【史上最悪】名古屋アベック事件の真相がヤバい!犯人の現在は結婚して子供もいる?!

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1988年2月のこと、事件が起きたのは車内でした。

名古屋アベック殺人事件。

強盗強姦殺人、ありとあらゆる犯罪を犯した少年たち。

この残虐さは少年犯罪として史上最悪とも呼ばれ、彼らの判決は当時でも世間の波紋を呼びました。

そんな事件の概要と、犯人、被害者遺族の現在をまとめました。

【日本史上最悪】名古屋アベック殺人事件の内容ヤバすぎる?!

名古屋アベック殺人事件は女子高生コンクリート詰め殺害事件と並び立つ少年犯罪史上、類を見ないほど残虐な事件のひとつです。

1988年2月23日。小島茂夫(当時19歳)率いる少年グループ6人(うち2人は女性)は愛知県、大高緑地公園にある駐車場の車内にいた男性Xさん(19歳)と女性Yさん(20歳)を強盗目的で襲撃し、殺害。

そして、殺害に至るまでに少年らはXさんとYさんに対し、常軌を逸した暴行やレイプを行います。

まるでゲームでも楽しんでいるかのようにです。

内容①1回目の強奪事件で火が付いた?

少年ら6人はこの事件を起こす直前にも、車内にいるアベックを狙った強盗事件を引き起こしていました。

しかし初めての強奪事件は失敗に終わります。

深夜2時ごろ、6人は金城埠頭の岸壁でアベックの乗った車を襲撃しますが、

逃げられ、金品を奪うことができませんでした。

それからしばらくの間、6人は次のターゲットを探します。

そして、金城埠頭に来た車に乗ったカップルを襲撃

男女2人に集団暴行を加え、現金86000円と腕時計などの強奪に成功しました。

これら2件の強奪は小島の次の一言がきっかけとなって引き起こされました。

バッカンでも行ってやろうか」

 

バッカンとは?

バッカンとは、カップルの乗った車を襲撃して、金品を奪う行為のことです。

彼らの間でだけ意味の通じる俗称なのか、裏社会でこの言葉が一般的に使われているのかは分かりませんが、彼らはバッカスと称して車内にいたカップルに対する襲撃を繰り返しました。

幸せなひと時を過ごしている2人をわざわざ選んで、彼らを痛ぶろうとするこの所業には少年たちの歪んだ心が透けて見える気がしてなりません。

内容②被害者アベックが幸せドライブデートのはずが?

被害者である男性Xさんは理容師、女性Yさんは理容師見習いでした。

同い年である2人は交際関係を結び、

将来は二人でお店を出そう

 

と開業資金をコツコツと貯めていたそうです。

事件当日も2人はドライブデートをしており、大高緑地公園の駐車場に車を停めていました。

しかし、運悪くバッカス行為を企んでいた少年らの目に留まり、車の周りを取り囲まれます。

少年たちは木刀や鉄パイプでフロントガラスを叩き割り、2人を引きずり出します。

男性Xさんには凄惨なリンチ、女性Yさんには集団でレイプします。

Xさんは「彼女だけは助けてください」と懇願しましたが、それが聞き入られることはありませんでした。

警察に通報されることを恐れた少年らは、XさんとYさんを殺害するか話し合いをします。

内容③綱引きで殺害!三重県伊賀市に死体を遺棄!

7時30分頃、少年らはXさんとYさんを車に乗せ、ファミレス「ガスト」に移動しました。

そしてXさんらを車に残し、少年ら5人(徳丸信久は2人の見張りのため待機)は店内でサンドイッチをつまみながら今後の方針について話し合います。

朝日の昇るガストで人を殺すかどうか話し合われる異様な空間

彼らを目撃していた店員の話では少年たちは比較的陽気で、軽口を叩く余裕もあったそうです。

まるでパルプフィクションのような異常な世界…。

話し合いについては紆余曲折ありましたが、結局2人を手にかけることで意見が一致。

そして被害者2人は車で愛知郡長久手町の卯塚公園墓地へ連れ出されます。

少年たちはまずXさんを車から降ろしました。

今からどうなるか、わかっているんだろう?

 

少年のうちの1人がXさんに告げます。

やめてください…。命だけは助けてください…!

 

何度も懇願するXさんの声が聞き入れられることはありませんでした。

小島と徳丸はXさんを正座させ、首にロープを巻きつけて、その両端を2人で持ちました

綱引きだ

 

そう言って、20分もの間、小島らはロープを引きました

そして、Xさんの19年間の人生は無残にも幕を閉じることとなるのです。

車で目隠しをされた状態で待っていたYさんはXさんのことを気にかけ、少年らに問いかけますが、徳丸は「家の近くで降ろした」と嘘をつきました。

Yさんはその後、三重県伊賀市の山中へと連れて行かれます。

2人分の遺体を遺棄するため、穴を掘る少年たち。

犯行グループの1人、筒井良枝(当時17歳)はYさんに尋ねます。

最後にしてほしいことはあるか

 

Xさんがもういないこと、ここで自分は殺されるであろうことを悟ったYさんは

お兄さん(Xさん)の顔が見たい。お兄さんと一緒に埋めて

 

と言いました。

徳丸はライターの明かりでXさんの遺体を照らします。

Yさんは涙を堪えることができません。

愛していた「お兄さん」はもうこの世にはいないのです。

じゃあやろうか

 

少年らはYさんの首にロープを巻きつけました。

やるなら早くしてください。一気に殺して

 

とYさんが言ったところ、少年らは「綱引きだぜ」と笑いながら30分にもわたりYさんの首を締め続けました。

Yさんは真冬の山中に、下着1枚の状態で力尽きました。

内容④犯人グループ特定!名古屋市で逮捕!

警察が事件に気づいたのは23日のこと。

大高緑地公園を散歩中、窓ガラスが粉々に割れた車を見た通行人が警察に通報。

その車の所有者であるYとその親友のXが行方不明になっていることもわかり2人が何らかの事件に巻き込まれているものとみて捜査を開始しました。

その時にはすでに、警察は小島らの引き起こした金城埠頭の強盗事件の捜査に着手しており、6人の少年の目撃証言もあり彼らの使った車種もしぼれていました

そして被害者両に残った別の車の塗膜片が金城埠頭事件での車の種類と一致したことで、2つの事件が同一犯による犯行と断定

さらに25日、ホテルロペ39に

 6人の男女が来た
という情報を得ます。

警察はそのホテルの周辺を調べ、事件に使用された少年らの車を発見します。

そして遂に少年らが今後の逃走計画について話し合っているところに突入、任意同行を求めました。

こうしていよいよ、執り行われることとなるのです。

少年法がおかしい!犯人6人グループの判決は?

お金

鑑別所に留置されていた小島に反省の色はありませんでした。

少年府があるから自分は大した罪にはならない
と囁いていたそうです。

法廷でも共犯の龍造寺リエと出所したら結婚するというロマンチックの欠片もないプロポーズをしました。

しかし、そんな甘い考えが通用するわけありません。

主犯格に死刑判決!少年法により減刑で無期懲役?

1989年1月30日、検察は小島に対し、死刑判決を要求しました。

少年らの弁護人は「彼らは家庭環境に恵まれなかった」として情状酌量を求めましたが検察は

XやYも被告人とさして変わらない家庭環境にいながら、懸命に生きていた。家庭環境で酌量に値すると判断するのでは2人は死んでも死にきれない

 

と一蹴します。

そして6月28日、判決公判にて小島の死刑が求刑されました。

この時、小島は食事が喉を通らないほど、ショックを受けていたそうです。

しかし小島はその後、何度も弁護団を立ち上げ、控訴し続けました。

私が死刑になって何もやらずに死んでいくことは、自分の責任から逃げることになると思う

 

小島が記した手記の内容です。

皮肉にもこうした小島の態度が更生の余地ありとみなされたのか

小島は死刑から一転、無期懲役の判決が下されました。

彼のいた拘置所では、死刑囚たちが小島に対して称賛の拍手をしたそうです。

その拍手に対して小島は以下の発言をします。

胸が詰まる思いになった

 

生きたいと願いながらも殺されてしまったXさんとYさんのことを思うと胸が詰まる思いです。

最終的な犯人6人の判決は?

最終的な男女6人の判決はどのようになったのでしょうか。

少年法で死刑はあり得ないといっていた犯人集団ですが、死刑はあり得るのでしょうか

□犯人6人の判決
  1. 小島茂夫(主犯):無期懲役
  2. 徳丸信久:無期懲役
  3. 高志健一:懲役13年
  4. 近藤浩之:懲役13年
  5. 筒井良枝:懲役5〜10年
  6. 龍造寺リエ:懲役5〜10年

 

最終的に、判決は最高で無期懲役となってしまいました。

そこで「少年法はいらない」という声が飛び交い、少年法の考えが見直されたのです。

納得いかない!ご遺族の声は?

本来は死刑であるべき

 

と話すYさんの父親。

「死刑にすれば、それで区切りがつくが、長い刑に服することも死刑に相当するのではないか」と思うと述べています。

XさんYさんのご遺族は1988年、犯人やその親にいつまでも事件を忘れずに償い続けてほしいという気持ちから少年らに対し各2000万円の損害賠償請求を行います。

しかし、いまだに半額も支払われてはいないそうです。

【顔画像】現在は結婚して子供も?!

少年たちは2023年現在、50代。

無期懲役の小島、徳丸以外は2000年初頭にはすでに出所しています。

ここまで世間を騒がせた事件の犯罪者ともなれば、もはや普通の人生は望めなさそうにも思えますが、彼らの中には結婚して子供を持っている人もいるとか。

そんな少年たちの現在に迫ります。

犯人①小島茂夫

1988年事件当時は19歳。

仕事は鳶職、暴力団との関わりもあり、窃盗事件なども起こす問題児ですが、現在は岡山刑務所に収監中。

社会復帰を目指し、模範囚として真面目に刑務所生活を送っているようです。

被害者のYさんの父親とも文通をしており、刑務作業の給料の一部を遺族への賠償金に送ったりしています。

Yさんの遺族は小島について、一生許すことはないが、改心して社会復帰することを望んでいるそうです。

小島の行動が社会復帰するためのポーズでないことを祈るばかりですね。

犯人②徳丸重久

当時17歳。事件の準主犯格

現在について詳しい情報はわかっていません。

ただ、小島とは違い、被害者遺族に対する謝罪も行わずに、賠償に応じる意思もない様子

また、犯行グループの両親の中で唯一、徳丸の両親だけは公判にも被害者遺族との調停にも姿を見せなかったようです。

17歳の息子が逮捕されてここまで我関せずでいられるのを見ると、彼の家庭にも相当な問題があったことが伺えますね。

犯人②髙志健一

当時20歳で唯一成人を迎えていました。

運輸会社で働いていましたが、解雇されています。

親子関係も悪く、次第に不良と遊び始めるようになり、シンナーにも手を染めていました。

出所後はすぐに行方をくらまし、遺族への謝罪もなく、2000万円の賠償も未払いのままです。

両親も髙志の親権を放棄したので、誰も被害者遺族に対するけじめをつけてはいません。