人気絶頂のさなかに当時まだ18歳という若さで、飛び降り自殺という悲しい最期を迎えた岡田有希子さん。
脳が飛び散ったとされる自殺現場が、当時お茶の間で普通に流れていたことをご存じでしょうか。
今では考えられないような報道内容と、岡田さんが残した遺書の内容について、彼女が自殺に追い込まれた背景とともに調査しました。
目次
岡田有希子の脳みそが飛び散った死体を掲載!自殺現場は騒然!
岡田有希子さんは、1983年に上京し瞬く間に「ポスト松田聖子」と呼ばれる程人気を獲得し、愛称「ユッコ」でトップアイドルの道を駆け抜けていました。
アイドル活動の他にも、バラエティやラジオ等も行っており充実するも忙しい日々を過ごしていました。
翌年の1984年には「音楽賞」を受賞するなどこれからのアイドル活動を期待され、まさにこれからという時に悲劇は起きたのです。
岡田有希子の脳みそが飛び散った自殺現場の写真が掲載!
今ほど規制が厳しくなかった昭和後期では、ぼかしなど無く殺害現場等が撮影されていました。
マスコミ報道人が躊躇なく岡田さんの遺体を写真に収めたとされています。
その現場は悲惨なもので、サンミュージックのビルの8階屋上から飛び降りた際に散らばってしまった、彼女の脳みそまでもが写っていたそうです。
※下記は自殺現場の画像になりますので苦手な方はご注意ください。
こちらの画像は白黒ですが、カラー写真で掲載している週刊誌もあり、当時はショックを受けるファンがたくさんいました。
しかし、マスコミは警察官が到着するまでの間に、あろうことか岡田さんの遺体をうつ伏せから仰向けに変えて、写真を撮り元のうつ伏せに戻したと言われています。
報知新聞にはその写真が今も保管されていると噂されていますが、真相は謎のままです。
岡田有希子の死体を仰向けにした記者が自殺?
写真に収めたマスコミ記者は、翌年に自殺や交通事故死したと様々噂されています。
しかし実際には、写真を撮った記者を非難する目的で作られた嘘で、別の記者の事故死をすり替えられて噂されているようですね。
今でも写真を撮った記者は生きているそうです。
飛び散った脳を警察が回収する姿がテレビで流れた
自殺直後にマスコミにて報道された映像には、毛布をかけられただけの岡田さんがそのまま映され、散らばった脳みそを警察官が拾う生々しい映像が映っていたのです。
インタビュー映像も残っており、騒然としている現場がお分かりいただけるかと思います。
現在との時代の差を感じられるような映像ですね。
※下記大変ショッキング内容となっておりますので苦手な方はご注意ください。
ユッコ・シンドロームという社会現象にもなった岡田有希子さんの自殺。 pic.twitter.com/89P4nAdgoy
— あつし (@fMlqnmvgXaqUWC6) April 10, 2019
岡田さんが亡くなったときの様子を今でも覚えている視聴者・週刊誌の読者は多くおり、
と大人だけではなく子どもさえも気軽に見て取れる環境だったことがわかります。
岡田有希子が自殺した現場の現在は?
サンミュージックは転出しましたが、自殺現場となってしまったビル自体は健在しています。
今でも命日になると多くのファンが、岡田さんを偲び集まるのだそうです。
命日には現場にある花壇が献花で満開になるようです。
岡田有希子が午前中に自殺未遂!遺書と2回目の自殺理由とは?
岡田さんは自殺前に日記風の遺書を残しており、自殺理由をほのめかすような内容が書かれていたそうです。
実は岡田さんは飛び降り自殺を図る前に、手首を切りガスを充満させ1度目の自殺を試みていました。
近隣より「ガス臭い」と通報があり未遂と終ったのですが、怪我の程度はそこまでひどく無かった為その後事務所戻ったそうです。
事務所へ戻った後、自殺未遂の件についての話し合いの合間の隙を狙って屋上へと向かい、2度目の自殺と至ったのです。
遺書は1度目の自殺未遂の際に警察が発見し、翌日岡田さんの母親の手に渡ったとされています。
ではどんな内容だったのでしょうか、見ていきましょう。
岡田有希子が残した遺書の内容とは?
実は遺書の内容は公開されてはおらず、岡田さんの死後はサンミュージックの会長が保存していると噂されています。
内容を他の人が尋ねるも、一切口を開かず内容の言及を避けていたと言われており、よほど重い内容だったのかもしれません。
ただ、分かっている内容があるので一部ご紹介させていただきます。
自殺理由①ドラマで共演した峰岸徹にフラれた?
日記風の遺書には、峰岸徹さんへの想いが叶わなかった事が書かれていました。
岡田さんと峰岸さんは連続ドラマ「禁じられたマリコ」で共演し、そこで好意をいだくようになったようです。
1度目の自殺未遂ではこのことがきっかけになったのではないかと言われています。
しかし全てでは無いとしても、2度目の飛び降り自殺も少なからず恋愛でのもつれ等があったのではないでしょうか。
報道によると、遺書には次のようなことが書かれていたとされています。
「男優の峰岸徹さんにふられた…あこがれていたのに、最近冷たくされて悲しい……勝手なことをしてごめんなさい…」
しかし、岡田有希子さんの遺書は実際に公開されたわけではありません。
そのため本当に遺書に峰岸徹さんについて書かれていたのか、真相はわかっていないのです。
自殺理由②午前中の自殺未遂の自責
岡田さんが自殺に至った理由として、当日の午前中に起こした1度目の自殺が未遂に終わったことから自責の念に駆られたのではないかという説があります。
当時超人気アイドルであった岡田さんが自殺未遂を図ったということが世間に知られたら、多くの人に迷惑をかけるのではないかと思ったのではないでしょうか。
というのも、岡田さんはデビュー前の中学時代は”超”がつくほどの優等生で、16歳で芸能界デビューしてからも「第2の松田聖子」として大変期待されていたアイドルでした。
ファンだけではなく多くの大人に囲まれ、本当に目が回るような毎日だったことでしょう。
岡田さん本人の口から、鬱であることをラジオ番組で告白したこともありました。
上京してわずか数年で、人気アイドルまで駆け足で登っていった岡田さんは、年頃の悩みもある中多忙を極め身も心も壊れていったのかもしれません。
同時期にアイドル活動をしていた田原俊彦さんの口からも、「当時の芸能界は隔離された社会」「(岡田さんは)悩みを打ち明けたり、同業者にも言えなかったと思う」と語られています。
午前中に自殺未遂?午後に2回目の自殺!
また、岡田さんのマネージャーである男性も、2000年に自殺をしています。
自殺当時、結婚しており公私ともに順調だったようで、自殺する理由が無いように思われます。
しかも、亡くなっていた場所が岡田さんが、生前最後に使っていたトイレの個室の中だったそうです。
自殺する理由の無さや、場所からしても不自然で、岡田さんの自殺の背景を知っていたとして他殺されたのではないかと言われています。
岡田有希子の遺書を持ち出した人が特定?
なんと、遺書を持ち出した人物がいたと30年経って分かったのです。
その人物とは、岡田さんが亡くなった2年後にサンミュージックへ入社し、2年勤務した後に退社していたオーストラリア出身の男性だそうです。
後に彼は勝手に持ち出したことを認め、申し訳無さを感じつつ何年でも保管するに値するとして、今でも大切に保管しているのだそうです。
岡田有希子が自殺したその後と現在は?
人気アイドルの突然の自殺で、周囲を震撼させた岡田有希子さん。
彼女の亡き後は多くのファンが悲しみ、当然周囲に与えた影響も大きいはずです。
自殺のその後と、現在までに何が起きたのでしょうか。
その後①岡田有希子の後追い自殺が多発!
自殺後の報道で受けたファンの衝撃や心の傷は計り知れません。
岡田さんを追いかけるように、自殺者が後を絶たず「有希子シンドローム」と呼ばれ、社会問題にまで発展しました。
約300人にも膨れ上がったと騒がれましたが、実際には数人程度だったようです。
しかしながら、それでも悲しい連鎖には間違いありません。
その後②岡田有希子の母親も自殺?
岡田さんの母親も後を追うように、自殺したという事ですが本当なのでしょうか。
岡田さんの両親は、岡田有希子が20歳になったら離婚すると決めていたそうで、実際に岡田さんが20歳になると同時に離婚をされていたようです。
その後持病が悪化し、入退院を繰り返し最後は病院で亡くなったのだそうです。
しかし娘が亡くなった悲しみというのは、計り知れないものがあったと思われます。
【現在】30年以上経った今も命日はファンにとって大切な日
岡田有希子さんが飛び降り自殺で亡くなってから、30年以上の年月が経ちますが、ファンの方には今でも亡くなった4月8日は大切な日です。
亡くなった午後12時15分時に合わせて黙とうもされているのだそうです。
アイドル #岡田有希子 の37回目の命日です。12時15分、四谷四丁目交差点で黙祷してきました。毎年、4月8日に必ずこの場所へ来て手を合わせています。今年も大勢の方がいらっしゃっていました。岡田有希子さんの魂が安らかでありますように。アイドルというジャンルがよきものでありますように… pic.twitter.com/P0mRygdG8p
— 中森明夫☆新作小説「TRY48」 (@a_i_jp) April 8, 2023
毎年この時期になると沢山の献花で溢れ、今でも多くのファンから愛されているのですね。
岡田有希子の脳みそは本当に写真に写っていた
時代もあり、飛び散った脳みそが報道されてしまうという悲惨なものでしたが、その自殺理由とされているであろう内容は切ないものでした。
少なからず自殺理由として、峰岸徹さんへの叶わなかった恋心は関係していたかと思われます。
しかしながら、それだけでは勿論なく、多忙すぎる激動の日々に心を病んでしまったのが大きな原因なのかもしれません。
岡田有希子さんのご冥福をお祈りいたします。