【日本事件史上一番恐ろしい事件】おせんころがし事件がヤバい?栗田源蔵や長女のその後も徹底調査!

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みなさんは「おせんころがし」という事件をご存知でしょうか。

おせんころがしとは千葉県にある場所の名前で、1952年に「日本事件史上一番恐ろしい」とも言われる事件が起こった場所です。

ーこの記事でわかることー

  • おせんころがし事件の真実
  • 加害者栗田源蔵の素性やその後について
  • 幸運にも生き残った長女のその後について

おせんころがし事件の真相について、上記の内容を詳しく紹介していきます!

 日本事件史上一番恐ろしい事件!おせんころがし事件とは?

おせんころがし事件は、日本事件史上一番恐ろしい事件として知られています。

おせんころがし事件とはどんな事件だったのか、おせんころがしとはどんな場所なのか、解説していきます。

おせんころがし事件①栗田源蔵が親子に声をかける

1952年、ある母子四人が、行商に出たまま行方不明になっていた夫を探すため、千葉県の上総興津駅に降り立ちました。

犯人の男は、言葉巧みに四人を誘い出し、崖の上へと連れ出します。

そして深夜の断崖絶壁の上から長男と長女を投げ落とし、母親を強姦した上、背中に背負っていた次女もろとも崖から投げ落としました

さらに、犯人は崖の途中で引っ掛かって止まっていた被害者を執拗に追いかけ、石で顔面を殴ってとどめをさしたそうです。

事件が起こった崖の名前から、この事件は「おせんころがし事件」と呼ばれており、その残虐さから日本事件史上一番恐ろしい事件と言われています。

おせんころがし事件②親子殺害後、崖へ突き落とす

おせんころがしとはどういう場所なのでしょうか?

実は、ある伝説が名前の由来になっています。

昔、この近くに「おせん」という娘が住んでおり、強欲な父親を改心させるために崖から身投げしてしまったそうです。

この娘の名前から、この崖は「おせんころがし」という名前になりました。

おせんころがし事件③長女が生き残る

崖から投げ落とされた三人ですが、そのうちの一人である長女は奇跡的に生き残り、軽傷で済みました

長女は他の二人の被害者同様崖から投げ落とされましたが、崖の途中で引っ掛かり、海まで転落することを逃れたそうです。

また、犯人はとどめを刺すため、転落した三人を執拗に追いかけて石で殴ったりしましたが、長女は崖の陰に隠れたことで難を逃れました。

おせんころがし事件④別の事件がきっかけで栗田源蔵が逮捕

 

おせんころがし事件の犯人「栗田源蔵」は凶悪な連続殺人犯?

残虐な事件を起こした犯人である栗田源蔵ですが、これ以外にもさまざまな事件を起こしていたようです。

栗田源蔵の生い立ちや、他に起こした事件について追っていきます。

おせんころがし事件の犯人「栗田源蔵」の生い立ちがやばい?

栗田源蔵は秋田県で12人兄弟の三男として生まれました。

家庭は貧しく、両親からあまり愛情を受けられず育ったようです。

また、彼は夜尿症に悩まされることになります。

これが原因で、小学校ではいじめにあい三年で中退、その後の奉公先でも夜尿症と窃盗が原因で繰り返し場所を変えることとなったのです。

①2女性殺害事件

窃盗などの犯罪を幼少期から行っていた栗田源蔵ですが、大人になるにつれ性犯罪を中心に繰り返すようになりました

一つ目は1948年の2女性殺害事件です。

栗田源蔵は、二人の女性と同時に婚約をしていました。

この二人の女性は友人どうしで、一人の女性に結婚を迫られた栗田源蔵は、性交後に首を絞めて殺害します。

さらに、もう一人の女性に自首を勧められると、その女性も殺害したのち、屍姦に及んでいたのです。

②小山殺人事件

二つ目は1951年、栃木県の小山で起きた小山事件です。

家の窓から見えた赤ちゃんと寝ている母親に欲情した栗田源蔵は、家に侵入し、母親を強姦しながら首を絞め殺害しました。

一緒に寝ていた赤ちゃんは幸いにも無事でした。

そして驚くことに、殺害後にももう一度屍姦に及んでいたようです

③検見川殺人事件

小山事件の翌年1952年には、検見川殺人事件を起こしています。

この事件では、アパートに住んでいた当時63歳の主婦と、24歳の姪が殺害されました。

叔母である主婦の方は刃物で腹部を刺されており、姪は首を絞められていたのです。

また、姪は殺害される前に強姦された形跡があり、他の事件同様強姦目的での殺害だったと思われます。

おせんころがし事件後の栗田源蔵とは?

さて、凶悪な強姦殺人事件を繰り返した栗田源蔵ですが、事件のあとはどうなったのでしょうか?

検見川事件を起こした際、栗田源蔵は別の窃盗容疑で指名手配されており、義弟の家に匿われているところを逮捕されました。

その後、検見川事件の捜査の中で血のついた包丁から指紋が見つかり、検見川事件の犯人としても逮捕されることになります。

そこから他の事件についても捜査が行われ、連続殺人犯として罪を追及されることになりました。

栗田源蔵は日本で唯一2回死刑になった犯罪者?

栗田源蔵は、1952年8月に検見川事件の判決として死刑を言い渡されています。

翌年、検見川事件以外の殺人事件の判決として、こちらも死刑が言い渡されました。

同時に二つの死刑を言い渡されるのは非常に珍しく、1994年に勝田清孝事件で死刑が確定するまでは日本で唯一の事例だったのです。

栗田源蔵は仙台拘置支所に

判決ののち、栗田源蔵は身柄を宮城県の刑務所である仙台仙台拘置支所送られました。

死刑判決が下った後の栗田源蔵は衰弱が激しかったと言われています。

1959年に死刑執行

1959年の10月14日、32歳の栗田源蔵の死刑が執行されました。

複数の事件の合計でなんと8人もの命を奪い、2つの裁判所からそれぞれ死刑判決を宣告された栗田源蔵。

日本の一審で2回死刑を宣告された凶悪犯の栗田源蔵は、死刑によってこの世を去りました。

おせんころがし事件の犯人は栗田源蔵!長女のその後と生い立ちが衝撃的だった!

おせんころがし事件の生き残り、長女の現在とは?

前半でも少し述べた通り、おせんころがし事件の三人の被害者のうち、長女は軽傷で生き残っています

当時9歳だった長女は現在、どう過ごしているのでしょうか。

現場検証に立ち会った?

おせんころがし事件の現場検証が行われた際、生き残った長女は現場検証に立ち会ったと言われています。

現場検証の際、長女は肩を震わせ泣いていたそうです。

母と兄弟を目の前で殺され、自分も崖から落とされ殺されかけた長女の気持ちは、想像に余りあります。

おせんころがし事件の唯一の生き残り長女の現在とは?

そんな長女の現在ですが、現在生存されているならば70歳は超えています。

しかし、事件後はどこでどう過ごされているかは、まったく明かされていません

このような残虐な被害に遭い、心に傷を負っていることは確かでしょう。

【閲覧注意】現在のおせんころがしは心霊スポットに?

現在のおせんころがしは、心霊スポットとなっています。

理由としては、「おせん」が自ら身を投げ命を絶った場所であることや、親子三人が突き落とされる残虐な殺害事件が起きていることなど、悲劇的なエピソードに事欠かないためと言えるでしょう。

特におせんころがし事件は、そう遠い昔ではない最近に起こった実話であるため、怖さも増します。

また、現在でもこの場所は断崖絶壁となっており、身を投げたりするつもりがなくても足を滑らせれば命を失うような危険な場所です。

特に視界の悪い夜などに訪れる際は、細心の注意が必要といわれています。

心霊スポットに興味があるけど、実際に行くのは怖い!という方は、以下の動画で実際の映像が紹介されていますので、ご覧になってはいかがでしょうか。

苦手な方は閲覧注意です!

おせんころがし事件が映画化される可能性も?

心霊好きの間では、おせんころがし事件への興味が深い方も多く、下記ツイートのようにおせんころがし事件の映画化を望む声もあるようです。

実話をもとにした映画となれば、よりリアリティが増すのでしょう。

また、「Gメン’75」というドラマに出てくる凶悪犯は、おせんころがし事件の犯人である栗田源蔵がモデルであるという意見もあります。

こちらのドラマは実話ではなく、栗田源蔵がモデルというのも真偽は不明です。

それでも、映画化を望まれたり、映画のモデルであると言われているほど、人々の印象に強く残っている事件だということではないでしょうか。

 おせんころがし事件の犯人は歴史に残る凶悪犯罪者

今回は、日本事件史上一番恐ろしいといわれるおせんころがし事件について解説してきました。

猟奇的なおせんころがし事件。

現在も栗田源蔵のように、親からの愛情が不足し事件を犯す犯罪者が増えています。

このような悲しい事態を起こさないような社会になることを願うばかりです。