この墜落事故では、お盆の帰省時期と重なったこともあり520名の多くの犠牲者を出してしまいました。
有名人も多く搭乗しており、失われた犠牲は計り知れなかったことでしょう。
- 坂本九:「上を向いて歩こう」などで知られる超大物歌手。享年43歳
- 中埜肇:阪神タイガース球団社長。享年63歳
- 浦上郁夫:ハウス食品工業の2代目社長。享年47歳
- 北原遥子:宝塚の女優。享年24歳
- 竹下元章:元広島カープのキャッチャー。享年47歳
死亡した坂本九さんについて詳しく知りたい方は、下記記事を参考にしてみてはいかがでしょう。
目次
日本航空123便墜落事故を回避した芸能人もいた?
当日搭乗予定だった有名芸能人では、明石家さんまさん、逸見政孝さん、ジャニー喜多川さん、少年隊の3名もいたといいます。
しかし幸いにも満席だったり予定の変更があったりで乗ることはなかったそうです。
また、当時宝塚の麻実れいさんは、自分が乗る予定だった日航機123便のチケットを北原遥子さんに譲ったといわれています。
悲運なことに、北原遥子さんは墜落事故の犠牲となってしまいました。
日本航空123便墜落事故の生存者はいる?
123便には、乗客乗員合わせて524名が搭乗していました。
このうち死亡者数は520名にのぼり、生存者はたったの4名でした。
日航機墜落事故の生存者
- 川上慶子さん (当時12歳)
- 落合由美さん (当時26歳)
- 吉崎博子さん (当時34歳)
- 吉崎美紀子さん(当時8歳)
山奥に墜落したことや時間が遅かったこともあり、捜索開始まで11時間もかかってしまったといいます。
生存者からは「救助が早ければ、もっと多くの人たちが助かった」との証言もあり、墜落直後は4名以外にも、多くの人が生存していたといいます。
生存者たちはいずれも機内後方に座っていたようで、助かった理由は座席の場所に関係していたようです。
日本航空123便墜落事故の原因は?
後に詳しい事故調査が行われましたが、事故の原因として機体後部圧力隔壁の修理ミスがあげられました。
この修理ミスにより、大量の高速空気が機内から流出、制御装置や補助エンジン、垂直尾翼の破損に繋がってしまったのです。
第二の原因は、4系統ある油圧制御を集中制御している油圧制御装置が破損し制御不能になったこと。
この事案は管理不良、手順の不遵守、不注意、検討不足による事例として、今もしっかり意識され安全対策が講じられています。
福田機関士と日本航空123便墜落事故に謎も残る?
日本航空123便のボイスレコーダーには、福田機関士と自衛隊機との会話「あぁ、貨物のところですね」という内容の交信記録が残されていました。
さらに航空自衛隊の戦闘機も、123便と並走して損傷を教えていたそうです。
ですが墜落現場を翌朝まで探すことが出来ず、結果救助は大幅に後れを取ることになってしまいました。
なぜ通信もしていて、戦闘機で並走しているのにも関わらず、墜落現場を発見することが出来なかったのでしょうか。
JAL123の520人死亡は、初期原因の如何にかかわらず、その後の日本政府の対応により発生したと言える。機長らは①羽田空港帰還、②東京湾不時着、③横田米軍基地不時着のどれも可能で大部分が助かったはず。にもかかわらず、御巣鷹の尾根に誘導され激突で大虐殺となったhttps://t.co/cfS8hWsblZ pic.twitter.com/5IE8mbPxrE
— 青山貞一 (@TeiichiAoyama) August 11, 2023
日航機 墜落事故 直前に犠牲となった乗客が、機内から外を撮影した黒い謎の物体の写る写真と墜落直前の機内の様子。
墜落寸前のボイスレコードを聞くと日本語で話していたベテラン機長は、突然、英語での交信をしていた。
この日航機墜落事故にまつわることは、不思議なことが、いっぱいです。 pic.twitter.com/tNscHjojd1— 日々思うこと (@EleganceComfort) November 14, 2023
SNS上でも、謎が多い事件として取り上げられていました。
「福田機関士」はむしろ検索されるべきとの声も?
検索してはいけないとされている「福田機関士」ですが、あえて検索するべきだという声も多く上がっています。
現代では飛行機は、バスや電車と比べると非常に安全な乗物と言われています。
この「日本航空機123便墜落事故」があり、航空機の安全管理が徹底されたからではないでしょうか。
日本航空では2006年に日本航空安全啓発センターを開設、同じ事故を起こさない為に努力を続けています。
また、現在親族の方々の高齢化も進み、慰霊登山参加者も少なくなってきているそうです。
この悲惨な悲劇を「風化」させないためにも、悲惨な日航機墜落事故は検索されるべきなのかもしれません。
日本航空123便墜落事故は、風化させてはいけない!
「日本航空123便墜落事故」ですが、2023年で38年目を迎えました。
当時の事故現場では救助の遅れにより、多くの生存者が救助前に命を落としてしまう結果となってしまいました。
複数の頭部がめり込み、目が3つになってしまったご遺体や、焼け焦げた地面に横たわる炭化してしまったご遺体など、現場はとても悲惨な状態だったと語り継がれています。
この事故は決して風化させてはいけませんし、同じ事故は二度と発生しないよう願うばかりです。