【神戸連続児童殺傷事件】少年Aの現在は40歳でヤバい?現在の名前や家族について調査!

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神戸連続児童殺傷事件では、小学生5人が襲われ、そのうち2人が亡くなりました。

残忍な犯行で世間を騒がした犯人は、当時14歳の中学生でした

彼は少年院を退院した後に何を考え、どのような生活を送ってきたのでしょうか。

現在の犯人の様子を踏まえて、神戸連続児童殺傷事件を振り返りましょう。

少年Aの事件後から現在までを調査!現在は社会復帰も?

1997年2月〜5月に起きた神戸連続児童殺傷事件では、小学生2人が殺害され、3人が重軽傷を負いました。

マスコミは当時、中年男を犯人像にしていましたが、本当の犯人は14歳の中学3年生だったことは、世間に衝撃を与えました。

この少年は、事件当時は「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」と名乗っており、「少年A」とも呼ばれています。

事件後に彼は、殺人などの容疑で逮捕され、関東医療少年院に収容されます。

2005年に退院し、社会復帰した元少年Aの、現在までの道のりをみていきましょう。

少年Aの現在① 実名を改名した?

元少年Aは、少年院を退院前に、改名をしていると言われています

通常、日本では戸籍法があるので、姓を変えるのは非常に難しいことです。

ただ、姓を変更しないとその人の社会生活に、著しい支障が出る場合は、家庭裁判所に申し立て、変更を認められることがあるようです。

元少年Aの改名は、法務省の超例外的な措置だったことがわかっています。

それだけ社会に大きな影響を与えた事件だったことが窺えます。

少年Aの本名は東慎一郎のようですが、西岡真に改名し、その後も変更している可能性があります。

少年Aの現在② 出所後は仕事を転々

元少年Aは少年院を21歳で退院し、その後仕事に就きますが長く勤めず、転々としているようです。

改名をしたものの、顔写真がネット上に出回り、実際には「いつ正体がばれるのか」という恐怖と隣り合わせの生活でした。

職場や地域で不穏な空気を感じると、すぐに仕事を辞めていました。

【出所後の少年Aの仕事状況】
・少年院を退院後は、1ヶ月間の東京でのホテル暮らし
・更生保護施設に入所後に、派遣会社に登録。最初の仕事はオフィスでの荷物運び
・ビル清掃・廃品回収
・プレス工
・2004年までで保護観察期間は終了し、職場の近くで一人暮らしを始める
・仕事も辞めて、カプセルホテル暮らし
・2005年の冬から、寮付きの建設会社で契約社員になる
・2009年6月に、リーマン・ショックの余波を受け解雇される
・日雇い労働を転々とする
・2009年9月、少年院で覚えた溶接工の仕事になんとか就く
・2012年冬、溶接会社に辞表を提出した

 

溶接会社では、頼れる先輩や、可愛い後輩もいたようですが、過去に許されない罪を犯した自分が他人に受け入れられていいのかと苦しみ、職場を離れています。

こうして仕事をしなくなった彼は、自叙伝となる著書「絶歌」の執筆活動にのめり込んでいったようです。

少年Aの現在③ 遺族に手紙を送る

遺族にとって、犯人との唯一の接点は手紙でした。

元少年Aは2007年〜2017年頃まで、殺害した2人の命日を前に、毎年遺族へ贖罪の手紙を送っていました

遺族も、その手紙を無視することなく、目を通して見守ってきました。

元少年Aの両親の代理人として関わる弁護士も、短かった手紙が、段々長くなってきたことを語っています。

2015年には、ワープロで37枚という膨大な量の手紙が送られ、事故の原因を彼なりの言葉で綴っています。

しかし、その1ヶ月後に元少年Aの著書「絶歌」を出版してしまいます。

遺族にとっては大きな裏切り行為でした。

2016年と2017年にも彼は手紙を書きますが、遺族が受け取りを断り、それ以降は現在まで手紙も途絶えてしまっています

少年Aの現在④ 「絶歌」を出版

これまでにも触れてきたように、元少年Aは2015年6月に、著書「絶歌 神戸連続児童殺傷事件」を出版しました。

この本では、事件に至る経緯や犯行後の社会復帰の過程を、元少年A本人が記しています。

初版は10万部で、発売1週間後には増刷が決定するほど世間から注目を浴びました。

書籍の出版について聞かされていなかった被害者の一人が、版元である太田出版に対して抗議をしており、書籍の速やかな回収を求める事態になります。

一部の書店では、販売停止となり、図書館での扱いも賛否が分かれ、様々な反響を呼びました。

被害者遺族の想いとは裏腹に、同書は25万部を売り上げ、元少年Aは4000万円もの印税を手にしたようです。

出版後しばらくしてから、「印税で遺族や被害者への賠償をしたい」と少年Aは意向を示していましたが、遺族は現在も受け取りを拒否しています。

少年Aの現在⑤ 現在東京都内に住んでいる?

元少年Aは、退院後から仕事と住居を転々としています

2011年から静岡県浜松市に定住し、6畳一間のアパートで「絶歌」の執筆活動を行なっていたようです。

2015年の4月には東京都内のアパートに住居を移しています。

2015年6月に著書「絶歌」を発表後は、週刊誌の記者に追われ、引越しを立て続けにしていたようです。

報道されている範囲では、2015年の冬から東京都足立区にある団地の一室で、2016年1月までの数ヶ月を過ごしていました。

現在は、その場から引越していますが、どこで暮らしているのかはわかりません

おそらく、現在も周囲の目を気にしながら生活をしていることでしょう。

少年Aの現在⑥ 追いかける記者に暴言

週刊誌の記者は、半年以上をかけて元少年Aを追い、20年前とは別の名前で暮らす少年Aと、その住居を特定しました。

2015年の冬頃から住んでいた東京都足立区の団地で、記者は彼に声をかけています。

記者が名前を確認すると、「何のことかわからない」と返事をしていましたが、途中から様子が一変したそうです。

「名刺も手紙もいらねぇよ」

「命がけで来てんだよな」

脅しとも取れる発言をし、異変を感じた記者は逃げますが、彼は約10分間、執拗に走って追いかけてきました

記者によると元少年Aは、「ポケットの中で何かを握る素振りを見せながら叫んでいた。更生できているのか疑問に感じた」と述べています。

少年Aの現在⑦ 被害者家族に結婚式の招待状を送った?

元少年Aの現状を調べていくと、ネット上では、「少年Aは、被害者家族に結婚式の招待状を送った」と噂されています。

著書「絶歌」の中でも、結婚式の招待状を送ったという表記はなく、単なる噂の可能性が高いようです。

また、「絶歌」の担当編集を務めた太田出版の方によると、「彼は人と親しくなることを警戒しています」と本人の様子を語っています。

続けて「自分が殺人者であることを隠すことに耐えられなくなるからです。女性にも同じ。好きにならないよう警戒していた。禁欲的な生活です」と話しています。

元少年Aが結婚式の招待状を送る、そんな日が来ることを想像できる関係者は少ないようです。

どうやら妻子持ちの可能性もかなり低いようです。

少年Aの現在⑧ 家族と縁を切っている

2021年の取材によると、元少年Aの両親は関西の地方都市で暮らしていました。

彼の母親によると、元少年Aとは、関東医療少年院を出てからは一度も顔を見たり、接触をしたりはしていないそうです

彼がどこに住んでいて、どのような暮らしをしているのかも把握していませんでした。

弁護士に全面的に任せていると話しています。

手紙の連絡があるのかを記者が聞くと、「来ません。縁切ったんちゃいます? 私らと」と述べているように、家族とは絶縁状態であるようです

神戸連続児童殺傷事件とは?本当の犯人は?

神戸連続児童殺傷事件は、当初マスコミが報じていた中年男性という犯人像とは異なり、本当の犯人は14歳の少年でした。

14歳の犯人が引き起こした狂気に満ちた犯行は、社会に大きな衝撃を与えました。

この事件などをきっかけにして、少年法は厳罰化され、刑事罰の対象年齢が「16歳以上」から「14歳以上」へ引き下げられています。

ここからは神戸連続児童殺傷事件の詳細について、確認をしていきましょう。

神戸連続児童殺傷事件について

神戸連続児童殺傷事件で犯人は、神戸市須磨区内で3回事件を起こしています。

この事件で、合計5人の小学生が被害を受け、うち2人が亡くなりました。

元少年Aは、殺人罪などで逮捕され、関東医療少年院へ約6年半収容されます。

そこで彼は矯正教育を受けて、事件の要因となった性的サディズムなどは改善されたと判断され、2004年に仮退院しました。

元少年Aが起こした事件の詳細を、3つの事件に分けて解説します。

3つの事件

3つの事件において、犯人はターゲットを決めていたわけではないようです。

第三事件の土師さんは知り合いだったようですが、強い怨恨があったわけではなく、偶然出会ったと話しています。

【第一事件】
・1997年2月10日夕方に、市立南落合小学校6年生の女児2人の後頭部を金槌で殴り、うち1人に全治1週間の怪我を負わせました。

【第二事件】
1997年3月16日のお昼頃、市立竜が台小学校4年生だった山下彩花さんの後頭部をハンマーで殴り、1週間後に脳損傷で死亡が確認されました

またその10分後には、同校3年生の女児の腹部を刺し、全治2週間の怪我を負わせました。

【第三事件】
1997年5月24日のお昼過ぎに、市立多井畑小学校6年生の土師淳さんと出会い、「タンク山」に誘い出して、運動靴の紐を使って絞殺しました。

翌日25日には殺害現場へ戻り、遺体を頭部と胴体部に切断しました。

27日未明には、切断した頭部を友が丘中学校の正門前に遺棄しています。

 

1997年5月27日午前6時40分ごろ、神戸市須磨区にある市立中学校の正門前に、切断された遺体の一部が置かれているのを同校関係者が見つけ、事件が発覚しました。

犯人は酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)を名乗る犯行声明文を報道機関に送りつけるなどしたことから、「酒鬼薔薇事件」とも呼ばれています。

酒鬼薔薇聖斗が本当の犯人?2回の声明文が届く

第三事件で、土師淳さんの遺体の一部が中学校の正門前に置かれた際、遺体のそばには最初の声明文が置かれていました

その文章では、警察に対して挑発するような文言とともに、自身のことを「学校殺死の酒鬼薔薇」と名乗っています。

警察が土師さんの捜査を進める中、翌月には神戸新聞社に2回目の声明文が届きました。

声明文には、あるテレビ放送で「酒鬼薔薇」を「おにばら」と読んでいることへの不満と、警察への挑発が含まれていました。

「ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである」と、新たな犯行を予告するような内容も書かれていました。

この2点の声明文は、捜査をする上で大きな判断材料となり、逮捕の一助にもなったようです。

動機は少年Aの異常な性癖

神戸連続児童殺傷事件は、少年審判で、性的サディズムが殺人の原因だったと認定されました。

性的サディズムは、人や動物を傷つけることで性的快感を感じる性的嗜好を指します。

元少年Aは手記の中で、「僕は知らず知らずのうちに、死を間近に感じないと性的に興奮できない身体になっていた」と書いています。

実際に彼は、事件を起こす前に、近所の野良猫を捕まえては、様々な方法で殺害を試みています。

次第に「自分と同じ人間を壊してみたい。その時にどんな感触がするのかこの手で確かめたい」という思いに囚われ、犯行に及んだようです。

殺害後も、被害少年の頭部を切断し、中学校の正門前まで運んで置き、遠くからその様子を見ています。

彼にとっては「死」こそが性の悦びだったようです。

少年Aがホームページを開設!その内容とは?

神戸連続児童殺傷事件の犯人が、自伝を出版し、世間は大きな衝撃に包まれました。

さらに驚かされたのは、元少年Aが同時に自身のホームページを開設し、自由に表現する場を持ったことでした。

その内容から、彼は現在本当に更生したのか、疑問視する声が多く聞こえてきます。

本を出版する際にホームページを開設

元少年Aは、著書「絶歌」を出版した際に、自身のホームページを開設しました。

トップページには、「元少年A公式ホームページ」という文字とともに、「存在の耐えられない透明さ」という大きなタイトルが表示されたそうです。

そこには彼のプロフィールとして、1982年に神戸市に生まれ、事件を起こして2004年に社会復帰するまでの年表が記載されています。

さらに、こんな個人情報まで明かしています。

・身長165.6cm
・体重54.3kg
・視力 右0.03 左0.05
・血液型 A型
・大動脈心臓部に雑音あり
・誇大妄想癖あり

プロフィールの下には、著書「絶歌」について自画自賛をする宣伝が続きます。

少年A事件に関する書籍はこれまでにも数多く出版され、ほとんど出尽くしている感がありますが、少年A本人が自分の言葉で語ったものは、この『絶歌』が最初で最後です。

(中略)事件から18年。
『冷酷非情なモンスター』の仮面の下に隠された“少年Aの素顔”が、この本の中で浮き彫りになっています。
「少年Aについて知りたければ、この一冊を読めば事足りる」そう言っても差支えないほどの、究極の「少年A本」です。
一人でも多くの方に手に取っていただければ幸いです。

このホームページ内には、被害者遺族に対する謝罪の言葉は一つもなかったようです。

刑務所で鍛えた身体を披露

元少年Aは、ホームページ内に本人と見られる写真を掲載しています。

「セルフポートレート」と称し、顔は黒の覆面で覆っていますが、それ以外は一糸もまとっていない全裸姿の写真が6枚ありました。

写真の男は小柄ながら筋肉質な体形で、腹筋は割れ、腕や胸も太いようです。

その風貌は、少年院時代にひたすらに筋トレに励んでいた、元少年Aと重なります

奇妙な画像の数々

さらに元少年Aのホームページには、自作のイラストや写真を投稿した「ギャラリー」のページがありました。

その一つに、数十匹というナメクジが小皿の上でうごめく写真が大量に掲載されています。

著書の中でも、ナメクジを解剖するシーンについて触れられていますが、彼にとってナメクジは特別な存在だったようです。

この他には、ムカデやサソリ、ゴキブリをモチーフにしたと見られる作品や、事件現場となった入角ノ池のほとりにそびえ立ち、彼が「アエダヴァーム」と名付けた大樹のイラストもありました。

このホームページはすぐに凍結され、現在では確認することができません

少年Aの母親がおかしい?事件の原因は母親にあった?

元少年Aの常軌を逸した思考と行動は、彼の生い立ちや家族による影響もあったのでしょうか。

学校に上がると元少年Aは数々の問題を起こし、母親が学校に呼び出されることも多かったようです。

事件前にも、彼が猫の舌を塩漬けにして瓶詰にしていることを友人に話し、彩花さんたちの殺傷事件の犯行も自ら匂わせ、噂として広まっていました。

さらに家族は、自宅でナイフを2回ほど発見しているにも関わらず、ナイフを使った児童殺傷事件の犯人として、息子を疑うことはなかったそうです。

このように、母親が息子の異変に気づけないのはおかしいという声もあるようです。

母親の厳しい躾が少年Aには体罰に感じていた

元少年Aの母親は、息子の誕生を喜び、離乳食も全て手作りにするほど、丁寧に子育てをしたそうです。

ただ、とても几帳面な性格のため、物事の白黒をはっきりさせないと気が済まないタイプで、幼少期からかなり厳格に教育をした人でした

4年で3人の息子を授かった彼女は、3男に手が掛かり、上の二人が騒いだり兄弟喧嘩になると、「お尻をパーンと叩いてたしなめた記憶があります」と話しています。

一方で、元少年Aの精神鑑定などによると、彼の生い立ちと両親の認識には隔たりがあります。

母親は、彼が1才になり次男が誕生した頃からは、彼を突き放すようにして育てました。

さらに三男が生まれ、母親に甘えられなくなった彼の欲求不満のはけ口は、弟に向かったようです。

兄弟喧嘩が始まると、弟がどんなに泣いても彼は暴力を止めませんでした。

そのため母親は相当彼に体罰を加え、母親を恐れるようになっていました

14歳で事件を起こしたときも、両親との面会を拒否し続け、やっと面会しても家族に、「ブタ野郎!カエレッ」と罵倒しています。

母親以外にも、誰か1人でも元少年Aの異変と向き合うことができていたら、結果は違うものになっていたのかもしれません。

母親は被害者家族に手紙を郵送!その内容が酷すぎ?

元少年Aの両親は、事件後に被害者家族に向けてお詫びの手紙を郵送し、メディアでも発表されています。

さらに、被害者遺族に直接の謝罪を希望されており、山下彩花さんの遺族とは、弁護士事務所で何度か会っています。

毎回2時間程度は話していたと記録が残っています。

1999年の『「少年A」を生んで……』の書籍出版についても、被害者遺族には報告を行いました。

ネット上では、これまでの手紙やインタビュー記事、手記をみて、元少年Aの母親から被害者意識のような印象を受けると言った厳しい意見もあります。

元少年Aの母親はおかしいと感じた人もいたようですが、母親に共感する人も多くいたようです。

これから元少年Aとその親がどう生きていくのか、被害者遺族は注視し続けることでしょう。

少年Aの母親名で本を出版!印税で金儲け?

1999年に、元少年Aの母親の名前で、『「少年A」この子を産んで……』が出版されました。

実質は、父親と母親の共同手記で、彼との暮らしや事件直後のありのままを綴っています。

この書籍は当時から反響を呼び、印税は出版から20年で合計1億円近くに達したそうです。

ネット上では、この印税は、元少年Aの弟たちの学費や住宅資金にされたというデマが流れて、そんことを考える母親はおかしいと叩かれています。

しかし実際には、この書籍の印税は全額、被害者遺族に支払われており、そもそもこの本の出版は、被害者遺族への賠償金の支払いの目的もあったようです。

被害者の家族や遺族にも了承を得た上での出版でした。

元少年Aと両親には、賠償金として1億9226万円の支払い義務があり、その選択しかなかったと弁護士も語っています。

少年Aの母親の現在は?

元少年Aが逮捕されてから、両親は一時的に離婚をしていたようですが、現在はよりを戻しているそうです。

現在は2人とも、関西のある地方都市で暮らしています

オートロックもエレベーターもない、築50年以上の古びたマンションで、年金生活を送っています。

2人の弟も、一緒に住んではいないようですが元気だということです。

取材に対して母親は、まだ直接謝罪ができていない土師淳さんの遺族について、こう述べています。

「死ぬまでに1回は会ってお詫びしたい」

「直接お詫びしない限り、ずっと、私は、もう、ずーっと、沈んだままです」

母親は事件から今日までを「地獄」のような日々と語っていますが、現在もなお続いているようです。

被害者遺族の痛みはまだ続いている

神戸連続児童殺傷事件の犯人は、40歳となった現在もまだ、本当の意味で更生したとは言えないようです

元少年Aが発信した著書やホームページからは、贖罪意識の欠落と、病的なまでの自己承認欲求、そして、いまなお心の奥底に沈殿する狂気を感じます。

被害者遺族の無念が、少しでも晴れることを願ってやみません。