【2023現在】少年Aが社会復帰!神戸連続児童殺傷事件の犯人の現在がヤバい!

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1997年、酒鬼薔薇聖斗と名乗る男子生徒が、小学生5人を殺傷した猟奇的な神戸連続児童殺傷事件。

未成年であったことから、少年Aと呼ばれた彼は、すでに社会復帰を果たしています!

幼い命を残虐な方法で奪った犯人は、少年院を退院した後に本を出版し遺族の傷を更にえぐる行動にも出ました。

酒鬼薔薇聖斗と名乗った人物は、現在社会復帰を果たし結婚している、という噂もあります。

許されない犯罪者、現在の酒鬼薔薇聖斗の真相を探っていきましょう。

目次

少年Aの事件後から現在までを調査!現在は社会復帰も?

1997年2月〜5月に起きた神戸連続児童殺傷事件では、小学生2人が殺害され、3人が重軽傷を負ったのです。

犯人が14歳の中学3年生だったことは、世間に衝撃を与えました!

この少年は、事件当時酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)と名乗っており、未成年だったために「少年A」と呼ばれています。

事件後に彼は、殺人などの容疑で逮捕され、府中市にあった関東医療少年院に収容されましたが、2005年に退院。

すでに社会復帰している元少年A酒鬼薔薇聖斗の、現在までの道のりをみていきましょう。

酒鬼薔薇聖斗のプロフィール

【酒鬼薔薇聖斗プロフィール】

本名   :西岡 真(改名後)
身長   :165.6cm
体重   :54.3kg
血液型   :A型
出身中学 :神戸市立友が丘中学校
事件当時 :中学3年の14歳

1997年に神戸連続児童殺傷事件を起こした犯人は、東 慎一郎(当時14歳)の中学3年生でした。

酒鬼薔薇聖斗という名で声明文をだし、警察や世間をあざ笑うかのように犯罪を犯し続けていたのです。

2011年には静岡県浜松市に住んでいたようで、2015年頃には東京都足立区「UR花畑団地」に住んでいるのを週刊文集の記者に掴まれています。

約6年半の矯正教育により、事件の要因となった性的サディズムなどは改善され、再犯のおそれはなくなった」と判断されたため、逮捕から約6年9か月後の2004年(平成16年)3月10日に仮退院を認められ、社会復帰した

引用:wiki/神戸連続児童殺傷事件

残忍で猟奇的すぎる犯罪者、西岡 真はわずか6年半で社会復帰したことになります。

反省していない、と世間からは大きなバッシングを受けていますが、彼がバッシングされ続ける理由を探っていきます。

少年Aの現在① 実名を改名した?

元少年Aは、少年院を退院前に改名をしています

通常、日本では戸籍法があるので、姓を変えるのは非常に難しいことです。

ただ、姓を変更しないとその人の社会生活に著しい支障が出る場合は、家庭裁判所に申し立てをして変更を認められます。

元少年Aの本名「東慎一郎」は、報道によって広く知られることになり、改名は法務省の超例外的な措置だったようです。

それだけ社会に大きな影響を与えた事件だったことが窺えます。

少年Aの現在② 出所後は仕事を転々

【出所後の少年Aの仕事状況】

・少年院を退院後は、1ヶ月間の東京でのホテル暮らし
・更生保護施設に入所後に、派遣会社に登録。最初の仕事はオフィスでの荷物運び
・ビル清掃・廃品回収
・プレス工
・2004年までで保護観察期間は終了し、職場の近くで一人暮らしを始める
・仕事も辞めて、カプセルホテル暮らし
・2005年の冬から、寮付きの建設会社で契約社員になる
・2009年6月に、リーマン・ショックの余波を受け解雇される
・日雇い労働を転々とする
・2009年9月、少年院で覚えた溶接工の仕事になんとか就く
・2012年冬、溶接会社に辞表を提出した

元少年Aは少年院を21歳で退院し、その後仕事に就きますが長く勤めず転々としているようです。

改名をしたものの、顔写真がネット上に出回り、実際には「いつ正体がばれるのか」という恐怖と隣り合わせの生活だといいます。

職場や地域で不穏な空気を感じると、すぐに仕事を辞め逃げ回っているのです。

溶接会社では、過去に許されない罪を犯した自分が他人に受け入れられていいのかと苦しみ、職場を離れています。

こうして仕事をしなくなった彼は、自叙伝となる著書「絶歌」の執筆活動にのめり込んでいったようです。

少年Aの現在③ 遺族に手紙を送るが途絶えた?

少年Aに殺害された土師淳君の遺族にとって、犯人との唯一の接点は手紙でした。

元少年Aは2007年〜2017年頃まで、殺害した命日を前に毎年遺族へ贖罪の手紙を送っていたようです。

土師淳君の遺族もつらい思いを押し殺し、真相を知るために手紙を無視せず目を通していたと語っています。

2015年にはワープロで37枚という膨大な量の手紙が送られ、事故の原因を彼なりの言葉で綴っていたので、遺族にのみ伝える真実だと土師淳君の遺族は感じたようです。

しかし、その1ヶ月後に元少年Aは事件の暴露本「絶歌」を出版!

これは、事件のことを語らないでほしいと願う遺族に対しての大きな裏切り行為だったのです。

2016年と2017年にも彼は手紙を書きますが、遺族が受け取りを断り、それ以降は現在まで手紙も途絶えてしまっています

少年A側の弁護士は、更生プログラムはうまくいったとは思えない、と判断しているようです。

少年Aの現在④ 「絶歌」を出版

元少年Aは2015年6月に、著書「絶歌 神戸連続児童殺傷事件」を出版しました。

この本では、事件に至る経緯や犯行後の社会復帰の過程を、元少年A本人が記しています。

初版は10万部で、発売1週間後には増刷が決定するほど世間から注目を浴びました。

書籍の出版について聞かされていなかった被害者の一人が、版元である太田出版に対して抗議をしており、書籍の速やかな回収を求める事態になります。

一部の書店では、販売停止となり図書館での扱いも賛否が分かれ、様々な反響を呼びました。

被害者遺族の想いとは裏腹に、同書は25万部を売り上げ元少年Aは4000万円もの印税を手にしたようです。

少年Aの現在⑤ 現在東京都内に住んでいる?

元少年Aは、退院後から仕事と住居を転々としています

2011年から静岡県浜松市に定住し、6畳一間のアパートで「絶歌」の執筆活動を行なっていたようです。

2015年の4月には東京都内のアパートに住居を移しています。

2015年6月に遺族を深く傷つけた「絶歌」を発表後は、週刊誌の記者に追われ引越しを立て続けにしていました。

現在は、どこで暮らしているのかはわかりません

おそらく、現在も周囲の目を気にしながら生活をしていることでしょう。

少年Aの現在⑥ 追いかける記者に暴言

事件を風化させてはいけないと、週刊誌の記者は半年以上をかけて元少年Aを追い、20年前とは別の名前で暮らす少年Aとその住居を特定しました。

2015年の冬頃から住んでいた東京都足立区の団地で、記者は彼に声をかけています。

記者が名前を確認すると、「何のことかわからない」と返事をしていましたが、途中から様子が一変!

「名刺も手紙もいらねぇよ」「命がけで来てんだよな」と脅しとも取れる発言をし、恐怖を感じた記者は逃げますが、彼は約10分間もの間、執拗に走り追いかけまわしたのです

記者によると元少年Aは、「ポケットの中で何かを握る素振りを見せながら叫んでおり、更生できているのか疑問に感じた」と述べています。

少年Aの現在⑦ 被害者家族に結婚式の招待状を送った?

元少年Aの現状を調べていくと、ネット上では、少年Aは、被害者家族に結婚式の招待状を送ったと噂されています。

著書「絶歌」の中でも、結婚式の招待状を送ったという表記はなく単なる噂の可能性が高いようです。

また、「絶歌」の担当編集を務めた太田出版の方によると、彼は人と親しくなることを警戒している、と本人の様子を語っています。

元少年Aが結婚式の招待状を送る、そんな日が来ることを想像できる関係者は少ないようです。

どうやら妻子持ちの可能性もかなり低いといえるのではないでしょうか。

少年Aの現在⑧ 家族と縁を切っている

2021年の取材によると、元少年Aの両親は関西の地方都市で暮らしていました。

彼の母親によると、元少年Aとは、関東医療少年院を出てからは一度も顔を見たり、接触をしたりはしていないそうです

彼がどこに住んでいて、どのような暮らしをしているのかも把握していませんでした。

弁護士に全面的に任せていると話しています。

手紙の連絡があるのかを記者が聞くと、「来ません。縁切ったんちゃいます? 私らと」と述べているように、家族とは絶縁状態であるようです

裁判所が少年Aの全記録を破棄していた?

神戸連続児童殺傷事件の遺族たちを、苦しめたのは犯人少年Aこと西岡真だけではありません。

2022年、神戸家裁は神戸連続児童殺傷事件の記録をすべて廃棄してしまったのです。

遺族からは、希望を失ったとの声があがりました。

理由は、杜撰な管理体制にあったとされていますが、あってはならない事態に世間からも大きな批判が寄せられています。

最高裁判所が始めて遺族に謝罪!

【廃棄されたもの】

・処分決定書
・供述調書
・実況見分調書
・精神鑑定書
・家裁調査官による少年Aの報告書 など

神戸連続児童殺傷事件の遺族、土師守さんなどは廃棄するなどありえない、と怒りを露わにしました。

最高裁の内規は、史料的価値が高い記録は永久保存を義務づけているようです。

この廃棄事件に関して、最高裁の小野寺真也総務局長が「適切ではなかった」として直接遺族側に謝罪をしています。

一方、神戸家裁は適切ではなかった、と認めつつも廃棄した経緯は不明だとして、遺族たちが求める廃棄に対する調査の結果開示には答えていません

神戸連続児童殺傷事件とは?本当の犯人は?

神戸連続児童殺傷事件は、当初マスコミが報じていた中年男性という犯人像とは異なり、犯人は14歳の少年でした。

14歳の犯人が引き起こした狂気に満ちた犯行は、社会に大きな衝撃を与えたのです。

この事件などをきっかけにして、少年法は厳罰化され、刑事罰の対象年齢が16歳以上から14歳以上へ引き下げられています。

ここからは神戸連続児童殺傷事件の詳細について、確認をしていきましょう。

神戸連続児童殺傷事件について

神戸連続児童殺傷事件で犯人は、神戸市須磨区内で3回事件を起こしています。

この事件で、合計5人の小学生が被害を受けうち2人が亡くなりました。

元少年Aは殺人罪などで逮捕され、関東医療少年院へ約6年半収容されますが、事件の要因となった性的サディズムなどは改善されたと判断され、2004年に仮退院したのです。

SNS上では現在も犯人を決して許さない、という意見が多く寄せられています。

神戸連続児童殺傷事件について、さらに詳しく見ていきます。

少年Aの犯行①女児をハンマーで殴り重症

1972年2月10日の夕方、神戸市須磨区で小学生の女児が2人ハンマーで後頭部を殴られ、うち1人は重傷でした。

この時、犯人は学生かばんを持っていたことがわかっており、被害者の父親が警察を通し中学校に生徒写真を見せてほしいと頼みましたが、学校側が拒否。

少年Aの逮捕後、この時点で学校側がちゃんと対処していれば事件は起こらなかったと批判されています。

この事件は傷害・暴行罪になっています。

少年Aの犯行②女児を通り魔殺人

1997年3月16日昼過ぎ、神戸市須磨区竜が台の公園で小学4年生の女児の後頭部をハンマーで殴り、脳挫傷で死亡させました。

更に10分後には公園北側の路上で小学3年生の女児のお腹を小刀で刺して、怪我を負わせています。

お腹を刺された女児は胃を貫通、背中の静脈手前で小刀が止まっていたようで、奇跡の生還をしました。

こちらは殺人罪と殺人未遂罪になります。

少年Aの犯行③男児を通り魔殺人

1997年 5月24日神戸市立多井畑小学校の近くで、自身の弟の友人で6年生男子と会いました。

6年生男子が亀を好きなことを事前に知っていた少年Aは、亀を見せるという口実でタンク山頂上へ連れていたようです。

14時頃、手袋をはめ自分の靴ひもで男児を絞殺しました。

その後男児の遺体を隠して山を下りたのです。

この時少年Aは、殺したという満足感に浸ることが出来た、と語っていました。

この時点で殺人罪となります。

少年Aの犯行④首を切断!学校の門に放置

前日に殺害した小学校6年生の男児の首を切るために、少年Aは1997年5月25日にタンク山へ向かいます。

そこで、持参した小刀で体を切断したと供述しており、自分が殺した作品なので興奮したとも語っていました。

更に、少年Aは殺害した男児の血を飲んだり、目をくりぬいたり猟奇的な行動をとっています。

少年Aは胴体部分をタンク山にあったアンテナ基地局の床下へ埋め、頭部は木の根元へ隠して置き、後日5月27日の早朝に小学校の校門の上に置いたようです。

少年Aはここでも自分の作品だった、と語っていました。

死体損壊・死体遺棄罪になります。

1997年5月27日午前6時40分ごろ、神戸市須磨区にある市立中学校の正門前に切断された頭部が置かれているのを同校関係者が見つけ、事件が発覚。

犯人は酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)を名乗る犯行声明文を報道機関に送りつけるなどしたことから、「酒鬼薔薇事件」とも呼ばれています。

少年A・酒鬼薔薇聖斗が逮捕!きっかけは本人が出した声明?

第三事件で、土師淳さんの遺体の一部が中学校の正門前に置かれた際、遺体のそばには最初の声明文が置かれていました

その文章では、警察に対して挑発するような文言とともに、自身のことを「学校殺死の酒鬼薔薇」と名乗っています。

警察が土師さんの捜査を進める中、翌月には神戸新聞社に2回目の声明文が届いたのです。

声明文には、あるテレビ放送で「酒鬼薔薇」を「おにばら」と読んでいることへの不満と、警察への挑発が含まれていました。

「ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである」と、新たな犯行を予告するような内容も書かれていたようです。

この2点の声明文は捜査をする上で大きな判断材料となり、筆跡鑑定の結果逮捕にこぎつくことが出来ました。

少年A・酒鬼薔薇聖斗の動機は異常な性癖!

神戸連続児童殺傷事件は少年審判で、性的サディズムが殺人の原因と認定されました。

性的サディズムは、人や動物を傷つけることで性的快感を感じる性的嗜好を指します。

元少年Aは手記の中で、「僕は知らず知らずのうちに、死を間近に感じないと性的に興奮できない身体になっていた」と書いているのです。

実際に男児殺害後に興奮し射精したと供述しました。

実際に彼は事件を起こす前に、近所の野良猫を捕まえて、様々な方法で殺害を試みています。

次第に「自分と同じ人間を壊してみたい、その時にどんな感触がするのかこの手で確かめたい」という思いに囚われ、犯行に及んだようです。

少年Aがホームページ開設で金儲け!有料配信もしていた?

神戸連続児童殺傷事件の犯人が、自伝を出版し、世間は大きな衝撃に包まれました。

さらに驚かされたのは、元少年Aが同時に自身のホームページを開設し、自由に表現する場を持ったことでした。

その内容から、彼は現在本当に更生したのか、疑問視する声が多く聞こえてきます。

本を出版する際にホームページを開設

元少年Aは、著書「絶歌」を出版した際に、自身のホームページを開設しました。

トップページには、「元少年A公式ホームページ」という文字とともに、存在の耐えられない透明さという大きなタイトルが表示されたそうです。

そこには彼のプロフィールとして、1982年に神戸市に生まれ事件を起こして2004年に社会復帰するまでの年表が記載されています。

身長や体重、誇大妄想癖ありなどの個人情報まで明かしています。

プロフィールの下には、著書「絶歌」について自画自賛をする宣伝が続きます。

少年A事件に関する書籍はこれまでにも数多く出版され、ほとんど出尽くしている感がありますが、少年A本人が自分の言葉で語ったものは、この『絶歌』が最初で最後です。

(中略)事件から18年。
『冷酷非情なモンスター』の仮面の下に隠された“少年Aの素顔”が、この本の中で浮き彫りになっています。
「少年Aについて知りたければ、この一冊を読めば事足りる」そう言っても差支えないほどの、究極の「少年A本」です。
一人でも多くの方に手に取っていただければ幸いです。

このホームページ内には、被害者遺族に対する謝罪の言葉は一つもなかったようです。

刑務所で鍛えた身体を披露

元少年Aは、ホームページ内に本人と見られる写真を掲載しています。

「セルフポートレート」と称し、顔は黒の覆面で覆っていますが、それ以外は一糸もまとっていない全裸姿の写真が6枚ありました。

写真の男は小柄ながら筋肉質な体形で、腹筋は割れ、腕や胸も太いようです。

その風貌は、少年院時代にひたすらに筋トレに励んでいた、元少年Aと重なります

奇妙な画像の数々

さらに元少年Aのホームページには、自作のイラストや写真を投稿した「ギャラリー」のページがありました。

その一つに、数十匹というナメクジが小皿の上でうごめく写真が大量に掲載されています。

著書の中でも、ナメクジを解剖するシーンについて触れられていますが、彼にとってナメクジは特別な存在だったようです。

この他には、ムカデやサソリ、ゴキブリをモチーフにしたと見られる作品や、事件現場となった入角ノ池のほとりにそびえ立ち、彼が「アエダヴァーム」と名付けた大樹のイラストもありました。

他にも、精神状態が疑問視されるような画像があがっていました。

彼の投稿画像は芸術的というより、やはり猟奇的な見方をされるようです。

このホームページはすぐに凍結され、現在では確認することができません

更にTwitterには少年Aがかつて書いた絵が投稿されていますが、かなりヤバイ印象を受けます。

少年Aの母親がおかしい?事件の原因は母親にあった?

元少年Aの常軌を逸した思考と行動は、彼の生い立ちや家族による影響もあったのでしょうか。

学校に上がると元少年Aは数々の問題を起こし、母親が学校に呼び出されることも多かったようです。

事件前にも、彼が猫の舌を塩漬けにして瓶詰にしていることを友人に話し、彩花さんたちの殺傷事件の犯行も自ら匂わせ、噂として広まっていました。

さらに家族は、自宅でナイフを2回ほど発見しているにも関わらず、ナイフを使った児童殺傷事件の犯人として、息子を疑うことはなかったそうです。

このように、母親が息子の異変に気づけないのはおかしいという声もあります。

母親の厳しい躾が少年Aには体罰に感じていた

元少年Aの母親は息子の誕生を喜び、離乳食も全て手作りにするほど、丁寧に子育てをしたそうです。

ただ、とても几帳面な性格のため、物事の白黒をはっきりさせないと気が済まないタイプで、幼少期からかなり厳格に教育をした人でした

4年で3人の息子を授かった彼女は、3男に手が掛かり、上の二人が騒いだり兄弟喧嘩になると、「お尻をパーンと叩いてたしなめた記憶があります」と話しています。

一方で、元少年Aの精神鑑定などによると、彼の生い立ちと両親の認識には隔たりがあります。

母親は、彼が1才になり次男が誕生した頃からは、彼を突き放すようにして育てました。

さらに三男が生まれ、母親に甘えられなくなった彼の欲求不満のはけ口は、弟に向かったようです。

兄弟喧嘩が始まると、弟がどんなに泣いても彼は暴力を止めませんでした。

そのため母親は相当彼に体罰を加え、母親を恐れるようになっていたといいます。

14歳で事件を起こしたときも、両親との面会を拒否し続けやっと面会した家族に、「ブタ野郎!カエレッ」と罵倒したようです。

母親は被害者家族に手紙を郵送!その内容が酷すぎ?

元少年Aの両親は、事件後に被害者家族に向けてお詫びの手紙を郵送し、メディアでも発表されています。

裏を探れば、母親は弁護士に注意されるまで謝罪はしなかったようです。

少年Aが殺害した2人の遺族にあてたお詫びの手紙も、名前のみ書き替えて文章は事務的で全く同じものだったのです。

また、土師淳は切断され、顔も潰された状態で発見されているにもかかわらず、葬儀に出席し「最後位は顔を見たいもんだね」と発言しています。

少年Aの母親名で本を出版!少年Aの出版本と内容が違う!

1999年に、元少年Aの母親の名前で、『「少年A」この子を産んで……』が出版されました。

しかし、書かれた内容が少年Aの出版本とかけ離れており、話題となっていたのです。

母親が出した本は、自分たちがいかに良い親であったか、事件への言い訳などが綴られ不快な内容になっていました。

母親は平凡な家庭で愛情を注いで育て、しつけはお尻をパーンと叩く程度、とコメントしています。

一方少年Aは、自分を監視しスパルタで過度に干渉してくる親、体罰が酷いとコメントしていました。

ネット上では、元少年Aの母親から被害者意識のような印象を受けると言った厳しい意見もあります。

この書籍は当時から反響を呼び、印税は出版から20年で合計1億円近くに達したそうです。

あとがきには被害者への償いにあてたと記されていましたが、弟たちを進学させたいという理由で支払われなかったと、いわれています。

少年Aの母親の現在は?

母親は、かつて少年Aに猫を打つためのBB弾入りの銃を買ってあげたり、猫を蹴り上げたりしたこともあるといわれています。

また事件当日、被害者である土師淳君は帰宅しないことを知ると、留守番をしてあげるといって土師淳君の家へ上がりこんだようです。

さらに母親は、たまごっちで遊びながら「警察まーだー」などと無神経なことを言って追い出されたこともありました。

2021年に取材に応じた母親は「下の子らも学校を辞めないといけないし、普通の一般家庭が、地獄です」と答えています。

現在も自分たちの正当性と、自分たちは被害者であることをアピールした結果となりました。

元少年Aが逮捕されてから、両親は一時的に離婚をしていたようですが、現在はよりを戻しているそうです。

現在は2人とも、関西のある地方都市で暮らしており、少年Aの2人の弟も、一緒に住んではいないようですが元気だということでした。

少年A・酒鬼薔薇聖斗は社会復帰していた!?

2022年5月20日、関西のローカルテレビで「ザ・ドキュメント 罪の行方 ~神戸連続児童殺傷事件 被害者家族の25年~」が放送され、遺族の苦しみを伝えていました。

被害者遺族は現在も苦しみの中を歩いています。

一方少年Aこと西岡 真はわずかな期間で社会復帰を果たし、HPを開設し自分をアピールするなど40歳となった現在もまだ本当の意味で更生したとは言えないようです

元少年Aが発信した著書やホームページからは、贖罪意識の欠落と、病的なまでの自己承認欲求、そして、いまなお心の奥底に沈殿する狂気を感じます。