1985年8月12日、日本航空123便は群馬県にある「標高1565m御巣鷹の尾根」に墜落しました。
520名もの犠牲者を出したこの事故は、坂本九氏などの著名人も多く乗っていたことで、知られています。
「福田機関士」は航空機関士(フライトエンジニア)として、搭乗していました。
なぜ「福田機関士」を検索してはいけないのでしょうか?
それでは解説していきたいと思います。
福田機関士を検索してはいけないのは何故?!

「福田機関士」はフライトエンジニアとして、JAL123便に搭乗していました。
検索してはいけない言葉とは、検索サイトでグロ画像や恐怖画像などが閲覧でき、トラウマを与えかねない内容になっており、さらにはウイルスサイトにリンクする可能性のある言葉になります。
検索してはいけない理由について見ていきましょう。
福田機関士を検索してはいけない理由はグロ画像?

検索してはいけない理由の1つ目ですが、JAL123便が墜落した当時の画像が出てくるからです。
この画像の詳細については、次に詳しくお話ししますが、非常に悲惨な光景が広がっています。
こういった画像が苦手な方は、見ることを控えた方が良いほど、ショッキングな内容になっています。
犠牲者の方々は、まさかこんな事になるとは、思ってもいなかったことでしょう。
見ているだけで、非常に心が痛む内容になっています。
福田機関士を検索するとどんな写真が出てくる?

画像の詳細ですが、非常に衝撃的です。
墜落の犠牲になった「ご遺体」の画像などが確認でき、その画像は炎にまかれ黒く焦げていたり、体の一部が陥没していたりと、墜落の衝撃を物語っています。
ご遺体を細部まで分析しているサイトもあり、当時の事を鮮明に思い出させる内容になっています。
福田機関士こと福田博のプロフィール

福田博さんのプロフィールをご紹介します。
- 生年月日:昭和14年
- 居住地:千葉県
- JAL入社年月日:1957年(昭和32年)4月1日
- 総飛行時間:9,831時間3分(うちB747、3,846時間31分)
- B747以外の保有運行資格:DC-6・B727・DC-8
- 当日の動き:羽田-福岡線363、366便からJA8119に乗務
墜落した「ボーイング747」には、約3,900時間乗務しており、ベテランだったことが分かります。
目が4つある遺体も発見された?!

確かに目が複数あるご遺体もあったそうです。
目が4つあるご遺体の真相ですが、「挫滅した顔面に3つの眼球がくっついていた」という信じがたい現実でした。
調査の結果、頸部から他の人の顔面が、信じられない程の力でめり込んできたというものでした。
真相は4つではなく3つ目のご遺体であり、複数の頭部が1つになった姿だったのです。
絶対に検索しないでください
「JAL123」
顔に4つ目がある遺体
— 怖い話 画像集 (@kowaikowai12345) February 28, 2023
520人が2065体の遺体になった?!

520名の遺体が2065体にもなった真相とは、一体なんなのでしょうか。
それは墜落の衝撃により、五体満足な遺体は「177体」しかいなかったといいます。
墜落時の速度は「630キロ」あったとされており、事故現場はバラバラになった遺体はもちろんで、木々に内臓や皮膚など人体の一部がぶら下がり、夏だったため腐敗もひどかったそうです。
結果的に検死総数が「2065体」にも及んだというものです。
墜落して亡くなられた遺体が、いかに悲惨であったか皆さんも、お分かりいただけたでしょうか。
「福田機関士」はむしろ検索されるべきとの声も?

「福田機関士」を検索するべきだという声も、多く上がっています。
現代では飛行機は、バスや電車と比べると「非常に安全」な乗物と言われています。
それはなぜでしょうか?
この「日本航空機123便墜落事故」があり、航空機の安全管理が徹底されたからではないでしょうか。
現在親族の方々の高齢化も進み、慰霊登山参加者も少なくなってきているそうです。
この悲惨な悲劇を「風化」させないためにも、検索されるべきなのかもしれません。
日本航空123便墜落事故は史上最悪の航空機墜落事故!

1985年8月12日、日本航空123便は「御巣鷹の尾根」へ墜落しました。
この墜落事故は単独機による、航空事故死亡者数は過去最多となっています。
なぜ123便は墜落することになったのでしょうか?
原因は一体何だったのか、史上最悪と言われた航空事故の、詳細について解説していきます。
日本航空123便墜落事故とは

8月12日、東京国際空港(羽田空港)から大阪国際空港(伊丹空港)に向けて、18時12分に離陸しました。
しかし操縦不能に陥り迷走飛行の末、18時56分「巣鷹の尾根」に墜落してしまいました。
お盆の帰省ラッシュなどが重なり、著名人を含む多くの犠牲者を出してしまいました。
乗客乗員524名のうち死亡者数は520名、生存者は4名と単独機の航空事故の死亡者数としては、過去最多を記録してしまいました。
事故直前にも不具合が多数発生!

事故前にも、客室後部の化粧室ドアの不具合が「28件」も発生していたのです。
不具合はその後解消されているのですが、同機に乗った乗客の証言によると、「床下からギシギシ、ガタガタというような音がした」とあり、不具合は完全に解消されていなかったのかもしれません。
「しりもち事故」を起こしていた?

1978年6月2日、大阪伊丹空港への着陸の際、機体尾部を滑走路面に接触させる事故が起こっていました。
1回目の滑走路絵の接触で機体はバウンド、2回目の接触で尾部を激しく滑走路に擦り付けたといいます。
死者は出ていませんが、この「しりもち事故」により2名が重傷、23名が軽傷を負ったそうです。
この事故が原因で先ほどの「後部不具合」が起きたとの見解も出されています。
日本航空123便墜落事故本来の原因は何も突き止められていない。
心からご冥福を
お祈りいたします。#日本航空123便墜落事故 #日航機ジャンボ機墜落事故 #日航機墜落事故#日航機墜落 #日航機墜落事故から38年 #日航#日航機事故 #日航機#御巣鷹山 #御巣鷹の尾根 #御巣鷹 pic.twitter.com/LWz4AGZ5WN— だんご三兄弟 (@40pGwDgRa7kvljt) August 12, 2023
日本航空123便墜落事故の死亡者数は?

この墜落事故では、520名の多くの犠牲者を出してしまいました。
この中には著名な方々も多く登場していたそうです。
- 坂本九:「上を向いて歩こう」などで知られる超大物歌手。享年43歳
- 中埜肇:阪神タイガース球団社長。享年63歳
- 浦上郁夫:ハウス食品工業の2代目社長。享年47歳
- 北原遥子:宝塚の女優。享年24歳
- 竹下元章:元広島カープのキャッチャー。享年47歳
搭乗予定だった有名芸能人では、「明石家さんま」さん「逸見政孝」さん「ジャニー喜多川」さん「少年隊」の3名もいたそうですが、満席だったため乗ることはなかったそうです。
日本航空123便墜落事故の生存者はいる?

123便には、乗客乗員合わせて524名が搭乗していました。
このうち死亡者数は520名にのぼり、生存者はたったの4名でした。
山奥に墜落したことや時間が遅かったこともあり、捜索開始まで「11時間」もかかってしまったといいます。
生存者からは「救助が早ければ、もっと多くの人たちが助かった」との証言もあり、墜落直後は4名以外にも、多くの人が生存していたといいます。
日本航空123便墜落事故の原因は?

第一の原因として、機体後部圧力隔壁の修理ミスにあります。
この修理ミスにより、大量の高速空気が機内から流出、制御装置や補助エンジン、垂直尾翼の破損に繋がってしまいました。
第二の原因は、4系統ある油圧制御を集中制御している、油圧制御装置が破損し制御不能になったことです。
この事案は管理不良、手順の不遵守、不注意、検討不足による事例として、今もしっかり意識され安全対策が講じられています。
福田機関士と日本航空123便墜落事故に謎も残る?

福田機関士と自衛隊機との「あぁ、貨物のところですね」という内容の交信記録が残されていました。
さらに航空自衛隊の戦闘機も、123便と並走して損傷を教えていたそうです。
ですが墜落現場を翌朝まで探すことが出来ず、結果救助は大幅に後れを取ることになってしまいました。
なぜ通信もしていて、戦闘機で並走しているのにも関わらず、墜落現場を発見することが出来なかったのでしょうか。
JAL123の520人死亡は、初期原因の如何にかかわらず、その後の日本政府の対応により発生したと言える。機長らは①羽田空港帰還、②東京湾不時着、③横田米軍基地不時着のどれも可能で大部分が助かったはず。にもかかわらず、御巣鷹の尾根に誘導され激突で大虐殺となったhttps://t.co/cfS8hWsblZ pic.twitter.com/5IE8mbPxrE
— 青山貞一 (@TeiichiAoyama) August 11, 2023
謎は今も謎のままとなっています。
日本航空123便墜落事故は、風化させてはいけない!

「日本航空123便墜落事故」ですが、2023年で38年目を迎えました。
事故現場では救助の遅れにより、多くの生存者が救助前に命を落としてしまう結果となってしまいました。
複数の頭部がめり込み、目が3つになってしまったご遺体や、焼け焦げた地面に横たわる黒焦げになってしまったご遺体など、現場はとても悲惨な状態だったことでしょう。
2023年現在、123便墜落から「38年」が経過しました。
この事故は決して風化させてはいけませんし、同じ事故は二度と発生させないよう願うばかりです。