1986年に、人気絶頂だったアイドル歌手の岡田有希子さん自殺というショッキングな報道は、日本中に大きな衝撃を与えました。
「ユッコ・シンドローム」と若者の自殺が続く、社会問題が起きたほどです。
ここでは、岡田有希子さんが残したとされる『遺書の真相』について、自殺当日の不可解な行動について振り返ります。
岡田有希社子が残した遺書の内容とは?
ユッコ・シンドロームという社会現象にもなった岡田有希子さんの自殺。 pic.twitter.com/89P4nAdgoy
— あつし (@fMlqnmvgXaqUWC6) April 10, 2019
歌手の岡田有希子さんが亡くなり、今年で37年の月日が流れました。
いまだに当時の人気ぶりを偲び、心を痛めるファンは多くいらっしゃいます。
その後、さまざまな憶測が流れましたが、「遺書」が自宅のマンションで見つかっている事がわかっています。
サンミュージック相沢会長はその「遺書」(ノート)に自殺の原因となる男性について書かれていたと語り、「恋愛で悩んでいた」ことは明らかとなりましたが、その相手とは誰だったのでしょうか?
内容①ドラマで共演した峰岸徹にフラれたショックが原因?
岡田有希子さんの自殺理由で1番目に取り上げられているのは、俳優の峰岸徹さんです。
ふたりは「禁じられたマリコ」という岡田有希子さん初主演のドラマで共演しています。
当時42歳で、24歳年上の俳優である峰岸徹に岡田有希子さんはひそかに恋心を抱いていたのでは、と言われています。
65歳で肺がんのため他界された峰岸徹さんですが、中年でも渋く人気のある俳優でした。
10代の岡田有希子さんは東京でアイドルとして仕事をする中、仕事場で接する大人の男性に心惹かれてしまったのかもしれません。
峰岸徹が会見を開く!
岡田有希子さんの残した遺書(日記風のノート)の中に、峰岸徹さんの名前があったとして、1986年4月8日の当日、峰岸徹さんは異例の緊急会見を開きます。
「正直な気持ち、ショックです。僕としては兄貴のつもりだった。でも彼女のほうには+αがあったのかもしれないし、それがもし愛であったなら責任を感じる」と語りました。
内容②岡田有希子がフラれた恋人は神田正輝だった?
岡田有希子の自殺の原因は
神田正輝との交際って
その昔に誰かに聞いたけどなぁ…— 東北秘湯愛好会(繁忙期到来💦) (@touhokuhitou) December 26, 2015
テレビは堂々と嘘を垂れ流す。岡田有希子が峰岸徹を好きだったというのは作り話。本当は神田正輝と付き合ってたのに…。#tbs
— HARRY CH♡KURIN (@chokuri) December 26, 2015
しかし数か月後、ある週刊誌から別の人物が実は本命であるとの記事が出てそのうわさが広まりました。
それは、俳優の神田正輝さんで、峰岸徹さんはカムフラージュで利用されていたにすぎず、実は本当の恋人は神田正輝であるという内容です。
岡田有希子は交際中の神田正輝の子どもを妊娠していたが、4月7日に松田聖子が神田正輝との妊娠を発表。
この報道で、岡田有希子はショックを受けたというものですが、後日、週刊誌は記事が捏造である事を認めています。
内容③岡田有希子の本命は舘ひろし?
3人目は、舘ひろしさんです。
実は岡田有希子さんの好みのタイプは舘ひろしで、隠れファンだったとのことから噂が流れたのかもしれません。
上の写真は「ザ・ベストテン」で二人が並んでいる貴重な写真ですが、確かに岡田有希子さんの表情は心底うれしそうな笑みを浮かべていますね。
内容④岡田有希子は石原裕次郎の愛人だった?
4人目の説は、岡田有希子は石原裕次郎の愛人だったのでは?というものです。
当時の石原プロモーションは芸能界での莫大な権力を誇り、松田聖子と神田正輝が結婚したのも石原裕次郎の指示だったと言われてます。
又、アイドルとして全国に売れるため政界人との枕営業をしていて、その慰め役に神田正輝や舘ひろしなど軍団のメンバーが当てられていたなど様々な想像による憶測が飛び出しましたが、真相の方はわかりません。
⑤忙しすぎて現実逃避したかった?
ある番組の取材で、「一日の岡田有希子さんを密着取材した」時の話です。
その記者は朝の8時から夜9時までの13時間という、ビッシリと詰まったスケジュールを岡田有希子さんが風邪で体調を崩していても、病院で点滴をうけて仕事をこなし続ける姿を、目の当りにしたようです。
こんな一日をずっとこなしているなんて、と記者は岡田有希子さんのガッツに頭が上がらないと思ったと言います。
内容⓺躁鬱状態が続いて精神的に不安定だった?
自殺の直前まで、一緒にいた元福田専務は岡田有希子さんについて「繊細で、もともと躁鬱の激しい子だった」と語っています。
そのうえ仕事はかなりハードで1年に1日の休みしかないような状態だったようです。
そのため多忙から体調を崩し、心まで不安定になっていったのではないのかと思いますが、弱音を吐かずに頑張っていたのかと思われます。
本「岡田有希子 愛をください」で遺書の内容を母親が暴露?
〈佳代(引用者注・岡田さんの本名は佐藤佳代)の遺書――今でも、あれを遺書と言っていいのかどうか私にはわかりませんが――その中に峰岸徹さんの名前はたしかに書かれていました。峰岸さんが好きだった、と〉
引用:「愛をください」より
現在は絶版となっていますが、この本の主要部分である遺書に関する箇所の冒頭には母の岡田孝子さんが、記した文章が書き添えてあります。
孝子さんは、どうしても峰岸徹さんとの関係をはっきりとさせておきたかったようですね。
なので、「ここまで本当は言いたくはないが、亡くなる10日前には生理用品も購入していた」ということまで打ち明けており、妊娠説を否定し、峰岸徹さんへの世間からの疑惑も払拭しようとしました。
そして、娘の寂しさに気が付いてあげれなかった親として、懺悔の気持ちが記されています。
岡田有希子のマネージャーはすべて知っていた?
岡田有希子さんの最後の姿を見ていたとされる人物が、マネージャーだった溝口伸郎さんですが、彼も、2000年7月19日に自殺で亡くなっています。
亡くなった場所が生前最後に岡田有希子さんが使用したと思われる個室トイレの中であったという事から「単なる偶然ではない」と陰謀説が流れました。
マネージャーは自殺に関わるなにかを知ってしまったのかもしれません。
岡田有希子の遺書を持ち出した人が特定?
2016年の12月2日に放送された「爆報!THEフライデー」で元サンミュージック専務の福田時雄さんが驚くエピソードを暴露しました。
岡田有希子さんの死後、事務所内にある金庫にあったはずの「資料全て」が何者かにより持ち出されていたというものです。
ただ、この資料を持ちだした人は特定されており、1988年~1990年にサンミュージックに務めていたオーストラリア出身の白人リチャード氏であると言われています。
彼は「30年でも100年でも保存することに意味がある」と思い、事務所から勝手に持ち運んだと認めています。
岡田有希子の自殺した理由とは?その後母親も死亡?
その「爆報!フライデー」の中で、元専務の福田時雄さんは「1度目と2度目の自殺の理由は違う」と話しています。
「1度目は好きだった人の事を思って」の自殺であったが、「2回目は迷惑をかけてしまった事への申し訳なさと、もう生きていけないというような思いからだったのでは」と振り返り、語っておられました。
岡田有希子さんの死後、2年で両親は離婚をしています。
母親の孝子さんは持病が悪化し、入退院を繰り返していたようですが、病院でお亡くなりになられたようです。
岡田有希子の自殺理由は峰岸徹との恋愛関係?
峰岸徹はドラマ「禁じられたマリコ」で共演した岡田有希子をただ妹のように可愛がっていただけで恋愛感情があったのは岡田有希子の方じゃないのかな?峰岸徹は冗談のつもりで結婚しようなんて言ったもんだから彼女は本気なのかと誤解したのかもね。とにかく片思いで終止した有希子さんが気の毒だと思いました。
引用:ヤフー知恵袋
元サンミュージックの相沢会長は「ユッコの自殺した理由は、失恋によるショックと仕事の多忙さによる躁鬱状態」と結論付けました。
ここまでの、
- 峰岸徹さんが会見で語ったこと
- 相沢元会長や、福田元専務の見解
- 母孝子さんの手記
で、わかる事は、岡田有希子さんは峰岸徹さんに好意を持っていて恋に恋する乙女のような気持ちでいたが、ある時、一方通行の片思いであると気付いた事でショックのあまりに、仕事への情熱も失くなり、生きる事に絶望してしまったのではないかなと感じました。
また頭も良くて、非常に努力家でしたが、想っても叶えられない恋からは立ち直れず、最終的には死を選ぶ形で終止符を打とうとしたのかと思います。
【その後】岡田有希子の母親も死亡していた?
岡田有希子さんのご両親は、岡田有希子さんが亡くなって20回目の誕生日にあたる日、離婚しています。
昔から夫婦仲は悪く、喧嘩が絶えず、子どもたちが成人後に離婚すると決めていたようですね。
一人いた姉は、両親の離婚時に父親についていったため、母の孝子さんは一人になってしまいましたが、もともと持病があったためか、離婚後も体調が優れず最後は病院で亡くなったとのことです。
父親の方は、現在姉の夫婦と子供の4人で生活しています。
岡田有希子が自殺した経緯は?
岡田有希子さんは4月8日の朝自宅でガス自殺を図る前の日の夜中、成城の峰岸徹さんの自宅前に行って、朝方泣きながら帰っていたということを事務所の相沢社長が公表しました。
当時、峰岸徹さんは前妻との中の子供と暮らし、交際中の女性とは婚約中だったとのことです。
もしかすると自宅に行った際、なにか分かったことがあったのかもしれないですね。
午前10時頃:岡田有希子が自宅で自殺未遂
朝の10時頃、南青山のマンションからガスの匂いがすると管理人から通報を受け、警察とレスキュー隊が駆け付けたところ自宅にいる岡田有希子さんを発見しました。
その時は、通報が早く大事には至らなかったのですが、手首にはリストカットした跡があったため、北青山病院まで運ばれたようです。
北青山病院に向かった福田専務は、病室で泣いている岡田有希子さんと対面しました。
お昼:サンミュージックの元専務・福田時雄と付き人と共に3人で事務所に移動
幸い手首のリストカットも浅く、入院の必要はなく、泣いている岡田有希子さんを「どうやって落ち着かせたらといものか」と思案したようです。
岡田有希子さんをタクシーに乗せて、どこに行きたいかと聞いたといいます。
「名古屋の実家がいいか」「自宅のマンションに帰るか」「事務所にくるか」と尋ねると、岡田有希子さんは「事務所がいい」と答えたようです。
午後0時15分頃:サンミュージックの元専務・福田時雄が席を外す
事務所に到着してから外出中の相沢会長の帰りを待つ間、7階にある社長室で3人は話をしていたようです。
そして0時15分頃に、福田専務に相沢会長の電話が入り、いったん福田専務は別室に移動しようと席を外しました。
0時20分頃:岡田有希子がサンミュージックの屋上から飛び降り自殺
社長室では付き人と岡田有希子さんの二人だけだったそうですが、その時、付き人の一瞬の隙をついて岡田有希子さんは事務所屋上にいき、飛び降りてしまったということです。
当時はお昼の時間で、15分後にはテレビで中継もされ、周囲はたくさんの人が囲い大騒動となりました。
岡田有希子の自宅で遺書が発見された!
最初に警察が自宅のマンションに入った際に、そのノートは証拠品として警察の方で保管されていましたが、翌日には遺族に戻されたようです。
また、サンミュージックの鍵のかかる金庫の中で今も大切に保管されているとも言われていますがその遺書が公開される可能性は低いと思われます。
遺書内容が知りたい場合は「愛をください」の古書を読めば、その真意はわかるかもしれないですね。
【まとめ】岡田有希子・遺書の「真相」は?
さまざまな憶測がいまでも語られますが、遺書となる直筆のノートは公開される可能性は少ないと思われます。
気掛かりは南青山で一人暮らしを始めたばかり、環境の変化が鍵のような気がしてなりません。
歌手としてわずか2年でしたが、当時の岡田有希子さんは本当に華憐で「ポスト松田聖子」と言われた正真正銘のアイドルで、清純な少女でした。
38年経つ今でも、あの岡田有希子さんの歌声は耳に残っています。