【史上最悪】名古屋アベック殺人事件の真相がヤバい!?犯人は結婚済みで実名も報道された?

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1988年2月名古屋アベック殺人事件と呼ばれる 史上類を見ない残虐事件が起きました。

強盗致死、強盗強姦、殺人そして死体遺棄と罪を重ね、ありとあらゆる犯罪を犯した不良グループの少年少女たち。

20歳から17歳までの犯人たちは、長時間暴行し最後はひとりづつ殺すという残忍すぎる事件を引き起こしたのです。

この残虐さは少年犯罪として史上最悪とも呼ばれ、彼らには無期懲役とそれぞれ有期懲役が言い渡されています。

この判決は少年法が適応されており、当時から刑が軽いのではないかと世間の波紋を呼んだことから少年法の見直しにつながりました。

そんな名古屋アベック殺人事件の概要と、凶悪犯人達、被害者遺族の現在を紹介します。

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【日本史上最悪】名古屋アベック殺人事件の内容がヤバすぎる?!

名古屋アベック殺人事件は女子高生コンクリート詰め殺害事件と並び立つ少年犯罪史上、類を見ないほど残虐な事件のひとつです。

1988年2月23日。主犯格の小島茂夫(当時19歳率いる少年グループ6人(うち2人は女性)は愛知県の大高緑地公園にある駐車場の車内にいた男性Xさん(19歳)と女性Yさん(20歳)を強盗目的で襲撃し、殺害。

そして、殺害に至るまでに少年らはXさんとYさんに対し、常軌を逸した暴行やレイプを行います。

まるでゲームでも楽しんでいるかのようにです。

あまりにも凄惨で胸糞悪い犯行だったので、ネット上でも「名古屋アベック殺人事件 検索してはいけない」と表示されてるほどの事件でした。

なぜ犯人達は、このような犯罪に手を染めたのでしょうか?

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名古屋アベック事件内容①1回目の強奪事件で火が付いた?

少年ら6人はこの事件を起こす直前にも、車内にいるアベックを狙った強盗事件を引き起こしていました。

しかし初めての強奪事件は失敗に終わります。

深夜2時ごろ、6人は金城埠頭の岸壁でアベックの乗った車を襲撃しますが、逃げられ、金品を奪うことができませんでした。

それからしばらく後で、6人は次のターゲットを探し金城埠頭に来た車に乗ったカップルを襲撃

男女2人に集団暴行を加え、現金86000円と腕時計などの強奪に成功しました。

「バッカンでも行ってやろうか」

2件の強奪は小島茂夫のこの一言がきっかけとなって引き起こされたといわれています。

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バッカンとは?

バッカンとは、カップルの乗った車を襲撃して、金品を奪う行為のことです。

彼らの間でだけ意味の通じる俗称なのか、裏社会でこの言葉が一般的に使われているのかは分かりませんが、彼らはバッカンと称して車内にいたカップルに対する襲撃を繰り返しました。

幸せなひと時を過ごしている2人をわざわざ選んで、彼らを痛ぶろうとするこの所業には少年たちの歪んだ心が透けて見える気がしてなりません。

名古屋アベック事件内容②被害者アベックが幸せドライブデートのはずが?

被害者である男性Xさんは理容師、女性Yさんは理容師見習いでした。

同い年である2人は交際関係を結び将来は二人でお店を出そうと開業資金をコツコツと貯めていたそうです。

事件当日も2人はドライブデートをしており、大高緑地公園の駐車場に車を停めていました。

しかし、運悪くバッカン行為を企んでいた少年らの目に留まり、車の周りを取り囲まれます。

少年たちは木刀や鉄パイプでフロントガラスを叩き割り、2人を引きずり出したようです。

男性Xさんには凄惨なリンチ、女性Yさんには集団でレイプしています。

Xさんは「彼女だけは助けてください」と懇願しましたが、それが聞き入られることはありませんでした。

警察に通報されることを恐れた少年らは、XさんとYさんを殺害するか話し合いをしたようです。

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名古屋アベック事件内容③綱引きで殺害!三重県伊賀市に死体を遺棄!

7時30分頃、少年らはXさんとYさんを車に乗せ、ファミレス「すかいらーく(現:ガスト)」に移動しました。

そしてXさんらを車に残し、少年ら5人(徳丸信久は2人の見張りのため待機)は店内でサンドイッチをつまみながら今後の方針について話し合います。

朝日の昇るガストで人を殺すかどうか話し合われる異様な空間

彼らを目撃していた店員の話では少年たちは比較的陽気で、軽口を叩く余裕もあったそうです。

話し合いについては紆余曲折ありましたが、結局2人を手にかけることで意見が一致

そして被害者2人は車で愛知郡長久手町の卯塚公園墓地へ連れ出されます。

名古屋アベック殺人事件の殺害までがヤバい!

少年たちはまずXさんを車から降ろし「今からどうなるか、わかっているんだろう?」と少年のうちの1人がXさんに告げます。

やめてください…。命だけは助けてください…!

 

何度も懇願するXさんの声が聞き入れられることはありませんでした。

小島と徳丸はXさんを正座させ、首にロープを巻きつけて、その両端を2人で持ったようです。

綱引きだ

 

そう言って20分もの間、小島らはロープを引きました。

そして、Xさんの19年間の人生は無残にも幕を閉じることとなるのです。

車で目隠しをされた状態で待っていたYさんはXさんのことを気にかけ、少年らに問いかけますが、徳丸は「家の近くで降ろした」と嘘をつきました。

Yさんはその後、三重県伊賀市の山中へと連れて行かれます。

2人分の遺体を遺棄するため、穴を掘る少年たち。

犯行グループの1人、筒井良枝(当時17歳)はYさんに最後にしてほしいことを尋ねたようです。

Xさんがもういないこと、ここで自分は殺されるであろうことを悟ったYさんは、

彼氏(Xさん)の顔が見たい。彼氏と一緒に埋めて

 

とつげ、犯人のひとりである徳丸はライターの明かりでXさんの遺体を照らします。

愛していた「彼氏」はもうこの世にはいませんでした。

その後、少年らはYさんの首にロープを巻きつけ「やるなら早くしてください。一気に殺して」というYさんを「綱引きだぜ」と笑いながら30分にもわたり首を締め続けました。

Yさんは真冬の山中に、下着1枚の状態で力尽きたのです。

名古屋アベック殺人事件内容④犯人グループを特定!名古屋市で逮捕!

警察が事件に気づいたのは23日のこと。

大高緑地公園を散歩中、窓ガラスが粉々に割れた車を見た通行人が警察に通報。

その車の所有者であるYとその親友のXが行方不明になっていることもわかり2人が何らかの事件に巻き込まれているものとみて捜査を開始しました。

その時にはすでに、警察は小島らの引き起こした金城埠頭の強盗事件の捜査に着手しており、6人の少年の目撃証言もあり彼らの使った車種もしぼれていました

そして被害者両に残った別の車の塗膜片が金城埠頭事件での車の種類と一致したことで、2つの事件が同一犯による犯行と断定

さらに25日、ホテルロペ39に犯人と思われる 6人の男女が来たという情報を得ます。

警察はそのホテルの周辺を調べ、事件に使用された少年らの車を発見したのです。

そして遂に少年らが今後の逃走計画について話し合っているところに突入、任意同行を求めました。

名古屋アベック殺害は検索してはいけない!なぜ?

未成年の少年少女によるこの残虐な名古屋アベック殺人事件は、そのおぞましさから「検索してはいけない」というフレーズも出てくるほどです。

鑑別所に留置されていた小島に反省の色はなく、少年法があるから自分は大した罪にはならないと囁いていました

法廷でも「(共犯の)龍造寺リエと出所したら結婚する」という認識の甘いプロポーズをしていたといいますから呆れてしまいますよね。

そんな甘い考えが通じるわけもなく、主犯格の小島には一審で死刑が下りました。

名古屋アベック殺人事件主犯の小島茂夫の死刑が取消になった理由は?

1989年1月30日、検察は小島茂夫に対し死刑判決を要求しました。

少年らの弁護人は「彼らは家庭環境に恵まれなかった」として情状酌量を求めました。

しかし検察は、XやYも被告人とさして変わらない家庭環境にいながら、懸命に生きていた、と反撃。

さらに、家庭環境で酌量に値すると判断するのでは、2人は死んでも死にきれないと反論しています。

そして6月28日、判決公判にて小島の死刑が求刑されました。

この時、小島は食事が喉を通らないほど、ショックを受けていたようです。

しかし小島はその後、何度も弁護団を立ち上げ、控訴し続けました。

「私が死刑になって何もやらずに死んでいくことは、自分の責任から逃げることになると思う」と小島は手記を書いています。

皮肉にもこうした小島の態度が更生の余地ありとみなされ、死刑から一転、無期懲役の判決が下されました。

彼のいた拘置所では、死刑囚たちが小島に対して称賛の拍手をしたそうです。

その拍手に対して小島は「胸が詰まる思いになった」と発言をしました。

生きたいと願いながらも殺されてしまったXさんとYさんのことを思うと胸が詰まる思いでなりません。

【顔画像】名古屋アベック殺人事件の犯人6名の実名を特定!

名古屋アベック殺人事件に関わった少年たちは50代を迎えました。

元少年たちの名前は当時、1人を除き公開されていなかったようです。

その後、週刊誌やネットなどにより特定されたために広く知れ渡ることになりました。

無期懲役の小島、徳丸以外は2000年初頭にはすでに出所しています。

ここまで世間を騒がせた事件の犯罪者ともなれば、もはや普通の人生は望めなさそうにも思えますが、彼らの中には結婚して子供を持っている人もいるそうです。

そんな少年たちの背景から刑の確定について迫ります。

犯人①小島茂夫

主犯格である小島茂夫(一部情報により正式には「小島茂雄」の可能性あり)は、1988年事件当時は19歳の未成年でした。

現在は20歳を超えているため、ネット上などで実名が公表されています。

仕事は鳶職でしたが、暴力団との関わりもあり窃盗事件なども起こす問題児だったそうです。

名古屋アベック殺人事件の主犯格で、1997年に無期懲役が確定しました。

犯人②徳丸重久

徳丸は当時17歳で、事件の準主犯格でした。

ただ、小島とは違い被害者遺族に対する謝罪も行わずに、賠償に応じる意思もない様子とのこと。

また、犯行グループの両親の中で唯一、徳丸の両親だけは公判にも被害者遺族との調停にも姿を見せなかったようです。

17歳の息子が逮捕されてなぜここまで我関せずでいられるのを見ると、彼の家庭にも相当な問題があった、または凶悪すぎる事件を起こして見限った可能性も考えられそうですよね。

犯人③髙志健一

当時20歳で唯一成人を迎えていました。

運輸会社で働いていましたが、解雇されています。

親子関係も悪く、次第に不良と遊び始めるようになりシンナーにも手を染めていました。

また当時の法律で「成人」していたため、実名報道、顔写真公開もされているようです。

名古屋アベック殺人事件について検索すると、上記画像がよく出てくるため主犯格であった「小島」かと認識する人も多いですが、これは「髙志」の顔写真です。