1982年2月9日に羽田沖で発生した「日航羽田沖墜落事故」をご存じでしょうか?
24人の死者と149人の負傷者を出した事故は、操縦していた片桐誠二機長による異常な運転が原因でした。
当時35歳の操縦士は今、存命なのでしょうか?
事故後の自殺説や、現在の状況についても調べました。
羽田沖墜落事故・片桐機長の現在は?葉山で悠々自適の年金生活?

当時の映像で、片桐誠二機長が乗客より先に救命ボートに乗り込む姿がテレビで流れていたことを、覚えています。
真冬の海水温は5度と低く、一刻の猶予もない状況の中、事故発生から10分ほどで救助隊員は到着し、東京湾の地元漁師も集まって乗客の救出にあたったようです。
その後、片桐機長はどのような人生を歩んでいったのでしょうか。
【画像】片桐機長の現在は?顔写真を調査!
事故を起こした片桐機長の現況については、葉山で療養中という情報はあるものの、その他、詳しい内容についてはあまり知られていません。
また、当時の片桐機長の写真はありましたが、現在のお顔の写真は見つけることは出来ませんでした。
片桐機長の現在の顔写真はインターネット上には存在していないと判明しました。
片桐機長は現在も統合失調症で精神病院に入院中?

片桐機長は事故を起こしてから東京の松沢病院に処置入院し、その後「業務上過失致死罪」で逮捕されます。
しかしその後に精神鑑定がおこなわれた結果、片桐機長に「妄想分裂病」(統合失調症)の診断が出されます。
つまり、片桐機長の事故時の精神状態が心身喪失であったいう事で、検察により不起訴処分となったのです。
現在の状況では病院はすでに退院しており、葉山で過ごしているものと思われます。
片桐機長は現在葉山の自宅で悠々自適の年金生活?

片桐機長はこの事故から数年後、JALを解雇されます。
現在の年齢は76歳くらいと思われますが、自宅がある神奈川県の葉山で暮らし、車いすを使って生活されているようです。
日航からの退職金や年金でお金には不自由せず、また自動車免許も再取得しているそうで、たまに外出する事もあるようですね。
もともと資産家でもある片桐誠二は、現在は悠々自適な暮らしを送っているのではないかと思われます。
片桐機長の妻は元CA?事故後に離婚して姉が面倒を見ている?

片桐機長の奥様は、元CAをされていた方のようです。
しかし事故のあとに離婚しており、今は実姉の千鶴子さんが身の周りの面倒を見ている、という噂もあります。
姉の片桐千鶴子さんは、1983年11月に「幻の滑走路と羽田沖墜落事故」という手記を書いており、その中には「もっと早く弟の病気に対応してあげられていたら」という後悔の念を綴っておられます。
片桐機長は実は自殺していた?

片桐機長の正式な診断名は「妄想性統合失調症」という事ですが、自殺をしたという報道はありません。
ですので、これは単なるうわさ話に過ぎないと思われますが、このような情報が一時流れていたようですね。
ただ今も片桐誠二は存命で、姉と暮らしている情報もあるものの、いずれも正確なところははっきりとしていません。
羽田沖墜落事故は片桐機長による人災!うつ病で事故前日にも不可解な行動が?

尊い24人の命を奪った「羽田沖墜落事故」は、操縦士の精神疾患が原因で、故意に、飛行機を海に墜落させた人災でした。
なぜこのような、事故が起こってしまったのでしょうか?
未然に防ぐ手立てはなかったのでしょうか?
日本航空羽田沖墜落事故とは

これは1982年2月9日に起こったJALの航空機墜落事故で「羽田沖 逆噴射事故」や「日本航空350便墜落事故」ともいわれています。
事故が起きたダクラスDC-8-61型機は、本来の目的地である羽田空港には着陸できず、滑走路手前の羽田沖に墜落しました。
この事により同機は大破していた乗務員174人のうち24人が死亡、147人が負傷という甚大な被害を出します。
操縦していた片桐機長の異常操作による人災事故
空港に着陸する直前に、片桐機長による逸脱した操作がありました。
- 機首を異常に下げる
- 推力を低下させる
- エンジンを逆噴射させる
このような逸脱した操作を意識的に起こした事による墜落でした。
事故の経緯
当日の日本航空350便は福岡空港から東京国際空港に向かう乗員8人と乗客166人の174人が乗っていました。
コックピット内には機長の片桐清二、石川副操縦士と航空機関士の3人が搭乗し、予定時刻の9分遅れで出発しました。
(その後の調査でコックピット内の音声から事故時の様子がわかります)
1928年2月9日 事故までの時系列
- AM7:34 福岡空港出発
- 同7:51高度8800メートルに上昇、水平飛行に移行
- 同8:19「着陸準備のため下降の準備を」羽田空港管制官から指示
- 同8:35着陸許可 が出る
- 同8:39着陸装置をおろし着陸準備に入る
- 2分後、フラップを50度に展開させる
- 8:43:25秒 石川副操縦士「500フィート」
- ここで片桐機長は応答せず
- 8:43:59石川副操縦士「200フィート」
- 直後に決心高度(着陸するか否かの確認)で、「ミニマム」と石川副操縦士
- ここでは「ランディング」また「ゴーアラウンド」と返答しなければならないのであるが、片桐機長は「チェック」と返答。
- その2秒後に、自動操縦を切り、操縦桿を前に倒し続けて機首を下げた。
- さらに全エンジンのスロットルレバーをアイドルに引き戻して推力を下げる操作を行う。
- 石川副操縦士エンジン出力が低下していることに気が付き「パワー・ロー」と叫ぶ。
- 片桐機長が第2、第3エンジンを逆噴射させる
- 石川福操縦士はエンジンを戻そうとしたが片桐機長によって操縦桿が前に倒されていて操作できず。
- 石川副操縦士「機長、やめてください!」と叫ぶ。
衝突とともに音声は切れる。
片桐機長は搭乗中、幻覚を見ては現実に引き戻されるという、精神錯乱状態に陥っており、頭の中では「イネ……イネ……」という声が聞こえていたのだそうです。
そして「自分も死ななくてはならない」と思い、ある意味、自殺行為を起こしたと証言しています。
羽田沖墜落事故の最後の生存者は?
事故の墜落時の衝撃で座席前列11列までの機内の天井部分が吹き飛びました。
前から12列目にいた当時20代の女性が最後の生存者であると言われています。
その時の状況は、天井の壁がちょうど女性の腹部に突き刺さるような感じだったのですが、奇跡的に止まっていたため助かったという事のようです。
この女性の詳細、その後についてはまったく情報は残っておらず、今も手がかりは残っておりません。
片桐機長こと片桐清二のプロフィール

出身:大分県別府市
所属:元日航航空
高校:大分県別府鶴見丘高等学校
大学:岡山理科大学理学部数学科
片桐誠二機長の高校時代の成績は上位クラスで、九州大学へ入れる学力がありながら岡山理科大学に進学します。
しかし、岡山理科大学は2年で中退し、航空大学を卒業して1969年10月1日に日本航空に入社しています。
パイロットの試験に合格してから結婚をして、子どもを一人もうけています。