わずか11歳という若さで、猟奇殺人を行ったメアリー・ベルという少女の事件をご存じでしょうか。
短いスパンで2人を殺害し、その後の行動も壮絶なものでした。
そのような事件を起こしてしまった、幼い少女の過去にはどのようなものがあったのでしょうか?
それでは、1つ1つ見ていきましょう。
目次
メアリーベル事件はなぜ起きた?生い立ちが壮絶すぎた?
メアリーの過去にはとても悲惨なものがありました。
望まれず生まれてきて、実の母親に愛されず蔑まれる日々を過ごしていたようです。
その結果、幼い少女の心は本来のものから、捻じ曲がり恐ろしいものと変化していったのです。
それでは詳しく見ていきましょう。
メアリーベル事件の概要
1968年にイングランドの北東部にある、ニューカッスル・アポン・タインの郊外のスコッチウッドという場所で幼い少年らを殺害した事件です。
それぞれ被害にあった少年たちは4歳と3歳という幼い子供でした。
有罪判決を後々に受けることになるのですが、どちらの犯行も刑事責任能力は著しく低下しており、殺意が無いまま法を犯したとされる「故殺罪」という判決を受けています。
これにはメアリーの、過去が関係しているものと思われます。
またメアリーの2歳上の幼い少女の共犯者がいたとされ、その少女の判決は無罪を言い渡されますが後に詳しく見ていきましょう。
生い立ち①貧しい家庭環境
メアリー・フローラ・ベルは、スコッツウッドの貧しいスラム街にて1957年に生を受けます。
彼女の母親のエリザベス・ベティ・ベルは、17歳でメアリーを出産しており、生活保護を受けながら生活をしていました。
メアリーの生まれた育ったスラム街では、日常的に犯罪が横行しており違法ドラッグ等が蔓延していたようです。
生い立ち②母親は地元で有名な売春婦
母親のエリザベスは地元でも有名な人気の売春婦だったそうで、グラスゴウという場所へ出稼ぎに行き、よく家を留守にしていたようです。
そんなエリザベスは、日々ドラッグに溺れて荒んだ生活を送っていたようです。
また娘のメアリーの世話は人に任せてほとんどしていなかったようで、エリザベスはメアリーを望んで生んだわけでなかったのでしょう。
生まれて数分の娘に対し「早く(その娘を)片づけてちょうだい!!」と言い放ったと言われています。
生い立ち③実の父親がわからない
メアリー自身は実の父親を、ウィリアム・ビリー・ベルと信じていましたが、メアリーの父親は誰なのかは不明とされています。
その理由としては、エリザベスとウィリアムはメアリーが乳児の時に結婚したからだと言われています。
またウィリアムはとても暴力的で、強盗の常習犯であり逮捕歴の持ち主、さらにはアルコール依存症でもあったとされています。
生い立ち④薬を飲まされ瀕死状態
生まれてから、幼年期まで母からの愛情を受けずに生きてきたメアリーは、母親と一緒にいる時はよく怪我を負っていたようです。
無関心なのか、危害を加えようとしていたのかは分かりませんが、母親としてはとても不安定なものだったようです。
そんな中、1960年のある日母親のエリザベスは、メアリーを1階の窓から落としてしまったのです。
また別の日にはメアリーに睡眠薬を無理やり飲ませたりもしていて、日常から様々な虐待を受けていたとされています。
生い立ち⑤暴力的で友達がいない
そんな、母親からの愛情を知らないメアリーは、感情の起伏が激しく本人も母親と同等に情緒が不安定になっていきました。
同級生にすぐに暴力をふるい、時には首を絞めて窒息させていまいそうになったりという事が、何度もあったとされています。
そんな彼女には同級生達も近づこうとせず、だんだんと孤独になっていきました。
そんな中、隣人の13歳のノーマ・ジョイス・ベルと過ごしていくようになっていったようです。
友達を7フィートの高さから突き落とす
1968年の5月11日に、3歳の男の子が血だらけで放心状態のまま彷徨っていたという事があったようです。
その男の子曰く、メアリーとノーマと遊んでいたところどちらかは分かりませんが、どちらか一人に7フィート(2.1m)という高さから突き落とされたというのです。
その後通報によりメアリーとノーマは警察から事情聴取を受けますが、2人とも一貫して
というのみで、まだ2人が幼いこともあり注意のみで終わったと言われています。
メアリーベル事件の経緯は?その後は無期限禁固?
そんな不安定かつ暴力的で、虚言にまみれた幼少期を送っていたメアリーですが、後に”メアリーベル事件”と言われる殺人を犯してしまう経緯とは、どういったものだったのでしょうか。
そして2人の幼い命を奪う間も、少女がしたとは信じられない残酷な言動がありました。
また有罪を言い渡された後の彼女は、どのように過ごすことになったのでしょう。
経緯①4歳のマーティン・ブラウンを殺害!
第一の被害者、4歳のマーティン・ブラウンの殺害からこの事件は始まります。
1968年、メアリーは廃墟の寝室でマーティンの首を絞めて殺してしまいます。
同日午後に3人の子供達によって発見されたマーティンは、口からの出血と泡を吹いた形跡があったようです。
発見した3人が呼んだであろう、地元の男性の労働者がすぐさま心肺蘇生を試みますが、悲しくも間に合う事はありませんでした。
その最中にメアリーとノーマは廃屋の寝室へ訪れますが、男性によりすぐ追い出されたようです。
経緯②マーティン・ブラウンの親族を挑発
男性に追い出された後、メアリーとノーマの2人はマーティンの母の元へ向かいます。
まだ息子の悲報を知らない母親に対して、「おばさんの子供が事故にあって、血だらけで識別もつかない」と2人は伝えたようです。
抑えた首元は、力が弱かった事から跡が残らず死因は不明とされ、マーティンが錠剤を呑んでしまい、中毒死を起こしてしまった説が警察の間で語られたようです。
また、メアリーがマーティンの母親を尋ねて「マーティンに会わせて」と頼んだそうで、それを母親が「もう死んでいて、会えない」と返答すると、「知っているわ、棺の中で眠る彼が見たいの」と答えていたようです。
経緯③ノーマと共に保育園に侵入!破壊行為を繰り返す!
メアリーが11歳の誕生日を迎えた日、ノーマと近くの保育園に忍び込み破壊行為を行いました。
2人は屋根を剝がし、本を破ったり机を引っくり返したり、インクや絵の具で色々な所を汚した後に逃走をしています。
その際2人は、
「わたしがまた戻ってこられるよう、殺害する」
「わたしたちがマーテインを殺害したんだ。このろくでなしのクズ野郎め」
「ぼんくらめ。我らは殺し屋だ。まんことホモ野郎に用心しろ」
「お前らは意気地なし。わたしたちがマーテインを殺したんだ。この非道。気をつけろ、まんことホモ野郎による殺害がもうすぐ始まる。クズが」
と4枚の覚書を残しました。
翌日に園の惨状を発見した職員らが警察に通報し、警察は4つの覚書を見て幼稚な悪戯だと処理したようです。
経緯④ブライアン・ハウ殺害!
3歳の男の子ブライアン・ハウは、飼い犬とメアリー、ノーマと遊びに出かけて行きますが、両親がブライアンを見たのは悲しくもこれが最期となってしまいます。
午後を過ぎても帰ってこないブライアンを心配した母親が、近隣住民や捜索隊と周辺を探し、夜遅くに見つかったのはコンクリートのすき間で横たわっていたブライアンの姿でした。
警察が遺体を確認すると、ブライアンの唇はチアノーゼ現象が起きており、首には打撲傷や掻疵があったようで死因は絞殺と判断されました。
遺体には更に、死亡前につけられたであろう刺し傷が脚にあり、頭髪や性器の一部が切断されており、腹にはハサミでMの文字が刻み込まれているという猟奇的な所業がなされていたようです。
犯人はブライアンの鼻孔を片手で抑えながら、もう片方の手で首元を抑えており、その圧力がかかった部分が小さい事から別の子供が犯人と結論を出したようです。
経緯⑤警察の尋問に対し嘘をつく
ブライアンの残酷な殺人事件が発生し、警察は100人の刑事に命じ1200人の子供達に事情聴取を開始し、メアリーとノーマも尋問を受けます。
この時2人は「ブライアンと遊んでいた」という目撃情報が何件も上がっていたとの事です。
尋問を逃げ腰で受けるノーマと違い、メアリーは観察力が際立って鋭く口数が少なかったようで、2人はすんなり事件当日ブライアンと遊んでいた事を認めましたが、その日の午後ブライアンを見た事は否定をしています。
しかしその翌日も続けて尋問を受けたメアリーは、ブライアンを見たのは午前だけで、午後からは別の8歳の男の子と遊んでいて、その少年がブライアンを叩く様子を見たと証言し、更には、少年は草まみれで手にはハサミを持っていたが、少し折れていて変だったと証言したとの事です。
経緯⑥ハサミの虚言によって真犯人とバレる
メアリーの追加の証言を聞いた警察は、彼女こそがこの猟奇的殺人事件の真犯人だと確信したようです。
この時、現場に壊れたハサミを落ちていたというのは警察のみが知る情報で、メアリーは知る由もないはずのものだったからです。
また、メアリーが証言中に名前を挙げた8歳の少年も、すぐに取り調べを行われましたが、事件当日空港にいた事が分かりアリバイが裏付けされたようです。
経緯⑦ノーマ・ベルが自白
ノーマの両親はノーマがメアリーと尋問を受けてから数日経ったある日、娘は何か事件について伝えたそうにしていると警察に通報したようです。
ノーマの訴えは、メアリーにブライアンの遺体を見せられ、殺害方法を詳しく説明されたのち、腹部に傍に隠してあった剃刀とハサミで傷跡を付けていたというのです。
その後にメアリーは警察から尋問を受けますが、犯行を否定し「弁護士を呼んでくれ」と警察に伝えたようです。
同日に再度ノーマは警察から調査を受けた際、メアリーが犯行を実行している場に自身が同席していた事を認め、首を絞めている途中に逃げ出しメアリーとブライアンを現場に残してきた旨を供述しました。
経緯⑧逮捕
ブライアンの葬儀には200人を超える程の人が参列したと言われています。
棺が家から運び出される様をメアリーは外から見て、声を出して笑っており揉み手をしていた様子を見た警察官は、この時
と強く思ったようです。
メアリーとノーマはその後起訴され、メアリーは淡々と
と告げたのに対し、ノーマは
と泣きながら告げたようです。
調書を作成する際、メアリーはブライアンの殺害現場にその場にいた事や、マーティンを殺害した後保育園にて破壊行為や覚書を書いた事は認めたが、「ブライアンを殺したのは私でなくノーマだ」と言い放ったようです。
その後:メアリーベルは無期限の禁固
逮捕された後、メアリーとノーマの2人は精神鑑定を受けノーマは知的障害がある事が分かり、感情を隠すことが難しい上に表に出やすく、人の言いなりになりやすい性質だという事が分かりました。
メアリーは、非常に英明でずる賢い、感情に波があり思慮的で自己防衛に走ろうとする性質が見られ、先天性のサイコパスや後天性のソシオパスではないかとされています。
その結果を踏まえて裁判が行われ、10代前半の少女達によるあまりに残酷な殺人事件として、検事側は両者の有罪を求刑しました。
2人それぞれの証言では、ノーマはマーティンとブライアンの二人の殺害を否認し、マーティンには一切触っていない事を訴え、メアリーの証言時にはノーマの証言すべてを真っ向から否定し、陥れるような発言をしました。
最終弁論でメアリーは、精神の発育に遅れがあって深刻な人格障害があり、環境的要因が大きいと診断され、検察官はこの事件を「奇怪で気味が悪くメアリーは英明でとてもずる賢い、自己防衛の為に平気で嘘をつく威圧的な性格だ」と答弁しました。
結果、メアリーは殺人罪は無罪になったが、刑事責任能力に欠けるという事で”殺意が無いまま法を犯した”とされる「故殺罪」で有罪判決を受ける事になり、事実上の無期懲役を言い渡されました。
その後収監された拘置所では、女性収監者はメアリーたった一人で、13歳から16歳の女子刑務所へ移送されるまでの間、受刑者らや看守達から性的虐待を受けていたようです。
2つ目の収監所へ移ってからは、集団精神治療や精神安定剤の投与の治療を中心にされており、仮釈放の申請を出していたが、すべて却下されていたようで、後にメアリーはこの収監所に移送された事を恨んでいたとされているようです。
2つ目の収監所から更に別の収監所へ移送されており、そこで出会った女受刑者と脱獄を図り、脱獄中に出会った男性2人と遊園地に行ったりホテルで寝泊まりしていたが、逃亡は失敗しそれぞれ別のタイミングで身柄を確保され再び収監される事になります。
その後:ノーマ・ベルは無罪
ノーマの弁護人は、ノーマが犯人だという物的証拠はないうえに、不利に働くものがあるとすれば、メアリーの証言のみだとし、メアリーの深刻な人格障害がある事や自己防衛の為嘘を日常的に吐く事を陪審員へ訴えたようです。
更にノーマの精神年齢は8歳と10か月と診断され、善悪の分別の判断は弱いが、自身が犯した行為の犯罪性は理解していると診断が下されました。
その結果、ノーマの最終判決はマーティン、ブライアンの両者殺害において「無罪」の判決が下される事になりました。
陪審員の結果を聞いて興奮したノーマは、思わずその場で手を叩いて喜んだようです。
この後のノーマ・ジョイス・ベルがどのような生活していたかは分からず、恐らくひっそりと過ごしていたのではないかと思われます。
メアリーベルの収監後から現在!子供と孫もち?
生い立ちから、事件発生や収監までを見てきましたがいかがでしたでしょうか。
メアリーという少女の残虐さ、過度な愛情不足や良心の欠如等が、お分かりいただけたかと思われます。
壮絶な人生を短い期間で経験してきた、メアリーですが収監されてから現在に至るまでどのような生活を送ってきたのでしょうか。
1980年に釈放される
何度も刑務所を移ってきたメアリーですが、4度目の刑務所への移送が決定が発表された翌年に、予定していたメアリーの社会復帰の準備が着々とされていました。
3度目に移った刑務所で得た、秘書科目の知識を生かし最初は監視指針の元、秘書として働きその次に喫茶店で給仕として働いたと言われています。
そして1980年に約11年半の刑務所暮らしを終えて23歳で釈放されています。
釈放に伴い匿名性を許可されたメアリはー、「自分の事は構わないでほしい」と胸の内を明かしたようです。
しかし、メアリーの母親がメディアに、居場所や偽名等を売っていたとされ、途中からは匿名性を失い、メディアに追われる生活をしていたようです。
また、出所の数か月前に妊娠が確認されていましたが、中絶手術が施されその父親は謎のままとなっています。
出所4年後に子供を出産!子供は事件を知っている?
1984年にメアリーは娘を出産しており、彼女の唯一の子供で、この頃から被害者家族達の心の傷を認識し始めたとされています。
1998年にメアリーの娘は、当時住んでいたメアリーとの居場所をメディアが報道するまで、母親の過去を知らなかったと言われています。
また2009年にメアリーの孫娘が誕生しており、子供・孫共に匿名性を保たれ、後に2人合わせて「Z」と呼ぶようにと裁判所にて定められているとされています。
生涯にわたっての匿名での生活が認められる
メアリーが娘を生んだ後、その娘の匿名性は「18歳まで」とされていたようですが、メアリーは高裁裁判所にて自分と娘の「生涯の匿名性」を勝ち取っています。
またその後誕生する孫娘に対しても匿名性は有効で、後に改訂をされているようです。
その為、メアリー達の生活を特定する事は如何なる事情においても公開してはいけないとされています。
自伝本「魂の叫び」が出版!映画化の噂は?
メアリーは、ジャーナリストのギタ・ゼレニーに協力し取材と調査に応じて自初伝の「魂の叫び-11歳の殺人者メアリー・ベルの告白」を出版しています。
幼少期までの悲惨な生活環境や、母親からの虐待・自身が起こした犯行の前後の事、収監されてからの詳細等やその時の感情等も含めて伝えたとされています。
またその出版に伴い、約15,000ポンド(当時日本円で3,240,000円程)を受け取ってたいたそうですが、被害者家族らは何もなく、只々過去の傷を再び抉られる事となりました。
この自初伝を元にした映画が「悪い種子」と噂されましたが、この作品が公開されたのが1956年となっており、事件を映画にしたわけではないが、とても酷似した内容の映画だと言われています。
映画の主人公はサイコパスな少女で、裕福な家庭に生まれ何不自由なく過ごしていたが、徐々に学校生活で問題を起こし本性が明かされていく内容となっています。
出所後メアリーベルは殺人の噂はない?なぜ?
現在に至るまで、罪を重ねる事無く過ごしてきたメアリーですが、世間ではサイコパスと呼ばれており、今まで罪を犯さずに過ごしているのが不思議という声があるようです。
しかし、出所後メアリーは監視の目がその都度ついて回る人生を送ってきたとされており、サイコパスは自身の利益にとても敏感に感じ取り、その時々に利益を一番得られる選択をすると言われています。
なのでメアリー自身、出所後に罪を犯す事にメリットが無いと判断し、殺人の罪を犯さずにいるのではと言われているようです。
メアリーベルの生い立ちや事件内容は衝撃的だった!!
母親の愛情を全く知らず、実の母親から疎まれ殺されかけた結果、11歳という若さで恐ろしく残虐な殺人事件を犯した、メアリー・フローラ・ベルの現在までの生涯を、振り返りましたがいかがでしたでしょうか。
サイコパスな美少女殺人鬼としても有名な彼女ですが、そういった人格に至る理由があるのかもしれないと思わされるものばかりでした。
亡くなってしまった男の子2人のご冥福をお祈りすると同時に、このような事件が起こらない事を願います。