【画像あり】根津甚八の息子は慶應医学部で確定!?医師候補の息子との関係や晩年の闘病生活は?

根津甚八息子 未分類

数々の舞台やドラマで活躍した名優根津甚八さん。

彼は1994年に根津仁香さんと再婚し、2年後には息子となる甲斐太(かいと)さんが生まれました。

2004年に交通事故を引き起こし、芸能界から遠のいていた根津甚八さんは、その後ブログを始めるも在りし日の俳優姿を見せることはありませんでした。

そんな根津甚八さんの息子は今何をしているのでしょう、医学部へ進んだようですが入学したのは名門の慶應医学部なのでしょうか。

根津甚八の息子が医師を目指した理由とは?現在は慶應医学部進学?

俳優根津甚八さんは、数々の病気に悩まされた俳優でもあります。

右目の下直筋肥大でまぶたが垂れるので、整形手術を繰り返し俳優活動を制限されたこともありました。

さらに、1993年の撮影時に落馬し腰椎を損傷してからは、椎間板ヘルニアも持病として持っていたようです。

さらに2004年には死者の出る交通事故を引き起こしてしまい、うつ病にも苦しんだといわれています。

そんな父親の姿をそばで見てきた根津甚八さんの息子は、病気に苦しむ父親の姿を見て医者を目指したともいわれていました。

根津甚八の息子は慶応大へ進学?!

根津甚八さんの息子は、2015年に有名な私立大学の医学部に進学しています。

学校名は公表されていませんが、最難関だったという情報から慶應義塾大学の医学部だったのではないかといわれています。

ちなみに、現在の私立大学医学部の上位は下記のようになっています。

学校名 偏差値
1位 慶應義塾大学 75.5
2位 東京慈恵会医科大学 71.7
3位 順天堂大学 70.7

もしも噂の通り慶應時塾大学の医学部に入学していたら、卒業後は医師や研究者など道は広く開かれています。

6年間の医学部を無事に卒業し、現在は研修医になってとのこと

父親とは違う医師の道を選んだ息子は、一般人という事で情報はあまり公開されていませんでした。

息子が慶応医学部を目指したのは父の闘病が切っ掛け!?

根津甚八さんは1993年の落馬事故から椎間板ヘルニアを引き起こし、右目下直筋肥大、うつ病など怪我や病気に苦しめられてきました。

自宅でも寡黙であったといわれており、闘病中も愚痴をこぼさなかったようです。

息子は幼いながらに、病気と闘う父親を気遣いわがままを言わなかったともいわれています。

父親の苦しむ姿を見て、病気を自分の手で治してあげたいと思っていたのかもしれません。

幼いころから英才教育を受け、将来には広い可能性が開かれていました。

根津甚八さんは、意図せずして息子が医師へ進むきっかけを作っていたのかもしれません。

2001年にはうつ病を発症!?交通事故を起こし被害者が死亡?

根津甚八さんは2004年にワイドショーを騒がす事件を起こしています。

7月6日目黒区の交差点で、彼が運転していた車が自転車に乗った67歳の男性をはね、死亡させてしまったのです。

被害者の通夜にも顔を出した根津甚八さんでしたが、足元をふらつかせ1人で立っていれない状態だったのだとか。

取材人もさすがに話を聞くことが出来ず、後に謝罪文が直筆署名入りのファクスでマスコミに届きました。

この事件を境に根津甚八さんは俳優業を休止しており、2009年にはブログを立ち上げていますが、俳優のオファーはすべて断っていたようです。

2001年から発症していたうつ病が悪化、ブログを立ち上げた翌年の2010年には引退宣言をしています。

根津甚八の死因はエコノミークラス症候群だった?!

2004年の事故のあとは椎間板ヘルニアが悪化し、手術を受けたようですが歩行に障害が残ったようで家では車いす生活をしていたようです。

そんな根津甚八さんは2016年に深部静脈血栓症と肺塞栓症によって肺炎を引きおこし死亡しました。

深部静脈血栓症はエコノミー症候群とも呼ばれ、同じ姿勢でいることで足の深層部にある静脈に血栓ができてしまうもの。

その血栓の一部が、肺まで流れてしまうと肺の血管をふさぎ肺塞栓症になります。

華やかな全盛期とは真逆の壮絶な闘病生活を送った根津甚八さん。

実は1年前の2015年に根津甚八さんの息子は医学部に合格しているのですが、同年根津甚八さんは映画「GONIN サーガ」に一作のみの復帰を果たしていました。

映画「GONIN サーガ」に出演した際には、共演者が圧倒されてしまうほどの演技をしていたといわれています。

息子の俳優への道は父親の願いだった?!

生前、息子の将来について尋ねられた根津甚八さんは「俳優がいいな」とこぼしていました。

親子で共演したりしたかったのかもしれません。

しかし妻の仁香さんは、2世として比較されることになる息子の芸能界入りに反対だったようで、さりげなく芸能界は大変なところだ、と話していたといいます。

仁香さんはそれだけ、俳優根津甚八さんの比類なき実力を認めていたのでしょう。

根津甚八さんの息子は、周囲に俳優への道を進められたこともあったようで、実際は悩んでいた時期もあったとのこと。

しかし最後は自分の意志で、医師への道を選んだのでしょう。

根津甚八さんは、息子が医学部に入学した年、不屈の精神で1作だけの映画復帰をしています。

映画「GOINGサーガ」でみせた迫真の演技は、医学の道へ進む息子への最高のエールだったのかもしれません。

根津甚八と息子との確執!?幼少期はスパルタ教育が原因で最悪の仲?

根津甚八さんと妻の根津仁香さんの間には、息子が一人います。

妻の根津仁香さんは、空間デザイナーやブライダルコーディネーターなど多彩な才を持つ女性で、今は「Jinka Nezu」というブランドを立ちあげ、ジュエリーデザイナーとして活躍しているようです。

そんな彼女は、かつて息子の教育についてスパルタだったことを語っていました。

さらに根津甚八さんと息子は、一緒に食事に行ったこともなかったのだとか。

ふたりの間には親子の確執があったのでしょうか。

根津甚八の息子は小さい頃から勉強漬けに?親らしいことは何もしなかった?

根津甚八さんはかなり教育熱心だったようです。

息子の教育に関しては、妻の仁香さんが後に話しており、子供の最初のレールは親が敷くべきであり、子供の可能性を広げてあげたかったとのこと。

おそらく父親である根津甚八さんも、同じ思いだったのではないでしょうか。

1996年に生まれた根津甚八さんの息子は、父親が体調を崩し始めた2002年にはまだ6歳、その後うつ病を発症した根津甚八さん。

父親と旅行に行ったり、食事に出かけたりすることは一度もなかったといいます。

しかし、父親である根津甚八さんが苦しんでいることを理解し、幼い息子は甘えたいのを我慢しわがままをいう事はなかった、と仁香さんが振り返っていました。

幼いころから勉強漬けで、確執が生まれたのではないかと噂されていましたが、父子間で確執が生まれることはなかったようです。

小学校受験が過酷だった!?毎日の課題として紙50枚分の問題を解かせていた?

根津甚八さんの息子は小学校受験を経験していますが、幼児期の受験勉強はなかなか過酷だったといわれています。

妻仁香さんによると、幼稚園に行く前は紙50枚分の問題をやっていたのだとか。

幼稚園児が50枚もの課題を毎日やるというのは、相当な気力と体力が必要です。

しかも幼稚園にいく前、朝にやる分量として考えると驚きの量ではないでしょうか。

年々加速する小学校受験、今まさに中学校受験が問題視されていますが、子供たちの負担も年々重くなっているのでしょう。

根津甚八さんは寡黙な性格で、病気で苦しんでいても愚痴をこぼすことはなかったといいます。

その父親同様に、根津甚八さんの息子も我慢強い性格とのこと。

当時まだ元気だった根津甚八さんも、妻仁香さんと共に朝の勉強に力を入れていたようです。

根津甚八の息子はイケメンと話題に?画像や名前が公開されている!?

根津甚八さんの息子は、かなりイケメンなのではないかと騒がれていました。

若かりし頃の根津甚八さんは女性ファンに押しかけられ、劇団をやめざるおえなかった程の人気ぶりでした。

妻の根津仁香さんも整った顔立ちをしており、息子の画像はないものかと多くのファンが探しています。

息子は父親譲りのイケメン?!名前や画像が公開されている?

根津甚八さんの人気は伝説になっているようで、きっと息子もイケメンに違いない、といわれていました。

2010年に妻の根津仁香さんは、「根津甚八」という回顧録を出版しましたが、その中で息子の名前が「甲斐太(かいと)」であることを公表しています。

しかし、甲斐太さんは一般人として生きる道を選択しているので、画像などは公表されていません。

大学試験や研修医という大変な立場だったからこそ、世間の目に晒すことはしたくなかったのではないでしょうか。

今後、甲斐太さんが自らの意志で、根津甚八の息子として人前に出てくることがあるかもしれません。

根津甚八の実家が凄すぎる?医者への道は家系が関係していた!?

根津甚八さんの息子が医学部に進み、今は研修医となっていますが、実は家系にも影響されているようでした。

根津甚八さんの家系は医者ばかりだった、といわれていますが、調べてみると彼自身も医者候補として教育を受けていたことがわかりました。

凄すぎる医者家系の真相を見ていきましょう。

根津甚八の実家は医者だらけ?さらに妻の実家も医者?!

根津甚八さんの父親は戦争前に都内で歯科医院を開業し、戦後は山梨県都留市で歯科医院を開業しています。

また兄弟4人のうち上の兄と下の弟も歯科医院を開業しているようで、根津さんの一家は開業医家系と言えるでしょう。

根津甚八さん自身も日本大学第三高等学校という偏差値66から69ほどの高校を卒業しており、親が英才教育をしていてことが伺えます。

さらに妻仁香さんの父親も医者だといわれています。

根津甚八さんの息子が医者の道に進むのは、ごく自然の流れなのかもしれません。

妻仁香さんは現在、ジュエリーデザイナーとして活躍しています。

根津甚八の兄弟も医者?根津甚八だけが特殊な存在だった?!

根津甚八さんは、役者を目指すと宣言した時家族から大反対をされたと語っていました。

当然父親は医師の道へ進んでもらいたかったはずです。

そんな根津甚八さんの兄は開業医として「根津矯正歯科クリニック」を川崎で開いています。

また弟が開業したのは、鎌倉にある「根津矯正歯科」ではないかといわれているようです。

役者の道へ進んだ根津甚八さんは、医師家庭の中で特別な存在だったといえるのかもしれません。

根津甚八の息子は研修医として頑張っている

根津甚八さんの息子は、医学部に進み現在は研修医になっているとの事でした。

教育熱心だった根津甚八さん、俳優になってほしいという本心をこぼしながらも、息子の将来の幅を大きく開いてあげたのでしょう。

幼年期から努力を続けた息子は、多くの選択肢の中から医者という道を自ら選んだようです。

医者になった息子の姿を見ることなく、この世を去った根津甚八さんですが、遺作となった映画の中の演技は語り継がれる名演技となっています。

親としての生き方を、しっかり息子に伝える事ができたのではないでしょうか。