【2024最新】光GENJIメンバーの現在を画像付きで紹介!「光GENJIへ」の内容がヤバすぎて再結成は不可?

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光GENJIは1988年デビューのジャニーズ事務所の人気グループです。しかし、1995年に突然の解散宣言をし、ファンを驚かせました

その後、何度か再結成しましたが、現在はどうしているのでしょうか?

この記事では、光GENJIメンバーの解散理由から現在の活動や姿を画像とともに紹介します。

目次

【画像】光GENJIのメンバーの現在を人気順で紹介!

光GENJIのメンバーは、解散後もそれぞれが芸能界で活躍しています

しかし、メンバーの中には、現在は全く姿を見せない人もいます。

そこで、この記事では、光GENJIのメンバーの現在を人気順で当時の画像とともに紹介します。

人気順は、SNSのフォロワー数や出演作品の数などを参考にしました。

光GENJIファンの方はもちろん、ジャニーズファンの方も必見です!

7位:佐藤寛之(ヒロくん)

光GENJIのメンバーの中では、優しい雰囲気とバラード曲が印象的な佐藤寛之さん。

光GENJI時代のイメージカラーは水色でした。

1983年にジャニーズ事務所に入所し、1987年に光GENJIとしてデビューしました。

しかし、1994年に大沢樹生さんと共に光GENJIを脱退し、ジャニーズ事務所も退社しました。

その後はソロで歌手や俳優として活動しています。

佐藤寛之は個人事務所を立ち上げ現在もミュージシャン?

佐藤寛之さんは、光GENJI脱退後にジャニーズ事務所も退社しました。

その後「GENJI GURUMA」という個人事務所を立ち上げソロデビューを果たし、現在はイベントやライブを中心に活動しています。

この事務所名はおそらく「源氏車」という、平安時代に貴族が乗っていた牛車の車輪をかたどった模様が由来と思われますが、脱退した今でも「光GENJI」時代を忘れないようにという意味も込められているようにも思えますね。

佐藤寛之さんは、光GENJIのメンバーの中で最も地味と言われ、地方のドサ周り担当だったようですが現在は最も望んだ活動を続けていると評判になっています。

6位:リーダー・内海光司(キノッピー)

内海光司さんは、1982年に中学2年生の時に友達とジャニーズファミリークラブに遊びに行った際にスカウトされ、正式なオーディションを経ぬ形でジャニーズ事務所へと入所しました。

その翌年に結成されたアイドルグループ・イーグルスの一員として、1983年3月25日にレコードデビューを果たします。

イーグルスは、中村成幸(現・中村繁之)、宇治正高、大沢樹生、石川博文の5人で構成されていましたが、レコードデビュー直後に石川が脱退し、4人で活動を続けました。

その後、内海さんと大沢さんは新たに結成された「光GENJI」のメンバーとなり、1987年8月19日に「STAR LIGHT」で再レコードデビューしました。

光GENJIでは青色のイメージカラーを持ち、グループのリーダーを務めていました。

内海光司の現在は激やせで病気?!

内海光司さんは、2021年6月時点で53歳ですが、そのスリムな体型は20代の頃からほとんど変わっていないそうです。

しかし、近年のテレビ出演では、頬がこけたり目の下にクマができたりして、痩せすぎではないかと心配されることもありました

内海光司さんは、痩せた原因については特に明かしていませんが、病気ではなく極度なストイックさが原因だという説があります。

また、舞台やイベントなどで忙しく活動しており、2022年には光GENJIのデビュー35周年を記念して佐藤アツヒロさんと新ユニット「U&S」を結成しました。

そのため、ストレスや疲労が体重に影響している可能性もあります。

ただし、内海光司さんは2021年9月にテレビ番組「主治医が見つかる診療所」に出演した際に、「止まらない空咳」の理由を調べてもらったことがありました。

その結果、内海光司さんは「過敏性気管支」という病気であることが判明しました。

これは、気管支が過敏に反応して咳や息苦しさを引き起こす病気で、放置すると呼吸困難の可能性もあるそうです。

内海光司さんはこの病気の治療法を教えてもらい、自宅でできる呼吸法を実践することで改善することができました。

5位:大沢樹生(ミッキー)

大沢樹生さんは、1982年に中学2年生の時に姉が履歴書を送ったことでジャニーズ事務所に入所しました。

その翌年に結成されたアイドルグループ・イーグルスの一員として、1983年3月25日に「ハートブレイク・モーニング」でレコードデビューを果たします。

大沢樹生さんは、1987年8月19日に内海光司さんと共に新たに結成された「光GENJI」のメンバーとして再レコードデビューしました。

光GENJIでは紫色のイメージカラーを持ち、光GENJI時代には、映画やドラマにも多数出演しました。

例えば、1988年には映画『それから』で主演を務めたり、1990年にはドラマ『愛しあってるかい!』で主役を演じたりしました。

また、1994年には映画『日本製少年』で新人奨励賞を受賞しました。

大沢樹生は区長選で政治に進出?!頭皮と激やせが心配?

今年の2月には、東京都北区の区長選に出馬する意向を固めました。

出馬の理由としては、映画『サムアップ!!』の舞台が北区であり、地元の人々に恩返ししたいという思いがあったからだと言っています。

また、子育て政策や経済対策などを公約に掲げ、「未来に光 地域(まち)にGENKI」をスローガンに掲げていました。

大沢樹生さんは、2019年に公開された映画『サムアップ!!』で主演を務めましたが、その撮影のために約20キロの減量をしたと言われています。

その影響で、顔が激やせし、頬がこけてしまったとの指摘があります。

また、大沢樹生さんは以前から薄毛に悩んでいたことを明かしており、2017年には自身のブログで「髪の毛が薄くなってきた」と告白しています。

その後、育毛剤やカツラなどを試したものの、効果がなかったと語っています。

大沢樹生さんは、自分の容姿に対してコンプレックスを持っているようですが、それを乗り越えて様々な活動に挑戦しています。

その姿勢には、多くの人が感心や応援の声を送っています。

4位:山本淳一(バンジー)

山本淳一さんは、1972年2月28日生まれの歌手、俳優、プロレスラーです。

1987年にアイドルグループ「光GENJI」のメンバーとしてデビューしました。

イメージカラーは赤で、愛称は「バンジー」でした。

山本淳一さんの女性関係は、かなり複雑です。

1990年代には女優の遠山景織子さんと交際し、未入籍ながら子どもをもうけましたが、後に別れました。

1995年にグループが解散した後も、ジャニーズ事務所に残り、ソロ活動を続けました。

山本淳一はヒモ生活のBARアルバイト?プロレスにも進出?!

山本淳一さんは、芸能活動を休止した後、愛媛県の道後温泉にあるバーでアルバイトをしていたことが報じられました。

そのバーの店長は、山本さんが「人当たりが良くて、お客さんからも好かれていた」と語っています。

しかし、報道によると、山本淳一さんは知人の紹介で出会った女性と同棲し、彼女の収入に頼って生活していたと言われています。

その女性は、山本さんに借金を肩代わりさせたり、他の男性と浮気したりしていたとも伝えられています。

良くない噂があったものの2014年に芸能活動を再開した山本さんは、プロレスにも進出しました。

2016年にはシアタープロレス花鳥風月でプロレスラーとしてデビューし、その後も様々な団体で試合を行っています。

山本さんは、プロレスと歌手活動を両立させており、自身のブログやSNSでファンに近況を報告しています。

山本淳一さんは、苦難を乗り越えて再起を図っているようです。

3位:赤坂晃(カメくん、晃くん)

赤坂晃さんは、1973年5月8日生まれの歌手、俳優、実業家です。

1987年にジャニーズ事務所に入所し、同年に光GENJIのメンバーとしてデビューしました。

イメージカラーは赤で、愛称は「カメくん」や「晃くん」でした

1995年に光GENJIが解散した後も、赤坂さんはジャニーズ事務所に残り、ソロ活動を続けました。

テレビドラマや舞台、ミュージカルなどに多数出演しました。

赤坂晃は覚せい剤で逮捕後に宮古島で焼き肉店経営!

赤坂晃さんは、2007年と2009年の2回、覚醒剤取締法違反で逮捕されました

赤坂晃さんは、覚醒剤で逮捕されたことを深く後悔しており、「もう二度とやらない」と誓っています。

赤坂晃さんは、覚せい剤で逮捕された後、宮古島で焼き肉店「589(コハク)」を経営しています。

この店は、赤坂さんが服役中に出会った宮古島出身の友人と共同で立ち上げたもので、2019年にオープンしました。

店名の「589」は、赤坂さんのイメージカラーだった赤と、宮古島の方言で赤を意味する「コハク」の数字に由来しています。

店内には、光GENJI時代の写真やグッズが飾られており、ファンにとっては懐かしい空間となっています。

また、赤坂さんは店長として接客や調理も行っており、時々歌やダンスも披露してくれることもあるそうです。

赤坂さんは、宮古島で自然に囲まれた穏やかな暮らしを送っており、地元の人々からも親しまれているようですね。

2位:佐藤敦啓(あっくん)

1987年にジャニーズ事務所に入所し、同年に光GENJIのメンバーとしてデビューしました。

イメージカラーは緑で、愛称は「あっくん」でした

光GENJIはローラースケートを履いて歌うパフォーマンスでブレークし、「パラダイス銀河」「ガラスの十代」などのヒット曲を飛ばしました。

1993年には佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃とともに「SAY’S」というユニットを結成し、「曇りのち晴れ」でCDデビューします。

1994年に光GENJIから大沢樹生・佐藤寛之が脱退し、残りのメンバー5人でユニット名を「光GENJI SUPER 5」へ変更しました。

同時に「SAY’S」も解散となります。

1995年に光GENJI SUPER 5が解散した後も、佐藤さんはジャニーズ事務所に残り、ソロ活動を続けました。

テレビドラマや舞台、ミュージカルなどに多数出演しました。

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