岡田更生館事件は公的施設でおきた戦後の汚点と呼ばれ、弱者への暴行や殺人、そして組織ぐるみの隠ぺいといった許しがたい罪を抱える事件です。
しかし現在でも注目されている理由は、その罪が正しく裁かれなかったこと。
その為、当時岡田更生館館長を務めていた館長のその後や写真、そして彼の子孫にまで、注目が向けられることになりました。
太平洋戦争後の動乱期に起きた、人間の弱さと傲慢さが生み出した「岡田更生館事件」の真相を詳しく探っていきましょう!
目次
岡田更生館事件とは!?館長の実名や事件の真相がヤバい?!
太平洋戦争後の日本は貧しく、現代からは考えられないような無秩序の時代でした。
家を焼かれ家族を失い職もない、そんな人が当たり前のように路上生活をしていたといいます。
戦後日本を統治していたGHQ(連合国最高司令官総司令部)は、浮浪者になってしまった国民を救うという名目で収容施設を全国に開設したのですが、その一つが問題となった「岡田更生館」です。
暴行や傷害、横領が隠ぺいされ続けたにも関わらず、模範的な施設として公表されていました。
弱者を標的に日ごろのうっ憤をぶつけ、差別を繰り返していた館長ですが、彼は実名を公表され多くの人の反感を買ったのです。
そんな岡田更生館事件のヤバすぎる真相を紹介していきます!
岡田更生館事件とはどんな事件なのか?
岡田更生館事件は1946年に開設された収容施設で起きた暴行殺人事件です。
その悪行は1946年から1950年までにも及び、多くの浮浪者が殺されたといわれています。
終戦後の日本は貧しく岡田更生館のような収容所には、収容しきれないほど多くの人々がひしめき合っていたのです。
岡田更生館では、畳1畳に1.3人が寝泊まりし、食事は米粒7つほど、脱走防止のために全裸で寝かされ、体罰で命を落とす者も多かったといいます。
彼らは罪人ではなく救済されるべき人々ですが、岡田更生館事件では救済されるべき人が暴行を受け死亡するなど人とは思えない扱いを受けていたようです。
しかし、館長はじめ岡田更生館に勤める県職員たちはこれらの罪を隠し続けていました。
岡田更生館の真相
岡田更生館事件では、事件発覚後にさまざまな真相が暴かれました。
収容人数が超過密だったことや費用の横領によって食費が著しく乏しかったこと、衛生管理が悪く結核や皮膚病で亡くなる人も多くいたのだとか。
さらに、館長が気に入った人物を独断で指導員と決めており、収容されていた人々の間でも格差が大きかったといわれています。
耐えかねて脱走すると、私刑に処されあまりの暴行に死んでしまう者もいました。
死者は裏山で焼かれ、そのまま山に埋められていたようです。
岡田更生館事件の主犯は館長?実名も公開されている!?
現在では信じがたい施設の実態ですが、岡田更生館事件の主犯は「館長」だったと言われています。
館長の名前は「名木田安男」と公表されており、当時の新聞にも実名が掲載されたようです。
館長の写真は残念ながら残されてはいませんが、名木田安男は県が施設へ給付していた保護費90万円程も横領していました。
そればかりか館長の名木田安男は、暴行によって死亡してしまった者の交付金などにも手を出しており、現在の貨幣価値に直すと、約4500万から5000万円程の大金を横領していたことになります。
岡田更生館では、館長の名木田安男が収容者を人とも思わず、彼の私利私欲を満たす場所だったのでしょう。
事件発覚の切っ掛けとは?新聞記者が潜入捜査?!
館長の名木田安男や岡田更生館に勤める県職員たちは、真実を隠蔽し続けます。
岡田更生館に調査が入る時は劣悪な環境を隠し、施設の整った表面だけを見せていたのです。
その結果世間からは「模範的な施設」とまで、評価されていました。
しかし、収容されていた北川冬一郎のいう男が1949年2月に脱走に成功、毎日新聞の大阪本社に駆け込んだことで、事態は急変していくのでした。
彼は岡田更生館が警察とつながっているかもしれない、と思い新聞社に駆け込んだといっており、当時の警察がいかに信頼されていなかったかわかる行動ではないでしょうか。
北川冬一郎さんの証言を信じ、毎日新聞社の大森実さんと小西健吉さんが潜入捜査に挑んだのです。
大森実著『エンピツ一本』終戦直後23歳で毎日新聞の記者になった大森さんの記録 上巻が630ページある しかも上・中・下巻の3巻組 ゆっくり読んでいるがめちゃ面白い 昭和史の勉強にもなりますぜー pic.twitter.com/xRKSpmvtZT
— 松浦 祐也 (@_TAROJIRO_) November 12, 2021
岡田更生館事件の事は、大森実さんの著書「エンピツ一本」にも記載されていました。
新聞記者が潜入捜査した理由
国内で初めての新聞記者による潜入捜査ではないか、ともいわれているこの出来事は、大森実さんがアメリカで似たような事件があったことを思い出し、参考にしたようです。
自ら囚人に変装し潜入した記者が、看守の罪をあぶりだしたことがあったのだとか。
そこで、自分たちも潜入捜査をすることにしたというのです。
しかし、あまりにも危険な取材の為、岡山地検や倉敷署のバックアップを準備しての潜入でした。
この潜入の裏には、正面から取材や調査に行っても隠蔽されることがわかっており、周囲に岡田更生館の悪事を訴えたところで、誰も信じないという背景があったのではないでしょうか。
岡田更生館事件は収容者保護費の横領だった!?
岡田更生館に潜入した毎日新聞社の大森実さんと小西健吉さんは、執念で岡田更生館の実態を世間に暴露することに成功しました。
大森実さんの救助要請に答えて駆け付けた取材班は、現場の写真を次々に抑え、小西健吉さんは館長の名木田安男と帳簿を巡って攻防があったようです。
この帳簿こそ、岡田更生館事件の真相と言っていい証拠。
劣悪な環境も貧しい食事も、全て館長の名木田安男が多額の公費を横領していたために引き起こされていたからです。
岡田更生館事件発覚と館長のその後とは?!刑罰の内容がヤバすぎる?
岡田更生館事件はひとりの勇気ある脱走者と、信念を貫いた新聞社のおかげで発覚しました。
酷い暴行をされ、死亡した人物は相当数に及ぶようで、命からがら逃げてきた北川冬一郎さんは多くの人の死を見てきたと語っています。
いわば連続殺人といっても過言ではない状況ですが、事件が発覚し、館長はその後どうなったのでしょうか。
その後①毎日新聞報道により事件が発覚し館長らが逮捕!
毎日新聞社の前代未聞の潜入捜査によって、証拠を握った毎日新聞社は暴力や収容者の死を大々的に報じました。
しかし当時の岡山県知事である西岡広吉は、模範的な施設として定評のあった岡田更生館がそのような場所のはずがない、と記事を全面的に否定。
また岡田更生館も「悪意がある報道だ」というビラを撒いて対抗したようです。
毎日新聞社は、全てを見越していたようで、翌日には証拠となる写真を一斉に公開し、帳簿の数字までも詳しく公表しました。
証拠は揺るぎないもので、騙されていた周囲の者たちもやっと岡田更生館の真実を知ることが出来たのです。
岡田更生館の反発
ここまで来ても、名木田安男は罪を認めず無実を証明する会見を開いたのです。
館長の名木田安男は身なりの良い収容者を集め、
と役人たちの前で話したようです。
しかし、会見後のリンチを恐れた収容者たちは手をあげません。
そこで、毎日新聞社の大森実さんは、国家地方警察に事情を話し館長の名木田安男を退場させ、再度同質問をしたところ、全員が手をあげたのです。
このことが動かぬ証拠となり、その後館長の名木田安男や管理者の職員などが一斉に逮捕されました。
その後②犯人らには軽い刑罰が下されたのみだった?
1950年に岡山地裁は判決を言い渡しました。
館長の名木田安男や会計を任されていた男性には横領と文書偽造の罪が科せられ懲役1年、他の職員たちには懲役8か月や懲役6か月など、極めて軽い刑罰となったのです。
現在の業務上横領の例を見てみると、少なくとも懲役2年以上は受けています。
さらに、収容者への暴行や中には死に至らしめた私刑については罪を問われていません。
アンビリバボーで岡田更生館事件やってる。終戦から3年ほどで公務員が78人を殺害。うちの市役所職員に 聞いたら知らなかった。
倉敷真備町岡田の県営施設の事件。津山30人殺しは知ってるが岡山県人はほとんど知らない。夜は脱走しないよう男女とも裸にし、なぶり殺し。確か、2年程の懲役罰で完結
— 0726ขอบคุณ (@pasuteruXX22) September 3, 2020
この岡田更生館事件は、現在でも多くの人が関心を持ち刑のあまりの軽さに憤りを感じているようです。
その後③跡地には慰霊碑が立っている!?
意外なことに、現場となった岡山県倉敷市には、この事件を記したものないと言われています。
しかし事件後に、地元の教員などが忘れてはいけない事件として、失った命のために慰霊碑を立てました。
場所は「岡山県倉敷市真備町岡田846」にある千光寺の境内。
「命尊碑」という言葉と共に、太平洋戦争は痛恨の極みだという一文も添えられています。

千光寺
岡田更生館事件とゆかりの深い寺 pic.twitter.com/MrI6pjgidw— ばやりーす (@bire1eys) January 30, 2022
千光寺というお寺の奥に、命の大切さを訴える慰霊碑が立てられており、現在も足を運ぶ人が多くいるようでSNSなどに写真がアップされています。
岡田更生館館長には子孫がいる?事件をモチーフにした作品をご紹介!
上記の写真は岡田更生館の跡地の様子ですが、現在は閑静な住宅地になっていました。
判決を受けたのち、一度は裁判を不服とし控訴した名木田安男ですが、この控訴は取り下げられ刑を受けています。
しかし、その後館長の名木田安男がどこに行ったのか記録には残っていません。
そんな名木田安男には子孫がいると噂されており、この事件をモチーフにした作品まであると噂されています。
名木田安男の子孫が存続している?
名木田安男は、一説によると満州国で巡査をしていた経験もあるといわれています。
岡田更生館の職員たちはその多くが巡査だったようで、今でいう警察が悪事を隠蔽していたようなものなのでしょう。
名木田安男は、岡田更生館事件で服役してからその行方は分かっていません。
「名木田」という名は珍しく、主に岡山県総社市久代に集中し、ルーツはそこにあるとされています。
しかし、子孫がいたとしても特定することは出来ず、事件から80年近くが過ぎている今、彼の子孫は事件とは関係のない存在と言えるのではないでしょうか。
事件をモチーフにした作品はひぐらしのなく頃に!?噂の真相とは?
岡田更生館事件は、竜騎士07さんの「ひぐらしのなく頃に」で一部モチーフにされているのではないかと言われています。
「ひぐらしのなく頃に」はゲームからアニメ化された人気作品で、ホラーテイストが話題となりました。
この作品に登場する鷹野三四は、幼い頃に両親を亡くし施設に入るのですが、この施設では暴行や虐待が続き、公金を横領するのが目的の施設だったのです。
確かに岡田更生館事件と同じような設定になっています。
ひぐらしのなく頃に、を中学の頃よく読んでいたけど
岡田更生館事件、めちゃ似てる
竜騎士さん、インスピレーション受けてるのかね— ゆき (@mjadwtpjw) September 8, 2020
真相は不明ですが、作者が創作過程で何らかの影響を受けたのかもしれません。
岡山更生館事件の真相は戦後に起こった暴行と横領が招いた悲劇!
岡田更生館事件は、戦争の生み出した悲劇ともいえる事件です。
館長の名木田安男は、まるで独裁者のように館内を暴力と恐怖で支配していたのでしょう。
事件発覚後に施設の職員を辞めた人物は、良識が鈍っていたとも発言しています。
戦争という非日常を経験し、暴力や死への感覚がくるっていたのでしょうか。
岡田更生館事件は、閉ざされた空間でおきた公的機関の最大の負の遺産として、これからも語り継がれていくはずです。