ひふみんの若い頃が超イケメン?伝説エピソード6選と経歴・現在がすごすぎる?

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「ひふみん」さんをご存知でしょうか?

「ひふみん」さんとは、加藤一二三さんといい、将棋界で63年間活躍された、元プロ棋士です。

現役時代の「ひふみん」さんは、天才棋士として長年将棋界に君臨してきましたが、2017年6月20日に現役引退しました。

「ひふみん」の若い頃が、超イケメンだったと盛り上がっているのです。

一説によると、超人気の俳優の「菅田将暉さん」に似ているといわれています。

これから「ひふみん」さんの若い頃のエピソードを紹介していきます。

目次

ひふみんの若い頃がイケメンすぎる?若い頃3選!

「ひふみん」さんの若い頃のお写真がインターネットに掲載されていますが、「かっこいい」「イケメン」というコメントが多くあります。

東京都渋谷区千駄ヶ谷にある将棋会館の1階の売店では、藤井壮太7冠の扇子や関連グッズが飛ぶように売れています。

もし「ひふみん」さんはデビューされた1954年に関連グッズが販売されていたら、飛ぶように売れたといわれています。

イケメンのプロ棋士ですから、当時女性を中心としてファンも多かったのではないでしょうか。

若い頃の「ひふみん」さんは、藤井聡太7冠に匹敵するぐらいの人気を誇っていたことでしょう。

①ひふみんの若い頃が超イケメン?

「ひふみん」さんこと加藤一二三さんの若い頃は、たいそうな「イケメン」であったとインターネットのメッセージを見受けします。

テレビ朝日の長寿番組「徹子の部屋」に「ひふみん」さんがゲストで出演したとき、MCの黒柳徹子さんが「すごく若い時はハンサムでいらっしゃって」と紹介させるほどでした。

また、学生時代、プロ棋士として忙しかった自分のために、ノートをとってくれた献身的な同級生の女の子がいたそうです。

なんと、献身的な同級生の女の子が、現在の奥さんです。

駒を打っている時は正に誰よりも真剣そのものであり、戦後の将棋界を牽引した「ひふみん」です。

将棋に対する真剣さと情熱さが「イケメン」「カッコいい」にリンケージしているのでしょう。

ひふみんは若い頃モテモテだった?

「ひふみん」さんこと加藤一二三さんの若い頃のお写真がインターネット上に掲載されていますが、そのお写真が人気俳優の「菅田将暉さん」に似ていると噂が流れています。

最近、「ひふみん」さんの若い頃のお写真が「イケメン」「カッコイイ」と話題になっています。

「イケメン」「カッコイイ」お写真が掲載されています。

さらに、14歳の若さでプロ棋士デビューをしているので、モテモテだったと思います。

「ひふみん」さんは謙虚な方なので、モテモテを否定されていました。

「ひふみん」さんは、前章で紹介した奥さんと若い頃に結婚されています。

本業のプロ棋士と家族愛に満ちていたのでしょう。

②ひふみんは若い頃から活躍!14際でプロ入り!

「ひふみん」さんは、1954(昭和29)年8月1日に14歳7か月(中学生)でプロ棋士の資格に合格しました。

なんと、4年後の1958(昭和33年)に8段に昇格しています。

さらに、1982(昭和57)年には「名人」のタイトルを獲得しています。

現在の将棋のタイトル戦は和服で袴姿が定着していますが、当時の「ひふみん」さんは、スーツを着こなして対局しています。

着こなしと、対局中の厳しい表情が「イケメン」度を倍増されているようです。

参考ですが、「ひふみん」さんは、2018(平成30)年に「旭日小綬章」の勲章を受賞しています。

③ひふみんの喋り方は若い頃から変わらない?

「ひふみん」さんがお話をされるときは、特徴があります。

「ひふみん」さんはの喋り方は、いつから特徴のある喋り方になったのでしょうか?

プロ棋士デビューされたときから、同じ調子でお話をされています。

NHKのEテレ(昔の教育テレビ)で解説されたときも、お話する内容がハイレベルなうえ、早く口調で多くお話になるので、視聴者は理解できないことがあったようです。

「ひふみん」さんは、天才棋士といわれました。

そのため、頭の回転が速すぎて、お喋りする速度が頭の回転速度についていけないようです。

デビュー当時の藤井壮太7冠も「ボソボソ」のお話し方でした。

天才棋士のみなさんは、お喋り方に特徴があるようですね。

ひふみんの伝説エピソード6選!勝利への執念がすごすぎ?

「ひふみん」さんこと加藤一二三元九段は、伝説のエピソードが多くあるようです。

14歳でプロ棋士デビューをした天才棋士ですが、「くすッと」としてしまうエピソードがあり、棋士のお仲間やファンの皆さんから愛させています。

これから「ひふみん」さんのエピソードを紹介していきます。

伝説①ひふみんアイが物議を呼んだ?

「ひふみん」さんのエピソードの代表格といえる行動が「ひふみんアイ」です。

「ひふみんアイ」とは、「ひふみん」さんの愛、「ひふみん」さんの眼ではありません。

「ひふみんアイ」は対局者の後ろに回り込み、対局者の目線で局面を思考することです。

「ひふみん」さんは、対局者の座席から局面を見ることで、イメージ外の手が見えるそうです。

将棋の対戦に限定せずに、ビジネス等で行き詰ったとき、別の視点や観点で再考することは大切なことです。

伝説②ひふみんは対局中の食べ物は決めている?

「ひふみん」さんは、対局中の食事は必ず「鰻重」と決めています。

以前は、天婦羅定食・鍋焼き饂飩を注文した経緯がありました。

しかし、天婦羅定食は注文してから届くまで時間を要したことがあったようです。

また、鍋焼き饂飩は、熱すぎてすぐに食すことができなかったようです。

その点、「鰻重」は比較的早く届き、熱さを気にせずに食べることができます。

さらに「鰻重」は、スタミナ食であることと、白飯なので腹持ちよいことが気に入ったようです。

対局が長くなったときは、ランチに「鰻重」、夕飯も「鰻重」を注文されることが多くあったようです。

伝説③ひふみんは対局中に食べ過ぎ?

「ひふみん」さんは対局中によくおやつを食べるようでした。

  • 板チョコ10枚を数枚まとめてバリボリと食べた。
  • 王位戦のランチで「寿司・トマトジュース・オレンジジュース・ホットミルク・天ざる蕎麦」を注文し、3時のおやつで「メロン・スイカ・ホットミルク3杯・ケーキと・桃」を注文して完食。
  • 夕食で「牡蠣フライ定食とチキンカツ定食」注文して、対戦相手をビビらせる。
  • みかんゼリーを10秒で完食する。
  • 負けたら引退といわれた対局で、たくさんのチーズを持ち込んで食べまくる。
  • 魔法瓶に2本にカルピスを入れてきた。
  • タイトル戦でケーキを3つ注文したが、3つ完食した。

将棋は頭脳戦ですので、そうとうお腹が空くようです。

伝説④米長邦雄との十段戦で食べるミカンの量で張り合った?

1981年の米長邦雄さんとの十段戦では、みかんを食べた量で競い合ったエピソードがあります。

当時の十段戦では、山盛りのみかんを注文して、2時間以上にみかんバトルを繰り広げました。

前章で紹介しましたが、「ひふみん」さんは大食漢であることがわかったと思います。

何と1981年の米長邦雄さんとの十段戦では、記録係を含めた3人でみかんバトルがあったのです。

その日の「おやつは何にされますか」という係の者の問いに「あっ!ええ!ミカンをお願いします!皿に一杯で!ハイ!」と「ひふみん」さんが注文しました。

すると米長邦雄さんは対抗し「加藤さんと同じものを。量は加藤さんのより多くしてね」と一言付け加えたことで、みかんバトルが始まったのです。

なんとみかんバトルは2時間以上続きました。

記録係が「みかん臭くて死にそうです。」と助けを求めたようです。

米長邦雄さんはみかんバトルに負け、本戦も負けたエピソードがありました。

伝説⑤ひふみんは滝を止めさせた?

「ひふみん」さんは、対局中に「滝の流れを止めさせた」ことがあります。

将棋のタイトル戦は、全国各地の旅館を会場にして対局をしています。

「ひふみん」さんは、庭にある滝の流れる音が気になったようで、責任者に「滝を止めてくれ」と指示をしたのです。

テレビ中継もあるタイトル戦で、日本庭園の滝を止めてくれと指示した棋士は、「ひふみん」さん以外にいないようです。

伝説⑥ひふみんは温度管理を徹底?

「ひふみん」さんはエアコンの設定温度を24℃にします。

大食漢が故かわかりませんが、「ひふみん」さんは暑がりで対局中にエアコンの温度を24℃にします。

当時の対戦相手の三浦弘行棋士は寒がりでしたので、エアコンの設定温度を上げたのです。

ここから、エアコンの設定温度争奪戦が始まります。

「ひふみん」さんが攻撃中のときに、三浦弘之棋士はエアコンの設定温度を上げる。

反対に、三浦弘之棋士が攻撃中のときは、「ひふみん」さんが設定温度を下げていました。

なんとも、ユニークなエピソードです。

ふみんの経歴5選!すごすぎる?

「ひふみん」さんこと加藤一二三九段は、還暦を過ぎた62歳でもA級棋士でした。

将棋界は、順位戦というランク付けがあります。

上からA級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組と5ランクあります。

A級の優勝者がタイトル戦の挑戦権を得ることができます。

テレビ放送やテレビニュースになる大きなタイトル戦です。

「ひふみん」さんこと加藤一二三九段は、18歳でA級へ昇格して36期務め上げました。

経歴①ひふみんは当時の歴代最年少でプロ入り!

1954(昭和29)年8月1日に「ひふみん」さんは、14歳7ヶ月の若さでプロ棋士デビューしました。

当時、史上最年少棋士の記録を更新したと話題になったようです。

しかし、2016年に藤井壮太さんが、14歳2ヶ月でプロ棋士デビューをしました。

藤井壮太さんは「ひふみん」さんが守り続けていた「史上最年少棋士記録」が62年ぶりに更新したのです。

「ひふみん」さんは「記録は更新されるもの」とコメントされていました。

経歴②ひふみんは18際のとき最年少でA級に昇格!

「ひふみん」さんこと加藤一二三棋士は、1958年に18歳3カ月の最年少でA級に昇級しました。

プロ棋士には、順位表というクラス分けがあり、C級2組から始まり、C級1組→B級2組→B級1組→A級に昇級します。

1954年に14歳7ヶ月でプロ棋士デビューをしていますので、毎年昇級しないと1958年にA級に昇級できません

昇級は各級で上位の成績を残さないと昇級できません。

この最年少昇級記録は、藤井聡太棋士も成し遂げられなかった記録です。

経歴③ひふみんはタイトルを8期獲得!

「ひふみん」さんはタイトルを8期獲得しました。

内訳は下記のとおりです。

  • 名人:1982年に1期。
  • 王位:1984年に1期。
  • 棋王:1976年~1977年に2期連続。
  • 王将:1978年に1期。
  • (旧タイトル)十段:1968年、1980年、1981年に3期です。

経歴④通算対局数が歴代1位!多くの棋士と対局!

「ひふみん」さんこと加藤一二三元九段は、通算対局数が歴代1位で、多くのプロ棋士さんと対戦しています。

14歳7ヶ月から63年間、現役のプロ棋士として活躍されましたので、多くの記録があります。

対局数:2,505局(歴代1位)

勝数: 1,324勝(歴代4位)

敗数: 1,180敗(歴代1位)

両者の合意によって対局を中断して「持将棋」となった1対局があるので、「勝数+負数=対局数」にはなりません。

経歴⑤2017年:ひふみんは現役引退!

「ひふみん」さんこと加藤一二三九段は、残念ながら2017年6月20日に現役を引退されました。

プロ棋士界にはA級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組の順位戦というクラス分けがあります。

順位戦下位のC級2組に在籍している場合、成績が悪いと降級点が加算されます。

この降級点が3つ貯まってしまうと強制的にフリークラスに移籍することになります。

C級2組で、3年間成績が悪い成績は続くとフリークラスに落ちてしまうことになります。

フリークラスは、固定給(棋士の給与)が支給されず、一般的なフリーランス状態と同じ扱いになります。

ひふみんは多くの歴代1位記録をもっている!

「ひふみん」さんこと加藤一二三元九段が、将棋界で歴代1位の記録を多くお持ちです。

歴代1位の記録は下記の通りです

  • 最高齢現役(77歳5か月)
  • 最高齢勝利(77歳0か月、2017年1月20日 対・飯島栄治戦)
  • 最高齢対局(77歳5か月、2017年6月20日 対・高野智史戦)
  • 年長者側の最多年齢差勝利(58歳5か月、2015年3月11日 対・増田康宏(17歳4か月)戦)
  • 最多年齢差対局(62歳6か月、2016年12月24日 対・藤井聡太(14歳5か月)戦)
  • 最長現役勤続年数(62年10か月)
  • 最多対局数(2,505局)
  • 最多敗戦数(1,180敗)
  • 最年少五段(15歳3か月)
  • 最年少A級(18歳3か月)[14][15]
  • 最年少名人挑戦(20歳3か月)
  • 最年少王将戦リーグ入り(16歳)
  • 順位戦デビューからA級まで、4期連続で最短昇級(中原誠さんと加藤一二三さんだけです。)
  • A級順位戦最多勝利(149勝)
  • A級順位戦最多対局(313局)
  • 順位戦最多出場期数(62期)

14歳7ヶ月から63年間、現役のプロ棋士として活躍されましたので、多くの記録があります。

ひふみんの現在3選!現在の年齢は?

「ひふみん」さんこと加藤一二三元九段は、1940(昭和15年)年1月1日に、福岡県嘉穂郡稲築村で誕生しました。

なんと、第2次世界戦前にお生まれになっている、戦前生まれです。

「一二三」と珍しいお名前ですが、1月1日(元日)に生まれた、加藤家の三男なので「一二三」と命名されたようです。

一度聞いたら忘れないお名前ですね。

「ひふみん」さんは、現在83歳でタレント活動・将棋の啓蒙活動をしています。

現在①ひふみんはワタナベエンターテインメントに所属

前章で紹介しましたが、「ひふみん」さんは2017年6月に、プロ棋士を引退されました。

引退後は、ワタナベエンターテインメントに所属し、タレントとして活躍しています。

プロ棋士時代に「厳しい眼光」別れを告げて、いつもニコニコされている人気者です。

もうかしたら、「ひふみん」さんが63年間、プロ棋士として活躍されて、多くの記録を残されたレジェンドあることを知らないZ世代の方もいるかもしれません。

現在②ひふみんは仙台白百合女子大学の客員教授

前章で紹介しましたが、「ひふみん」さんは2017年6月にプロ棋士を引退されて、ワタナベエンターテインメント所属のタレントさんとして活躍されています。

タレント活動の他に「仙台白百合女子大学」の客員教授に就任されました。

加藤一二三客員教授の初仕事は学園祭でのトークショーで、テーマは「私の学生時代」でした。

「ひふみん」さんの娘さんが仙台白百合女子大学の教員をされていて、その縁で客員教授に就任されました。

現在③ひふみんはTwitterで発信!

「ひふみん」さんはTwitter(X)で情報発信をしています。

アドレスは、加藤一二三【公式】@hifumikato です。

ひふみん (@Hifumin2334) / Twitter のサイトがありますが、公式サイトではありません。

情報発信の内容は、将棋の解説・教育、日常の出来事を発信しています。

なんと、フォロワー数は17万人以上もいる人気サイトになっています。

ひふみんは超猫好き!

「ひふみん」さんはの猫好きで有名です。

東京都渋谷区千駄ヶ谷の将棋会館近隣で「「ハロー。君達も、将棋に興味があるのかい?」と加藤一二三元九段が雨宿りをしていた野良猫たち語ったメッセージです。

愛猫家としても有名な加藤九段で、NHKの「ひふみんのニャンぶらり」という番組のMCを務めました。

18匹いた野良猫のなかで16匹の里親探しをしたことエピソードがあります。

猫好きには悪い人はいないようですね。

まとめ(63年間プロ棋士を務めました)

「ひふみん」さんは1854年に14歳7ヶ月でプロ棋士デビューをし、なんと中学制時代にプロ棋士デビューをしています。

その後、高校・大学(早稲田大学)とすすみますが、プロ棋士のお仕事が忙しく、学業との両立は困難との理由で大学を中退されました。

昭和29年から、63年間を現役プロ棋士として活躍されてきました。

2016年(平成28)年に天才棋士の藤井壮太さんが表れました。

なんと、藤井壮太さん四段のプロ棋士のデビュー戦の対局相手が、加藤一二三九段でした。

みなさん、ご存知のとおり藤井壮太さん勝利しました。

藤井壮太さんは2016(平成28)年に14歳2ヶ月でプロ棋士デビューをしたことで、加藤一二三元九段が有していた「プロ棋士デビュー最年少棋士記録」を更新しました。

最年少棋士記録保持者が、対局に敗戦して最年少棋士記録を更新されました。

加藤一二三元九段は「記録は更新されるためにある」とコメントをされていました。