1997年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」は、5人の小学生が被害を受け2人が死亡、3人が重軽傷を負いました。
この事件を起こしたのは「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る当時14歳の男子中学生。
2005年に保護観察期間を終え、正式に少年院を退院し社会復帰しているようです。
-この記事でわかることー
- 酒鬼薔薇聖斗の改名後の名前
- 酒鬼薔薇聖斗の現在の写真
- 酒鬼薔薇聖斗の出版した「絶歌」について
- 酒鬼薔薇聖斗の現在の住所や仕事は?
- 酒鬼薔薇聖斗の起こした神戸連続児童殺傷事件とは?
酒鬼薔薇聖斗は現在、本名を「東慎一郎」から「西岡真」と名前を変え暮らしているとされています。
SNS上ではいまだに酒鬼薔薇聖斗を許せないという意見が多いようなので、彼の事件の真相を詳しく紹介していきます。
目次
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗・少年A)の本名は西岡真?現在は結婚している?!
神戸連続児童殺傷事件の犯人、酒鬼薔薇聖斗こと「東慎一郎」は関東医療少年院へ入っていましたが、6年半の時を経て仮退院が認められました。
現在は正式に退院し、社会復帰していますが、再犯の危険性があるのではないかと話題になっていました。
連続殺傷事件を起こし、遺族への手紙は途絶えたまま、反省の色もないとSNS上で危険視されている東慎一郎。
噂では結婚し子供もいるといわれていますが、東慎一郎は現在どんな仕事をして、どこで、どのように生活しているのでしょうか?
酒鬼薔薇聖斗は本名を東慎一郎から西岡真に変更した?!
酒鬼薔薇聖斗の本名は「東慎一郎」ですが、現在は本名を変えて生活しています。
改名後は「西岡真(にしおかまこと)」と名乗り、一般人に溶け込み暮らしているといわれていました。
しかし、その後さらに改名し「K.M」というイニシャルに変わっている、という情報もあるようです。
猟奇的な殺人者である東慎一郎は改名し生活していますが、本当に更生しているのでしょうか。
SNS上ではこの事件を風化させてはいけないという意見が多くあがっています。
神戸連続児童殺傷事件の東慎一郎。佐世保女子高生殺害事件の徳勝もなみ。この2人には共通点がある。それは殺人の前に小動物を殺傷していたことだ。小動物の殺生がエスカレートすると殺人をやらかす。他の殺人事件でも加害者が小動物を殺していたことは多い。小動物を虐待する人物には要注意だ。 pic.twitter.com/a3pD5ufyRw
— 世間はこいつらを忘れてはならない (@dont4get7) March 5, 2023
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗)の現在の年齢は?
東慎一郎から西岡真に改名した犯人は、事件当時14歳だったので、現在40歳となっています。
2005年の出所ですから、もう社会に出て20年近くになるのです。
生きていくためには、衣食住を確保しなくてはならないですし、仕事をしてお金を稼がなくてはなりません。
東慎一郎は今何処で何をして、誰と暮らしているのでしょうか。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗)は板橋区で新聞配達?!
通常であれば猟奇的な連続殺人事件を起こした犯人は、刑務所から出てくることは難しいでしょう。
しかし東慎一郎は、事件当時未成年だったため、わずか6年程で社会に出ることが出来ました。
ですが一般社会での生活も厳しかったようです。
凶悪な犯罪を犯した代償として、当然のように記者に追われる日々だったといいます。
少年院を出た後は身元引受人となってくれた法務省関係者と同居し、仮退院の期間をむかえると一人暮らしを始めたようです。
また2015年からは、東京都板橋区赤塚新町近くに住み新聞配達を行っていたと、地元の人が噂をしていました。
噂が拡散されているので、現在はまた住所を変えている可能性が高いのではないでしょうか。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗)が結婚?相手は事件を知らない?!
はたして凶悪な犯罪を犯した東慎一郎こと西岡真者が、噂通りて結婚し子供までいるのでしょうか?
噂の原因となったのは、2015年に出版された「絶歌」にありました。
絶歌には「被害者遺族に対し結婚式の招待状を送った」と書いてあったことで、このような噂が広がっていったのです。
しかしながらこの情報は「デマだった」ともいわれています。
東慎一郎は今も結婚しておらず、子供はいないともいわれており、真相は不明です。
もし、噂が真実で結婚していたとしたら結婚相手は彼の過去を知らない可能性もあるのではないでしょうか。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗)のその後の現在!どこで何をしている?
東慎一郎は事件発生当時14歳ということもあり、逮捕後は少年院へ入所することになりました。
少年院ではどのような生活をしていたのでしょう。
関東地方更生保護委員会は、性的サディズムなどは改善されたと発表しています。
しかし、退院後の彼の作った不気味なブログを見る限りでは、改善されたとは思えないという意見が圧倒的に多いようです。
しっかり罪を償い更生することが出来たのか、気になるところです。
それでは東慎一郎の逮捕後と、退院してからの行動について解説していきます。
東慎一郎(酒鬼薔薇聖斗)は少年院で表面上の更生?
事件後、東慎一郎は1997年10月13日に関東医療少年院に入所しています。
その4年後の2001年には、「治療は順調」との判断から中等少年院に移り、2004年に仮退院、2005年に本退院となり社会に出てきているのです。
少年院内の仲間に東慎一郎はこのように語っていたといいます。
「いくら遺族の手記を読んでも、薬を飲んでも、治らないんだよ。僕は性格が異常なんだから」
また「自分の性器を傷つける」などの奇行に走っていたという情報もあり、本当に更生して出てきたのか不安になってしまいます。
また、東慎一郎は自身のブログも作っていたようで、ブログをみた人たちからは関東地方更生保護委員会の判断は間違っている、という批判が相次ぎました。
なにやら話題になってる酒鬼薔薇のHP見て思った感想と言うかツッコミが「『冷酷非情なモンスター』の仮面を被った少年、ってか冷酷非情なモンスターそのものだろ。」 pic.twitter.com/fElsr1BA8B
— ひ〜ろ〜 (@H_e__R_o__) September 10, 2015
東慎一郎(西岡真)の顔が流出!
東慎一郎の画像も流出しています。
中学生当時の画像から、成人した後の画像まで確認することが出来ます。
事件を風化させまいとする雑誌の記者から付け回されていると思われ、様々な画像がネット上に流出しているのです。
実はこの流出は過去に大きな話題となっており、犯罪を犯した少年(東慎一郎)の顔写真を掲載した新潮社に対して、雑誌の回収が勧告されています。
しかし、事件の罪の重さを優先させた新潮社側はこれを拒否。
世論も賛成派と反対派にわかれました。
しかし、現在はデジタルタトゥによって、犯罪者の顔を隠すことは不可能といわれています。
殺人事件を犯した加害者が社会に出て、普通の暮らしをするのは難しいということでしょう。
東慎一郎の住まいはどこで何をしている?
ネットカフェや簡易的な宿泊所を、転々としてきたという東慎一郎ですが、週刊文春によって一度、所在を明らかにされていることが分かりました。
現在は別の場所に引っ越してしまっているようですが、その情報によると東京都足立区の「UR花畑団地」に住んでいたとのことです。
団地の最寄り駅は「竹ノ塚駅」という駅近物件に暮らしていたということで、周辺住民の方や駅利用者は、東慎一郎とすれ違っていたかもしれません。
上記の写真から住んでいる場所が特定されています。
当初、東慎一郎は身元引受人の元、紹介された荷物運びや廃品回収などの仕事を転々としています。
独立後は、プレス工場の就職していましたが、こちらも長続きせずに離職していました。
正式な退所が認められてからは一人暮らしをはじめていますが、やはり一定の場所に住み続けることはなかなかないようです。
2005年には、建設会社で契約社員となっていますが2009年には解雇。
次に少年院時代に学んだ溶接関係の仕事に就いたようですが、こちらも3年ほどで辞職したのです。
2011年になると静岡県浜松市に移住、問題となる「絶歌」の執筆を行っていたようです。
そして、2015年に東京都足立区の「UR花畑団地」に住んでいることをスクープされたのでしょう。
さらに2015年からは、東京都板橋区赤塚新町近くにいるとの噂も流れており、スクープ後に引っ越しをした可能性も考えられます。
東慎一郎(西岡真)が退所直後に記者にブチギレ?!
「週刊文春」の記者は、長期にわたり「東慎一郎」を追跡していたといいます。
そしてついに東慎一郎本人に、直接取材までするまでに至ったのです。
その取材内容ですが、最初の取材時に東慎一郎は「人違いです」とコメント、取材は拒否されました。
後日改めて取材の依頼をしたところ、東慎一郎の態度が豹変したといわれています。
「お前、ナメてんのか?違うって言ってんだろ」「命懸けで来てんだろ?お前、名前と顔覚えたからな」などと脅しをかけ、逃げる記者を1キロほど追いかけてきたのです。
記者は「殺されるかもしれない」と思ったと語っており、更生しているのか疑問が生まれてしまう程の出来事だったそうです。
さらに、周辺住民によると動物の死骸が複数見つかっているとのことで、再犯の可能性が指摘された出来事でした。
彼は犯行当時、酒鬼薔薇をオニバラと読み間違えた神戸新聞社に下記の手紙を送っています。
もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。
大人でも殺せるのだという脅迫文ですが、殺されると思ったと発言した記者の言葉は、真に迫るものだったのかもしれません。
東慎一郎は元少年Aとして本を出版が爆売れ!
東慎一郎は2015年に「絶歌・神戸連続児童殺傷事件」を太田出版から刊行しています。
出版当時の年齢は32歳で、初版は10万部、その後第2刷第3刷と増刷されました。
「絶歌」は25万部を売り上げたといわれており、2000万円から4000万円ほど印税を手にしたようです。
被害者遺族にとっては、辛くても忘れられない「記憶の傷口」をさらに大きく広げられ、とても苦しかったことでしょう。
被害者遺族は出版をやめてほしいと懇願
土師淳(はせじゅん)君が殺されてから、メディアで気持ちを打ち明けてきた父親の土師守さん。
事件のことは公に語ってほしくないと願い続けていたようで、東慎一郎が被害者遺族に無断で「絶歌」を出したことに、ひどい裏切り行為だとコメントしていました。
全国的に図書館や書店では、この本を置かない方針を打ち出す傾向が多かったようです。
土師守さん達遺族は太田出版に抗議したようで、土師守さん以外にも多くの批判の声が寄せられました。
しかし太田出版は、遺族に黙って出版したお詫びと共に「なぜ出版したか、犯人からの手紙と本を遺族に送った」とコメント。
世間からのバッシングが、さらに大きく膨れたのはいうまでもありません。
酒鬼薔薇聖斗の手記『絶歌』を出版した鬼畜会社
株式会社太田出版
〒160-8571
東京都新宿区愛住町22 第3山田ビル4階
代表取締役社長:岡 聡太田出版の本は永遠に買わない!! 不買運動開始!! pic.twitter.com/TwgYlivoI9
— 近衛太呂丸 (@tarotwo) June 14, 2015
東慎一郎は多額人税で豪華生活?!
絶歌は当時1冊1500円で販売されていました。
通常の印税は8%ですので、単純計算1冊で120円著者へ入ってくる計算になります。
東慎一郎は少なくても2000万円以上、4000万ともいわれる印税が入ってきているのです。
しかしその印税は遺族へ支払われていないといいます。
その理由は、「被害者遺族が拒否」しているからなのだそうで、この印税は東本人が自由に使えるお金となっているのです。
東慎一郎の酒鬼薔薇聖斗事件真相!西岡真になるまで!
神戸連続児童殺傷事件は1997年の2月に始まり5月に最悪の結末をむかえた事件です。
犯人は神戸市立友が丘中学校に通う当時14歳の東慎一郎。
彼の異常性は飛びぬけており、挑戦的な手紙を警察や新聞社に送り付けるなど世間からの注目を集め続けました。
土師淳君の事件が突出して報道されますが、神戸連続児童殺傷事件は多くの幼い被害者を生み出した猟奇的な事件です。
事件の経緯を詳しく紐解いていきましょう。
東慎一郎事件①第一の犯行:小学生をハンマーで殴る!
東慎一郎が起こした最初の事件は、1997年2月10日の夕方に発生します。
須磨区中落合一丁目の路上で当時6年生の女児2人の後頭部を金槌で打ち付けました。
1人は重症、1人は軽傷で済み女児の証言から、犯人はブレザー姿で学生バックを持っていたことが判明。
被害者の父親が神戸市立友が丘中学校に、学生の写真開示を求めていますが、学校側はこれを拒否しています。
父親は警察に学生写真の開示を要求しますが、こちらも拒否されているのです。
女児が襲われ、証言も出ているのになぜ開示しなかったのか、この時の対応が甘かったせいで東慎一郎は次の犯行におよんだ、と大きな批判を受けています。
この事件は傷害罪と暴行罪、成人なら15年以下の懲役などが科せらる罪です。
東慎一郎事件②第二の犯行:小学生をハンマーとナイフで暴行!
東慎一郎が起こした2件目の事件は、1997年3月16日昼過ぎにおきています。
場所は須磨区竜が丘公園、当時神戸市立竜が台小学校の4年生だった山下彩香ちゃんに「手を洗える場所を教えて」と声をかけ、学校へ案内した山下彩香ちゃんを1.5キロのハンマーで殴りました。
山下彩香ちゃんは病院へ運ばれましたが、7日後に脳挫傷によってなくなりました。
東慎一郎はこの日、3件目の事件も起こしており、山下彩香ちゃんを殴った後、竜が丘公園で神戸市立竜が台小学校3年生だった女児の腹部を刃渡り13㎝のナイフで刺しました。
ナイフは背中の静脈手前で止まり、彼女は奇跡的に助かりました。
殺人罪は、いうまでもなく成人ならば死刑や無期懲役となっておかしくない罪です。
神戸連続児童殺傷事件から25年、成人の犯罪と違って裁判が公開されていないことで、遺族といえども限られた情報しか得られず、なぜ自分の子どもは殺されなければならなかったがわからないまま。唯一の繋がりの手紙は4年前から途絶えている。どれだけ辛いか。 #NNNドキュメント pic.twitter.com/AMwz7XY5hb
— ミスターK💙💛 (@arapanman) May 26, 2022
東慎一郎事件③第三の犯行:同級生の友達を殺害!
東慎一郎はついに猟奇的な犯罪へとエスカレートしていきます。
1997年 5月24日、殺す子供を探し自転車でぶらついていた所、東慎一郎の弟の同級生である土師淳君と出会いました。
以前から顔見知りだったので、亀を見せてあげるという口実でタンク山へ連れていき、抵抗する土師淳君を自身の靴紐で絞殺し、見つからないように遺体を隠しています。
この時、これまでにない興奮を覚えたとコメンとしており、驚くことに殺害後は友人たちと普通に遊んでいたのです。
東慎一郎事件④同級生の首を切断!鑑賞し射精!
土師淳君を殺害した翌日、死体を切断したいという欲求にかられ再びタンク山に登ると、小刀で首を切断し、胴体部分はタンク山のアンテナ基地局床下へ埋めています。
この時東慎一郎は、土師淳君の血を飲み興奮のあまり射精をしたことを供述。
頭部は、目をくりぬいて入角ノ池の木の根元へおいていたようで、自分の作品の変化を観察したかったと語っています。
この時点で、須磨警察署は公開捜査をしており、150人以上の地元消防団などが土師淳君を探していました。
1997年 5月25日は入角ノ池で首を眺めていましたが、警察に見つかるのを避けるため首を自宅に持ち帰りました。
東慎一郎事件⑤首を学校に放置!手紙によって逮捕!
東慎一郎はいったん首を家に持ち帰り、頭部を洗った後5月27日の早朝に、自身の通う神戸市立友が丘中学校の校門の上に置いています。
この時、殺害した土師淳君の口に酒鬼薔薇聖斗の声明文を挟んだのです。
また校門に首を置いた時も、東慎一郎はかなりの興奮を覚えたとのこと。
彼は、事件のニュースを見ていた時に「酒鬼薔薇」を正しく読めていないことに腹を立て、神戸新聞社に手紙を送りました。
この筆跡が証拠となり、東慎一郎は逮捕されたのです。
東慎一郎が起こした事件後の家族はどうなった?
上記写真は祖父母と犯人東慎一郎の写真で、東慎一郎は祖父母を慕っていたようです。
自分の子供がこのような「凶悪な事件を起こしてしまったら」と思うと、いてもたってもいられなくなる方は多いでしょう。
加害者の家族も今まで通りの「普通」には戻ることはできなかったようです。
残された加害者の家族は、どうなっているのか非常に気になりますが、東慎一郎の母親には世間からの批判が相次いでいました。
事件後の家族が、どのような日々を送っていったのか解説していきます。
東慎一郎の両親が本を出版!
事件後「東慎一郎」の両親は本を出版しているのです。
1999年4月に「少年Aこの子を生んで」を出版しており、この手記はベストセラーにもなり、印税額は出版から20年で「合計1億円」近くに達しているといわれています。
しかし、本の内容は東慎一郎の執筆した「絶歌」とは大きく異なり、愛情を注いで育てたという母の意見に対し、自分は監視されていた、と東慎一郎は語っていました。
この書籍の印税は全額、被害者遺族に支払われていると記されていたようですが、実際は弟の進学のために使用したようです。
東慎一郎の母親の言動が異常!
逮捕後にこのように母親は語っています。
「冤罪ってことはありえへんの?」
殺人事件で逮捕された息子の母親とは思えない言動を発しています。
さらに被害者の賠償金が億越えの判決となっているにも関わらず「毎月2万円ずつ払います」といった信じられない言葉を発しており、裁判官に注意されたそうです。
この情報だけ見てしまえば、母親の精神は崩壊しているといっても過言ではないでしょう。
さらに、母親は謝罪をしておらず、弁護士に促されてはじめて謝罪をしたようです。
しかし、謝罪文はどの遺族へも同じ文面で送られたとのこと、謝罪の意思は全くないのではないでしょうか。
東慎一郎の両親は離婚して一家離散?
東慎一郎が逮捕されてから、両親は一時的に離婚をしていたようです。
自分の子供がまさか「殺人事件を起こす」とは、誰の親も思っていないことでしょう。
そんな両親ですが現在は「よりを戻して」一緒に暮らしているそうです。
関西のある地方都市で暮らしており、年金生活を送っているといわれています。
東慎一郎の2人の弟も一緒には暮らしていないものの元気なのだとか。
東慎一郎の現在は、未だ謎に包まれている!
東慎一郎は現在40歳になっており、社会に出てひっそりと暮らしていることでしょう。
ネットで出回っている情報を整理すると、現在の所在地は不明でどこで、どのように生活しているのか見えてきませんでした。
しっかり更生していない様子も伺えるため、また犯罪を起こしてしまわないか、近くに住んでいないか気になる人も多いようです。
未だに、酒鬼薔薇聖斗への世間の怒りはおさまっていないのでしょう。