1982年2月9日にダグラス DC-8-61型機が、羽田空港の目の前で海に墜落し、24人の死者と149人の負傷者を出した日航機羽田沖墜落事故をご存知でしょうか?
通常着陸後に使用する逆噴射を、着陸前に使用した片桐清二機長の過失が原因だったと言われていますが、この事故は片桐機長の自殺だったとも噂されました。
多くの死者を出した日航機羽田沖墜落事故でしたが、片桐機長は不起訴処分で釈放されています。
2024年時点では77歳になっている片桐機長の現在を調査すると共に、事故の真相に迫っていきましょう。
目次
羽田沖墜落事故・片桐機長の現在は年金で悠々自適生活?
1982年2月9日に起きた日航機羽田沖墜落事故では、片桐清二機長の行動が注目されました。
NHKアーカイブスは、当時の日本航空記者会見の様子をアップしています。
片桐機長が故意的に起こした事故だった為、メディアはこぞって彼の行方を追いましたが、当時は機長が行方不明という報道が流れたのです。
乗客よりも先に救命ボートに乗り込み雲隠れしたといわれている片桐機長ですが、不起訴処分となった彼は現在、何を思いどのような人生を送っているのでしょう。
片桐機長は現在葉山の自宅で悠々自適の年金生活?
片桐清二機長は日航機羽田沖墜落事故後、妄想性精神分裂病で東京都立松沢病院に措置入院となっています。
日本航空を解雇になったのは事故から1年後だったのです。
現在の年齢は77歳で、自宅がある神奈川県の葉山で暮らし、車いすを使って生活されているそうです。
日航からの退職金や年金でお金には不自由せず、また自動車免許も再取得しているそうで、たまに外出する事もあるようです。
もともと資産家でもある片桐機長は、現在は悠々自適な暮らしを送っているといわれています。
【画像】片桐機長の現在は?顔写真を調査!
片桐清ニ機長は、日本航空を解雇になった後もうつ病などが続き、家族とも連絡を取らず引きこもりの生活をしていたそうです。
事故を起こした片桐機長の現況については、葉山で療養中という情報はあるものの、詳しい内容についてはあまり知られていません。
当時の片桐機長の写真はありましたが、人目を避けて生活しているようで現在の写真は見つけることは出来ませんでした。
片桐機長は当時から徹底してメディアの前には姿を現すことはなく、現在の顔写真もインターネット上には存在していないようです。
片桐機長は現在も統合失調症で精神病院に入院中?
片桐機長は事故を起こしてから東京都立松沢病院に措置入院し、その後「業務上過失致死罪」で逮捕されます。
しかしその後に精神鑑定がおこなわれた結果、片桐機長に妄想性精神分裂病(統合失調症)の診断が出されたのです。
つまり、片桐機長の事故時の精神状態が心身喪失であったいう事で、検察により不起訴処分となったのです。
片桐機長は事故の1年後に日本航空を解雇されています。
業務上負傷や疾病のために入院している期間は法律上解雇出来ない為、東京都立松沢病院は事故後1年以内には退院しているのでしょう。
現在はすでに退院しており、葉山で過ごしているものと思われます。
片桐機長の妻は元CA?事故後に離婚して姉が面倒を見ている?
片桐機長の妻は、元CAをしていた女性と言われています。
しかし事故のあとに離婚しており、今は実姉の千鶴子さんが身の周りの面倒を見ているという噂が流れていました。
姉の片桐千鶴子さんは、1983年11月に「幻の滑走路と羽田沖墜落事故」という手記を書いており、その中には「もっと早く弟の病気に対応してあげられていたら」という後悔の念を綴っています。
片桐機長は実は自殺していた?
片桐機長は事故当時、「去れ去れ(イネイネ)」と繰り返しつぶやいており、日航機羽田沖墜落事故は乗客乗務員を巻きこんだ自殺だったともいわれました。
事故後一切メディアの前に姿を現さないことや、妄想性精神分裂病(統合失調症)と診断されたことで、すでに自殺をしているのではないか、と騒がれたのです。
しかし、こちらはただの噂だったようで片岡機長は存命で姉と暮らしているといわれています。
この事故は時がたっても、人々の記憶に強烈に残る事故となりました。
羽田沖墜落事故は片桐機長による人災!うつ病で事故前日にも不可解な行動が?
尊い24人の命を奪ったこの事故は、片桐清二機長の精神疾患が原因で、故意に飛行機を海に墜落させた人災でした。
日テレ系「ザ!世界仰天ニュース」でも特集されており、生き残った乗客たちは怒りをあらわにしています。
後に「日本航空の管理室は本当に管理していたんだろうか、なぜそんな人を乗せていたのか」とメディアに怒りをぶつけていました。
片桐機長は事故前にも不可解な行動をとっていたことが証言されていたのです!
日本航空羽田沖墜落事故とは
1982年2月9日に起こった羽田沖墜落事故はJALの航空機墜落事故で「羽田沖逆噴射事故」や「日本航空350便墜落事故」ともいわれています。
事故が起きたダクラスDC-8-61型機は、本来の目的地である羽田空港には着陸できず、滑走路手前の羽田沖に墜落しました。
この事故では写真からもわかるように、客室前部の乗客が海に投げ出され24人が死亡しています。
不運にも1982年2月8日にホテルニュージャパン火災を起きており、東京消防庁は相次いでの出動に翻弄される結果となっています。
救助には羽田近くの漁師も参加し、必死の救助劇となりました。
操縦していた片桐機長の異常操作による人災事故
羽田沖墜落事故は、片桐機長の異常操作の様子が克明に残されていました。
羽田空港に着陸する直前に、通常飛行機は自動操縦を解除しますが、その直後片桐機長はスロットルをアイドル位置まで引き戻しエンジンの回転数を意図的に下げたのです。
それどころか、第2エンジンと第3エンジンを逆噴射させたので、推力が異常に低下、機首が見る間に下がっていきました。
事故の経緯
日本航空350便は、事故の1分前に副操縦士が海面から150mというコールをしましたが、片桐機長は応答していません。
さらに、海面から60mで決心高度(着陸するかやり直すか)を問う「ミニマム」をコールしていますが、この問いかけも適切に応答していなかったのです。
その後自動操縦を解除し、逆噴射という暴挙にでた片桐機長。
気が付いた副操縦士が、操縦桿を引き上げ高度をあげようとしますが、片桐機長は強い力で操縦桿を引き下げたまま機首を下げ続けたのです。
その結果8時44分、日本航空350便は羽田沖に叩きつけられるように墜落しました。
1982年2月9日 事故までの時系列
2月9日7時34分、日本航空350便は福岡空港を離陸しました。
当日の朝、片桐機長は吐き気などの体調不良のため朝食も取らずCAの持ってきたコーヒーさえ口をつけていなかったそうです。
羽田の管制官から滑走路33Rに着陸許可が告げられ、副操縦士が応答。
【8時43分25秒】
副操縦士が片桐機長に高度500フィートを告げたが、応答なし
【8時43分50秒】
副操縦士が片桐機長に決心高度ミニマム(着陸するか否か)確認したが、明確な応答なし
【8時44分】
自動操縦を解除し、片桐機長はスロットルをアイドル位置へ移動、エンジンの回転を遅くした
【8時44分02秒】
航空機関士が、エンジンの出力が低下していることを注意「パワー・ロー」するが、直後に片桐機長は逆噴射を開始、警告音が鳴り響きます!
【8時44分05秒】
副操縦士が、操縦桿を引き上げようとし「キャプテンやめてください」と発言
この直後、衝突とともに音声は切れ墜落してしまいます。
片桐機長は搭乗中、幻覚を見ては現実に引き戻されるという精神錯乱状態に陥っており、頭の中では「イネ……イネ……」という声が聞こえていたのだそうです。
そして「自分も死ななくてはならない」と思い、自殺行為を起こしたと証言しています。
羽田沖墜落事故の最後の生存者は?
事故の墜落時の衝撃で、客席前列11列までの機内の天井部分が吹き飛びました。
民間の漁船も救助に当たり決死の救助が続く中、前から12列目にいた当時20代の女性が最後の生存者として発見されます。
天井の壁がちょうど女性の腹部に突き刺さるような感じで、救助は難航を極め座席のボルトを外し助け出したそうです。
最後の生存者を助け出すためにかかった時間は、3時間ともいわれており、彼女は奇跡の生存者となりました。
この女性の詳細やその後についてはまったく公開されておらず、今も手がかりは残っていません。
読売新聞オンラインでは、事故後40年たった年に日本航空の赤坂祐二社長が犠牲者に手を合わせる姿が報じられています。
日本航空は機長の状態を隠蔽しようとした?
片桐清二機長は、事故後乗客よりも早く救助されている姿が目撃されています。
しかし日本航空は片桐機長は事故後に行方不明になっている、と発表しました。
メディアは片桐機長は海に投げ出され死亡したのではないか?と情報を錯綜させたのです。
しかし、これは日本航空が真実を隠蔽するための行動だったと後に世間から大バッシングを受けることになりました。
片桐機長は乗客を見捨て自分だけが救命ボートに乗り込むと、誰よりも早く東京慈恵会医科大学附属病院に入院しています。
この手配もすべて日本航空が行っていたそうです。
片桐機長に対しては日本航空も後ろめたい事情があったのでしょうが、多くの犠牲者を出しているにも関わらずあまりに非情な行いではないでしょうか。
片桐機長こと片桐清二のプロフィール
出身:大分県別府市
所属:元日航航空
高校:大分県別府鶴見丘高等学校
大学:岡山理科大学理学部数学科
片桐機長の高校時代の成績は上位クラスで、九州大学へ入れる学力がありながら岡山理科大学に進学しています。
しかし岡山理科大学を2年で中退、航空大学を卒業して1969年10月1日に日本航空に入社しました。
パイロットの試験に合格してから結婚し、子どもを一人もうけています。
片桐機長は事故前日にも不可解な行動をしていた?
実は事故の前日、片桐機長と副操縦士と航空機関士らの3名は羽田発福岡空港行きJAL377便に搭乗しますが、ここで片桐機長は不可解な行動をしていました。
離陸前に管制塔の「滑走路へと進入し待機せよ」への応答を無視し「管制許可きてるね」と発言、無理やり離陸しようとしたのです。
この時は副操縦士がとっさに阻止し、13分遅れで羽田から福岡へ向かったそうです。
また、機長の操縦で大きく右に旋回しながら上昇していくときに機体が右に傾いていたため、それを副操縦士が修正操作しています。
副操縦士の「大丈夫ですか?」との問いかけに、片桐機長は「大丈夫です」と答えました。
その後も一連の出来事に対して謝るわけでもなく、副操縦士に対して「お見事!」などと言ったようです。
こうした直前の予兆があったのも関らず、翌日もフライトを中止しなかった当時の日本航空の制度にも問題があったのではないでしょうか。
片桐機長は精神病だった?
家族の証言によると、1976年秋頃から既に片桐機長の精神異常の兆候は出ていたそうです。
1976年に片桐機長は日本アジア航空へと出向し定期運送用操縦士の学科試験をうけたのですが、不合格だったことで精神的に不安定になっていました。
1977年には片桐機長の口数が減っていき、周りからもノイローゼを疑われます。
彼は自信を喪失し思考回路も変化した結果、幻覚が現れ始めて友人と接触することも避けるようになっていきました。
下記のような発言もしていました。
さらには愛犬を散歩中、見ず知らずの人に突然愛犬をプレゼントしようとしたり、操縦席で急に笑い出し周りを困惑させたり異常な行動をとっています。
しかし、信じられないことに1979年の12月に機長に昇格したのです。
当時の評価基準はどうなっていたのか疑問に思いますね。
片桐機長は事故直前までうつ病で入院していた?
1980年最初の変化から2年経った頃は片桐機長には幻聴が出始めており、10月は体調不良で乗務を取りやめていました。
翌11月は、雑なブレーキ操作や旋回行動の遅れによる飛行機経路からの逸脱などで上司から「乗務の取り消し処分」を受けています。
その時点で誰もおかしいと思わなかったのでしょうか?
精神科の誤診だった!?
ここで、家族も本人もおかしいと感じ精神科を受診することになります。
そこで診断がついた病名は「うつ」か「心身症」という事でした。
しばらく療養が必要との指示が出されますが、片桐機長は精神科に通院を継続しつつ1981年4月会社に復帰します。
問題であるのは診断名が「うつ」「心身症」であり「統合失調症」ではないという事です。
つまり、片桐機長は統合失調症の治療は受けていないのです。
さらに医師は抑うつ検査を行い「仕事中に鬱の症状が出ていないから仕事に復帰してよい」と診断書を出しています。
実際の片桐機長の精神状態は以前より後退し悪化していたにも関わらず、医師は片桐機長の心の状態に気付けなかったのです。
この誤診がのちのちに取返しがつかぬ事態を招いてしまいました。
「機長!やめてください!」の石川副操縦士の現在は?
年齢 :74歳前後
生年月日:不明
学歴 :中央大学経済学部卒業
キャリア:アジア航空の機長
日航機羽田沖墜落事故当時、副操縦士を務めていたのは当時33歳の石川幸史さんという方でした。
石川副操縦士は、存命であれば74歳くらいと思われますが、どこに住んでいるのか情報がいっさいありません。
事故が起きたときも、機長の暴走を必死で止めようとした人です。
「機長!やめてください!」が1982年流行ワードに!
1982年といえば、ホテルニュージャパンの火災なども起こった年でした。
しかし、この日航機羽田沖墜落事故によって「機長!やめてください!」がこの年の流行語ワードに選ばれています。
この他にも逆噴射なども流行し、大きな痛ましい事故として人々の記憶に残る1年となってしまいました。
石川副操縦士の現在は?生存してJAL機長に?
事故の直後の石川副操縦士は腰椎及び左肋骨骨折という怪我を負ったものの、飛行機に最後まで残って、救助活動を行っていたそうです。
そしてその後も副操縦士として経験を積み、日本アジア航空で機長となりました。
今では、日本航空内で知らない人がいないほどの人格者なのだとか。
こうした立派な方がこれからもしっかりと指導を行って欲しいものです。
日航機羽田沖墜落事故の原因は幻聴だった
この事故は、片桐機長の病気がもっと早く見つかり適切な処置を受けていたら防ぐことが出来たのではないかと考えると残念でなりません。
この事故を踏まえ、現在の飛行はフライト中に操縦桿を逆噴射できない形へと変えられています。
現在不治の病ではないといわれている統合失調症ですが、現在の片桐機長は事故に対して罪の意識を感じることは出来たのでしょうか?
片桐機長の現在はわからなかったものの、二度とこんな痛ましい事故が起こらないように祈らずにはいられません。