明石家さんまさんは1955年7月1日生まれ、現在68歳のお笑い芸人です。
1974年に笑福亭松之助さんに弟子入りし、1976年に生放送番組「20歳の性熟度ピンクテスト」に出演しテレビデビューを果たしました。
その後1977年にバラエティ番組「ヤングおー!おー!」に出演したことや1981年に「オレたちひょうきん族」に出演したことをキッカケに人気となっていきました。
そんな明石家さんまさんの弟の死因が現在話題になっているようです。
そこで今回は明石家さんまさんの弟や母の死因について、やばい家系図についてなど詳しく解説していきます!
明石家さんまの弟は焼身自殺?!実家全焼で芸人引退の危機にも?
これまで様々なバラエティ番組などで活躍を見せてきた明石家さんまさん。
そんな明石家さんまさんの弟は一体どのように亡くなってしまったのでしょうか?
また、実家が全焼して芸人引退の危機になったということですが、どういうことなのでしょうか?
ここでは、明石家さんまさんの弟の死因や弟とのエピソードについて解説していきたいと思います!
さんまの弟が火事で死亡!実家全焼で死因は焼死?
明石家さんまさんの実家は1983年4月18日に全焼してしまいました。
そして実家が火事になったことが原因で明石家さんまさんの弟が亡くなってしまったそうです。
当時弟は19歳で高校卒業後に実家家業を継ぐことが決まっていましたが亡くなってしまい、明石家さんまさんは泣き崩れてしまったとのことでした。
さんまの弟の死の真実とは!?悩みを抱え自殺した可能性も?
明石家さんまさんの弟は焼身自殺をしてしまったそうです。
当初は事故として処理されていましたが、検証の結果自殺になったそうです。
- 逃げようとした痕跡がない
- 弟の着衣に灯油がかけられていた。
- 家族に出火を知らせようとしなかった
以上のことから弟は焼身自殺とされたとのことです。
さんまの弟の悩みとは!?兄さんまには打ち明ける事ができなかった?
明石家さんまさんの弟の自殺の理由は家業を継ぐことに悩んでいたからとされています。
しかし理由について明確にはなっておらず、明石家さんまさんは「悩んでいたなら仲のいい私に相談するはず」と言っていたとのことです。
また、遺書がないのも不自然だったとのことで、弟の自殺は明石家さんまさんを苦しめたそうです。
明石家さんまは弟の自殺を否定?
明石家さんまさんは弟の自殺について「自殺するような人間ではない」と否定していました。
また、弟さんは明石家さんまさんをずっと尊敬していたそうです。
- 明石家さんまさんの発言は全て正しいと感じていた
- 誰に対しても素直に何でも話せた
- サッカーでインターハイに出場するほど精神力が強い
上記から考えても明石家さんまさんには自殺であれば相談するはずだと言われているようです。
さんまは弟の死で引退寸前だった!?まさかの人物がさんまを救う?
明石家さんまさんは弟の死から引退を考えていたそうです。
そんな時、同期芸人のオール巨人さんと舞台で一緒になり「お前の家弟焼いたらしいな」と舞台上で言われました。
自分を励ましていることに気づいた明石家さんまさんは「材木切れたから焼いたんや」と返し観客を大爆笑させました。
弟の死から思うように笑いが取れず悩んでいた明石家さんまさんですが、泣いている人を幸せにしたいとして引退を考え直したそうです。
触れてはいけないような話題ですが、オール巨人さんの気遣いから立ち直ることができました。
明石家さんまの家系図がヤバい?母の死因と継母との確執も?
ここまでは、明石家さんまさんの弟の死因や弟とのエピソードについて解説しました。
明石家さんまさんの弟は家業を継ぎたくなかったことから焼身自殺で亡くなったとされており、明石家さんまさんは自殺を否定し苦しみましたが、オール巨人さんのおかげで立ち直れました。
ここからは、明石家さんまさんの家系図についてや母親の死因、父親や義母についてなど解説していきたいと思います!
明石家さんまの複雑すぎる家系図とは?
明石家さんまさんの弟ですが、実は父親の再婚相手の連れ子だったとのことです。
また、明石家さんまさんには実の兄がおり、スナックを経営しているそうです。
父親は2009年に亡くなっているとのことでした。
さんま母は幼少期に死亡!継母に愛されることは一度もなかった?!
実の母親は明石家さんまさんが3歳の時に病気で亡くなってしまったそうです。
そして明石家さんまさんは継母と生活を始め、可愛がってもらおうと必死に笑いをとろうとしました。
しかしあるとき、お酒を飲んでいる継母が「愛しているのはこの子(弟)だけ」と言っていたことを聞いてしまい、明石家さんまさんと兄は2段ベッドで大泣きしたそうです。
明石家さんまの父親の職業とは?芸名の由来になった?!
明石家さんまさんの父親は水産加工業を営んでいました。
明石家さんまさんの芸名は秋刀魚の加工などをしていたところからとったそうです。
ちなみに父親の名前は杉本恒さんといい、会社名は杉本食品という名前ということです。
さんまは父の葬儀にある芸人を呼んでいた?葬儀会場が爆笑の渦に!?
明石家さんまさんの父親は2009年に心肺停止で亡くなりました。
葬儀の際に明石家さんまさんと仲のいい芸人の間寛平さんを呼んだそうです。
間寛平さんは奥さんから葬儀用の服を受け取ったそうですが、そこにはブラウスが入っていたため仕方なく着ていきました。
しかし、明石家さんまさんにばれてしまい奥さんから服を受け取ったことを説明すると、会場が大爆笑になってしまったそうです。
明石家さんまと継母との現在の関係は!?さんまが完全に拒絶している?
明石家さんまさんと継母の現在の関係は分かりませんでした。
継母は一般人なので現在どのようにしているのかも分かりません。
年齢については80前後ぐらいで介護施設にいるという噂もありますが、真相は不明です。
複雑な家庭環境が現在のさんまやIMALU・大竹しのぶとの関係に影響?
明石家さんまさんは1992年に離婚した大竹しのぶさんと今でも会っているようです。
娘のIMALUさんや大竹しのぶさんの連れ子の二千翔さんと一緒に誕生日会を今でも行うとのことでした。
また、明石家さんまさんは二千翔さんを大変可愛がっているようで、明石家さんまさんと継母の関係のようにしたくないという気持ちがあるからではないかと言われています。
明石家さんまの弟は焼身自殺の可能性が高い
今回は明石家さんまさんの弟や母の死因について、やばい家系図についてなど解説しました。
明石家さんまさんの弟は家業を継ぎたくなかったことから焼身自殺で亡くなっており、明石家さんまさんは弟の自殺で苦しみましたが、オール巨人さんの励ましで立ち直れました。
また、明石家さんまさんの弟は父親の再婚相手の連れ子で、実の母親は3歳の時に亡くなっており、継母とは確執があったということも分かりました。
さらに、明石家さんまさんの芸名は父親の水産加工業が由来となっていて、父親の葬儀の際には間寛平さんが参列し、会場を爆笑させていたことも分かりましたね。
そんな明石家さんまさんですが、現在もバラエティ番組などで活躍されています。
明石家さんまさんの今後の動向も是非チェックしてみてください!