1997年、酒鬼薔薇聖斗と名乗る男子生徒が、小学生5人を殺傷した猟奇的な神戸連続児童殺傷事件をご存知でしょうか?
未成年であったことから少年Aと呼ばれた彼は、すでに社会復帰を果たしています!
幼い命を残虐な方法で奪った犯人は、少年院を退院した後に本を出版し遺族の傷を更にえぐる行動にも出ました。
ーこの記事でわかることー
- 少年aこと酒鬼薔薇聖斗は社会復帰している?
- 少年aこと酒鬼薔薇聖斗の現在
- 少年aこと酒鬼薔薇聖斗の母親がおかしい?
- 少年aこと酒鬼薔薇聖斗の現在の顔
酒鬼薔薇聖斗と名乗った人物は現在社会復帰を果たし結婚している、という噂もあります。
また、かつて少年a呼ばれた彼の犯罪には、母親の影響もあったようです。
許されない犯罪者である、現在の酒鬼薔薇聖斗の真相と批判を集めた彼の母親の現在を探っていきましょう。
目次
少年A(神戸5人殺傷事件犯人)は現在更生している?
神戸連続児童殺傷事件では当時14歳の中学生が猟奇的な殺人をおかしましたが、未成年ということで刑は軽く社会復帰も早かったようです。
この事件で、合計5人の小学生が被害を受けうち2人が亡くなりました。
元少年Aは殺人罪などで逮捕され関東医療少年院へ約6年半収容されますが、事件の要因となった性的サディズムなどは改善されたと判断され、2004年に仮退院したのです。
しかし、この改善されたという判断に疑問視する声が多数あがっていました。
何を持って改善されたと判断されたのでしょうか?
遺族は少年Aが現在更生したとは思っていない!
少年Aに殺害された土師淳君の遺族にとって、犯人との唯一の接点は手紙でした。
元少年Aは2007年〜2017年頃まで、殺害した命日を前に毎年遺族へ贖罪の手紙を送っていたようです。
土師淳君の遺族も辛い気持ちを押し殺し、真相を知るために手紙を無視せず目を通していたと語っています。
2015年にはワープロで37枚という膨大な量の手紙が送られ、事故の原因を彼なりの言葉で綴っていたので、遺族にのみ伝える真実だと土師淳君の遺族は感じたようです。
しかし、その1ヶ月後に元少年Aは事件の暴露本「絶歌」を出版!
これは、事件のことを語らないでほしいと願う遺族に対しての大きな裏切り行為だったのです。
2016年と2017年にも彼は手紙を書きますが遺族が受け取りを断り、それ以降は現在まで手紙も途絶えてしまっています。
少年A側の弁護士は、更生プログラムはうまくいったとは思えない、と判断しているようです。
動画の中では彼に関わった弁護士や遺族の複雑な思いが語られていました。
少年Aからの手紙と向き合ってきた土師淳君の遺族は、事件から目を背けず自分の犯した罪と向き合い続けてほしいと願っているようです。
少年Aは仮退院後に保護観察を受ける!
少年Aは逮捕後に少年院へ送られますが、わずか6年5ヵ月で退院しています。
その後保護観察を受けますが、保護観察期間は、基本的に20歳までとされており、少年Aの場合は2004年12月末まで保護観察が付きました。
保護観察は、犯罪を犯した未成年の生活をサポートし手助けをするものです。
少年Aは少年院を出た後の更生保護施設で身元がバレてしまい、他の施設へ転居したといわれています。
その際も保護観察によって転居を探してもらい仕事も見つけてもらったようです。
少年Aは身元引受人の里親と生活!プレス工に勤務?
更生保護施設を出た後は、身元引受人と養子縁組をしたといわれています。
身元引受人との生活は穏やかだったようで、この時の彼は近所づきあいも出来ていたようです。
2005年の1月には仮の退院期間が終了したので少年Aは身元引受人の元から離れ、一人暮らしを始めています。
仕事先はプレス工場だったようですが、一人暮らしをはじめてからも身元引受人とは連絡を取っていたようです。
世間では許せない犯罪者と叫ばれていましたが、彼を救おうとする手は伸びていました。
少年Aは本退院後プレス工を辞め行方不明?!
少年Aは自分を救おうとする手があることを、監視されていると感じていたようで、その後に出版された著書「絶歌」の中でも語られていました。
彼は独立からたった6ヶ月で就職先のプレス工場をやめてしまったのです。
そして連絡は途絶え、行方をくらましています。
しかし、世間は彼を許さず足取りは記者によってスクープされ続けたのです。
建設会社の契約社員や溶接工など、彼はその後職を転々としているとのこと。
SNS上では現在も犯人を決して許さない、という意見が多く寄せられています。
これだけの事件を起こしているので、怒りを感じている人も多くいるということでしょうか。
少年A(神戸連続児童殺傷件犯人)は現在本名を変更!社会復帰で結婚も?
1997年2月〜5月に起きた神戸連続児童殺傷事件では、小学生2人が殺害され、3人が重軽傷を負ったのです。
犯人が14歳の中学3年生だったことは、世間に衝撃を与えました!
この少年は事件当時酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)と名乗っており、未成年だったために「少年A」と呼ばれています。
事件後に彼は殺人などの容疑で逮捕され、府中市にあった関東医療少年院に収容されましたが、2005年に退院しています。
ここからは、すでに社会復帰している元少年A酒鬼薔薇聖斗の現在までの道のりをみていきましょう。
少年A・酒鬼薔薇聖斗(神戸連続児童殺傷件犯人)のプロフィール
【酒鬼薔薇聖斗プロフィール】
本名 :西岡 真(改名後)
身長 :165.6cm
体重 :54.3kg
血液型 :A型
出身中学 :神戸市立友が丘中学校
事件当時 :中学3年の14歳
1997年に神戸連続児童殺傷事件を起こした犯人は、東 慎一郎(当時14歳)の中学3年生でした。
酒鬼薔薇聖斗という名で声明文をだし、警察や世間をあざ笑うかのように犯罪を犯し続けていたのです。
2011年には静岡県浜松市に住んでいたようで、2015年頃には東京都足立区「UR花畑団地」に住んでいるのを週刊文集の記者に掴まれています。
残忍で猟奇的すぎる犯罪者である西岡 真は、わずか6年半で社会復帰したことになります。
反省していない、と世間からは大きなバッシングを受けていますが、彼がバッシングされ続ける理由を探っていきます。
少年Aは本名を東慎一郎から西岡真に改名?
元少年Aは、少年院を退院前に改名をしています。
通常では日本の戸籍法があるので、姓を変えるのは非常に難しいことです。
ただ、姓を変更しないとその人の社会生活に著しい支障が出る場合は、家庭裁判所に申し立てをして変更を認められます。
元少年Aの本名「東慎一郎」は、報道によって広く知られることになり、改名は法務省の超例外的な措置だったようです。
それだけ社会に大きな影響を与えた事件だったことが窺えます。
少年Aは仕事を転々とし板橋区で新聞配達?
【出所後の少年Aの仕事状況】
・少年院を退院後は、1ヶ月間の東京でのホテル暮らし
・更生保護施設に入所後に、派遣会社に登録。最初の仕事はオフィスでの荷物運び
・ビル清掃・廃品回収
・プレス工
・2004年までで保護観察期間は終了し、職場の近くで一人暮らしを始める
・仕事も辞めて、カプセルホテル暮らし
・2005年の冬から、寮付きの建設会社で契約社員になる
・2009年6月に、リーマン・ショックの余波を受け解雇される
・日雇い労働を転々とする
・2009年9月、少年院で覚えた溶接工の仕事になんとか就く
・2012年冬、溶接会社に辞表を提出した
元少年Aは少年院を21歳で退院し、その後仕事に就きますが長く勤めず転々としているようです。
改名をしたものの、顔写真がネット上に出回り、実際には「いつ正体がばれるのか」という恐怖と隣り合わせの生活だといいます。
職場や地域で不穏な空気を感じると、すぐに仕事を辞め逃げ回っているのです。
溶接会社では、過去に許されない罪を犯した自分が他人に受け入れられていいのかと苦しみ、職場を離れています。
2011年から静岡県浜松市に定住し、仕事をしなくなった彼は6畳一間のアパートで「絶歌」の執筆活動を行なっていたようです。
2015年の4月には東京都内のアパートに住居を移したようで、地元の方によると、東京都板橋区赤塚新町で新聞配達をしてたといわれています。
また板橋区常盤台に住んでいたという噂も流れていました。
世間を驚かせた事件だったため、近くに住む人は恐怖を感じていたようです。
2015年6月に遺族を深く傷つけた「絶歌」を発表後は、週刊誌の記者に追われ引越しを立て続けにしていたようなので、現在はどこで暮らしているのかはわかりません。
おそらく現在も周囲の目を気にしながら生活をしていることでしょう。
彼は「絶歌」の中でも自分は管理されている、と感じていることを告白しています。
少年Aが結婚?相手は事件を知らない?!
元少年Aの現状を調べていくと、ネット上では、少年Aは、被害者家族に結婚式の招待状を送ったと噂されています。
しかし著書「絶歌」の中でも、結婚式の招待状を送ったという表記はなく単なる噂の可能性が高いようです。
また、「絶歌」の担当編集を務めた太田出版の方によると、彼は人と親しくなることを警戒している、と本人の様子を語っています。
元少年Aが結婚式の招待状を送る、そんな日が来ることを想像できる関係者は少ないようです。
彼の著書「絶歌」の中では結婚し子供がいることを匂わせているといわれています。
おそらく結婚相手は彼の素性を知らないといわれていますが、犯罪者のファンである女性と結婚したという説も浮上していました。
少年Aが「絶歌」を出版!内容に極秘情報が?!
元少年Aは2015年6月に、著書「絶歌 神戸連続児童殺傷事件」を出版しました。
この本では、事件に至る経緯や犯行後の社会復帰の過程を、元少年A本人が記しています。
初版は10万部で、発売1週間後には増刷が決定するほど世間から注目を浴びました。
書籍の出版について聞かされていなかった被害者の一人が、版元である太田出版に対して抗議をしており、書籍の速やかな回収を求める事態になります。
一部の書店では販売停止となり図書館での扱いも賛否が分かれ、様々な反響を呼びました。
被害者遺族の想いとは裏腹に、同書は25万部を売り上げ元少年Aは4000万円もの印税を手にしたようです。
少年Aはどこ住みで何をしている?顔は変わっている?
元少年Aは都内に住んでいるといわれていますが、現在どこに住んでいるのか明確な情報はありません。
医療少年院を出た後に顔を整形したといわれていますがその後も顔出しでスクープされており、再度整形しているのかもしれません。
当然のことながら名前を変え、出身地や学歴なども偽物のプロフィールを用意したようです。
しかし現在の顔もスクープされており、過去の事件を知る人たちによって似た顔の人がいるという噂がSNS上に拡散するときもあるようです。
2024年で40歳になる彼は、父親として都内で生活している可能性が高いといわれています。
記者にブチ切れで殺害予告?!
事件を風化させてはいけないと、週刊誌の記者は半年以上をかけて元少年Aを追い、20年前とは別の名前で暮らす少年Aとその住居を特定しました。
2015年の冬頃から住んでいた東京都足立区の団地で、記者は彼に声をかけています。
記者が名前を確認すると、「何のことかわからない」と返事をしていましたが、途中から様子が一変!
「名刺も手紙もいらねぇよ」「命がけで来てんだよな」と脅しとも取れる発言をし、恐怖を感じた記者は逃げますが、彼は約10分間もの間、執拗に走り追いかけまわしたのです。
記者によると元少年Aは、「ポケットの中で何かを握る素振りを見せながら叫んでおり、更生できているのか疑問に感じた」と述べています。
少年Aは家族と絶縁した?!
2021年の取材によると、元少年Aの両親は関西の地方都市で暮らしていました。
彼の母親によると、元少年Aとは関東医療少年院を出てからは一度も顔を見たり接触をしたりはしていないそうです。
彼がどこに住んでいて、どのような暮らしをしているのかも把握していませんでした。
弁護士に全面的に任せていると話しています。
手紙の連絡があるのかを記者が聞くと、「来ません。縁切ったんちゃいます? 私らと」と述べているように、家族とは絶縁状態であるようです。
神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)真相!元少年Aがヤバい!
神戸連続児童殺傷事件は、当初マスコミが報じていた中年男性という犯人像とは異なり、真犯人は14歳の少年でした。
14歳の犯人が引き起こした狂気に満ちた犯行は、社会に大きな衝撃を与えたのです。
この事件などをきっかけにして少年法は厳罰化され、刑事罰の対象年齢が16歳以上から14歳以上へ引き下げられています。
校門に男児の首を置いた事件で有名ですが、実は神戸連続児童殺傷事件の犯人は、神戸市須磨区内で3回事件を起こしています。
ここからは、神戸連続児童殺傷事件についてさらに詳しく見ていきます。
少年Aの犯行①女児をハンマーで殴り殺害!
1972年2月10日の夕方、神戸市須磨区で小学生の女児が2人ハンマーで後頭部を殴られ、うち1人は重傷を負う事件が起こりました。
この時、犯人は学生かばんを持っていたことがわかっており、被害者の父親が警察を通し中学校に生徒写真を見せてほしいと頼みましたが、学校側が拒否。
少年Aの逮捕後、この時点で学校側がちゃんと対処していれば事件は起こらなかったと批判されています。
この事件は傷害・暴行罪になっています。
少年Aの犯行②女児を通り魔殺人!
1997年3月16日昼過ぎ、神戸市須磨区竜が台の公園で小学4年生の女児の後頭部をハンマーで殴り、脳挫傷で死亡させました。
更に10分後には公園北側の路上で小学3年生の女児のお腹を小刀で刺して、怪我を負わせています。
お腹を刺された女児は胃を貫通しましたが、背中の静脈手前で小刀が止まっていたことで奇跡の生還を果たしました。
こちらは殺人罪と殺人未遂罪になります。
少年Aの犯行③男児を通り魔殺人
1997年 5月24日神戸市立多井畑小学校の近くで、少年Aは自身の弟の友人である6年生男子と会いました。
6年生男子が亀を好きなことを事前に知っていた少年Aは、亀を見せるという口実でタンク山頂上へ連れていたようです。
そして14時頃、手袋をはめ自分の靴ひもで男児を絞殺しました。
その後男児の遺体を隠して山を下りたのです。
この時少年Aは殺したという満足感に浸ることが出来た、と語っていました。
この時点で殺人罪となります。
少年Aの犯行④首を切断!射精して校門に放置!
前日に殺害した小学校6年生の男児の首を切るために、少年Aは1997年5月25日にタンク山へ向かいます。
そこで持参した小刀で体を切断したと供述しており、自分が殺した作品なので興奮したとも語っていました。
更に少年Aは殺害した男児の血を飲んだり、目をくりぬいたり猟奇的な行動をとっています。
少年Aは胴体部分をタンク山にあったアンテナ基地局の床下へ埋め、頭部は木の根元へ隠して置き、後日5月27日の早朝に小学校の校門の上に置いたようです。
少年Aはここでも自分の作品だった、と語っていました。
死体損壊・死体遺棄罪になります。
1997年5月27日午前6時40分ごろ、神戸市須磨区にある市立中学校の正門前に切断された頭部が置かれているのを同校関係者が見つけ、事件が発覚。
犯人は酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)を名乗る犯行声明文を報道機関に送りつけるなどしたことから、「酒鬼薔薇事件」とも呼ばれています。
少年A・酒鬼薔薇聖斗が逮捕!本人の手紙が原因?
第三事件で、土師淳さんの遺体の一部が中学校の正門前に置かれた際、遺体のそばには最初の声明文が置かれていました。
その文章では、警察に対して挑発するような文言とともに自身のことを「学校殺死の酒鬼薔薇」と名乗っています。
警察が土師さんの捜査を進める中、翌月には神戸新聞社に2回目の声明文が届いたのです。
声明文には、あるテレビ放送で「酒鬼薔薇」を「おにばら」と読んでいることへの不満と、警察への挑発が含まれていました。
「ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである」と、新たな犯行を予告するような内容も書かれていたようです。
この2点の声明文は捜査をする上で大きな判断材料となり、筆跡鑑定の結果逮捕にこぎつくことが出来ました。
少年A・酒鬼薔薇聖斗の動機は異常性癖!欲求がヤバい?
神戸連続児童殺傷事件は少年審判で、性的サディズムが殺人の原因と認定されました。
性的サディズムは、人や動物を傷つけることで性的快感を感じる性的嗜好を指します。
元少年Aは手記の中で、「僕は知らず知らずのうちに、死を間近に感じないと性的に興奮できない身体になっていた」と書いているのです。
実際に男児殺害後に興奮し射精したと供述しました。
実際に彼は事件を起こす前に、近所の野良猫を捕まえて様々な方法で殺害を試みています。
次第に「自分と同じ人間を壊してみたい、その時にどんな感触がするのかこの手で確かめたい」という思いに囚われ、犯行に及んだようです。
少年Aがホームページ開設で金儲け!有料配信もしていた?
神戸連続児童殺傷事件の犯人が、自伝を出版し、世間は大きな衝撃に包まれました。
さらに驚かされたのは元少年Aが同時に自身のホームページを開設し、自由に表現する場を持ったことでした。
その内容から彼は現在本当に更生したのか、疑問視する声が多く聞こえてきます。
本を出版する際にホームページを開設
元少年Aは、著書「絶歌」を出版した際に、自身のホームページを開設しました。
トップページには、「元少年A公式ホームページ」という文字とともに、存在の耐えられない透明さという大きなタイトルが表示されたそうです。
そこには彼のプロフィールとして、1982年に神戸市に生まれ事件を起こして2004年に社会復帰するまでの年表が記載されています。
身長や体重、誇大妄想癖ありなどの個人情報まで明かしています。
プロフィールの下には、著書「絶歌」について自画自賛をする宣伝が続きます。
このホームページ内には、被害者遺族に対する謝罪の言葉は一つもなかったようです。
さらに元少年Aのホームページには、自作のイラストや写真を投稿した「ギャラリー」のページがありました。
その一つに、数十匹というナメクジが小皿の上でうごめく写真が大量に掲載されています。
著書の中でも、ナメクジを解剖するシーンについて触れられていますが、彼にとってナメクジは特別な存在だったようです。
この他にはムカデやサソリ、ゴキブリをモチーフにしたと見られる作品や、事件現場となった入角ノ池のほとりにそびえ立ち、彼が「アエダヴァーム」と名付けた大樹のイラストもありました。
他にも、精神状態が疑問視されるような画像があがっていました。
彼の投稿画像は芸術的というより、やはり猟奇的な見方をされるようです。
このホームページはすぐに凍結され、現在では確認することができません。
刑務所で鍛えた身体を披露
元少年Aは、ホームページ内に本人と見られる写真を掲載しています。
「セルフポートレート」と称し顔は黒の覆面で覆っていますが、それ以外は一糸もまとっていない全裸姿の写真が6枚ありました。
写真の男は小柄ながら筋肉質な体形で腹筋は割れ、腕や胸も太いようです。
その風貌は、少年院時代にひたすらに筋トレに励んでいた、元少年Aと重なります。
少年Aの母親がおかしい?事件の原因は母親にあった?
元少年Aの常軌を逸した思考と行動は、彼の生い立ちや家族による影響もあったのでしょうか?
学校に上がると元少年Aは数々の問題を起こし、母親が学校に呼び出されることも多かったようです。
事件前にも彼が猫の舌を塩漬けにして瓶詰にしていることを友人に話し、彩花さんたちの殺傷事件の犯行も自ら匂わせたことで噂として広まっていました。
さらに家族は自宅でナイフを2回ほど発見しているにも関わらず、ナイフを使った児童殺傷事件の犯人として、息子を疑うことはなかったそうです。
このように、母親が息子の異変に気づけないのはおかしいという声もあります。
しかし実際に凶悪事件を起こした後も、両親は息子が犯人だとは全く気が付いていなかったようです。
少年Aの母親が子育てパニック?体罰もしていた?!
元少年Aの母親は息子の誕生を喜び、離乳食も全て手作りにするほど丁寧に子育てをしたそうです。
ただ、とても几帳面な性格のため物事の白黒をはっきりさせないと気が済まないタイプで、幼少期からかなり厳格に教育をした人でした。
4年で3人の息子を授かった彼女は3男に手が掛かり、上の二人が騒いだり兄弟喧嘩になると、「お尻をパーンと叩いてたしなめた記憶があります」と話しています。
一方で元少年Aの精神鑑定などによると、彼の生い立ちと両親の認識には隔たりがあります。
母親は彼が1才になり次男が誕生した頃からは、彼を突き放すようにして育てました。
さらに三男が生まれ、母親に甘えられなくなった彼の欲求不満のはけ口は弟に向かったようです。
兄弟喧嘩が始まると、弟がどんなに泣いても彼は暴力を止めませんでした。
そのため母親は相当彼に体罰を加え、母親を恐れるようになっていたといいます。
14歳で事件を起こしたときも、両親との面会を拒否し続けやっと面会した家族に、「ブタ野郎!カエレッ」と罵倒したようです。
母親は被害者家族に手紙を郵送!その内容が酷すぎ?
元少年Aの両親は事件後に被害者家族に向けてお詫びの手紙を郵送し、メディアでも発表されています。
裏を探れば、母親は弁護士に注意されるまで謝罪はしなかったようです。
少年Aが殺害した2人の遺族にあてたお詫びの手紙も、名前のみ書き替えて文章は事務的で全く同じものだったのです。
また、土師淳君は切断され、顔も潰された状態で発見されているにもかかわらず、葬儀に出席し「最後位は顔を見たいもんだね」と発言しています。
神経を疑う発言ですね。
少年Aの母親名で本を出版!少年Aの出版本と内容が違う!
1999年に元少年Aの母親の名前で、『「少年A」この子を産んで……』が出版されました。
しかし、書かれた内容が少年Aの出版本とかけ離れており話題となっていたのです。
母親が出した本は自分たちがいかに良い親であったか、事件への言い訳などが綴られ不快な内容になっていました。
母親は平凡な家庭で愛情を注いで育て、しつけはお尻をパーンと叩く程度とコメントしています。
一方少年Aは、自分を監視しスパルタで過度に干渉してくる親、体罰が酷いとコメントしていました。
ネット上では、元少年Aの母親から被害者意識のような印象を受けると言った厳しい意見もあります。
この書籍は当時から反響を呼び、印税は出版から20年で合計1億円近くに達したそうです。
あとがきには被害者への償いにあてたと記されていましたが、弟たちを進学させたいという理由で支払われなかったと言われています。
少年Aの母親がおかしい!現在は?
母親は、かつて少年Aに猫を打つためのBB弾入りの銃を買ってあげたり、猫を蹴り上げたりしたこともあるといわれています。
また事件当日、被害者である土師淳君は帰宅しないことを知ると、留守番をしてあげるといって土師淳君の家へ上がりこんだようです。
さらに母親は、たまごっちで遊びながら「警察まーだー」などと無神経なことを言って追い出されたこともありました。
2021年に取材に応じた母親は「下の子らも学校を辞めないといけないし、普通の一般家庭が、地獄です」と答えています。
現在も自分たちの正当性と自分たちは被害者であることをアピールした結果となりました。
元少年Aが逮捕されてから両親は一時的に離婚をしていたようですが、現在はよりを戻しているそうです。
現在は2人とも関西のある地方都市で暮らしており、少年Aの2人の弟も一緒に住んではいないようですが元気だということでした。
少年A・酒鬼薔薇聖斗は社会復帰していた!?
2022年5月20日、関西のローカルテレビで「ザ・ドキュメント 罪の行方 ~神戸連続児童殺傷事件 被害者家族の25年~」が放送され、遺族の苦しみを伝えていました。
被害者遺族は現在も苦しみの中を歩いています。
一方少年Aこと西岡 真はわずかな期間で社会復帰を果たし、HPを開設し自分をアピールするなど40歳となった現在もまだ本当の意味で更生したとは言えないようです。
元少年Aが発信した著書やホームページからは、贖罪意識の欠落と病的なまでの自己承認欲求、そしていまなお心の奥底に沈殿する狂気を感じます。
被害者の心の傷は決して癒えることはありませんが、これ以上は遺族の感情を逆なでする出来事が起こってほしくありませんね。