エベレストは世界最高峰の山として世界中に知れ渡っています。
その標高は「8848.86 m」と富士山の2倍以上の高さを誇っており、山頂はネパールと中国の国境上に位置し「年間平均気温-29℃」「低酸素」と過酷な環境で知られてします。
「エベレスト眠れる美女」とは女性登山家の遺体なのです。
米国初の「エベレスト無酸素登頂」に成功した女性登山家について解説していきます。
目次
エベレスト「眠れる美女」とは?
「エベレスト眠れる美女」とは1998年5月22日にエベレストを無酸素で登頂した女性です。
その女性登山家の名は「フランシス・アーセンティエフ」と言います。
1992年にヤーブロ(フランシスの旧姓) は登山家セルゲイ・アーセンティエフと結婚しました。
彼ら夫婦は北アメリカ最高峰「マッキンリー(5,500m)」の登頂や「エルブラス(5,642m)」のスキー滑降など成功させている有名な登山家でした。
そんな彼女ですがエベレスト登頂という偉業を成し遂げたものの亡くなってしまうことになってしまいます。
「エベレスト」という過酷な環境の中で、彼女に一体に何が起きたのでしょうか。
「眠れる森の美女」はエベレストに放置された遺体?
エベレストは過去20年間で「年間平均6人」が死亡するほどで、登頂には命を懸けなくてはならない非常に厳しい登山を強いられることになります。
「眠れる美女」は下山途中に低酸素症で倒れてしまった「フランシス・アーセンティエフ」なのです。
エベレストで動けなくなることはイコール「死」を意味します。
仲間の登山者がいても人1人抱えて降りることは、エベレストという低酸素・極寒の過酷な環境では不可能なのです。
経緯①夫婦でエベレストに登山
アルセンティエフ夫婦は1998年5月某日エベレスト登頂に試みベースキャンプへ到着します。
5月20日に山頂への登頂に挑みますが、機材の故障により登頂を断念せざるを得ない状況に立たされてしまいます。
5月22日に再び登頂を開始します。
その日2人はエベレスト登頂に成功するのですが、8,000m以上の「デスゾーン」の中で一晩を過ごさなければならない状況に陥ってしまいます。
翌朝夫であるセルゲイは妻の「フランシス」がいなくなっていることに気づきグループを離れ単独で妻フランシスを探すために出発していきました。
経緯②下山中に彼女が体調不良
フランシスは下山を開始したが、数百メートル下山したがその時既に「低酸素症」「凍傷」により動くことが出来なくなっていました。
ちょうどその時「登山団」と遭遇しました。
登山団は彼女を助けようと出来る限り運ぼうと試みますが、彼らの酸素もなくなってしまい、彼女を運びきることが出来なかったのです。
標高8,000m以上の高度地帯は「デスゾーン」と呼ばれています。
デスゾーンは、人間が生存できないほど酸素濃度が低く高所地帯を指す登山用語です。
標高が8,000mでは空気中の酸素濃度は地上の約3分の1になり、さらに気温はマイナスの環境下になり、動けなくなった人一人を運ぶことは、自分の死亡確立を高めることにもなりかねないのです。
そのような環境下のためやむなく、フランシスを置いて下山を開始した時「置いて行かないで」と彼女は「力」ない声で訴えたそうです。
しかし、そんな彼女を見捨てるしか出来なかったのです。
経緯③彼女は凍死し夫セルゲイも行方不明
登山団は下山途中に妻であるフランシスを助けに向かう途中の、夫のセルゲイを目撃していました。
それがセルゲイが生きて目撃された最後だったそうです。
セルゲイはフランシスに「酸素ボンベと薬」を届けるために単独行動をしていました。
5月24日朝、数名の登山家「フランシス・アーセンティエフ」を発見。
発見場所は前の晩に置き去りにされた場所で、その時は既に亡くなっていたそうです。
亡くなっていた場所で「セルゲイのピッケルとロープ」が近くで確認されましたが、彼はどこにも見つかりませんでした。
セルゲイは翌年「マラリー・イルビン探検隊」のメンバーによって発見されることになります。
セルゲイの死体が山肌の下の方にあり、明らかに妻フランシスを救出しようとして滑落死してしまったように見えます。
経緯④9年以上放置され登山ルートの目印に
「フランシス・アーセンティエフ」の遺体は、1998年から2007年の「9年間」にわたってエベレスト登山者の目印として、その場所に眠り続けていました。
彼女の登山ジャケットは、写真にも撮られていて紫色で雪の中でも目立っており、時間が経つにつれて目印になっていったのだと思われます。
彼女はエベレスト「デズゾーン」にて9年間にわたり登山者の目印の役割を果たしつつ「死」の象徴としても意識されてきたのでしょう。
【現在】「眠れる美女」の遺体は回収・埋葬されたの?
1998年から2007年までの9年間登山者の目印としてその場に眠り続けていた「フランシス・アーセンティエフ」さんの遺体ですが、2007年にその場所から移動することになります。
エベレストのデスゾーンでは「遺体回収」は非常に困難です。
一体だれがどのように遺体を移動し埋葬したのでしょうか。
それでは遺体回収と埋葬について解説していきます。
当時救出しなかった登山家が埋葬目的で登山を決意
1998年当時まだ生きていた「フランシス・アーセンティエフ」をその場に置き去りにすることしか出来なかった登山家がいます。
その登山家の名は「イアン・ウッドオール」というイギリス人の登山家です。
彼は2007年に彼女の遺体を移動することを決意します。
登山前彼は「彼女が安らかに眠れるように遺体をアメリカ国旗で包み、視界から保護するために石塚で覆うつもり」と語っています。
エベレストの墓に彼女を落下させた?
「イアン・ウッドオール」は2007年5月23日にエベレストに向けて出発します。
目的は勿論、頂上を目指すのではなく「フランシス・アーセンティエフ」の遺体を弔うためです。
この時のエベレストの天候は悪天候で危険な環境下にあったそうです。
イアン・ウッドオールは何とか彼女の遺体の場所まで到着することが出来ました。
短いながらも弔いのセレモニーを執り行い「北面の山の墓」(遭難者たちの眠る)へ彼女を落下させたのだそうです。
エベレストのデスゾーンは超危険!いるだけで死亡の可能性も?
デスゾーンとは主に標高8,000m以上の場所から呼ばれる正に「死の領域」のことを言います。
エベレストのデスゾーンは7,900mからになり「滞在しているだけで死んでいく領域」と言われています。
1996年のエベレストで8名が亡くなった「大量遭難事故」もこのデスゾーンで起こった事故だったそうです。
それでは「デスゾーン」の危険な理由と、滞在するだけで死んでいくその詳細について解説していきます。
デスゾーンはなぜ危険で体調を崩しやすいの?
まず一つ目に「空気が薄い」環境だと言うことです。
デスゾーンでの空気は「地上の3分の1」となり何となくイメージしにくいと思います。
例えば標高0m付近に暮らす人を、いきなり空気濃度3分の1のエリアに連れて行くと、2から3分で気を失ってしまう程の環境というとイメージできるのではないでしょうか。
ただ単に呼吸するだけでも疲労が増し、内蔵機能も著しく低下することで、消化不良も起こりやすいそうです。
そして極寒の地となっており、写真では分かりませんがエベレストデスゾーンでの平均気温は-30℃と人間が生きていける環境ではないのです。
このような複数の危険が重なり合うことから、非常に「死が近い環境」と言えるのではないでしょうか。
デスゾーンが危険すぎてイッテQ!でイモトも断念
みなさんもご存じかと思いますが、お笑いタレントの「イモトアヤコ」さんもエベレスト登頂に挑戦しています。
それは2014年4月のことでした。
テレビ番組「イッテQ」チームのイモトやスタッフら総勢16人は、エベレスト近くの約6,500mの山「メラ・ピーク」で高地順応のトレーニング中でした。
そんなとき登頂を予定していたエベレストで18日、大規模な雪崩が発生してしまいます。
その雪崩によりネパール人ガイドら13人が死亡するエベレスト史上、過去最悪の事故が起こってしまったのです。
「イッテQ」チーム関係ガイドには被害はなかったものの、エベレスト専門部隊が撤退を発表したことからイモト達も撤退するしかなかったのです。
エベレストで遺体の回収は不可能に近い!
エベレストは8,000mを超える世界最高峰の山です。
標高8,000m以下で亡くなった遺体は、ベースキャンプまでおろすことが出来るそうですが、それ以上の標高で亡くなった遺体の場合は、そのまま放置されることになります。
デスゾーンは「滞在しているだけで死んでいく領域」と前述したとおりで、遺体を運ぶために自分の命も危険にさらしてしまう可能性が非常に高いのです。
さらにはヘリコプターでホバリングすることも出来ません。
そのような環境に放置された遺体は、腐敗することもなくその場に残り続けることになるのです。
エベレストは100体以上の遺体が放置されている?
標高8,000m以上のデスゾーンでは、過酷な環境のため遺体を運ぶことが出来ないのは、お分かりいただけたかと思います。
そんなデスゾーンに放置されている「遺体の数は200体」を超えると言います。
遺体が白骨化すればデスゾーンから運ぶことも出来るのですが、低酸素・極寒の地と言うこともあり「腐敗」することがなく、その可能性も極めて低いと言えます。
登山者から見える遺体もあれば、クレバスなどの氷の割れ目に落ちてしまいひっそりと亡くなった方もいたはずです。
エベレストは死と隣り合わせの「世界で最も危険な山」と言えるでしょう。
グリーンブーツ
「グリーンブーツ」とはエベレスト登頂の主要ルートの「ランドマーク」となっている、身元未確認の遺体のことを指しています。
その遺体はグリーン登山ブーツを履いて横たわっており、雪の中でも目立っています。
この「グリーンブーツ」は標高8,500m地帯にあり、今もそこに横たわっていることでしょう。
虹の谷
エベレストには「虹の谷」と呼ばれる場所があります。
この谷の名前の由来はカラフルな衣服をまとった登山者の遺体が大量に転がっていることからきているそうです。
この「虹の谷」もまた登山者の目印となっています。
この「虹の谷」もまた標高8,000m以上の「デスゾーン」にあるようです。
エベレストの虹の谷はメルヘンとはかけ離れた、異世界と言えるのではないでしょうか。
「眠れる美女」は登頂を果たしながらも無残な死をとげていた!
エベレストという世界最高峰の山に果敢に挑んだ女性「フランシス・アーセンティエフ」さんは、エベレスト無酸素登頂という偉業を成し遂げました。
しかしながら下山開始直後に動けなくなり、そのまま亡くなってしまいます。
エベレストのデスゾーンで動けなくなることは、そのまま死に直結するのだと言うことを、改めて実感させられる出来事でした。
そんな過酷な山エベレストですが、毎年のように登山家が訪れ登頂を目指します。
エベレストには「死をも凌駕する魅力」があり、人類は今も昔もそんな偉大な山に引き付けられているのです。