土浦連続殺傷事件を起こし、指名手配されて大きな話題になった金川真大。
父親とは、他人のような仲だったという噂もあります。
また、ゲームの腕前は一級品であるようです。
金川真大の生い立ちや通り魔事件の真相を詳しく調べました。
犯人である金川真大の生い立ちや家族構成が壮絶?
金川真大は、壮絶な生い立ちだったようです。
その生い立ちには、父親および家族としての在り方が強く影響していました。
ここからは金川真大の生い立ちを詳しく紹介します。
生い立ち①:父親は当時外務省に勤めていたノンキャリア官僚
父親は、外務省に勤めており、ノンキャリア官僚でした。
当時は外交史料館館長補佐を勤めていたようで、大変優秀な人物であったことがわかります。
しかしながら育児には無関心で、ほとんど母親1人で育児をしていたと言います。
父親の都合で、金川真大は上海やニューオーリンズで生活していました。
生い立ち②:幼いころから哲学書を買い与えられる
金川真大は、父親に幼い頃から哲学書を買い与えられていました。
そして、金川真大は高校2年の時に事件の発端となった本を購入しました。
それは、「子供のための哲学対話」という本で、本の中に金川真大が影響を受けた一節があります。
世の中がきみに与えることができるいちばん重い罰は死刑だね? 死刑以上の重罰はないだろ? ということはつまり、世の中は、死ぬつもりならなにをしてもいいって、暗に認めているってことなんだよ。認めざるをえないのさ。
(子供のための哲学対話より)
金川真大は、この文章に影響を受け事件を起こしたのではないかと言われています。
生い立ち③:家族構成は両親と4人兄弟
金川真大には両親と2人の妹と1人の弟がおり、長男にあたります。
【金川真大の家族構成】
- 父親:事件当時59歳・外務省勤務
- 母親:事件当時48歳
- 妹(長女):事件当時22歳・派遣で当たら着ながら声優養成所に通う
- 妹(次女):事件当時20歳・都内で一人暮らしをし大学に通学
- 弟(次男):事件当時17歳・高校中退し無職
母親は、父親とは真逆の教育方針で、子供達を人間らしく育てようとしていたようです。
しかし、優しすぎたようで金川真大が問題行動を起こしても金川真大には何も聞かず、見守ることしたしていなかったといいます。
実は金川真大は、最初の計画では声優養成所に通う妹(長女)を殺そうとしていました。
妹(長女)は元々家族との折り合いが悪く、特に母親のことを嫌っていたようですが、兄である金川真大とは年に数回ながらも実際に会話していたようで、兄との関係は悪くなかったはずなのに殺そうとしていたのはなぜだったのでしょうか。
事件後に妹(長女)は金川真大が自身に殺意があったことを知り、「憤りを感じる」とのみコメントしています。
また、妹(次女)は兄および姉を嫌っており、一人暮らししてから1度も実家に帰っていなかったようです。
弟(次男)は高校を不登校で中退後、無職となり音楽関係の仕事に就きたいと考えていたそうですが、家族について「家族が死んでも何も悲しまない」と語っており、家庭環境が崩壊していたことがうかがい知れるでしょう。
生い立ち④:ゲームの腕は大会で優勝するほどの実力
高校を卒業した金川真大は、引きこもりになりゲームに没頭しました。
ただ引きこもりになっていたわけではなく、度々秋葉原を訪れゲームの大会に出場していたようです。
2003年8月には、「DEAD OR ALIVE」というゲームの全国大会に出場し、準優勝しています。
しかしながら、金川真大はゲームで準優勝した後に自分の生きる目的を見失ってしまったようです。
生い立ち⑤:高校卒業後は進学も就職もせず
金川真大は大学に行けるほどの学力があったにも関わらず、「大学に興味がない」と言いました。
進学せずに就職をするという事で、教師は土浦市内の和菓子店を見つけ出しました。
しかし、金川真大は工場見学をしただけで面接を受ける事なく帰ることになります。
のちに金川真大は、その面接は「自分から断った」と言っていたようです。
補足ですが、2019年1月31日に起きた女子大生殺害事件の容疑者・広瀬晃一と金川真大は同じ中学校の同級生のようです。
金川真大と廣瀬晃一って同じ学校の同級生なのか。同級生から2人も殺人鬼が出るってすごい学校だな…。
— たばしん (@tabashin1003) February 12, 2019
生い立ち⑥:挫折により自殺願望を持つようになる
工場の面接で不採用になり、金川真大は挫折しました。
さらに、金川真大は不採用にした工場ではなく、仕事を紹介した教師を恨むことになります。
金川真大は、友人に自殺願望があることを打ち明けました。
金川真大は死刑になることを望んでいた?
金川真大は、死刑になることを望んでいたようです。
それは、自殺願望があったことと深く絡んでいます。
金川真大の死刑への願望と、死刑執行についても詳しく紹介します。
死刑になることを強く望む
金川真大は、死刑になることを強く望んでいました。
「事件を起こしたのは死刑になるため」とも語っています。
金川真大は、自殺することは嫌で、苦しまずに死ねる死刑を望んだというのです。
2009年12月18日に、金川真大は控訴を取り下げ死刑が確定しました。
金川真大に刑事的責任能力はあった?
弁護士は当初、統合失調症でとして責任能力がないと主張しました。
水戸地方裁判所は、金川真大の担当弁護人の要求により再度、精神鑑定を認めました。
精神鑑定をした筑波大学の教授は、金川真大が自己愛性人格障害であることを主張します。
担当弁護士が主張していた統合失調症ではないため、刑事責任に問えるようになりました。
統合失調症と自己愛性人格障害
統合失調症は、現実とのつながりの喪失、幻覚、妄想、異常な思考や行動、感情表現の減少、意欲の低下、精神機能の低下、日常生活の問題を特徴とする精神障害です。
統合失調症では、刑事責任に問えないようです。
自己愛性人格障害とは、自分に対して誇大なイメージを抱き注目や称賛を求める一方で、他者からのマイナスな評価に対して過敏に傷つきやすく、他者に対する共感性が薄いことを特徴とする障害です。
判決は死刑。最期の言葉や様子は?
2009年12月18日に金川真大は、死刑判決が言い渡されました。
金川真大は、メディアに対して「完全勝利」と満足げに言ったようです。
約5年後、金川真大は2013年2月21日に死刑が執行され、この世から亡くなりました。
土浦連続通り魔事件とは?
金川真大が2名を殺害し、7名に重軽傷を負わせた土浦連続通り魔事件。
実際にどういった経緯だったのでしょうか。
あまりに身勝手と思える事件の概要について、順序立てて説明します。
2008年に茨城県土浦市で起きた通り魔事件
本当は上の妹を殺害する予定でしたが、上の妹が外出していたので断念しました。
金川真大は、2008年3月19日に1回目の犯行で三浦芳一さんを殺害するという事件を土浦市で犯しました。
金川真大の身元はすぐに割れ、指名手配になります。
2008年3月23日に2回目の犯行で山上高広さんが死亡、2名が重体で5名が軽傷となる事件を荒川沖駅で犯しました。
その後、荒川沖地区交番で金川真大は自首し、現行犯逮捕となります。
経緯①第1の事件の発生
金川真大は、殺人を犯してもバレなさそうな場所を物色しています。
金川真大は何件か回り、三浦芳一さんの家のインターホンを押しました。
金川真大は、「自転車がパンクしてるので手を貸して欲しい」と三浦さんにお願いします。
三浦さんが背を向けた瞬間、金川真大は三浦さんの背中を包丁で刺しました。
金川真大は、マウンテンバイクを置いて返り血を浴び逃走しました。
経緯②指名手配されるも逃走を続ける
マウンテンバイクを置いたことなどからすぐに警察に身元が割れ、金川真大は指名手配になります。
金川真大は、スーツに着替え理髪店で頭を丸め、身元が分からないようにしました。
そして、3月19日〜3月22日秋葉原のホテルで身を潜め、ゲームなどをして過ごしています。
金川真大は度々、「犯人はオレだよ、早く捕まえてごらん。」など110番をかけて警察を挑発していました。
経緯③荒川沖駅にて男女5人を殺傷
3月23日に金川真大は、神田のホテルに潜伏します。
そして午前11時ごろ、荒川沖駅で金川真大は、改札付近にいた男子高校生の首元をナイフで刺しました。
その後、金川真大は男子高校生含む計8人をナイフで刺したり切りつけたりしています。
被害者の一人、山上高広さんは首をナイフで刺され、死亡しました。
経緯④交番に出頭して現行犯逮捕される
現場から逃走した金川真大は、荒川沖地区交番に向かいます。
金川真大は、自首しようとしました。
しかし、交番には警察がいません。
そのため、金川真大は備え付けの電話で「犯人はオレです。早くしないと犠牲者が増えますよ。」と警察に言いました。
その後、警察官によって現行犯逮捕されました。
この時、金川真大は抵抗せずすんなりと取り押さえられたようです。
金川真大は父親とは他人のような仲だった!
金川真大の生い立ちは、通り魔殺人から最期の死刑に至るまで壮絶なものでした。
金川真大の父親は、仕事が第一で子供のことを考えていなかったようで、金川真大は父親とは他人のような仲だったようです。
人生に影響するのは家庭環境だけではないとはいえ、これからこのような事件が起こらないと良いですね。