の映像が配信されるという悲惨な結果になっています。
なぜ香田証生さんが斬首殺害されたのでしょうか。
香田さんのプロフィール、行動パターン、イラクへの旅の動機、政府の対応、そして彼の人間像を通じて、香田さんの誘拐殺害事件が防げたかどうかを詳細に探ってみます。
香田証生とは?
のちに「イラク日本人青年殺害事件」と呼ばれる、イラクの「聖戦アルカイダ組織」を名乗るグループによる無残なテロ事件の被害者です。
香田証生さんは、2004年10月にイラクで「聖戦アルカイダ組織」によって人質になりました。
「聖戦アルカイダ組織」は香田さんの命と引きかえに、自衛隊を日本に引き上げることを要求していました。
日本でさまざまな議論が飛び交う中、猶予時間が切れすぐに香田さんは斬首により殺害されました。
香田証生の経歴は?家族はいる?
香田証生さんは、福岡県直方市出身の24歳の青年でした。
父、母、祖父、妹の5人暮らしをしており、高校は東海大第五高校に入学し、生活態度に問題はなく成績も良かったと言います。
高校2年生の時に中退し、通信制の高校に転入して、卒業しました。
その後は職業訓練を受けて塗装工として、英語を勉強しながら働いていましたが、「やりたいことがある」と言って仕事を退職しました。
そして、ワーキングホリデーを利用してニュージーランドに滞在していたそうです。
しかし、ワーキングホリデーを終えても帰国することはなく、そのまま他の国を転々と旅していたとのことです。
香田さんは、青年海外協力隊に興味を持ち、優しくて誰かの役に立ちたいという真面目で正義感がある人間だったと言われています。
経緯①香田証生はイラク戦争終戦後の危険地域に入国
2004年10月、ワーキングホリデーを終えた後も世界を旅していた香田証生さん。
旅をすることは、誰にも伝えておらずイラクで拉致された際、家族は香田さんがまさかイラクにいるとは思いもしませんでした。
香田さんは、イスラエルからヨルダンを経由して、最期の地となったイラクへ入国しています。
経緯②香田証生はアルカイダ組織に拘束される
香田証生さんは、ヨルダンのアンマンにあるホテルに滞在中、イラクに入国する意向を持っていました。
彼は同じホテルに滞在していた日本人映画監督、四ノ宮浩さんにイラクのホテルを紹介してほしいと依頼しました。
四ノ宮さんは香田さんを引き止めようとしましたが、香田さんはその忠告を無視し、2004年10月20日にイラクに入国し、その後拉致されました。
当時、イラクではテロが頻発しており、日本人が巻き込まれる事件も発生していました。
経緯③アルカイダ組織が日本の自衛隊の撤退を要求
2004年10月27日午前2時、「イラクの聖戦アルカイダ組織」を名乗るグループが、インターネットで日本人男性を人質にしたと犯行声明を出しました。
日本政府が48時間以内に、イラクからの自衛隊撤退に応じなければ殺害すると脅迫してきたたのです。
このコメントが、後に「イラク日本人青年殺害事件」と呼ばれる、「イラクの聖戦アルカイダ組織」を名乗るグループによる無残なテロ事件の幕開けとなりました。
さらに、香田さんは低く消え入るような声で最後の言葉を言い放ちました。
「すいませんでした。あと、また日本に戻りたいです。」
この香田さんの言葉の直後、覆面をした3人の男性が香田さんの後ろに並び、真ん中に立つ人物が、日本政府に対してアラビア語で要求を突きつけています。
経緯④小泉首相が要求を拒否
アルカイダ組織は、48時間以内に自衛隊がイラクから撤退しなければ、香田証生さんを殺すと要求しました。
この情報はすぐに当時の総理大臣、小泉純一郎に伝えられました。
しかし、小泉元首相は数時間後、細田官房長官との電話会話の中で、自衛隊の撤退はしないと指示しました。
そして、日本政府は香田さんの解放を求めつつも、自衛隊の撤退要求を拒否しました。
日本政府は香田さんが民間人であると主張しましたが、犯人たちはそれを無視し、交渉は進展しませんでした。
経緯⑤テロリストが香田証生さんを斬殺!
10月29日に約束の48時間が過ぎ、交渉が成立しなかったため香田証生さんは殺されました。
30日未明にイラク駐留米軍から在イラク日本大使館に連絡が入りました。
「バグダッドとティクリートの中間にあるバラドで日本人らしい遺体が発見された。」
「香田さんの特徴と一致する部分がある。」
31日の午前3時30分にイラク保健省から大使館に遺体発見の連絡があり、遺体が香田さんのものであると確認されました。
経緯⑥香田証生の死亡を確認
31日未明にバラドで遺体が発見され指紋認証し、香田証生さんと確認されます。
遺体発見時は殺害直後だったとされる香田さんの遺体は、すぐに市内の法医学センターに運ばれて、死因が調べられました。
香田さんの死因は、テロリストの予言どおり、頭部切断でした。
その2日後(11月2日)にアルカイダ組織は彼の首を切る動画をインターネットに公開しました。
それは誰でも閲覧できる状態でインターネットに流れました。
経緯⑦犯人4人は逮捕!2人が米軍に消された?
2006年2月、別の殺人事件で取り調べを受けていた26歳のフセイン・ファハミ・バドルという男が、香田証生さんの殺害を自白しました。
彼は無差別爆弾テロなどの他の犯罪も犯していたため、死刑判決が下されました。
しかし、裁判中の彼の発言は一貫性がなく、自分が殺したと言ったり、上からの命令で何もわからないまま殺したと言ったりしました。
イラク内務省によれば、香田さんを誘拐し殺害したのは6人で、その中にはフセイン・ファハミ・バドルも含まれていました。彼を含む4人が逮捕されました。
このテロリストたちはアルカイダ系組織の有力者アブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィー率いるグループのメンバーでした。
のちにザルカーウィーはアメリカに戦闘機で爆撃されて死亡しました。
香田証生が殺された理由はアメリカへの見せしめだった?
10月30日に発見された彼の遺体は、首が切断され、星条旗に包まれていました。
11月2日、アルカイダ組織は犯行声明と共に、香田証生が殺害される様子を収めたインターネット動画が公開され、彼は星条旗の上で殺されたことがわかっています。
これは日本人への警告ではなく、アメリカを支持する国も含めての見せしめだったのではないでしょうか。
香田証生の殺害動画は本物確定?内容と殺害方法が残虐!
香田証生さんの殺害動画は果たして、本物なのでしょうか。
殺害されている間、叫ぶことも暴れることもなく静かに座っていました。
殺害前、香田さんは薬を飲まされていたのでしょうか。
または、生きることをあきらめていたのでしょうか?
それとも、最後の最後まで、日本政府が助けてくれると信じていたのでしょうか。
真相は闇のままです。
ここからテキストで配信された動画内容をご紹介します。
とても衝撃的な内容のため、本当は検索してはいけないです。
テキスト、画像だけでなく動画の閲覧には十分に注意しましょう。
内容①アラビア風音楽と共にが映し出される
動画はわずか3分弱なのですが、非常に長く感じます。
最初に、背景音楽が流れ、黒い背景に白いアラビア文字画像が映し出されます。
その後、アラビア風の音楽が流れ、アラビア半島が表示された地球儀とアルカイダのマークが映像に映し出されます。
動画を見た人は「これは検索してはいけない。」
「衝撃すぎてトラウマになったな… 今でも映像や流れていた音楽は忘れられない…。」
などのコメントしています。
内容②壁にはアルカイダの黒い旗が飾られ床にはアメリカの星条国旗
後ろの壁にはアルカイダの黒い旗が掛けられていていました。
床には、アメリカの星条旗が敷かれていてその上に香田証生さんは座らさせられています。
3人の覆面テロリストが現れて白い紙に書かれた声明文を読み上げます。
内容③3人のテロリストが声明文を読む
2004年10月27日午前2時、「イラクの聖戦アルカイダ組織」を名乗るグループが、インターネットで日本人男性を人質にしたと犯行声明を出しました。
日本政府が48時間以内に、イラクからの自衛隊撤退に応じなければ、殺害すると脅迫してきたたのです。
「イラク・アルカイダ機構は日本の軍隊(自衛隊)のメンバーを手中に収めた。
彼はイスラエル、ヨルダンに行き、その後イラクに入った。
彼の家族と日本政府が彼の身元を確認した後、我々は彼の(身元を示す)書類を示す。
日本政府には48時間の猶予を与える。この間に自衛隊を撤退させよ。」
(中略)
「撤退させなければ、この異教徒は、他の異教徒、バーグやビグリーなどと同じ運命を迎える。」
引用:イラクで日本人男性拉致、福岡県出身の香田証生さん http://www.asahi.com/
ここでいう「バーグ」や「ビグリー」は、香田証生さんと同じくイラクで拉致され、処刑された米国人の名前を指します。
声明の内容は、自衛隊を撤退しろというだけでなく、時間が過ぎたので人質の首を切ると言います。
そして今まで首を切ってきた米国人の名前を挙げて、香田さんもその仲間に入ると言いました。
内容④アルカイダ組織の要求が通らなかったため香田証生さんを殺害
香田証生さんがアルカイダ組織に拉致されて、解放と引き替えに自衛隊のイラクからの撤退を要求していることは、すぐさま小泉首相に報告されました。
しかし、小泉首相は細田官房長官との電話の中で、自衛隊は撤退させないよう指示していたと言います。
アルカイダ組織の要求が通らなかったのです。
そして事態は悲しい結末を迎えます。
内容⑤殺害方法は斬首という残虐な方法
香田証生さんは罪人を処刑する「斬首刑」で亡くなりました。
斬首刑は、今もなお、サウジアラビアでは法制度として行っているようです。
イスラム法に基づき公開処刑があるのです。
動画ではその内容が鮮明に映し出されており、非常にショッキングです。
アルカイダ組織はナイフで彼の首をまるでノコギリで木でも切るように切ります。
十分閲覧に注意しましょう。
香田証生さんの最後の言葉とは?
香田さんは何も言わずに、ただただ座っていました。
彼は一度も「助けて」とは言いませんでした。
叫ぶこともありません。
彼の心情を考えると、無念でなりません。
内容⑥アメリカ国旗の上に香田証生さんの生首が置かれた動画がアップされた
動画の中で、血が大量に噴出し、耐え難い音が響いた後、画面は切り替わりました。
最初に敷かれていた星条旗の上に、香田証生さんが移されていました。
彼の首を切り続け、切断した後、血塗られた身体の上にその生首を置いたのです。
アルカイダ組織はその首を自身の黒い旗の前で掲げ、再び血塗られた身体の上に戻しました。
そして、生首の顔がクローズアップされ、アルカイダの旗が映し出されると、動画は終了しました。
海外サイトを経由すれば斬殺動画や画像が見れる!
現在、このおぞましい動画は、ほとんど削除されています。
日本の法務省の人権保護局がその動画をアップしているサイトへ削除要請を行ったためです。
しかし海外のサイトでは見ることができるので、多くの人が見て衝撃を受けています。
ネットでは「香田証生の首が生々しく恐ろしくて気分が悪くなった記憶がある」など、色々な感想が飛び交っています。
香田証生の斬首殺害事件は検索してはいけなかった
香田証生さんのショッキングな動画は、日本中を震撼させました。
危険なイラクに安易に入国したことについて、さまざまな意見が今も飛び交っています。
香田さんと最後に話した四ノ宮浩さんは、香田さんが戦争の真実を見ようとした勇敢さを称えています。
香田証生さんのご冥福を心からお祈りします。