チェッカーズメンバー死亡!解散理由・クロベエの死で発覚した確執は誰が悪い?

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80年代に数々のヒット曲を飛ばし、アイドル的人気を得て社会現象を巻き起こしたチェッカーズというバンドをご存知でしょうか?

すでに解散してしまいましたが、解散理由はメンバー間での確執とされていて現在でもそれは解決されていません。

確執が判明したのは、2004年にはメンバーのクロベエごと徳永善也さんが40歳という若さで亡くなってお別れ会を行った時で、特にメンバーの藤井フミヤさんと高杢禎彦さんの確執はかなりセンセーショナルに報じられました。

今回は、チェッカーズの解散理由と確執理由について解説していきます。

チェッカーズメンバー死亡はクロベエ?送る会で発覚したヤバい確執とは?

2004年にチェッカーズメンバーでドラムのクロベエこと徳永善也さんが亡くなった際、チェッカーズのメンバーの深刻な確執が発覚しました。

何と一部のメンバーが、徳永さんのお別れ会の際にメンバーとして出席が許されなかったのです。

その後、メンバー同士の方向性の違いや金銭的な問題など、様々な問題が浮上して現在では関係の修復も難しく、将来の再結成も不可能に近い形となっています。

もちろん活動を進めるにつれて、目指す方向が変わってきたりなどバンドには色々あるかと思いますが、チェッカーズの場合はかなり根深い問題になっていたようです。

一体どうして、このようなことになってしまったのでしょうか?

ここからは、クロベエこと徳永さんが亡くなって以降に発覚したチェッカーズメンバーの確執について解説していきます。

チェッカーズメンバーで死亡はクロベエ!舌癌が原因?

クロベエこと徳永善也さんは、2004年8月17日に40歳の若さで亡くなってしまいました。

死因は舌癌で、亡くなる1年前から癌と診断されて入退院を繰り返していたそうです。

徳永さんは解散後は一時期トラック運転手をしていた時期もあったそうですが、2002年頃からチェッカーズ元メンバーの鶴久政治さんとライブなどで共演し、その後は同じくチェッカーズのメンバーだった武内享さんと大戸井祐二さん、藤井尚之さんと共に「アブラーズ」というバンドでも活躍しました。

解散後もメンバーと仲良く活動していただけに、突然の死は多くの人にショックを与えたのです。

2004年クロベエ(徳永善也)他界!看取ったメンバーは?

2004年に徳永さんが亡くなった際、チェッカーズのメンバーも徳永さんの最後を看取るために病院にいました。

この時病室にいたのは、先述したアブラーズのメンバーと藤井フミヤさんだったそうです。

また他にも、徳永さんと一緒にバンド活動をしていた隈富太郎さんという方も病室で最後を看取りました。

あまりに早すぎる死だったので、メンバーの悲しみは相当なものだったかもしれません。

クロベエの送る会でチェッカーズ確執が明らかに?

2004年の9月13日に、チェッカーズメンバーが発起人となった「送る会」がしめやかに行われました。

しかし、その送る会の発起人から元メンバーの鶴久政治さんと高杢禎彦さんの名前が無かったのです。

さらに驚くことに、鶴久さんと高杢さんは徳永さんの病室にも入れてもらえなかったことがわかりました。

これにより、チェッカーズのメンバー間での確執が表面化したことで、ファンを大いに失望させたのです。

クロベエ(徳永善也は亡くなる直前までメンバーの和解を求めていた?

こちらの記事にも紹介されていますが、徳永さんはチェッカーズ解散から3年後に芸能活動をストップして一時期は消息不明にもなりました。

そんな徳永さんにメンバーの鶴久さんはトラック運転手の仕事をすすめたことで、一時期は運送会社でトラックの運転手を務めていたこともあります。

その後はバンド活動を再開し、2002年に元メンバーと一緒に「アブラーズ」というバンドを結成するも翌年に癌が発覚し、わずか2年活動しただけで亡くなってしまいました。

このことからも、徳永さんはバンドの確執とは無縁だったのではと推測できます。

実際のところはわかりませんが、トラック運転手の仕事をすすめたのは送る会の発起人から外された鶴久さんですし、最後を看取ったのも高杢さんと鶴久さんを除いたチェッカーズメンバーでした。

チェッカーズの確執を、1番苦々しく思っているのは天国の徳永さんかもしれませんね。

チェッカーズの解散理由がヤバい?!確執は誰が悪い?

1980年に福岡県久留米市で結成されたチェッカーズは、1983年に「ギザギザハートの子守唄」でデビューすると、瞬く間に大ヒットし人気バンドの仲間入りを果たしました。

その後、「涙のリクエスト」、「ジュリアに傷心」など数々ヒット曲を生み出したチェッカーズは、1992年の紅白歌合戦を最後に惜しまれつつ解散します。

解散の理由に関しては、誰が悪いかなどまだ色々な憶測が飛び交っている状況です。

今現在でも仲が悪いとか、あの人とあの人に確執があるなど、まだまだ不明な点も多く見受けられます。

一体、本当のところはどういったことなのでしょうか?

ここからはチェッカーズの解散理由と、確執が起こった理由について解説をしていきます。

解散を持ち出したのは藤井フミヤ?お金が目的だった!?

チェッカーズのメンバーで、最初に解散の話を持ち出したのは藤井フミヤさんでした。

解散について語ったのは1991年のレコーディング中で、フミヤさんは他のメンバーに解散するかどうかを尋ねたそうです。

その結果、藤井尚之さんと大土井さん、武内さんは解散に賛成し、高杢さんは反対、鶴久さんと徳永さんは保留というのがそれぞれの考えでした。

そして結果的に、チェッカーズは解散してしまいます。

一部ではお金の問題で揉めたのでは?という噂もありましたが、「活動していく内にメンバー同士の方向性が変わったから」とリーダーの武内さんは語っていました。

やはり活動を続けていくにしたがって、考えが違っていくのは致し方無かったことかもしれません。

チェッカーズメンバーの相次ぐ結婚が解散を加速させた?

チェッカーズの解散理由として、メンバーの結婚が相次いだというのが理由とも噂されています。

1991年にメンバーで1番最初に結婚したのは、藤井フミヤさんです。

その後高杢さんと武内さんと鶴久さんと、メンバーが相次いで結婚しました。

しかし、高杢さんが後に発売した著書「チェッカーズ 」によると、フミヤさんは結婚後に夫人と海外にバカンスに行った後に突然解散をメンバーに告げたと書いています。

フミヤさんがこの時何を思っていたのかはわかっていませんが、フミヤさんは結婚して自分なりにチェッカーズの今後を考えていたのかもしれません。

ただこれは、あくまで高杢さんの側の気持ちから書かれた内容なので、その真実は不明です。

チェッカーズメンバー同士が殴り合い?解散を決定付けた?

チェッカーズの解散の理由の1つとして、メンバー同士で殴り合っていたという噂があります。

解散直前のチェッカーズは、フミヤ派(藤井兄弟、大土井、武内)と高杢派(高杢、鶴久)と2つの派閥に分かれていたと言われていました。

ちなみに、徳永さんは中立派でした。

ただ、実際に2つの派閥同士で殴り合いなどがあったかどうかはわかりません。 

メンバー高杢は解散したくなかった?

1991年にフミヤさんがチェッカーズを解散しようと提案した際、唯一解散を反対したのが高杢さんでした。

高杢さんと藤井フミヤさんは、保育園時代からの幼なじみだったそうです。

そして元々、高杢さんはフミヤさんを自身のバンドに強引に勧誘したことがきっかけで、チェッカーズが結成されたという過去があります。

つまりバンド内でのパワーバランスがアマチュア時代と完全に逆転してしまったことが、高杢さんには納得がいかなかったのかもしれません。

それに高杢さんは、サイドボーカルという立場ということで今後への不安もあったかと思われます。

高杢禎彦が禁断の暴露本を公開!解散理由と確執が明らかに?

2003年6月27日、高杢さんは自伝エッセイ「チェッカーズ 」を出版しました。

その内容は、高杢さんの癌の闘病に関してだけで無く、チェッカーズの活動や解散理由までの様子を赤裸々に書いています。

この本でチェッカーズの裏の様子を暴露したことで、メンバーの確執は強くなってしまいました。

特に本の中では藤井フミヤさんを痛烈に批判しており、解散の原因はフミヤさんにあると一方的に書き立てています。

本の内容が全て真実なのかは不明ですが、この本がきっかけで亀裂が入ったのは間違いありません。

チェッカーズメンバーの現在の活動は?再結成はありえる?

1992年に解散したチェッカーズですが、メンバーの現在の活動はどのようになっているのか気になる方も多いのではないでしょうか。

残念ながらドラムの徳永さんは癌で亡くなってしまいましたが、残された6人はそれぞれの道を歩んでいます。

その中には、ソロミュージシャンとした優れた才能を見せて活躍しているものもいれば、細々と活動を続けるもの、完全に芸能活動から卒業して別の道を歩んでいるものなど様々です。

解散から30年が経過しましたが、チェッカーズのメンバーはそれぞれどのような活動をしているのでしょうか?

ここからは、チェッカーズのメンバーのプロフィールと現在の活動状況について紹介します。

チェッカーズメンバー①藤井フミヤ

最初に紹介するメンバーは、メインボーカルでチェッカーズの象徴だった藤井フミヤさんです。

彼の前髪部分を長くして不揃いにした「チェッカーズカット」は、80年代に若者の間で大ブームを起こしました。

チェッカーズ解散後はすぐにソロ活動に転じ、解散翌年に「TRUE BLUE」がミリオンセラーを記録するなどソロアーティストとして不動の地位を築いています。

また芸術の面でも才能を発揮し、「FUMIYART」と銘した個展を開催したり、他アーティストへの楽曲提供や弟の尚之さんとともに「F-BLOOD」というユニットを組んだりと、多方面に活動中です。

チェッカーズメンバー②藤井尚之

続いて紹介するのは、サックス担当で藤井フミヤさんの弟でもある藤井尚之さんです。

チェッカーズのサックス担当として、サウンド面では欠かせない存在でした。

解散後は楽曲提供や、兄の藤井フミヤさんと共に音楽ユニット「F-BLOOD」としても活動しています。

チェッカーズメンバー③武内亨

続いて紹介するのは、チェッカーズのリーダーを担当していた武内享さんです。

ギター担当で、チェッカーズに藤井フミヤさんを誘った人物として知られています。

元々リーダーシップに長けていた人物で、チェッカーズを影で支え続けました。

2015年には、長男と次男が大麻取締法違反で逮捕され、長男はその後再逮捕されています。

現在でも、音楽プロデュースなどで音楽活動を続けているそうです。

チェッカーズメンバー④高杢禎彦

続いて紹介するのは、サイドボーカル担当の高杢禎彦さんです。

藤井兄弟とは小さい頃からの幼なじみでした。

解散後には胃癌を発症しますが、無事に回復しています。

2003年には自伝エッセイ「チェッカーズ」を出版し、チェッカーズの裏側や解散に至る過程などを高杢さんの視点で書かれたものとして話題になりました。

2004年に徳永さんが亡くなって送る会が開催された時には、発起人に入れなかったことからメンバー同士の確執が表面化し、ワイドショーでフミヤさんら発起人メンバーを批判しています。

現在は癌の闘病経験を語る講演活動や、奥さんの旅館の仕事の手伝いをして生活しているようです。

チェッカーズメンバー⑤大土井裕二

続いては、ベース担当の大土井裕二さんを紹介します。

元々別のバンドに加入してましたが、フミヤさんに誘われる形でチェッカーズに加入しました。

解散後は、アブラーズの活動やソロ活動を行っています。

また現在は自身のアパレルブランドや、かわさきFMで「大土井でラジオでショー!」という番組のパーソナリティーも行うなど多方面で活動中です。

2023年4月に体調不良で療養しますが、5月には退院し現在は元気に活動しています。

チェッカーズメンバー⑥鶴久政治

続いて紹介するのは、サイドボーカルでキーボードを担当していた鶴久政治さんです。

作曲能力に優れていて、「夜明けのブレス」「ミセスマーメイド」などの名曲を作曲したことでも知られています。

解散後は、徳永さんを送る会の発起人から高杢さんと共に外されるなどされたことで、「人の命より思い確執ってあるんですか?」と涙ながらに訴えたことが話題になりました。

その後は、ソロ活動に力を入れて、最近ではアイドルグループ「STU48」に提供した楽曲「花は誰ものもの?」という曲が44万枚の売り上げを記録するなど、作曲力は衰えていません。

チェッカーズメンバー⑦徳永善也

最後に紹介するのは、2004年に惜しまれつつ亡くなったドラム担当の徳永善也さんです。

「クロベエ 」の愛称で親しまれ、ひょうきんな性格でファンの人気も高いメンバーでした。

解散後は、音楽活動だけでなくトラック運転手として活動していた時期もあります。

その後は、「WILDーG」や「Little Bach」、「アブラーズ」といった幾つかのバンドで活躍しましたが、舌癌のため40歳の若さでこの世を去りました。

チェッカーズは今後再結成の可能性はあるのか!?

チェッカーズの解散から30年近く経ちますが、一部では再結成を望む声も上がっています。

しかし2023年現在、再結成の可能性は0に近いのではないでしょうか。

なぜなら、ドラムの徳永さんが亡くなっていることと、メンバー同士の確執が現在も継続していることがあるかもしれません。

とはいえフミヤさんも、以前は歌うことのなかったチェッカーズ時代の曲を自身のコンサートで歌うなど、以前よりは雪解けムードとなっているようです。

間も無くメンバー全員が還暦を迎えますが、少しでも和解が進めたらとは思いますね。

チェッカーズはメンバーの死をきっかけに確執が表面化!

今回は、80年代に一世を風靡したチェッカーズの、メンバー間の確執や解散理由について紹介してきました。

チェッカーズは解散後、2003年に高杢さんの自伝本の出版と2004年の徳永さんの死をきっかけにメンバー間の確執が表面化します。

ただ、誰が悪いのかについては個々で一方的な感情が渦巻いていて、詳しい真相はわかっていません。

再結成は望めないかもですが、今後の元チェッカーズの皆さんの活躍に期待したいですね!