あなたは「あたしはもうお嫁にはいけません」という作品をご存知ですか?
この作品は検索してはいけない言葉に含まれる知名度の高い作品ですが、多くのデマや噂により、この作品に込められた意図が理解されていません。
また、「もう私お嫁にいけない」「私はもうお嫁にいけません」等が正式名称だという噂も存在しています。
ここでは、この作品や噂について徹底解説していきます!
目次
「あたしはもうお嫁にはいけません」の意味とは?
作者・立島夕子によって描かれたこの作品は、一見、見るものに恐怖や人によっては不快感を覚える作品です。
しかし、この絵には私たちには計り知れない彼女の思いや、叫び、多くの祈りが込められていました。
なぜこのような作品を作るに至ったのか、彼女の願い、抱える思いを彼女の過去と結びつけながら紐解いていきましょう。
【閲覧注意】「あたしはもうお嫁にいけません」は絵のタイトル?
「あたしはもうお嫁にはいけません」というのはこの絵のタイトルです。
赤黒い背景に女性と思われる人物が描かれています。
大きく見開かれた両眼と長い首、胸元や下半身の服は、はだけたように描かれているのが特徴です。
それではなぜこのような衝撃的な作品が生まれたのでしょうか?
「あたしはもうお嫁にはいけません」に込められた意味がやばい!
なんかまたガセネタ出回ってるので本当の事書いておきますね。絵画「あたしはもう お嫁にはいけません」を描いたのはこの私です。まだ生きてます。あの絵は強姦と強姦未遂とストーカ−に遭った私の苦しみを描いた絵です。別に過去の事私は隠してないので、この話は誰にでも聞かれたら答えます。
— 立島夕子 Yuko Tatsushima (@Yuko_Tatsushima) April 21, 2012
この作品の解説として、「精神を病んだ人が死ぬ直前に描いた」と書かれることがありますが、それは全く根拠のない噂です。
この絵は、日本画家である立島夕子さんによって描かれた作品です。
なぜ彼女がこのような絵を描くに至ったのか、彼女がこの絵の込めた恐怖を紐解いていきましょう。
- 当時24歳、彼女は男性からしつこく付き纏われるストーカー被害に遭っており、精神的に危篤な状態であった。
- 過去に強姦被害、強姦未遂・ストーカー被害に遭っており、そのトラウマや苦しみがあった。
以上の理由により生まれたこの作品について、彼女は「この絵は全ての性犯罪に対する私の決死の反逆の絵である」と述べました。
この絵にはもう一つ違う意味も込められていたのです。
「あたしはもうお嫁にはいけません」は反徴兵制の意味もある?
ご存知の方々あまりいらっしゃらないと思うけど、私の初期の作品「あたしはもう お嫁にはいけません」は反徴兵制の絵でもあるのですよ。私はもうずっと昔から戦争が大嫌いな人間なのですよ。
— 立島夕子 Yuko Tatsushima (@Yuko_Tatsushima) November 16, 2013
また、彼女は「反徴兵制の絵でもある」と語ったこともあり、彼女は戦争が嫌いな人間であることも伺えます。
また彼女はTwitterで「私は原爆も原発も核兵器も戦争も一生許さない。」と呟いていました。
戦争についての作品はほかにもあり、それは彼女の周りに被爆者が多かったことなどが背景となっているようです、
作品のテーマが空々しく感じないのも、彼女の反核・反戦への思いが強いからだと感じます。
「あたしはもうお嫁にはいけません」を見たら死ぬ?
この絵の衝撃から噂だけが一人歩きをしてしまい、「この絵を見たら死ぬ」とも言われていますが、それは全くのでたらめです。
中には、この絵に不快感を覚える人もいるかもしれません。
しかしそれは作品に込められた想いや意図が見る者に伝わっていると言っても過言ではありません。
サイト「立島夕子の地下要塞」のボタンに使用されている?
立島夕子の地下要塞とは、彼女の作品をまとめた公式サイトです。
そのサイトには「絵画」「人形」「写真」「個展記録」「略歴」の五項目が表示されており、そのクリックできるボタンには「あたしはもうお嫁にはいけません」の絵画の女性の顔が使用されています。
カーソルを当てると血飛沫のような模様が表示され、サイトの独自性は作品の雰囲気とマッチしています。
「あたしはもうお嫁にいけません」は正式名称ではない?
皆様私の絵のタイトル間違えてる方々多いですが、あの赤い首長い女の絵は「あたしはもうお嫁にいけません」ではなく「あたしはもう お嫁にはいけません」が正解です。細かくてすみませんけど。
— 立島夕子 Yuko Tatsushima (@Yuko_Tatsushima) August 14, 2012
この絵の正式名称は、「あたしはもうお嫁にいけません」ではなく、「あたしはもう お嫁にはいけません」です。
「あたしはもう」と「お嫁にはいけません」の間にスペースが入ること、「お嫁に『は』いけません」など、彼女はこのように細部までこだわりを持っており、作品への思いや熱意が強いことが伺えます。
そんな彼女はどのような人物なのでしょうか。
「あたしはもうお嫁にはいけません」の作者「立島夕子」とは?
さて、「あたしはもうお嫁にはいけません」がどのような作品だったのか理解していただけましたでしょうか。
次にこの作品の作者である立島夕子さんは一体どのような人物なのでしょうか。
彼女の過去は壮絶なものでした。
それでは彼女の過去とその他の作品について詳しく見ていきましょう。
立島夕子のプロフィール
1947年に東京に生まれ、1998年 女子美術大学芸術学部絵画学科洋画専攻版画コース卒業、現在は日本の画家、人形作家、パフォーマーとして活躍されています。
過去に強姦やストーカー被害に遭い、その経験から「あたしはお嫁にはいけません」などの性犯罪反逆の意を示した絵や、反徴兵制を意図した作品を多く手掛けています。
また、たびたび個展を開かれたり、パフォーマンス活動もなさっており、さまざまな場所で活躍されています。
立島夕子の受けたストーカー被害とは?
彼女は24歳の頃、ストーカーもどきの男と道端で遭遇し、笑顔で話しかけられたことがあるそうで、このようにつけられていることは日常茶飯事だったようです。
しかし彼女は、「私にとってそのようなストーカーもどきは大したことはない」と語っており、彼女のメンタルの強さや、肝っ玉の大きさが伺えます。
立島夕子の顔写真はある?
「立島夕子」で検索すると、彼女の作品が多くヒットします。
その検索画像の中にぽつぽつと美しい顔立ちの女性の顔写真がヒットします。
実は彼女によると、ほとんどの人物画の作品のモデルは自分自身であると語っており、顔のパーツがはっきり描かれているものもあれば、表情が全く読み取れない画風のものもあります。
その時の彼女の精神状態は計り知れませんが、私たちは想像して閲覧するなど、さまざまな楽しみ方があります。
立島夕子のヤバい作品をご紹介!
①爆心地のマリア
2000年に制作した絵画「爆心地のマリア」の部分画像。 pic.twitter.com/EdU9RKHjkm
— 立島夕子 Yuko Tatsushima (@Yuko_Tatsushima) May 21, 2014
2000年に制作された「被爆」をテーマにした作品です。
彼女は小学校時代、教師に見せられた被爆者の写真集に恐怖し、その場から逃げ出してしまったそうです。
その罪悪感から図書室で原爆関連の本を読み漁ったと言います。
現在も反戦をテーマにした作品を多く制作しています。
②月下三時
絵画「月下三時」の部分画像。この絵はギャラリー ターンアラウンドにて開催させていただく個展に出展いたします。「立島夕子個展 -月下の刻印- 」会場・仙台・ギャラリー ターンアラウンド 会期・2016.6.28-7.10(月曜休廊) pic.twitter.com/a45YaU27WN
— 立島夕子 Yuko Tatsushima (@Yuko_Tatsushima) June 8, 2016
こちらの絵画は「立島夕子個展-月下の刻印-」にて展示された絵の一つです。
彼女は、「生きてきた証を、そして生きている証を、私はこの手で絵に刻みます」と語ったこの絵画には、多くの傷跡が刻まれています。
過去に母親や友人の死から自傷行為をしており、その経験がこの絵に表現されたのでと考えます。
検索してはいけない「かわいくさせて」に似ている?
ネットで「かわいくさせて」と検索をすると、恐ろしい日本人形の写真が出てきます。
「この写真を○日以内に添付しろ」など、チェーンメールのような文で掲示板で出回っていました。
この写真の元画像はただの日本人形で目と口は後付けのようです。
「かわいくさせて」と「あたしはもうお嫁にはいけません」に因果関係はないと思われますが、大きく見開いた目と血塗れの口元は、なんとも背筋が凍りますね…。
「あたしはもうお嫁にはいけません」を見て呪われた人はいる?
この絵を見て呪われた人がいるかどうか、その確かな情報はまだありません。
しかし、前文でも述べたように、立島夕子さんが描いたこの絵は
「全ての性犯罪に対する私の決死の反逆の絵」なのです。
見て呪われるような絵ではなく、彼女が必死に生きて、性犯罪の恐ろしさを世間に訴えかけるもので、逆に検索されるべきであり、見られるべき絵だと言えます。
「あたしはもうお嫁にはいけません」に込められた想いがヤバい!
さて、「あたしはもうお嫁にはいけません」の絵に込められた彼女の想いや彼女の体験した過去が想像できたでしょうか。
我々には想像し難いものではありますが、ネット上の根拠のない噂を鵜呑みにするのではなく、正しい知識で作品を見ることがこの作品への敬意であると考えます。