【2024最新】なんでも鑑定団の鑑定士・中島誠之助が死亡?病気説や鑑定ミス騒動の真相とは?

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テレビ東京の人気長寿番組、「開運!なんでも鑑定団」に長年出演し、依頼者のお宝を鑑定する鑑定士としてレギュラー出演している中島誠之助さんをご存知でしょうか?

凛々しい着物姿の出で立ちの古美術鑑定家として名高い中島さんですが、近頃死亡説や病気説、鑑定ミスなどにわかに信じがたい噂が立っているようです。

今回は、そんな中島誠之助さんの様々な噂や騒動について解説していきます。

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なんでも鑑定団の鑑定士・中島誠之助が死亡?病気説は本当?

人気番組「開運!なんでも鑑定団」の番組開始当初からレギュラー出演している中島さんですが、最近死亡説や病気説など、良からぬ噂が飛び交うようになりました。

もしも亡くなったら大きなニュースになると思いますが、現在までそのようなニュースはありません。

どうしてこのような噂が流れたのか、ここから詳しく解説して参ります。

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なんでも鑑定団の鑑定士・中島誠之助の死亡説は本当?

結論から言いますと、中島誠之助さんが死亡したのは全くのデマです。

中島さんは現在でも、なんでも鑑定団の鑑定士として出演しています。

実はこの噂が出た理由は、2019年に中島さんと一字違いの元滋賀県大津市議長、中島誠之輔さんが亡くなったことで、ネット上で勘違いしてしまった人が多く出たためです。

しかも鑑定士の中島誠之助さんと元大津市議長の中島誠之輔さんは、偶然にも同じ1938年生まれだったことから、色々と混同してしまったのかもしれませんね。

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なんでも鑑定団の鑑定士・中島誠之助は病気を患っている?

中島さんに関するもう一つの噂として、病気説があります。

実は中島さんは、数年前から喋る時に左口角が動いておらず口が歪んでいて、少し滑舌も悪くなっていると心配の声がSNSを中心に広がっていました。

しかし、現在まで中島さんサイドは病気に関した情報は一切発表していません。

中島さんはすでに年齢も80歳を超えていますので、おそらく年齢的にもある程度このような喋り方になるのは仕方がないことでしょう。

中島誠之助のなんでも鑑定団での鑑定ミス騒動とは?

以前中島誠之助さんはなんでも鑑定団の番組の中で、鑑定ミス騒動を起こして話題になりました。

鑑定士として長いキャリアを誇る中島さんが鑑定ミスを起こすなど信じがたいですが、一体どうしてそんなことになったのでしょうか?

詳しく解説していきます。

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中島誠之助の鑑定ミス騒動とは?

この騒動が起きたきっかけは、2016年に起きた国宝級茶碗「曜変天目」にまつわります。

なんでも鑑定団の番組に出てきた何でもない茶碗が、実は国宝級茶碗として知られている、本物の「曜変天目」ということがわかり、当時大変な話題となりました。

中島さんも、「番組史上最大のお宝」と称賛し、鑑定額はなんと2,500万円という驚愕の結果となります。

しかし番組放送後、専門家の間でこれが本当に曜変天目か?という疑問が出るようになりました。

そもそも曜変天目とは、世界でも現存するものが数えるほどしかないと言われているのに、2,500万円というのは安すぎでは?という疑問の声が、一部の専門家から発信されたのです。

確かにもし本物であれば、間違い無く億を超える金額となっても不思議ではありません。

そう考えると、確かに不自然といえば不自然と言えます。

中島誠之助の鑑定ミス騒動の結末は?

その後、この曜明天目が本物だったのかどうかというのは、現在まで真相はわかっていません。

実はこの出来事から1年後、中国の陶芸家が「あの茶碗はレプリカで私が作ったもので、安い価格でお土産として販売している」と衝撃の告発をしました。

これによって、茶碗は偽物で中島さんは鑑定ミスをしたことがほぼ明確になります。

しかし番組サイドも、その後本当にあの茶碗が曜明天目だったのかどうかは現在まで再鑑定もしておらず、結論はうやむやに終わりました。

この時番組内で、中島さんは「間違いなく本物、歴史的な発見」と熱く語っていて、現在でもその考えは変わっていないようです。

果たして本当にあの茶碗は曜明天目だったのか、凄く気になりますね。

なんでも鑑定団の鑑定士・中島誠之助の現在と経歴3選!

テレビなどで活躍する古美術鑑定家中島誠之助として知られる中島誠之助さんですが、実はあまり世間には知られていない経歴があることをご存知でしょうか?

さらに現在、中島さんの娘さんも鑑定士となり、なんでも鑑定団で鑑定士として活躍しています。

ここからは、そんな中島さんの現在の活動と経歴について解説していきましょう。

【現在】なんでも鑑定団の鑑定士・中島誠之助の活動内容は?

中島さんは、80歳を超えた現在も「なんでも鑑定団」で古美術鑑定士で出演しています。

また全国で講演会を行ったり、鑑定士以外にもエッセイの執筆や、東京南青山にある「骨董通り」の名付け親となるなど、幅広い活躍ぶりは有名です。

またなんでも鑑定団での「いい仕事していますね」のフレーズは、名文句として語り継がれています。

そして実は、娘さんも鑑定士として活躍されているようです。

中島誠之助の娘もなんでも鑑定団の鑑定士として活躍!

中島誠之助さんの娘さんは森由美さんというお名前です。

現在は父と共に、なんでも鑑定団の鑑定士としても活躍しています。

東京芸術大学大学院の美術研究科で文化財保存学を学んだ後、戸栗美術館の学芸員や陶磁の専門誌「陶説」の編集部員を経て鑑定士になりました。

経歴① 中島誠之助はマグロ漁船の乗組員だった?

実は中島さんは、若い頃にマグロ漁船の乗組員として働いた経験があります。

大学時代に海外へ強い憧れを持ち、短期で高額な給料を稼げるという理由でマグロ漁船の仕事を選んだそうです。

漁をしながらの航海は過酷そのもので、中島さんは体調を崩し急遽船はシンガポールに停泊しました。

無事に体調は回復してシンガポールを歩いていると、何となく立ち寄った骨董品の奥に、「商船」と書かれた掛け軸が目に止まります。

この掛け軸の美しさに感動した中島さんは、鑑定士になることを決意したとのことです。

中島さんはマグロ漁から、困難から逃げない不屈の精神とプロ精神という2つのことを学んだことが、その後の鑑定士の仕事の元となっている、と後に語っています。

経歴② 叔父が運営する骨董品店での修行を経て独立!

その後中島さんは、伯父が経営する骨董商「中文商店」に就職し、目利き技術を1から学びました。

伯父は元々中島さんにお店を継いで欲しかったようですが、中島さんが渋ったので従兄を後継者にします。

しかし従兄とは元々仲が悪かったのと、古美術に関しては全くの素人だったことから中島さんは憤慨し、独立を決意しました。

やがて1976年に南青山に、古伊万里染付の専門店「からくさ」を立ち上げます。

やがて、その目利きの技術が知られるようになり、1994年にテレビ東京「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士としてレギュラー出演をし始め、その名をお茶の間に広めました。

ちなみに、「からくさ」は2000年をもって閉店しています。

経歴③ なんでも鑑定団に出演しながら本も出版していた?

中島さんはテレビでの活動の他にも、エッセイストとしての活動も行っています。

上記の「ニセモノ師たち」を始め、これまで何冊もの本を執筆してきました。

50年以上に渡る、長い鑑定士人生の中で経験してきた様々な出来事や、本物を見極める目利き術などをシリアスに、時に愉快に書いています。

鑑定士にエッセイスト、さらにテレビ出演など、本当に多彩な才能の持ち主ですね。

中島誠之助は現在でもなんでも鑑定団で、鑑定士として活躍中!

今回は、鑑定士としてお馴染みの中島誠之助さんの死亡説や病気説、これまでの経歴などを紹介して参りました。

中島さんは現在でも、なんでも鑑定団で鑑定士の1人として活躍しています。

年齢も80代なので、体調のことなど気になる方もいるかもしれませんが、現在まで体調不良に関する情報は一切ありません。

今後も、中島さんの鑑定士としての活躍に期待したいですね!