えたひにん苗字一覧!多い地域や部落出身の見分け方も徹底解説!

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「えたひにん」の人々は、過去に主にどの地域で生活していたのでしょうか?

現在でも、危険な地域があるなどと都市伝説的な噂が飛び交っていますが、過去を遡ることで部落と呼ばれた地域があったことがわかります。

遠い過去のような話ですが、現在でも差別として問題に上がることもあようでするようです。

様々な文献や資料から推測できる、「えたひにん」が多く暮らしていた地域を4つご紹介します。

地域①福岡県

江戸時代、「えたひにん」の人口が一番多かったのは、福岡県でした。

福岡藩は「革多役」として政府に皮革の上納を命じられたため、皮なめしを得意とする北海道・蝦夷の「えたひにん」を招集しました。

また、全国各地から「えたひにん」が呼び寄せられ、九州北部に分布する社寺の清掃員として雇われました。

こうして集まった「えたひにん」が福岡県に定住するようになったことが、福岡県に「えたひにん」が多いといわれているきっかけです。

地域②広島県

次に、広島県も「えたひにん」が多かったとされています。

かつて毛利輝元が広島城を築城した際に、城下町に皮革技術者たち、つまり「えたひにん」の人々を集めて住まわせました。

彼らは、皮革の確保の他にも治安対策のための警備の仕事を与えられたとされます。

また、戦前の憲法である大日本帝国憲法が発布された1889年には、広島県では軍港が開港されました。

軍港近くの住民は、海軍が必要とする物資を用意する仕事が与えられ、その中に食肉の製造が含まれていたため、それが生業である「えたひにん」が招集され、そのまま生活していたと考えられます。

地域③愛媛県

四国の中で一番えたひにんの人口が多く、約400の部落地域数が存在したとされるのが愛媛県です。

かつてこの地域では、瀬戸内海の管理を行うために水軍が配置されていました。

水軍の警備や海賊対策のために「えたひにん」が必要であったため、海岸部に部落地域が多かったという説があります。

地域④京都府

かつての都、京都にも「えたひにん」が多く住んでいたとされています。

明確な身分とされていたわけではありませんが、平安時代から乞食や住む場所のない人々は非人と呼ばれていました。

京都はかつての日本の首都であったため、清潔に保つ必要があり非人の人々に都を清掃する仕事を与えていました。

彼らの中で、社寺を清掃する者が非人、死牛馬を処理する者が穢多として分岐していったとも考えられます。

京都にえたひにんが多かった理由としては、都に住む天皇の聖なる概念を強くするために、穢れを象徴する「えたひにん」を、人々に意識させる必要があったからだと考えられます。

人々が集まる場所でもあり、貴族が欲しがる皮革製品を作ったり、警備や清掃などを行ったりするために集められたようです。

被差別部落出身の芸能人5選!先祖がえたひにん?

芸能人の中には、被差別部落(えたひにんの集落など)出身であることを公表している人や、そう噂されている人がいます。

被差別部落出身ということは、先祖が「えたひにん」であった可能性も高いです。

一部ではいまだ部落差別が残っているともいわれていますが、ネット上では被差別部落出身者として名前があがっている芸能人がいました。

疑惑のある人も含め、5人の芸能人を紹介していきます!

芸能人①野中広務

野中広務さんは、かつて内閣官房長官や自由民主党幹事長、自由民主党行政改革推進本部長などを歴任した政治家で、一時は「影の総理」とも称されてきたほどの実力者でもあります。

そんな野中広務さんは京都府出身で、政治家という身でありながら部落出身であることも公表し、部落差別の改革にも大きく貢献していました。

残念ながら、2018年に逝去されていますが、部落出身であることに屈しず、部落差別に立ち向かった立派な政治家でした。

芸能人②三國連太郎

昭和時代の日本映画界をけん引し、圧倒的な存在感を放った俳優・三國連太郎さんは、日本を代表する個性派俳優の1人でした。

様々な映画に出演し、多くの日本人に感動を与えた三國連太郎さんは、生前に部落に関係がある身であることを公表しています。

とはいえ、三國連太郎さん自身に部落出身の血が流れているわけではなく、養父である父が部落出身だったようです。

既に別れた男性との間の子である三國連太郎さんを身ごもった母親が、帰郷に後の三國連太郎さんの養父となる男性と知り合い、1922年に結婚。

翌年の1923年1月に、三國連太郎さんが生まれます。

この育ての父親は、全国を渡り歩いていた電気工事の職人で、部落出身だったそうです。

このことを三國連太郎さんはしっかりと公表をしており、差別問題に対する著書や講演会などにも出席されていました。

芸能人③島田紳助

漫才師として人気を博し、司会者としても確固たる地位を築いた島田紳助さん。

かつては数多くの冠番組を持ち、毎日テレビに出演していた島田紳助さんですが、現在は芸能界を引退されています。

そんな島田紳助さんも、なんと部落出身だったそうです。

かねてから部落出身であるという噂を囁かれていましたが、母校の大谷高校で行われた講演会に出演時、自身が部落出身者であると告白されました。

人気もあり、注目されていた中で、こうした告白をするにはとても勇気がいったことでしょう。

現在は芸能界を引退されてしまいましたが、かつては毎日テレビに出ているほどの活躍ぶりで、ご自身で企画も行っており、島田紳助さんが残した芸能界での功績は素晴らしいものでした。

芸能人④加藤あい

女優・加藤あいさんは、愛知県清須市の出身です。

本人が「えたひにん」であると告白されたわけではありませんが、部落地域出身という噂があがっていました。

また、えたひにん苗字一覧にも「加藤」がありますが、加藤という苗字の方は多数いますし、あくまで噂程度の情報です。

芸能人⑤倖田來未

倖田來未さんは、人気女性歌手であり、京都府京都市出身です。

噂の原因は、彼女が自身の出生地を語りたがらないためだとされています。

また、この噂は2ちゃんねるというネット掲示板で流れ始め、根拠はないためあくまで噂程度の情報です。

語り継がれた「えたひにん」の制度

今回は、「えたひにん」について苗字や住んでいた地域などをまとめてみましたがいかがでしたか?

誰もが知る芸能人の中にも、「えたひにん」のような被差別部落出身の人がいることもわかりました。

「えたひにん」はかつては差別を受ける対象となっていましたが、現代ではこの言葉は使われておらず、現代には関係のない概念です。

しかし、「えたひにん」以外でも、生まれによる差別は世界中で起きています。

今後は、生まれによって差別されることのない世の中になっていくことを願いたいものです。